「桜」の行方/答弁してもらった?(情報の読み方)
2020年11月25日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。気になる点がふたつ。
これが、見出しと前文。
23日の第一報(特ダネ)では、「容疑」の部分を、こう書いていた。
24日続報でも、こう書いていた。
23日、24日の報道では「政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑」となっているが、きょう25日の紙面では「政治資金規正法違反(不記載)容疑など」となっており、「公職選挙法違反の容疑」が消えている。
もちろん「消えている」といっても「など」に「公職選挙法違反」が含まれると「説明」はできる。
でも、「政治資金規正法違反(不記載)」と「公職選挙法違反」では問題の重さが違うだろう。書類への「不記載」はいつでも「記載漏れでした。修整します」ということができる。実際、そういう事例がこれまでもたくさんあるのではないか。しかし「公選法違反(たぶん、買収)」となれば「お金を補填することが買収にあたるとは知りませんでした」とは「言い逃れ」できない。
だからこそ、これまで安倍は「安倍(事務所)はいっさい支出していない」と言ってきた。
で、この「報道の仕方」からわかることは、読売新聞の追及が「政治資金規正法違反(不記載)」に傾いている、「政治資金規正法違反(不記載)」の範囲内で問題をかたづけようとする「方針」(だれの方針かは、いまのところわからない)に加担しているのではないか、ということだ。
これは見出しの「主語」が「安倍氏側」「周辺者」ととっていることからもわかる。書類をつくっているのは安倍自身ではなく、「事務所の職員」である。見出しでは、このあたりを強調するために「安倍氏側」の「側」をわざわざ「周辺者」と言い直している。「安倍氏側」というのは「安倍氏ではなく、その側(そば)にいる人」という意味であり「「側にいる人」は「周辺者」である。新聞の見出しは、基本的に短さを目指すはずである。同じ「主語」を二度繰り返す必要はない。「主語」をことばを変えて繰り返すくらいなら、かわりに「800万円」を補って、
800万円、補填認める
とすべきだろう。もちろん「800万円」はまだ「推計」であり、「安倍側」が「認めた」のは「補填」という事実だけであり、金額には触れていない、ということなのだろうが……。また、「800万円」はすでに24日に、
と報道しているから省略したと言うこともできるが。
で、ここで問題になるのは、やはり、何を省略したか、なのだ。
「10万円」でも「800万円」でも「補填」は「補填」。しかし、読者の印象は違うだろう。
だからこそ、私は、こういう部分に「忖度」を感じるのだ。「800万円」を省略し、「政治資金規正法違反(不記載)」を強調するために、「安倍氏側」「周辺者」を繰り返す書き方に。
記事は、こんな書き方をしている。(番号は私がつけた。)ここからが、気になった点のふたつめ。読売新聞は、とてもおもしろい書き方をしている。
ともに、安倍には問題はない、という書き方である。
①は、安倍が事務所に問い合わせたら、担当者は虚偽の説明をした。つまり騙されたのは安倍である。安倍は進んで虚偽を語ったわけではない。
②も、周辺(①では担当者)が、不記載を隠すために「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という。ここでも「主語」は安倍ではない。悪いのは「周辺(者/担当者)」であり、安倍は進んで虚偽答弁をしたのではない、と「弁護」していることになる。
それにしても。
②の最後の記事の「周辺(者)」の「説明」が非常に長いのが、なんといっても不自然である。「答弁をしてもらう」と「もらう」という表現も、非常におかしい。
「もらう」というのは、私の感覚ではふたつの方法がある。ひとつは、自分が不都合なことをした場合、それを「隠蔽して」と頼んで、隠蔽「してもらう」。もうひとつは、「隠蔽して」と頼んだわけではないが、相手が「忖度して」くれた。後者は、ふつうは「してくれた」という。「もらう」ではなく「くれた」。これは「主語」をどう認識するかという問題がからんでくる日本語特有の微妙な表現なのだが、「もらう/くれる」にしろ、そこには単なる「事実」ではなく「心理」が動いている。「周辺(者)」が「もらう」という表現をつかっているかぎり、そのとき、そこには安倍と周辺(者)の間で「交渉」があったのだ。どうしたって、安倍は、「事実」説明だけではなく、「事情」説明も知っているはずである。
