Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやくひと段落‥肩の荷がおりた

2015年10月31日 23時41分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく中欧の旅の記事を書き終えた。一昨年にイタリアのツアーの時と違って美術館・博物館の訪問が少なかったのが残念であったが、それなりに楽しむことはできた。美術館や美術講座などで紹介される美術館めぐりのツアーは1週間で10数館を訪れたりするものもある。それはそれでやはり苦痛である。頭が飽和状態になってしまう。かと言って個人旅行をこなせるだけの能力もない。なかなか人間というものは我がままにできている。
 旅行記の合間にヴラマンクの気に入った作品をいくつか取り上げたが、そろそろ図録の解説もキチンと読みながらさらにいくつかの作品を自分なりに鑑賞してみたいと考えている。
 見に行きたい展覧会は、東京国立近代美術館の「藤田嗣治全所蔵作品展」、神奈川県立歴史博物館の「五姓田義松-最後の天才-」、神奈川県立近代美術館鎌倉の「鎌倉からはじまったパート3」、東京都美術館の「モネ展」、サントリー美術館の「久隅守景展」、損保ジャパン日本興亜美術館の「最後の印象派 1900-20′s Paris」、東京ステーションギャラリーの「『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎」が挙げられる。
 このうちいくつに行くことができるだろうか。ステーションギャラリーの藤森静雄、モネ、久隅守景、五姓田義松、鎌倉館は是非足を運びたいとは思っている。

 先ほどまで久しぶりにテレビを90分もみてしまった。NHKのビーエスプレミアムで「俵屋宗達の正体とは?」を放映していた。特に新しい知見はなかったようだが、宗達という画家のことを一括しておさらいすることができた。

 「一太郎」の調子は、本日のところは問題はない。明日以降についてビクビクしている。

 さて、肩の荷が降りたことによるのか、朝、下痢がひどかった。その後下痢とはなっていないが、風邪の初期症状かと心配になっている。今のところ症状は下痢だけである。

中欧の旅(6)-ブタペスト(2) 最終回

2015年10月31日 20時57分23秒 | 山行・旅行・散策


            

 オペラハウスの見学前に添乗員の好意で中央市場に案内してもらった。モザイク模様の美しい屋根を持つ広大な3階建ての美しい装飾に驚いた。市場の中も清潔である。肉・ソーセージ・野菜・果物・魚・パプリカなどの香辛料・ワイン・チーズ・ケーキ・パンなど食品を扱う店が並ぶ。このようなところは何となくホッとする場でもある。

                  

 有名なヴァ―ツィ通りを歩いた後は、オペラハウスを見学。リストの像が埋め込まれ、歴史ある重厚で荘厳な建物の外側だけでなく、内部の装飾や設え案内にも圧倒される。これはウィーンのオペラハウスよりもすごいと感じた。丁寧で日本語の説明もあり、有難かった。オペラ歌手のわずか15分だがアリアが階段室の音響をうまく利用していていい響きであった。

           

 夜は、郊外でディナーショーを見ながら夕食。夕食後はナイトクルーズでドナウ川のライトアップを堪能した。バスでホテルに戻ったのは23時過ぎということでかなり草臥れた。

                                 

 翌朝は8時にホテルを出発して空港に直行して往路と同じくチューリッヒ経由で東京へ経った。
 今回の旅行、美術館・博物館の訪問が思うようにできなかったのは残念であるが、ツアーである以上やむを得なかったと思う。たぶん再度訪れる可能性はほとんど無いに等しい。しかし訪れる機会があれば行きたいの美術館・博物館がいくつもある。欲をいえばキリがない。
 今回の中欧訪問記はこれにて終了。

中欧の旅(5)-最後の訪問地ハンガリーへ(1)

2015年10月31日 12時24分14秒 | 山行・旅行・散策


 ウィーンを発ってから、ハンガリーに入ると一戸建て家の屋根がとても特徴的な形をしているのに驚く。屋根の構造が二重になっていてそれが勾配の違いとして目に入る。どうしてこのような二重構造なのかはわからない。しかしほとんどの場合、屋根裏部屋の窓がついている。この窓もまた特徴的である。

   

