Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

和泉式部の歌

2014年02月28日 23時28分59秒 | 読書
 久しぶりに和泉式部の歌を読んでみた。新潮社日本古典集成とネットで検索した和泉式部の歌を昨晩から昔を思い出しながら見た。記憶では高校1年の頃に新古今集と和泉式部集を岩波文庫で読んだのがはじめだ。
 私は諳んずるということが不得手である。口に上るのは短歌ならいつも5文字が7文字分の語句でひとつかふたつだけである。和泉式部の歌で言えば、「沢の蛍・あくがれいづる魂」「黒髪のみだれ・かきやりし」「君に馴れにし我が身」「あらざらむ・今ひとたびの逢ふ」、恥ずかしいことにこの程度の記憶しかない。
 それでも書物でその句を見れば全体を手繰り寄せることができる。
 以下に記した最初の6首はごく初期に眼にしたのは覚えている。しかし今から思うとどのように受け取っていたのだろうか。はなはだ心もとない。多分当時新古今集を理解できずとも読み続けていたので、新古今集に25首入集ということから和泉式部の歌に目をとめたのだと思う。恋歌・哀傷歌・釈教歌が有名だが、なかなか艶めかしい歌を覚えているものである。そして孤独のうちに看取る人もないような死を想定した歌などに惹かれたと思う。

 今でも鮮明に覚えている歌は、
・物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる
・暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
・黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき
・かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると
・あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな
・捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば

 さらに
・とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり
・あひにあひて物おもふ春はかひもなし花も霞も目にし立たねば
・この身こそ子のかはりには恋しけれ親恋しくは親を見てまし
・もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき
・わびぬれば煙をだにも絶たじとてしばをりたける冬の山里
・つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに
・絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや
・白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり
・いかにせむいかにかすべき世の中をそむけば悲しすめばうらめし
・野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける
・君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける
・寝覚する身を吹きとほす風の音を昔は耳のよそに聞きけむ
・すみなれし人かげもせぬ我が宿に有明の月の幾夜ともなく
・われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花 
・ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花
・秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかり人の恋しき
・晴れずのみ物ぞかなしき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ
・今はとて立つ霧さへぞあはれなるありしあしたの空に似たれば
・涙川おなじ身よりはながるれど恋をば消たぬものにぞありける
・人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
・人はゆき霧はまがきに立ちとまりさも中空にながめつるかな
・枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢
・惜しまるる涙にかげはとまらなむ心も知らず秋はゆくとも
・おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人
・わが魂のかよふばかりの道もがなまどはむほどに君をだに見む
・かたらひし声ぞ恋しき俤はありしそながら物も言はねば
・はかなしとまさしく見つる夢の世をおどろかでぬる我は人かは
・身よりかく涙はいかがながるべき海てふ海は潮やひぬらむ
・なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵の稲妻
・などて君むなしき空に消えにけむあは雪だにもふればふるよに
・生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける

などが遠い記憶に残っている。

 今はネットでどんどん検索できるし、ブログ等でも取り上げられているのがわかるから、便利になったものである。教科書的な解釈や訳よりもブログ等で取り上げられているのを見るとよりわかりやすく、こなれていることもある。

 移り気な私でももっと腰を落ち着けてじっくり読んでみたい気もする。何故和泉式部の歌に惹かれるのか、自分ではわからない。自分なりに納得するところを探したいと思う。見つかるまで暖めておくしかないようだ。ただ孤独の影がいつも見えてくる。そこに惹かれている。


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古代史講座受講決定

2014年02月27日 21時53分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 応募していた古代史の講座の抽選結果が一昨日送付されてきた。添付の講座の受講が決まった。前回は5回連続の講座であったが、今回は2回の講座。
 私としては第1回の講座にとても興味がある。会場は横浜市の一番南の我が家からは遠いところだが、駅のすぐそばなので通うのは楽だ。

 さて昨晩はNHKの番組で、和泉式部の生涯と歌を紹介していた。私は和泉式部の歌が好きである。高校生の頃から惹かれていた。よく理解できなかったものの和泉式部の歌を書き写したりしていた。男子高校生としてはチョイと変わっていたと思う。新潮社の日本古典集成も購入して紐解いている。そして福島県石川町の和泉式部伝説の残る猫啼温泉に行ってきたばかりである。
 久しぶりに(かれこれ20年ぶり位だろうか)和泉式部の歌を復習してみた。本に印のつけてある歌から、今も惹かれたものをうつしてみた。

