住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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8月の原爆、敗戦の日

2009年08月07日 | 九三衛門
 かつて、アメリカは日本に原爆を2発落とした。 そして、其の原爆の日には、尤もらしくそれを間違った事、むごい事だと、マスコミがそのことを取り上げる。  敗戦の日に、マスコミの平和を希求する論調は最高潮に達する。  いつの時代でも、農耕民族は(日本民族だけかも?)ことの是非を考えないで、右往左往する。 ネットメディアもニュースメディアもある種の力、有る国の戦略等知らない場合でも、知っていて誘導される場合でも、其の時々の事情に応じて、記事を書き分けているのが、戦時中の記事を見れば明らかである。 最も必要なときに、(神の)良心を伝える事ができないマスコミなど、何を書いてもその内容は、『まゆにつば』を塗って読まざるを得ない。


 如何なる理由があるにせよ、原爆を一般市民の上空で炸裂させた事に対する、アメリカは其の責任を免れ得るものではない。 何代に渡っても日本はこの責任を追求するべきではないのか(永久に)。 そのことが、とりもなおさず次の原爆使用をためらわせる事になると信じるからである。 イラクの進行を指摘するまでも無く、アメリカのすることが全て『善』とは限らないと言う事を、我々日本人は認識するべきである。
そして、日本政府もどう言う魂胆が有るか無いか知らないが、8月15日敗戦記念日をカレンダーに記載しないように指導しているのではないか? 一般に終戦記念日と敗戦記念日は、そんなに変わった表現であるとは思わないが、ここにも政府の『敗戦』と言う言葉を消したいと言う意思が感じられないでもない。


 昔は、兄弟げんかでお互い暴力を振るい、その痛さ、危険性を理解し、また親に取り返しの付かないことになる前に,たしなめられた物である。 それは幼児期であればあるほど、動物の本能むき出しとなり易く大人になるほど、手加減が成されてくる。
国と国でも、見方によってはほぼ同じ状況である。 戦争とは、お互いが正常な状態ではない状態を生み出す。 なので、正常に話をして分かる相手が、全ての世界の国々と言うわけには行かない。

理論的には、国連が原爆を保持、そして国内の警察のように、(あるいは親のように)話して分からない国には、世界の国がたばになって、いさめたり威圧をかけるのが筋であろうし、そのように持っていくのが、分担金を担っている国の義務と責任であろうが、現実はそのように機能しては居ない。



 個人的考えでは、人口500万人位の都市を、破壊することの出来る巡航ミサイル程度は持たねば、国際戦略に語りかける言葉は、虚ろなものでしかないと思うのは私だけではないであろう。  国民的コンセンサスを得られるように説明努力する必要が政治家には有る。  それを使った場合には、国際的に永久に責められる事はもちろん覚悟が必要である。 逃げることなく・・・・ 。


 アメリカの捕虜奪還と、日本の拉致被害者に対する対応のまどろっこさを対比させるには、余りにも違いの有る北朝鮮の反応であった。
コメント
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