 この景観に目を奪われているうちに、ブタペストの北西にあるスロバキアとの国境にあるエステルゴムと、ヴィシェグラード、センテンドレをまわった。ドナウ川が東から南へ流れを変える地点でもある。

                                  

 ハンガリー建国の地エステルゴムでは大聖堂を見学。またセンテンドレでは中央広場などを散策したのち、コヴァーチ・マルギット博物館の傍まで行ったものの、わずかな時間しか残されておらず、博物館には入らずに向かいの喫茶店の店先で、絵葉書を3枚購入したにとどめざるを得なかった。もっと早くその存在に気がついていれば、最初にここを訪れたかった。なかなか惹かれる作品である。
 コヴァーチ・マルギット(1902-77)は、陶芸作家で案内書によると「民俗的要素を現代陶芸に取り入れ、土色の肌に単純な色付けが特徴」とのこと。民芸陶器とも違う。控え目で内省的でいて強さもある、確かな造形意識を感じる。ハンガリーの聖母子のマリアは独特の王冠を被っている。聖母子像は悲母観音に擬せられることがよくあるが、このポストカードを見る限りそれがよく解る。

 ブタペスト市内では、「漁夫の砦」と「マーチャーシュ教会」を見学。教会の屋根に使われている陶器による装飾が目をひいた。事前にハンガリーの古楽器の展示があるという「音楽史博物館」というのが傍にあるのでそこの見学があるといいと、少しばかり期待していたが、残念ながらコースには含まれていなかった。

                                       

 「漁夫の砦」の入口に立っている門の左右の内壁に彫られた6人の像はどれも表情が人を曳き付けるものがある。
 途中でコブラン刺繍の店に立ち寄り買い物タイム。この店でコースターなどの土産品を購入した。陶器は高価で手が出ないが、これなどは土産品として手ごろでとてもありがたかった。日常に使える丈夫なものとなっていた。

   

 次に英雄広場、イシュトヴァーン大聖堂などをめぐった。

 リスト・バルトーク・コダーイの記念館、あるいは1956年のハンガリー動乱の立役者でソ連軍に処刑され、1989年に名誉回復となったナジ・イムレの像などはともに立ち寄ることも無く、若干の自由時間にいけるところではなかったのが残念であった。もっとも7泊目ということで気力も萎えていた。英雄広場の横に西洋美術館があり、エル・グレコの作品もあるとのことであったが現在改修中であった。これはとても悔やまれた。




「フランダースの野に」(小沼通二訳) 再録

2015年10月30日 23時46分24秒 | 読書
 今年の5月5日に、世界平和アピール7人委員会のホームページに掲げられた小沼通二氏の訳による「フランダースの野に」というジョン・マクレーの詩をこのブログに掲載した。
 小沼氏はこの詩にとても愛着があるようで、11月号の「図書」に再度詳細に訳した経緯や訳にあたってのさまざまな研究の経過を述べている。
 それはここでは省略するが、私も気に入っている詩と訳なので、再録してみることにした。前回とは訳が少しだけ違っている。無論大意に変更はなく、理解しやすくなっている。あたらしい訳を記している。
 訳のあとの文章は5月5日に掲載したもの(世界平和アピール7人委員会のホームページに掲載されたもの)をそのまま使用させてもらった。

In Flanders fields
        John A. McCrae

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.


フランダースの野に
   ジョン A. マクレー

フランダースの野にポピーが揺らぐ
十字架の間に、何列も何列も、
ここがぼくたちの場所 空には
今でも元気な声で飛ぶひばり
かすかに聞こえる地上の砲声の中で

ぼくたちは死んだ 数日前には
生きていて、夜明けを感じ、輝く夕焼けを見た
愛して、愛された、それなのに今では
 フランダースの野に横たわる

敵との争いを終わりにしよう:
弱ってきた手でぼくたちはトーチを投げる
受け止めて高くかかげてくれないか
死んだぼくたちとの約束を守れないなら
ぼくたちは眠れない、ポピーの花が
 フランダースの野に咲き誇っても