 本日は霧のかかったような一日、微かに降ったり止んだりを繰り返していた。
 道路の脇に積み上げられていた雪もこれでほとんど融けたと思う。乾燥していた空気がひと段落した。
 このまま暖かくなったり寒くなったりを繰り返しながら春に向かっていく。

井上雅之「光のかたち、その変容」展

2014年02月27日 11時05分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 昨日訪れた、井上雅之「光のかたち、その変容」展で、短い時間であったがお話を伺うことができた。
 はじめの二枚は水の紋のイメージであるとのことであるが、私は勝手に宇宙の星の楕円軌道のイメージを頭の中に作り上げてしまっている。
 回転する強烈な磁場、ひょっとしたら表現されていないが上から下へ、画面の向こう側に力の作用が突き抜けていくイメージといったらいいのだろうか。そんな力を連想させてくれる楕円の重なりが気に入っている。
 赤と紫の楕円のズレがいい。これに着目するとこれは水面の波紋のイメージというのが理解できる。赤と紫の配合もいい具合に思える。とりわけ白い線とうっすらと浮かぶ黄色い線が美しい。

 後の2枚は朱の色が目に飛び込んでくる。なかなか刺激的だ。宇宙から飛来して人体も通り抜けていく光や宇宙線のイメージと思われる。白と朱の面の割合も惹かれるが、やはり白い線がこの二つの作品のポイントに見える。生きている生命体のイメージ、暗喩のような気がしている。画面の表面を不規則に、しかし一定のリズムをもって、何か意志を持つもののように動いている。
 うかがったお話の中で、黄色にポイントがありそうだ。描くうえでも最初にこの黄色の線というかポイントを描くとのこと。発色に苦労されているとのこと。そして色による遠近感というお話を伺った。
 色による遠近法という言葉を聞いて、何かとても大事なことを聞いたような気がした。確かにこの黄色ないしオレンジに近い色合いが画面に厚みを与えている。
 遠近というと、空気遠近法とか線遠近法しか知らない私にはビックリした。しかし寒色と暖色の配合などでさまざまな錯覚が生ずることなどを教わっている。それを応用すれば確かに画面上での工夫があると思った。
 ひょっとしたら具象の絵画でもそういう見方ができるかもしれない。今度絵を見るときにはそこもポイントで鑑賞してみようと思った。


井上雅之展[光のかたち、その変容]-雁皮紙によるコラージュ-
3月1日18時まで。銀座線銀座駅、松屋前井上商会ビル3階井上画廊にて。



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「南部鉄器」展&井上雅之「光のかたち、その変容」展

2014年02月26日 20時38分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は汐留ミュージアムで「メイド・イン・ジャパン 南部鉄器」展と井上雅之個展「光のかたち、その変容」というの二つを巡ってきた。

   

 江戸時代の重厚で、武骨なかたまりのような鉄瓶・鉄釜から現代の小型な製品に至るまでの、南部鉄器の概略が示されている。
 最近は直接火にかけないことを条件に赤や白や緑・鍋敷きなどの作品が並んでいる。
 私が今持っている南部鉄器は小さなお猪口くらいである。このお猪口なかなか手になじんでくれてとてもうれしい。この南部鉄の展覧会は直接火にかけることのできる鉄瓶のひとつ位は欲しい。
 残念ながら私の手が出るほどの製品はなさそうだ。また内田繁のデザインになる茶室なども見てきた。
 私はけばけばしい着色の作品よりも昔ながらの武骨な黒い肌、白金の肌の、直接火にかけられる製品が好みだ。ポットとしての着色された製品も確かに魅力はあるのかもしれないし、現代に生き延びる方向かもしれないが‥。

 そして銀座の松屋前の井上画廊では、直接井上雅之氏と懇談させていただき、作品の解説や色、線に込めた思いを教えていただいた。いつも勉強をさせてもらっている。感謝である。



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「世紀の日本画」展

2014年02月26日 11時22分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   


 昨日は「日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」」を見てきた。日本画というのを最近をよく見るが、「日本美術院」という枠で見るのは横浜美術館で横山大観展、下村観山展を開催してからである。
 先日は「天心」という映画も見た。岡倉天心については「茶の本」を10代のころに読んだ記憶があるだけで、それ以来ご無沙汰していた。

