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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『田村隆一全詩集』を読む(108 )

2009-06-07 01:05:45 | 田村隆一


 「アタマ島」という短い作品がある。

眠れない夜であつた 夜と言ふ言葉はボクの側の人々がいろいろな意味で語つてゐた 「小さな夜の場合」と「夜の人間」と言ふやうに

「市民的女神」 窓を抜ける外側は市民の輿論や 動物の生活などが起りはじめてゐた

 「アタマ」とは「頭」だろう。人間は「頭」で言葉をつかう。ひとつのことばをいろいろにつかう。その具体例として、田村は「夜」をとりあげ、「小さな夜の場合」「夜の人間」と書いている。どちらも「日常的なことば」とは言えない。ふつう「小さな夜」というような言い方はしない。「夜の人間」は「夜の仕事をする人間」「夜型の人間」というふうにつかうかもしれないが、なんとなく違和感が残る。
 それが田村の「違和感」かどうかはよくわからない。判断する根拠はないのだが、私は、田村は、「頭」で動かしていることばに対して違和感を感じていたのではないか、と思う。
 一方、それとは反対に「市民的女神」とのうような不思議なことばに田村は親しみを感じていたように思える。「市民的女神」の方が「夜の人間」よりも造語的な印象がつよいが、そのむりやりつくりだしたようなことばに親密感を感じていたのではないだろうか。ちょっとむりをした「小さな夜の場合」「夜の人間」ではなく、もっとむりにむりを重ねた「市民的女神」の方に。
 その実践として、それまでの作品があるとも言える。
 そして、そのむりにむりをかさねた、いわば「わざと」が極限にまで達したようなことばの運動に、田村は「市民の輿論」「動物の生活」というようなものを感じている。生々しい何かを感じている。
 初期詩篇は、モダニズムといえばいいのかどうかわからないが、ことばの運動がとても奇妙である。日常的なことばの動きとはまったく違う。しかし、その動きのなかに、田村は「頭」を超える何かを感じていたのだと思う。ことばを「頭」で動かすのではなく、「頭」から遠いもので動かす--その動かす力をどこかで感じ、そうしたことばの方向へ行こうとしていたように感じられる。

 「頭」(アタマ)ということばは、「アタマ島」(1940年6月13日)のあとの詩篇にも何度か登場する。
 「不思議な一夜を過ぎて」には、

「いろいろなアタマがあつた 海鳴りを耳にして島民たちも住んだ それからユリの花が咲いたりした」

先祖がこの道を歩いたやうに 僕も一通りの生活をはじめてゐた

わが先祖よ
あなたの感傷を僕たちは知つてゐる

 「アタマ」を「頭」と仮定してのことだが、それは「知る」ということと関係しているかもしれない。「頭」で知っていること。それをことばにするのではなく、「頭」のしらないことばを動かす。そのとき、詩が生まれる。--田村は、どこかでそんなふうに感じていたのかもしれない。
 「頭」を否定して動くことば--それが、詩。
 モダニズムふうの、風変わりなことばの動き--それは「頭」を否定したことばたちなのだ。

 「海霧のある村里」の冒頭。

坂をのぼり、花のある山波の麓へ曲つた
オルゴオルが俺の耳に響き、ふとこの村里の意識に触れた
「ナミダの意識か」 ひととき、俺の郷愁が海鳴りのやうであつた
村雨が俺のアタマを流れ、花花をたたいた
            (「たたいた」の2文字目の「た」は原文は、踊り文字)

 「村里の意識」とは「感傷」のことである。だから、それは「ナミダ」「郷愁」ということばで繰り返される。そういうものが「俺のアタマ」を叩く。攻撃をしかけてくる。それに対して田村は戦いはじめる。
 これからあとが、とてもおもしろい。

坂をのぼり、花のある山波の麓へ曲つた
オルゴオルが俺の耳に響き、ふとこの村里の意識に触れた
「ナミダの意識か」 ひととき、俺の郷愁が海鳴りのやうであつた
村雨が俺のアタマを流れ、花花をたたいた
形から遁れ、その時、むかしの鳥を見た!
俺の手は震へ、路傍の石を拾ふ
「形から遁れ、形へ帰るんだ!」
冷い石は父の体臭のごとく、俺の手のヒラに動いてゐた
ああ、その石の中に、俺は生きてゐるメダマを見た

 「頭」と戦うとき、「肉・体」が剥き出しになる。「父の体臭」。そして、突然、「肉眼」が「肉眼」ということばとは違うもっと生々しいことばで出てくる。「生きてゐるメダマ」。
 「頭」に押し寄せてくる感傷・涙・郷愁。どう戦っていいかわからないが、とりあえず「石」を拾う。そうすると、それは動いた。石が動いた。そこには「生きてゐるメダマ」があった。「生きてゐるメダマ」が「頭」と戦う武器である。
 このとき、「生きてゐるメダマ」は、その後に田村が書く「肉眼」にほかならない。

 最後の1行は象徴的である。

その夜、俺は海霧のある村里に眠り、いつの間にか父は海を渡り、濡れた手のヒラに形のメダマを握り、石の中に入れてゐた

 「石の中にメダマを入れる」。それは「石」のなかに「肉眼」で見たものを入れるということである。「肉眼」で見たものを「石」の中に入れて、それを武器にする。この「石」を「ことば」に置き換えると、そのとき「石」は「詩」になる。



5分前 (1982年)
田村 隆一
中央公論社

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