 この詩は、この街の郊外で第1次世界大戦の激戦中、今からちょうど100年前の1915年5月3日にカナダの軍医中佐ジョン・マクレー(1872 –1918)によって作られ、英国の週刊誌「パンチ」の12月8日号に掲載されて広まった。ドイツ軍は10日ほど前の4月22日から全面的毒ガス攻撃を開始していた。砲撃が命中して戦死した親友の飛散した遺体を拾い集めて埋葬した翌日に書かれたのだった。
 いずれ詳しく書きたいが、100周年にあたり、この詩をめぐる話題の一端を紹介する。この詩から米英でポピーが戦没者を偲ぶシンボルになり、この詩を受けて多くの詩が作られた。英連邦諸国では毎年11月の第2日曜日を第1次世界大戦の戦没者追悼日(通称ポピーの日)として、多くの人が胸に造花の真紅のポピーをつける習慣が始まった。私がもっているだけでも3枚の切手がカナダとオーストラリアで発行されている・・・。
 私が、これまでの和訳に納得できなかったのは、10行目の ”take up” だった。ほかの行はすべて平易であるのに、10行目だけは二つの深い意味を持っている。一つは「敵との戦いを再開してくれ」という意味である。そうすれば以下は戦いを鼓舞する詩となる。そして実際この詩は戦意高揚にも使われた。しかし私の解釈は異なる。オクスフォード英語辞典(全20巻のOED)によれば、現代では使われなくなったが、15~16世紀には「友好的に収める」という意味にも使われた。その例として挙げられているのがシェークスピアの1600年の『お気に召すまま』の“Take up a quarrel”(第5幕、第4場、104行)などである。サムエル・ピープスの1666年10月24日の日記の“take up”も同じ意味だとOEDにある。
 マクレーは愛馬を連れて戦場に赴き、戦場で迷子になっていた猟犬を拾って飼い続けるという優しい心を持ち、毎日、軍医として悲惨な死傷者を相手にしていた。そして親友の死によって打ちひしがれている中でこの詩を作った。10行目の最後にコロン「:」があるので、以下最後まで10行目を説明していることになり、第2の意味の方が納得しやすい。軍医として戦争を直接批判できない立場にいた彼は、シェークスピアを引用し、13行目の「約束」の内容を明示しないことによってこの詩に見かけと彼の真意の2重性を含ませたと私は考えている。彼は1918年1月に発熱、喘息、毒ガスの後遺症、脳出血を併発して、ドーバー海峡の見えるフランス海岸の軍事病院で29日に45歳で急死した。彼の最後の言葉はこの詩の13、14行目だった。

ストレスの原因は‥

2015年10月30日 22時39分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は特に予定がない。まずは途中まで出来上がっている中欧の旅の仕上げをすることから始めよう。
 これが終わらない限り落ち着かない。何か思い荷物を背負ったままずっと立っているような感じがする。
 旅行から帰ってから、予定がたて込み過ぎたのもある。そしてワープロソフトの不具合とい予定外のことが起きてしまった。この不具合はまだ原因もわからないので、いつ再発するかビクビクしている。これが背中に背負った重み、あるいはストレスの一番の原因なのかもしれない。

 さて先の記事の「宿題はふたつ」は間違いであった。みっつ目の宿題である昨日のバス旅行の報告記事が残っていた。「宿題はみっつ」だった。
 ということで、昨日のバス旅行の報告の記事の第一稿は今しがた仕上げた。これを主催者に送信して本日の作業は終了。これに関しては後は特に難しい作業は無い。チェックが終わった原稿と画像を主催者ホームページにアップする機械的な作業のみである。

宿題がふたつ残っている

2015年10月30日 20時02分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午後2時から19時過ぎまでかかってようやくA3版裏表のニュースの原稿を作り終えた。編集委員と印刷会社にとりあえず送信終了。来週中に原稿の最終確定まで持ってい各区ては間に合わない。「一太郎」の不具合の症状は本日はまだ現れていない。しかしこの「一太郎」の不具合によって随分と大変な目に遭わされた。
 旅行記は明日以降に持ち越して、本日はもう寝てしまいたいものである。明日は旅行記もさることながら、27日に岩波ホールで鑑賞した「光のノスタルジア」「真珠のボタン」の感想を早めにアップしたいものである。原稿を2本抱えて、というのは宿題をふたつも抱えて右往左往する高校生のようなものかもしれない。彼らよりは切羽詰まっていなくて、申しわけないような気分になる。