 しかし古代の記録また記紀や伝承に基づく人物像、あるいは仏画などの作品はどうも私にはしっくりこないので昔から今に至るまで敬遠気味である。狩野芳崖の作品を除いてであるが。

 今回、前期の展示作品を見て、そういった題材から離れた作品は1970年代以降のような気がした。
 天草(小山健、1971)、雪の最上川(小松均、1979)、霧氷(吉田善彦、1979)などが印象に残った。
 他にもあげたかったが、出展作品一覧にチェックを入れるのをしなかったので、忘れてしまった。記憶力を過信したようだ。あるいは夕方からのお酒で記憶が失われたのかもしれない。
 後期は特別観覧会が3月1日に行われるので参加する。その時はメモを取ることにしよう。




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またも飲み過ぎ

2014年02月26日 10時19分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は飲み過ぎてしまった。久しぶりに会った中学・高校の同期生で、かつ同じ就職先だった友人と二人で。生ビール1杯と日本酒1合、さらに黒糖焼酎のお湯割りを4~5杯も飲んでしまった。
 家についてからそのまま寝てしまったが、朝3時ごろふと目が覚めてから、支払いをした記憶が無い。財布からはお札は消えているから払ったようである。しかしどこかに落としたかもしれないという思いがどうしても拭いきれない。しかも私の方が高いお酒を飲んだから、余分に払わないといけないと思っていたことは記憶があるが、店を出てからの記憶がないのである。
 これはまずい。昨年は一人で入ったお店で支払いをしたかどうかの記憶がなくなった。横浜駅で電車を降りて歩いて帰ったことはちゃんと覚えている。
 また二人で話した内容は覚えている。学生時代のこと、子供のこと、仕事のこと、病気のことを話したと思う。ただし、過去のことばかりであったことは確かだ。これからの生活についてはあまり話した記憶がない。ただ私の受講している講座の案内パンフは参考までに渡した。勉強する気でいることは確かなようだ。

 多分敗因は最後の1杯だと思う。反省、といつも反省ばかりしている。猿回しの猿がすれば立派な芸であるが、私がしても愛嬌にすらならない。

 朝食時にはだいぶ水分を摂取して、温い朝風呂で汗を流した。しかし頭がまだ多少痛い。




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講座のない日

2014年02月25日 11時05分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年度末になると講座がない日が多くなる。昨日・本日・明日と講座が途切れた。学生の頃は授業のない夏休み・冬休み・春休みが待ち遠しかったが、今は手持無沙汰になる。不思議なことに美術展などの企画展も一息ついてしまう。

 本当はこういうことを見通して、事前に計画を立てて普段行けない美術館や博物館の通常展示などをまわるのもいいのだろう。しかし「明日は何もない」とあわててネット検索してもなかなか気に入ったものが見つからない。急に探してもそう簡単に自分の好みのものが見つかるわけではないのは当然であろう。
 来年度以降の教訓としなくては。と思う一方、行き当たりばったりが許されるという、仕事を離れた人間の特権も手放したくはない。いつまでたってもジレンマに悩む人生なのか。

 企画展・特別展では、今のところ目についたのが、汐留ミュージアムの「南部鉄器」、東京都美術館の「日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』」の前期展示。そしてお誘いを受けた井上雅之展。本日・明日と別々に行くことも可能かもしれない。

 本日は17時から、友人と待ち合わせ。楽しみである。


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「木版画の魅力展」講演会 申込み

2014年02月24日 22時18分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中に横浜美術館で行われる無料の講演会に応募した。3月1日から開催される「魅惑のニッポン木版画」展にちなんだ企画で、「木版画の魅力 幕末から現代の多様な表現」(講師:太田雅子横浜美術館学芸員)。美術館協力会会員対象の企画とのこと。

 応募のe-mailを送信したらすぐに参加できるとのことで返信がきた。4月5日(土)の開催である。一か月以上も先の日程なので、手帳に記載したが、忘れてしまうのが不安である。木版画、いや版画全体が私にはまったくわからない。技法については皆目想像が出来ない。幾度か制作についてのビデオや解説を聞いたがさっぱり理解できない、飲み込めない。今回の講演で多少は理解が進むことを願っている。