そして、それは周辺(者/担当者)が独断でやれることではないだろう。「800万円」の金が動いている。簡単に言い直せば、「800万円」補填するということは、会計に「800万円」の赤字が発生することである。そういうことを「黙って」担当者がやれるのか。責任者が支持しないかぎり、できないだろう。
読売新聞の記事の書き方は、そういうことを「暗示」しているとも言えるが、知っていてそれを隠すために複雑な書き方をしているともいえる。
しかし、まあ。
今回の読売新聞の「手柄」は「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という周辺(者)の声を引き出し、「正確に」再現しているところにあるのかもしれない。周辺(者/担当者)、つまり、部下が、安倍に「答弁をしてもらった」。「もらった」としか言いようのないことがあったとつたえていることだ。
くりかえすが、「もらう」というのは、かなり日本語独特の含意の多いことばである。そういうことばが、一面の記事にまぎれこんでいるのは、たいへんたいへんたいへん、おもしろいことである。この「もらう」ということばが、安倍自身の「関与」を濃厚に浮かびあがらせるからである。「周辺(者/担当者)」説明を鵜呑みにして、安倍が知らずに間違った答弁をしたときは、それ「してもらう(してもらった)」とは言わないからである。
2020年11月25日の読売新聞(西部版・14版)の1面。「桜を見る会前夜祭」の続報。気になる点がふたつ。
「桜」前夜祭/安倍氏側 領収書破棄か/不足分 周辺者、補填認める
安倍晋三前首相(66)側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏側が費用の一部を補填した際、会場のホテル側から受け取った領収書を廃棄していた疑いのあることが関係者の話でわかった。東京地検特捜部は安倍氏側の補填額が昨年までの5年間で計800万円超に上るとみており、政治資金規正法違反(不記載)容疑などでの立件の可否を検討している。
これが、見出しと前文。
23日の第一報(特ダネ)では、「容疑」の部分を、こう書いていた。
前夜祭を巡っては、市民団体や法曹関係者ら複数のグループが、政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で告発状を提出していた。
24日続報でも、こう書いていた。
前夜祭を巡っては、差額分を安倍氏側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。
23日、24日の報道では「政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑」となっているが、きょう25日の紙面では「政治資金規正法違反(不記載)容疑など」となっており、「公職選挙法違反の容疑」が消えている。
もちろん「消えている」といっても「など」に「公職選挙法違反」が含まれると「説明」はできる。
でも、「政治資金規正法違反(不記載)」と「公職選挙法違反」では問題の重さが違うだろう。書類への「不記載」はいつでも「記載漏れでした。修整します」ということができる。実際、そういう事例がこれまでもたくさんあるのではないか。しかし「公選法違反(たぶん、買収)」となれば「お金を補填することが買収にあたるとは知りませんでした」とは「言い逃れ」できない。
だからこそ、これまで安倍は「安倍(事務所)はいっさい支出していない」と言ってきた。
で、この「報道の仕方」からわかることは、読売新聞の追及が「政治資金規正法違反(不記載)」に傾いている、「政治資金規正法違反(不記載)」の範囲内で問題をかたづけようとする「方針」(だれの方針かは、いまのところわからない)に加担しているのではないか、ということだ。
これは見出しの「主語」が「安倍氏側」「周辺者」ととっていることからもわかる。書類をつくっているのは安倍自身ではなく、「事務所の職員」である。見出しでは、このあたりを強調するために「安倍氏側」の「側」をわざわざ「周辺者」と言い直している。「安倍氏側」というのは「安倍氏ではなく、その側(そば)にいる人」という意味であり「「側にいる人」は「周辺者」である。新聞の見出しは、基本的に短さを目指すはずである。同じ「主語」を二度繰り返す必要はない。「主語」をことばを変えて繰り返すくらいなら、かわりに「800万円」を補って、