 明日は講座の予定がない。明日は休養日となるであろうか。


もったいぶった月

2015年10月29日 23時14分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の「一太郎」はちゃんと作動している。途中でダウンする現象は起きていない。このまますんなりと作動し続けてもらいたいものである。
 どういうときにダウンしてしまう現象が再発するのか、原因がサッパリわからない。

 さて明日、10時30分からの講座は「琉球処分と琉球救国運動」の4回目」。午後には早めに帰宅して、退職者会ニュースの原稿を仕上げることと、中欧の旅行に続きを早急に仕上げ無ければいけない。
 中欧の旅、こんなに時間が経ってしまった。頭の中ではもう忘れかけてしまっている。旅行のまとめがこんなに時間が経ってしまったのは初めてのような気がする。

 先ほど22時過ぎに2度ほど私の住んでいる地区に雨が降る予想というメールが届いているが、降った様子はない。地図をみると300メートル離れた個所では少し降っているようだ。空は雲に覆われているが、ところどころ切れ目があり、満月から2日経った月が顔を出しそうでだしていない。先月ならば立待月といわれる月齢である。雲の間を縫うようにして少しだけ顔を出す月は、なかなかもどかしい。随分もったいぶった月である。


中伊豆の秋

2015年10月29日 21時12分58秒 | 山行・旅行・散策
 朝から中伊豆にバス旅行で出かけた。カメラマン役として半ば取材旅行のようなもの。世界遺産になった伊豆の韮山反射炉を訪れた。確か中学1年になったばかりの春の遠足という名のバス旅行で訪れたと記憶している。51年も前のことである。世界遺産指定ということで、多くの観光客が来ていた。駐車場も整備され、大型のレストランやおみやげ店が出来ていた。周囲の記憶はまったくないが、反射炉自体は記憶に残っていた。ただし外側が鉄骨で補強されていたのは記憶にない。昔よりも随分きれいになったような気がする。
 今回初めて訪れたのが、「万城の滝」。高さ20m、巾6メートルの滝。訪れる人は少ないが、なかなか見ごたえのある滝であった。石庭わさび園、中伊豆のワイナリーも初めて訪れた。
 朝8時半に横浜を出て、19時近くに戻った。バス旅行というのはついお酒が進んでしまう。私にはやはりハイキングが相応しいようだ。


                                    

徹夜&「一太郎」の不具合

2015年10月28日 23時09分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日からのワープロソフトの不具合で目が疲れ、肩が凝ってしまったので、早めにベッドに入り寝ようとした瞬間に家族の具合が悪くなったということで、結局朝まで病院に着き合った。明け方1時間ほど横になれただけであった。
 家に戻りシャワーを浴び、着替えてそのまま予定があったので出かけた。本日は陽気がよく、電車に乗ると気持ちよくなり、つい寝てしまい一駅先まで行ってしまった。一駅ですんで助かったと思う。
 しかし徹夜というのは現役時代によくあった。台風や降雪の時などの災害時はたいてい徹夜で対応することになった。職場にはシャワーがあったので、着替えはなくともそれなりに気分は回復できた。しかし組合の役員として、年度末に恒例のように当局と徹夜交渉が2回ほど行われそれに携わったが、これはなかなかつらかった。明け方にシャワーもなく、着替えも出来ずに随分つらい思いをした。交渉だけならまだしも、交渉結果のビラをすぐに作成・印刷・配布を行い、さらに昼休みに職場で結果の報告を組合委の前で行う。この一連の行動が終了すると、疲れ切ってだいたい午後には休暇を取得して家に帰って休まざるを得なかった。
 本日はすぐに家に戻ることができたので、シャワーを浴び、着替えて出かけることができた。随分楽である。
 明日はまた18-19日とは別の日帰りバス旅行である。また朝早くでなくてはいけない。たぶんバスの中でそのまますっと寝てしまいそうである。