 本展では月岡芳年、小林清親、竹久夢二、棟方志功、恩地孝四郎、斎藤清、さらに最近に活躍する作家まで網羅するらしい。


久しぶりに大口通商店街へ

2014年02月24日 19時53分25秒 | 山行・旅行・散策
 実に二十数年ぶりに大口通商店街を訪れた。本日は講座の予定もない。他に急ぎでこなさなくてはいけないものもないはず。ということで、ウォーキングと散歩を兼ねて、自宅-横浜駅-東神奈川駅-京急子安駅-大口通商店街-大口駅-松見町-妙蓮寺駅-白楽駅-神奈川大学-自宅という周回コースを設定して歩いてみた。
 横浜駅近くで簡単な買い物をした後、まずは一号線と旧東海道をたどって京急子安駅まで。初めはダウンの上着を着ていたが、汗をかき始めたので化繊のごく薄いサマーセーターだけになり、結局家に帰り着くまでこのままで過ごした。
 寒い時期のウオーキングは歩き始めは寒くて嫌だが、次第に顔がほてり、体から汗がでるようになる頃には冷たい風が顔にあたるのが心地よくなってくる。さらに汗をかいてから上着を脱ぐと一瞬体が縮こまるような感じるが、すぐに慣れてその冷たい風が快感となってくる。このあたりの体感の変化がウォーキングの楽しみである。
 前回入江川の左岸を遡行したのだが、今回は松見町までは右岸を遡行したことになる。この道は古い道と思われるが由緒謂れは不勉強なので私にはわからない。
 横浜駅で実は子安駅からすぐに商店が続くので、そこから大口通商店街は始まるのかと思っていたら、国道一号線までは大口通商店街ではないらしい。生麦駅にもっとも近いところにキムチなどを売っている店があり、美味しそうだったが数人が並んでいたので購入は諦めた。こんど時間的にゆとりがあるときに購入することにした。
 二十数年前は4月に入ってからの冷たい雨が降り続く日曜日に訪れて、行きかう人のまばらな寂しい商店街に驚いたことを覚えている。本日は月曜日、それなりに人通りはあった。下校途中の高校生にも行きあった。店をたたんで様な空き地なども目立ったが、それぞれの商店は元気がある。横浜橋商店街や松原商店街ほどの賑わいはないが、他の商店街に比べたら格段に元気がいいと思えた。
 商店街を1往復半して初めてつぶさに各商店を眺めてみた。ターミナル駅でもない大口・生麦駅を結ぶ商店街、しかしなかなか活気があると感じた。残念ながら16時前だったので、軽く一杯と思ったがそのような気持ちをかなえてくれる店は未だ準備中ということで断念。
 松見町から先はいつもの歩きなれたウォーキング道をたどって帰宅した。

 本日は最高気温9度に届かなかったため寒いことは寒かった。しかしそれでもだいぶ雪が融けた。私の家の周辺やいつものウォーキングコースでは昨日に比べて歩きにくいところもほとんどなくなっていた。
 明日は本日よりは気温が上昇するらしい。降雪が多く被害が出ている地域の雪が、少しでも早く融けること、それも雪解けに伴う被害がでないように融けることを祈りたい。





昨日のお酒

2014年02月24日 00時28分09秒 | 料理関連&お酒
   

 昨日購入したのは、綾紫芋を使用したという「無濾過御幣 紫空(しくう)」。宮崎県西臼杵郡日之影町の姫泉酒造合資会社と記されている。創業天保2年(1831年)とのこと。
 この醸造元のホームページの商品説明には「南九州産の綾紫芋を用い、白麹仕込み、常圧蒸留仕立てにて造られた無濾過本格紫芋焼酎。仕込み水は蔵の対岸より湧き出る湧き水を使用し、蔵人の技により綾紫芋本来の旨み、甘みの残ったまろやかな味わいと風味豊かなフルーティーな香りをごゆっくりとご堪能下さい。お湯割り(6:4)、ロック、水割りなどお好みでお楽しみ下さい。」とある。
 4合瓶で1179円。