800万円、補填認める
とすべきだろう。もちろん「800万円」はまだ「推計」であり、「安倍側」が「認めた」のは「補填」という事実だけであり、金額には触れていない、ということなのだろうが……。また、「800万円」はすでに24日に、
安倍氏側 800万円超補填か/東京地検 「桜」前夜祭 5年間
と報道しているから省略したと言うこともできるが。
で、ここで問題になるのは、やはり、何を省略したか、なのだ。
「10万円」でも「800万円」でも「補填」は「補填」。しかし、読者の印象は違うだろう。
だからこそ、私は、こういう部分に「忖度」を感じるのだ。「800万円」を省略し、「政治資金規正法違反(不記載)」を強調するために、「安倍氏側」「周辺者」を繰り返す書き方に。
記事は、こんな書き方をしている。(番号は私がつけた。)ここからが、気になった点のふたつめ。読売新聞は、とてもおもしろい書き方をしている。
①24日に取材に応じた安倍氏周辺によると、前夜祭の問題を巡り、安倍氏が事務所の担当者に対し、事務所で差額を補填していないかどうかを確認した際、担当者は「支出はしていない」と虚偽の説明をしていたという。
②安倍氏は昨年11月の参院本会議で、前夜祭の費用に関して「後援会としての収支は一切なく、政治資金収支報告書に記載する必要はない」と答弁していた。安倍氏周辺は、「収支報告書に記載していなかったため、そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」としている。
ともに、安倍には問題はない、という書き方である。
①は、安倍が事務所に問い合わせたら、担当者は虚偽の説明をした。つまり騙されたのは安倍である。安倍は進んで虚偽を語ったわけではない。
②も、周辺(①では担当者)が、不記載を隠すために「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という。ここでも「主語」は安倍ではない。悪いのは「周辺(者/担当者)」であり、安倍は進んで虚偽答弁をしたのではない、と「弁護」していることになる。
それにしても。
②の最後の記事の「周辺(者)」の「説明」が非常に長いのが、なんといっても不自然である。「答弁をしてもらう」と「もらう」という表現も、非常におかしい。
「もらう」というのは、私の感覚ではふたつの方法がある。ひとつは、自分が不都合なことをした場合、それを「隠蔽して」と頼んで、隠蔽「してもらう」。もうひとつは、「隠蔽して」と頼んだわけではないが、相手が「忖度して」くれた。後者は、ふつうは「してくれた」という。「もらう」ではなく「くれた」。これは「主語」をどう認識するかという問題がからんでくる日本語特有の微妙な表現なのだが、「もらう/くれる」にしろ、そこには単なる「事実」ではなく「心理」が動いている。「周辺(者)」が「もらう」という表現をつかっているかぎり、そのとき、そこには安倍と周辺(者)の間で「交渉」があったのだ。どうしたって、安倍は、「事実」説明だけではなく、「事情」説明も知っているはずである。
そして、それは周辺(者/担当者)が独断でやれることではないだろう。「800万円」の金が動いている。簡単に言い直せば、「800万円」補填するということは、会計に「800万円」の赤字が発生することである。そういうことを「黙って」担当者がやれるのか。責任者が支持しないかぎり、できないだろう。
読売新聞の記事の書き方は、そういうことを「暗示」しているとも言えるが、知っていてそれを隠すために複雑な書き方をしているともいえる。
しかし、まあ。
今回の読売新聞の「手柄」は「そういう答弁をしてもらう以外にないと判断した」という周辺(者)の声を引き出し、「正確に」再現しているところにあるのかもしれない。周辺(者/担当者)、つまり、部下が、安倍に「答弁をしてもらった」。「もらった」としか言いようのないことがあったとつたえていることだ。
くりかえすが、「もらう」というのは、かなり日本語独特の含意の多いことばである。そういうことばが、一面の記事にまぎれこんでいるのは、たいへんたいへんたいへん、おもしろいことである。この「もらう」ということばが、安倍自身の「関与」を濃厚に浮かびあがらせるからである。「周辺(者/担当者)」説明を鵜呑みにして、安倍が知らずに間違った答弁をしたときは、それ「してもらう(してもらった)」とは言わないからである。