 さて、「一太郎」の不具合、なかなか解消しない。ようやくはっきりしたが、自動バックアップの時間直線に「あたらしい‥」と入力し返還のためにエンターキーを押すとソフトがダウンしてしまう。これが確認できた。やむなく、「一太郎2013玄」を再インストールしたが、それでもその症状が改善しまい。
 本日も退職者会の機関紙の編集を行いながら2回ほどダウンした。用心をして5分ほどの間隔で上書き保存をしていたので事なきを得ていたが、このブログの記事を書いているときに2度ダウン。もろに2度文章を作り直した。イライラが募ってしまう。具合のいいと帰途そうでないときもあるようだ。どのように対処すればいいのか、皆目見当がつかない。

高村薫「2015年秋を記憶する」

2015年10月28日 20時36分37秒 | 読書


 岩波書店の図書に連載されている作家の高村薫氏の「作家的覚書」は必ず目をとおす。わかりやい文章でたいていは私の思いを大いに代弁してくれている。
 本当は現在の状況に対する判断や発言は自分のことばで綴りたいし、そうであるべきなのはわかってはいるが‥。
 これまでの私の生涯の中で、現在の政治状況や政治家の資質にもっとも絶望している自分がいる。保守といわれる政治集団がいつものように踏み外したり、頓珍漢な発言をしても、どこかで修正される場所・時期がある、あるいはどこかで修正を余儀なくされる力が働く、というのんきな楽観が私の頭の中に存在していたのではないだろうか。
 現在はそのような楽観も期待も許されない地平に来てしまったようだ。
 肯定的に評価するか、否定するかは別として、戦後の政治の枠組みを作ってきた「日本国憲法」に代表される政治世界、国際連合という外交秩序が大きく転換していることは確かだ。だがしかし「過去といかに真摯に向き合うか」ということをないがしろにしては何ものも生まれることはない。私はこのことだけは手放してはいけないと思う。
 何を倫理として残すのか、してはならないことは何か、未来に残し引き継がなければならないことは何なのか、このことは過去との真摯な対話無くしてはあり得ないと思っている。このことを手放しては新しい価値の創出はないし、新しい理念も生まれないのではないか。このことは常に言い続けたい。

眼が疲れた

2015年10月27日 23時15分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩からパソコンとにらめっこの連続。しかもだいぶストレスのたまる作業の仕方を続けた。また本日は映画を2本、合わせて3時間以上の長丁場であった。映画が始まってから30分ほどしたら目がしょぼしょぼしてきた。10分ほど記憶の途切れている。目を瞑ってちょっとだけ眠ったかもしれない。
 やはり目がだいぶ疲れていたのであろう。また久しぶりに肩も凝ってきた。退職者会の機関紙の原稿はまだ思ったよりは進んでいないが、本日のところは切り上げないといけないようだ。これからあと1時間くらいが限度であろうか。

 お風呂にのんびり浸かって1時過ぎには眠りにつきたいものである。

神田古書まつり&岩波ホールで映画鑑賞

2015年10月27日 21時44分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の午後は神田神保町駅にある岩波ホールにてパトリシオ・グスマン監督の2つの映画作品「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」を見た。詳しくは後日アップ予定。

 ちょうど神田古書まつりを開催中なので路地に出展ちゅうの店を覗いたら、購入したかった「中世の星の下で」「ハーメルンの笛吹き男」(共に阿部謹也、ちくま文庫)を発見。2冊400円で購入できた。横浜市内の2件ほどの古書店を見てなかったのでがっかりしていたところであった。
 そして岩波ホールのある交差点の傍のカレー店で生ビールとカレーで夕食を済ませて帰宅。

 退職者会のニュースの原稿は表面の8割は形となった。これから裏面を作成する段階。24時までにどの程度できるであろうか。

「一太郎」何とか復活か?