そば、麦、芋、もち米などの焼酎も作っているようだ。

 そのまま飲んでいるが、刺激の心地よい焼酎だと思う。

 日本酒と焼酎・泡盛などを交互に購入していたので、今回は日本酒の予定であったが、気に入った東北の日本酒が酒屋さんに置いてなかったので、今回も芋焼酎となった。
 日本酒は福島の旅行で随分飲んだので、次回に持ち越し。




久しぶりにウォーキング

2014年02月23日 20時58分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 道路に残った雪が怖いのでウォーキングを控えていた。
 午後に妻が「眞葛焼」展を見たいと言い出したので、二人で横浜馬車道にある神奈川県立歴史博物館まで歩いてみた。約8000歩ほど。ゆっくり歩いたので運動にはならなかったが、それでも天気も景色も良く気持ちよく歩いた。帰りは関内から横浜までは京浜東北線に乗車した。脱線事故の影響で心配したが、鶴見-大船間の折り返し運転はスムーズに処理されたようで、5~6分間隔で電車は走っていた。
 買い物を終えていったん帰宅してから9000歩ほどのたくさん汗をかく程のスピードで歩いた。神奈川大学の横浜キャンパスの外周を歩く6キロほどのコースを歩いた。路側線内にたくさんの雪がまだ残っているが、特に危険という個所は無かった。それでも深夜にするとなるとちょっとまだ怖い。日がさす内でないと不安は残る。

 仙台にいる友人がツイッターで、「一番町などの中心街では青葉通、広瀬通、定禅寺通など広い通りのビル北側はひどいものです。デパートや商業ビルでも。昔は社員総出でやったものですが、今は出入口だけやって知らん顔です」と記載していた。仙台でも事態は深刻なのかもしれない。
 私は、「いわゆるブラック企業はだいたいダメですね。顧客も大切にしないからブラックなんだと思います」と返事をした。しかし全体として「ブラック化」しているのかもしれない。公害問題以降、企業の社会的責任が厳しく追及されたし、企業内でも社会的に糾弾されることは企業の存続が危ぶまれるという危機感が強まったが、そのような発想が無駄に見えてきているのだろうか。

   

 横浜駅から自宅までは帰りも歩いたが、途中で寒緋桜が咲いていた。

昨日の購入本

2014年02月22日 23時09分50秒 | 読書
 実はもたもたとしていて、未だ「古事記」と「西行」「不朽の名画を読み解く」を読み終えていない。古事記以外の二冊は手元に置きながらおいおい読み進めるものであるが、古事記は訓み下し文と解説はぐずぐずして読んだ先から忘れてしまわないように、また流れを外さないようにしなくてはいけないのだが‥。少し急がないとまだ、上・中・下三巻の内、上つ巻・中つ巻の3分の2しか読んでいない。しかし思ったよりも読める。想像したとおり日本書紀よりは意味が取りにくいところが多々ある。古語の語彙の知識が高校の教科書程度だから文庫本の脚注だけではわからないところもある。しかし幾度か口にして繰り返すうちに何となくわかったような気になる。そんなことを繰り返しながら読んでいる。喫茶店などで不審な読書の仕方をしているとみられているかもしれない。



 そんな状態なのに一昨日に
「東北を聴く-民謡の原点を訪ねて」(佐々木幹郎、岩波新書)
「地球外生命-われわれは孤独か」(長沼毅・井出茂、岩波新書)
の二冊を購入してしまった。
 前者は表題には表現されていないが、震災後の東北に触れている。佐々木幹郎の本は二冊目。現在の佐々木幹郎のあり様と、震災への視点を探りたい。また佐々木幹郎の眼を通して震災後の東北を見たいと思った。
 後者は、私が学生の頃は地球外生命などというのはそれこそSFの世界のことであったが、今は学問としてきちんと確立している分野である。今の水準を垣間見たいものである。
 積ん読は辞めようと決意したばかりなので、なんとか早々にこの本のページをめくることができるようにしたい。
 読みたい本は山ほどある。困ったものだ。

