詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『田村隆一全詩集』を読む(116 )

2009-06-15 00:35:10 | 田村隆一
 田村はウィスキーの詩をたくさん書いている。そうした作品のひとつ「一滴の光」。

琥珀色の液体が氷をゆっくりとかして行く
ただ それを●(みつ)めているだけで
沈黙がグラスのまわりに集ってくる
十年まえの
二十年まえの
三十年まえの
沈黙が形象化されてきて

沈黙は そこに在るものではない
創り出すものだ
                  (谷内注・「みつめる」は目ヘンに登)

 特に田村の特徴というものがでているわけではないけれど、この「沈黙は そこに在るものではない/創り出すものだ」という表現はとても気持ちがいい。
 沈黙にかぎらず、あらゆるものは「創り出すもの」なのどと思う。
 ウィスキーが樽の中で熟成する。十年、二十年、三十年……。そこから生まれる香と味が「沈黙」をグラスのまわりに集まってくるというとき、ウィスキーが沈黙を集めてくるわけではない。沈黙も自然にやってくるわけではない。田村のことばが沈黙というものをグラスのまわりに創り出すのである。
 そして、そのとき田村は、沈黙に「なる」のである。

 「夜明けの旅人」の「人」という部分の2連目の3行。

ぼくの指はピアノをひけないのにピアニストになる
ぼくの目は絵も描けないくせに画家になる
ぼくの腕は巨木の小枝さえも折れないのに彫刻家になる

 繰り返される「なる」。
 「なる」ために、ことばが動いていく。それが詩である。

 --ということを「結論」として書くために、田村隆一を読んできたわけではないのだが、全集を読んで最後に思ったのが、そういうことである。たまたま最後に読んだ部分にそういう詩があったから、そういう感想になったのだと思う。単行詩集未収録詩篇であるから、なんらかの理由で田村が除外した作品である。そういう作品を最後に取り上げて、何かいうのも変な感じである。
 もしかすると、この全集は後ろから前へもどる感じで読んだ方がいいのかもしれない。

 私はいつでも「結論」を目指して書いているわけではない。逆に、結論を書いてしまって、それから、その結論をどれだけつづけて言うことができるか、ということのために書いている。
 田村の詩から感じていることは、「矛盾」の美しさである。私は田村の「矛盾」が好きで、田村の詩を読みつづけた。そのことを最後に書いておく。


(このシリーズ、おわり)


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田村 隆一
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1 コメント

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田村隆一全集を読む「116」 (大井川賢治)
2024-03-01 13:05:08
谷内さんは、田村隆一の詩を読みとくキーワードの一つに「矛盾」を挙げておられます。私は、力強さ、あるいは断定的力強さをキーワードの一つに挙げたいです。屁理屈かもしれませんが、白と黒という矛盾を、一つの詩の中にとどめておくには、ある種の力がいるのではないか?とも思いました。
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