2015年10月27日 19時47分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩うまく作動しなくなった「一太郎」、再インストールするしかないのか、と心配していたが、本日の朝すぐに一度文書作成中にダウンしたのち、お昼までは問題は発生しなかった。何がいけなかったのかわからないママである。
 宣伝するつもりではないが、「一太郎」はとても使いやすいワープロソフトなので、このまま不具合が続くと私はお手上げである。普段の文章から、A3版の新聞編集まですべてこなしている。「一太郎」に慣れてしまうと、ワードなどはとても使いづらい。縦書き、エクセル挿入、画像貼り付け、レイアウト枠作成等々‥随分楽にこなせる。私の表現とは切り離せない存在である。

 お昼直前に出かける予定になっていたので、パソコンをシャットダウンし、先ほど再度立ち上げた。まだ30分経っていないが取りあえず順調に作動している。
 昨晩は改行のためにエンターキーを押すと突然作動しなくなり、「終了します」との表示が出てしまっていた。変換の確定のためにエンターキーを押してもダウンすることはなかったと思う。やむなく開業のためのエンターキー押下をやめ、改行ボタンを使って作業をした。馴れなくて時間がかかってしまった。今のところはエンターキーで改行出来ている。自動バックアップもキチンと作動している。
 また以前に自動バックアップ直前にダウンする症状が起きたことがあるが、今回はそれとは違うような気がする。

 昨晩、本日午前と恐る恐る作業をしたので、予定の作業が大幅に遅れてしまった。中欧の旅行の報告は先送りして、退職者会の機関紙の原稿作りに邁進しないといけなくなった。印刷会社に迷惑をかけてしまうし、来月の発送に間に合わなくなる。
 本日中にA3裏表のおおよその形を作ってしまいたいと考えているがどうであろうか。また願望だけで「宣言」すると間に合わなくなったとき笑われてしまうので、今週中に作り上げたいという程度の宣言にしておこう。

「一太郎」がおかしい‥困った!

2015年10月26日 20時46分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 実は私は一太郎というソフトを使っているのだが、先ほどからエンターキーを押すとこのソフトが突然終了してしまう現象が起きている。先のバッハのヴァイオリン協奏曲の文章、実は5回も作り替えている。突然ソフトが終了してしまい15分ごとに自動バックアップの設定をしているにもかかわらずそれ以前に突如終了してまうので、その都度思い出しながら打ち直すという面倒を5回も繰り返した。どうにかしてほしい、と悲鳴が上がっている。
 対処方法として2~3行ごとに上書き保存をしながらようやくここまでたどり着いた。
 この現象がこのまま続くととてもブログの更新記事など書くことができない。困ったものである。

 中欧旅行の報告もこれではうまく処理できない。また退職者会ニュースの編集作業も出来ない。本日は様子見のためこれらの作業を中止してみることにした。折角文章を作っても何回も作り直しでは作業を続けられない。

バッハ「ヴァイオリン協奏曲」

2015年10月26日 20時37分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今朝バッハのチェンバロ協奏曲から復元したヴァイオリン協奏曲をFM放送で聴いた。そのうちの一曲は私の持っているCDにも収録されている。
 朝方聴いた演奏は、ヴァイオリンがアリーナ・イブラギモヴァ、合奏がアルカンジェロ、指揮ジョナサンコーエンということであった。私が持っているCDはアーノンクール版で、1976年の録音である。このCDについては、昨年2014年7月19日に取り上げている。
 朝聴いた演奏に比べるとアーノンクールの演奏はとても細い音である。悪く言えば弱々しい、よく言えば繊細である。細いナイフリッジの山陵を歩くように細かく神経が行き届き、そして遠慮深い。朝聴いた演奏は重厚で元気がいい。溌剌としている。どちらの演奏がいいのか、あるいは当時の演奏に忠実なのか否か、私にはどちらが正しく、そして優れているのかはわからない。
 私がアーノンクールの演奏をはじめて聞いたのは20代であったが、当時の石造りの教会や王宮の狭い部屋で聴いたスタイルは、アーノンクールのような演奏スタイルがもっとも近いと云われた。確かにそうなのかもしれない。そしていつも聞き慣れたアーノンクールの演奏が私には心地よいことに変わりはない。
 しかし新しい試みや新しい演奏スタイルを受け入られる感性も同時に持ち続けたいものである。それができないと新しい試みなどに対してそれを排除するように振る舞ってしまう恐れがある。芸術は過去のスタイルに留まっていては新しい命を吹き込まれることが無くなる。新しい時代に適応できる柔軟さを持ち続けない限り、その美は忘れ去られていく。時代に適合しないと烙印を押されてしまう。時代を超えて生き延びるものとはならない。同時に鑑賞する人間の感性も磨滅してしまう。いつも柔軟な感性を保持していたいものである。