映画「天心」

2014年02月22日 22時27分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 映画「天心」を見た。監督は松村克弥、配役は竹中直人(岡倉天心)、中村獅童(横山大観)、平山浩行(菱田春草)、木下ほうか(下村観山)、橋本一郎(木村武山)、温水洋一(狩野芳崖)等。
 岡倉天心の生涯というのは、キチンと勉強したことがないので、いい機会と思い見てきた。映画と実際とは違うというのは前提で、映画は実際の人生をもとにはしていてもあくまでもひとつの作品である。ひとつの作品として楽しむという見方と、天心という人の歴史を勉強する見方と両方の視点で鑑賞することになる。
 ただしこの映画、岡倉天心を描くというよりも、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山という五浦での四者四様の姿勢と相互関係に力点が置かれている。特に早逝する菱田春草の人となりが中心になる。実際人となりは私にはわからないが、菱田春草のファンには見ごたえのある作りになっているような気がする。実際に見ていて春草夫妻の、平山浩行、キタキマユの演技は好感が持てた。

 このような作品を見るときは、監督なり、脚本家なりが現代という時代から見て、「岡倉天心」とその時代をどのようにとらえようとしたのか、というのが鑑賞のひとつのポイントになるのだろう。
 そこらへんについてはまだ私の中でまとめられていないので、本日のところは映画を見たということの報告にとどめさせてもらいたい。もう少し頭の中がこなれたら、まとめられたら記載してみようと思う。残念ながら語るだけの力はまだまだなさそうである。


東京都美術館で何が起きたのか

2014年02月22日 01時16分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 世の中で私が一番嫌なことは、権力者にすり寄ることである。力あるものに尻尾を振る、これはもっとも忌むべきこととして教わってきた。
 中学・高校とミッションスクールにいて新約聖書を読まされた。その時も、付和雷同と権力者に媚を売ることの厭らしさを教わった。当時の聖書教育の中で印象に残っているのはこのくらいのことである。聖書に書かれていることと実際のキリスト者の振舞いとは一致しないことを教わったのも、残念ながらこの学校での一部の教員・修道士の振舞いからである。
 そしてその後、戦争中の日本の社会の有り様の記述に接するたびに、この付和雷同と権力者へのすり寄りがいかに忌むべきことであるか、教わってきた。

 今回の東京都美術館の「撤去要請」なるものを聞いたとき最初に私の頭に浮かんだのはこの権力者に尻尾を振る姿勢であった。力あるものに自分がすり寄るだけではなく、権力を持つ者の力が自分の近くまで来ていることを喜んで、わが意を得たりと、はしゃいでいる姿である。これまで自分の意見を開陳する勇気がなかったものが、風向きを読んで燥いでいる姿である。

 実は今年に入って1月7日に記載したことを思い出した。この日、いろいろ物議を醸した「東京都現代美術館」に行ってきたが、そこに浜田知明の「初年兵哀歌 歩哨」が展示されていた。私は「こんなところに‥」とびっくりした。もし「政治的メッセージ」が問題ならば、この作品はいの一番に撤去されなくてはならなくなる。同じ東京都の美術館であるから。
 ひょっとしてピカソ展でも開催されて「ゲルニカ」が展示されたらそれに対して撤去要請をするのであろうか。ゴヤの「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺」も展示できなくなる。逆に国立近代美術館に飾られているいわゆる「戦争画」も撤去しなくてはいけなくなる。天安門事件やベトナム戦争の報道写真展なども出来なくなる。
 私は、都知事や現政権の意を勝手に自分に都合よく解釈して尻尾を振る卑しい根性を見せられて実に不快な思いをさせられたと思っている。

 先ほどアップしたイギリスの「ラファエル前派」などは旧来の王立美術院に反逆したアバンギャルド達である。美術も宗教も含めて王の意向に反するという極めて反体制的な主張であったはずだ。芸術の原動力というのは、権力者にとって嫌なのは、その原動力の源泉が、権力者のよって立つ基盤を得てして掘り崩すように見えることである。しかし政治というのはそのようなものも含めて、飲み込むことのできる力量もまた問われているのである。尻尾を振る人間というのは、そのような力量を持ち合わせていない、想像力と創造力に欠けた人間のことである。

