「新世界より」には不思議な1行がある。
第二次世界大戦後は 王様は
数少なくなってしまって そのかわり
クレヨンも二十四色から数百色
コンピューターによれば赤だけで三千色
これでは絵も描けないし 舌も出せない
この「舌」は何?
「舌」ということばが田村の詩のなかで、どんなふうにつかわれているか分類・分析すればわかるだろうか。
「想像の舌」では、
きみの舌をできるだけ長くのばせ
その舌が
どんな地平線に
どんな水平線に
触れられるものか試してみるんだ
と書かれていた。
「舌」はことばかもしれない。「舌」をつかって、ことばを発する。「舌」はことばの「肉体」かもしれない。
「想像の舌」は「苦み」「痛み」に触れた。味覚と触覚。その融合。そして、それは「ことば」のなかで姿をあらわした。
どんなことがらも「ことば」のなかで起きるのである。
「沈める都市」の「2」の部分。
人の耳は海の色の変調が見えない
人の目は岩礁に砕かれる白い波頭が聞えない
こう書く時、その反語として、田村には「肉耳」には海の色の変調が見える。「肉眼」には岩礁に砕かれる波頭が聞こえるという意識がある。
そうであるなら、次の部分は、どんな反語を隠しているのだろうか。
まして
雪の上の足跡
草原の微風
野の花ヒースの荒野
猫の目スノー・ドロップ
森の小鳥の海鳥の裂かれた舌
人の耳も目も
また舌も
観察することも批評することも
できっこない まして創造することは
もし、人間が「肉眼」「肉耳」を、そして「肉舌」を獲得できたら、ひとは雪の上の足跡を聞くことができる、草原の微風を見ることができる、ヒースの荒野、猫の目、小鳥の舌を観察することはもちろん批評もできる。さらには、創造することができる。
「肉眼」「肉耳」「肉舌」は創造するのである。ことばは、創造に従事するのである。
創造とは何か。
「沈める都市」の前半。
その海は生物の母胎
生物を殺戮する悪の女神
生物は海で創造され
生物は海で破滅し
創造から再創造へ
破滅によって再生する
「肉舌」は、あるいは「肉ことば」といってしまおう。「肉ことば」はすべてを破滅させ、同時に、破滅させることで再生させる。破滅が、創造である。破壊が創造である。
そして。
「新世界より」にもどろう。「肉ことば」は数が多ければいいのではない。クレヨンの数、赤だけでも三千色もあるコンピューターの色のように、ひとつのことに属する「ことば」が3000あればいいのではない。「王」のように、わがままな、独裁的であれば、それは数少なくていいのだ。
だれにも奉仕しない独裁者。君臨するひと。王。
そのことば、「肉ことば」だけが、世界を創造する。破壊しながら、あたらしく創造する。
そんな夢が、祈りが「舌」ということばの源をささえている。
田村隆一―断絶へのまなざし (1982年)笠井 嗣夫沖積舎このアイテムの詳細を見る |