なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ454 頂上の景色

2024年02月04日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第454回。令和6年2月4日、日曜日。

先週の日曜日の大相撲千秋楽は、琴の若と横綱照ノ富士の優勝決定戦になりましたが、残念ながら勝ったのは横綱でした。
横綱の貫録を見せたというところでしょうか。
ただ、琴の若が本割で勝ったので、成績が13勝2敗となり、過去3場所の合計が33勝という判断基準をクリアしたため、見事大関昇進を決めました。
まことにおめでたいことです。
山形新聞では、何と号外が出ました。
現在の琴の若の出身は部屋のある「千葉県松戸市」になっていますが、親方の出身が県内であるということなのでしょう。
山形県民の期待の星となりました。
これからもさらに上を目指して応援にも熱が入ります。

その日曜日の夕方上京し、月曜日から金曜日まで布教師養成所の講師を勤めました。
朝5時30分から夜9時まで5日間、研修道場に缶詰め状態で法話を聴き続けます。
今回も合計40名ほどの若い僧侶が、まことに濃密な時間を共にし、互いに切磋琢磨して自分を高めていきました。
講師陣もその熱に触発されて、普段ぼんやりした脳みそをフル回転させるものだから、終わって知恵熱が出そうでした。
今回の講本であるお釈迦様の『ウダーナヴァルガ』「楽しみ」の章に、次の一節があります。

仏の現れたまうのは楽しい。正しい教えを説くのは楽しい。つどいが和合しているのは楽しい。和合している人々が修養しているのは楽しい。

勝れた人と共に過ごす時間は真に楽しい時間です。
体も頭も衰え始めた自分に喝を入れて活性化させる時間をいただいたことにありがたく思います。

「人生下り坂最高!」と叫んでいる人もいますが、その場合の人生のピーク、頂上は、おそらく60歳から65歳ぐらいでしょうか。
気力、体力、経済力、地位が、65歳頃を境に下降線をたどる。その下降線に身を任せ、頑張らずあせらず自然に楽に生きる。
下り坂を楽しむ生き方とはそういうことなのでしょう。
山を登るときのように、裾野からは見えない景色が登るにしたがって見えてくる。
幼少時に見えなかったものが、歳を重ねるごとに少しずつ見えてくるものです。
大関、横綱にならないと見えない景色。
20代で見えなかった景色が40代になって見える。60になって70になってようやく見える景色があります。
70歳の景色は70にならないと見えない。
そこに立ってみないと見えないことは必ずあります。
だとすれば、人生にはピークも下り坂もなく、常に上り坂だと言ってもいいように思うのです。
年上の人を気にして臆病になっていた気遣いも、歳を重ねる毎に自分が年上になって薄れていく、その開放的な景色があります。
また、体力が衰え、できていたことができなくなってくる寂しい景色。
物事を忘れ、覚えられなくなってきたことを感じる情けない景色。
立場が逆転し、若い者に叱られ邪険にされる悲しい景色。
自分の来し方を振り返り、全てをお任せできた安堵の景色。周囲に対する感謝の景色。
それらも、その立場になってみないと分からない心の景色でしょう。
90歳には90歳になって初めて見える景色があるのです。
だから、年老いた人を邪険にしてはダメです。バカにしたり笑ったりすることは許されません。
その目は、自分には見えないものを見ているのです。
お前たちもここに来てみれば分かるよと、静かな眼差しで見ているのです。
そういう意味では、ピークは人生の途中ではなく、亡くなった時であると言えます。
何歳で亡くなろうとも、亡くなった時が人生の頂上です。
40歳で亡くなった人には、その人がその時にしか見えない景色がありました。人生の長さではなく、その時その時に見える景色が自分の頂上で見えた景色です。
その景色を楽しんでいけばいいでしょう。
我々は、どんなに頑張っても、自分より年上の人と同じ景色を見ることはできないのです。未知の景色です。
寂しい、情けない、悲しい、安堵、感謝、それぞれの景色を、ここまで到達してようやく見えた景色として受け止めていきたいと思います。
口惜しかったらここまで来てみろ、って、誰に言いたいのか知りませんが、そんなふうに嘯きたいと思います。
ああ、これからどんな景色が見えるでしょうか。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

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