 一方で私はあのヘイトスピーチを表現の自由や権利として扱うという不思議な論議を聞いて呆れた。今回の判断をした人は、ヘイトスピーチを認める風潮に乗じているのだあろうか。あのヘイトスピーチに表現の自由と権利があるならば、美術館内で行う主張にも自由と権利があるはずだ。それがいけないということは、政治的に自分の思いとは違うから排除したいという思いが透けて見える。ヘイトスピーチとは、他人の生存権と基本的人権を否定するものである。これは法治国家として、近代国家として許してはならないものである。
 このヘイトスピーチに「表現の自由」があり法律的に許されて、美術館内の「表現の自由」が許されないとは、もはや現代の先進的な放置国家とは言えないのではないか。東京都美術館内で「ヘイトスピーチ」に類する展示が行われたときは、どうするのか。これは政治的表現ではないから表現として認めようというのだろうか。それは許されない。ヘイトスピーチは他社の基本的人権・生存権を否定するものであるから、拒否しなくてはいけない。しかし今回都美術館が撤去を求めた展示物は他社の基本的人権・生存権は否定する意図はないし、また否定もしていない。

 新聞やパソコン上に現れた今回の作品について、それが芸術的に優れているかどうかの判断はまったく別の次元で考えなくてはいけない。芸術的に優れているか否かは、時間とともに判断される。政治的に裁断してはならないのが「芸術」である。
 国公立の美術館は、場を広く市民に提供したり、主張の如何を問わず時間という尺度に耐えようとしているものを収集・保管・保存することが使命である。政治的な判断で作品を判断してはならない。場所や金は出しても口を出してはいけない。これもあの戦争という計り知れない犠牲の上に国民に認知された大切な価値である。
 美術館は、時の権力者におもねってもいけないし、反体制であることに思い入ればかりをしてもいけない。私は、あいまいな概念である「政治的中立性」を主張しているのではない。もっと単純である。政治や行政は「作品に口出しをしてはいけない」のである。


「ラファエル前派展-英国ヴィクトリア朝絵画の夢-」

2014年02月21日 22時31分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 この「ラファエル前派」展はイギリスのテート美術館の所蔵品展ということである。この作品鑑賞会に応募して抽選にあたり、参加してきた。ラファエル前派については以下の朝日新聞の解説がわかりやすいと思うので、以下要約してみる。

 ラファエル前派(兄弟団)は1848年、ロイヤル・アカデミー(王立美術院)付属の美術学校の生徒だったジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)の3人を中心に結成。
 彼らは、ラファエロ以来の規範に縛られた英国美術の改革をめざし、ラファエル以前のイタリアや北方ヨーロッパ美術に理想を求めた。
 文学や宗教といった伝統的題材を扱う一方、同時代も批評的な視点から主題とした。自然をありのまま精細に表し、戸外で写生。鮮やかな色彩も特徴的だ。
 監修したテート美術館のアリソン・スミスさんは「仏の印象派に20年以上先駆けて登場した『前衛』」と位置付ける。
 ミレイは家族や知人をモデルとして「両親の家のキリスト」を描き、物議を醸した。文豪ディケンズは作業台の前の聖母マリアを「怪物」と酷評した。「理想的な姿を描く宗教画の約束から外れ、ミレイは過去を描いた絵を観客により身近なものにした」とアリソンさんは指摘する。
 さらにウィリアム・ダイスの「ペグウェル・ベイ、ケント州―1858年10月5日の思い出」。中央上部に、この日から数日後、地球に最接近したドナーティ彗星(すいせい)が描かれている。「自然科学への関心もラファエル前派の特徴。人間が悠久の時の流れの一部でしかないことを示している。」
 しかし、グループとしての活動は長くは続かなかった。芸術性の違いや私生活のもめ事から、50年代半ばには別々の道を歩み出す。
 ロセッティはイタリアのティツィアーノらに影響を受け、官能的な女性像を創造し純粋な美を追求。エドワード・バーンジョーンズら「第2世代」の参加は、新たな潮流も生んだ。
 アリソンさんは「異なる個性を持つ彼らがそれぞれどのように活動し、影響し合ったか。初期から後期までの作品を通し、『革命』の全貌を解き明かす機会」。

 会場に入ってまず受けた私の印象は次のとおりであった。色彩については青と緑の氾濫ではないかという強い印象を受けた。当時商品化されたばかりのコバルトブルーを多用したらしいことなどは図録に示されている。この青の豊かな表情に惹かれた。
 そして次の印象は、絵が持っている物語性。この物語性を抜きにしてはどの絵も鑑賞が成り立たないといわんばかりではないだろうか。人物ひとりひとりに託された寓話や神話・物語に思い至らないと残念ながら鑑賞できないようになっている。ただし聖書やギリシャ神話にこだわらず、シェークスピアであったりふとした日常の事件であったりと理解されやすい場面が選ばれていることは、私たちにも鑑賞することが容易い。
 そして私は、ロセッティー、バーンジョーンズという系譜はそのまま1890年代以降のいわゆる世紀末美術といわれるクリムトなどの女性像に直結していると感じた。
 イギリスを代表する絵画の潮流、私などが全体を述べる力量などどこにもないので、いつものとおりあくまでも私の感覚だけの感想を綴ってみる。

 私の眼を惹いた絵を挙げてみたいが、ロセッティーの「ベアタ・ベアトリックス」(1870)をまず挙げてみたい。



 この絵、新聞などではかなりくすんで朦朧として見える。亡くなった妻を描いた絵であり、それは画家の悔恨がそうさせたらしい。しかし実際この絵を見るとその朦朧とした画面によって、死の使いを象徴する赤い鳥が奇妙にリアルである。とても生々しい。肉体を思わせる赤が実にリアルである。この生々しさを引き立てるように背景は朦朧としている。死のリアリティ、死は実はとてもリアルで生きている人間のすぐ横に控えていることの暗示を感じ取った。この鳥が、描かれた女性の恍惚ともいえる表情のリアリティを強調していると感じた。



 次に目を惹くのはミレイの「オフィーリア」(1852)。夏目漱石の「草枕」に出てくる作品として有名である。東京芸大で開催された「漱石の美術世界」展でも取り上げられていたが、モノクロの複写しか展示されていなかった。是非実物を見たかった。
 思った以上に花の色合いが美しい。一人の人間が溺れていく様を描いたことになっているが、実際には、このように人は死んではいかないそうである。だがこのような死への願望はある。自然の中に溶け込んでいく、帰って行きたいという願望を表現したともいえる。これならば人は救われながら死を迎えられるのかもしれない。長年実物を見たくてようやく見ることができた絵である。



 そして是非取り上げたかったのがロセッティの「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」(1850)。天使には羽が無く、マリアは人間の表情を持ち、緊張し茫然とし、戸惑い、身構え、怯えている。実に人間的な反応を示すことで、受胎告知という題材は現代性を獲得したと私は感じた。青と赤と薄い黄色の配置がとても美しい。青はマリアの昇天後の天井での地位を示し、赤は生まれることの受難を象徴し、黄(金)はマリアの神性、白ユリはマリアの純潔を示すという仕掛けは生きているが、舞台は現実世界に降りている。



 ジョン・ミレイのこの「マリアナ」(1851)はとても不思議な雰囲気がして惹かれた。先ほども書いたように新しい商品としてのコバルトブルーの絵の具を画面の中心に据えているのだが、まずはこの色に惹かれた。次に窓枠のステンドグラスは解説によるとマリアの受胎告知の場面であるらしい。
 シェークスピアの物語に基づくこの絵の女性の仕草は受胎告知のマリアとはかなり違って、艶めかしさが漂っている。コバルトブルーの深い色がその艶めかしさを強調している。椅子の赤も同様だ。ステンドグラスに描かれた人物の聖性とは対照的な女性とその周囲の室内のしつらえという対照が新しい絵画の息吹を暗示しているように感じた。アバンギャルドなのであろう。



 最後に挙げるウィリアム・ダイスの「ペグウェル・ベイ、ケント州-1858年10月5日の思い出」は白亜紀という時代名称の基となった白亜の断崖が描かれている。浜辺には様々な貝類などが描かれ、そして中央上部の空には題名の年月日に地球に接近していたドナーティ彗星が描かれている。
 彗星が描かれた絵画は珍しいが、地質学的、生物学的興味、天文学的興味をふんだんに取り入れたこの絵は、かなり時代の雰囲気を取り入れた絵ということだ。ラファエル前派の風景画は、画面のすべてにの場所に焦点があたり、綿密に描かれているという。この絵もその通りである。手前4人の描き方が少し妙なのはそんな影響であるらしい。 絵として特に興味は惹かれなかったが、彗星ということで取り上げてみた。この彗星、19世紀でもっとも明るく輝いた彗星で、初めて写真撮影されたという。次に地球に接近するのは3811年、つまり1797年後という途方もない長周期彗星である。幕末の観測記録も実在するとのこと。