長い中断をはさむことになった。東日本大震災があり、その後和合亮一の「詩の礫」を読んだ。「詩の礫」を読んでいるあいだ、私は和合のことばに夢中になった。ことばが徐々に変わっていく--というのがおもしろかった。
和合のことばが徐々に変わっていくことと比較していいのかどうかわからないが、西脇のことばは変わらない。そのことに、びっくりして、ちょっとつまずいた時間だった。
『壌歌』を読みはじめる。そして、西脇のことばがなぜ変わらないのかということをまず考えてしまった。
最初の3行は、この作品の「発句」のようなものである。これからはじまる「世界」へのあいさつである。--と、ふと書いて、ふと気づくのである。
西脇は「いま/ここ」を書かない。いや「いま/ここ」を書くのだが、それは「いま/ここ」を「目的地」としていない。ことばは「いま/ここ」にある世界をめざしていない。
和合の「詩の礫」のことばが「いま/ここ」にこだわり、「いま/ここ」をどうやってことばにするかということを考えつづけていたのに対し、西脇は「いま/ここ」にあいさつをして、そのあとはただ「ことば」の運動に身をまかせるのである。
そこに「いま/ここ」がたまたま重なり合ったとしても、それは重要ではない。
「いま/ここ」とは無関係に、ことばがことばを喚起しながら動きつづけること、「いま/ここ」から自由になって動くことが西脇にとっての詩なのだ。
1行目「野原をさまよう神々のために」と西脇は書くが、その「神々」とは何か、だれか。だれでもない。何でもない。「無意味」である。野原をさまよう「無意味」。
ことばから「意味」を取り去る。そのとき、何が残るか。音が残る。音は、音楽のはじまりである。西脇は、野原をさまよう「無意味」の「音楽」をつくりだしていくのである。「いま/ここ」の「意味」を「音楽」の「無意味」にかえる。「いま/ここ」にはしばられない。「いま/ここ」はことばの目的地ではないのだ。「いま/ここ」から離れた「音楽」が「目的地」なのだ。
これは、いわゆる物乞いの「あいさつ」の音楽である。「右や左のだんなさま」。その響きにあわせて、野原をさまよう「音楽」のために、何か音をください、「無意味」をくださいと呼び掛ける。
西脇が書いていることが「無意味/意味」に関係してくることは、次の「脳髄」ということばからも窺い知ることができる。椎の実の「渋さ」、そしてシュユ(ごしゅゆ)の「あまさ」。それを西脇は「のど」や「舌」ではなく、「脳髄」で受け止めている。「意味」を判断する器官で受け止めている。
味は「味覚」を離れる。肉体を離れる。あるいは西脇にとって「肉体」とは「脳髄」だけなのである、と言った方がわかりやすいかもしれない。西脇のことばは「脳髄」(脳)のなかで鳴り響く「音楽」が唯一の現実なのだ。
それは、次の展開をみれば明らかである。
1行目の「野原」がどこの「野原」であったのか、わからないが、しゅゆを「あまりにあますぎる!」ということばのなかに封印した後、ことばは「野原」とは遠くに来てしまっている。サラセンの「都」、「市場」をながめる窓。「いま/ここ」は「野原」とは違っている。
さらにいえば「都」や「市場」すらも、すでにそこでは置き去りにされている。「渋さ」「あまさ」に狂った(?)脳髄は、「都」も「市場」も通り越して、空のコンペキの「遠さ」、光によって「暗黒」になった宝石の、その「暗黒」へと、ことばのすべてを「突き通す」(音楽を貫き通す)のである。
私は便宜上、空のコンペキの「遠さ」、光によって「暗黒」になった宝石の、その「暗黒」--というような書き方をしたが、そのとき私の感じているのは、そこに書いた「意味」ではない。「コンペキに遠く」という、その言い方、「光りは宝石を暗黒にする!」という言い方、音の動きである。その音の中で「コンペキ」「遠く」「宝石」「暗黒」という音が、まるで「もの」そのもののように響き「個性」にひかれるのである。「コンペキ」と「暗黒(あんこく)」が響きあい、「とお」く、と「ほお」せきとが響きあうのも感じ、「意味」ではないものが動いていると感じるのである。
この西脇の「音楽」と、和合の詩について一緒に考えることは、私にはむずかしかった。--そのことを、きょう、あらためて気がついた。

和合のことばが徐々に変わっていくことと比較していいのかどうかわからないが、西脇のことばは変わらない。そのことに、びっくりして、ちょっとつまずいた時間だった。
『壌歌』を読みはじめる。そして、西脇のことばがなぜ変わらないのかということをまず考えてしまった。
野原をさまよう神々のために
まずたのむ右や
左の椎の木立のダンナへ
椎の実の渋さは脳髄を
つき通すのだが
また「シュユ」の実は
あまりにもあますぎる!
最初の3行は、この作品の「発句」のようなものである。これからはじまる「世界」へのあいさつである。--と、ふと書いて、ふと気づくのである。
西脇は「いま/ここ」を書かない。いや「いま/ここ」を書くのだが、それは「いま/ここ」を「目的地」としていない。ことばは「いま/ここ」にある世界をめざしていない。
和合の「詩の礫」のことばが「いま/ここ」にこだわり、「いま/ここ」をどうやってことばにするかということを考えつづけていたのに対し、西脇は「いま/ここ」にあいさつをして、そのあとはただ「ことば」の運動に身をまかせるのである。
そこに「いま/ここ」がたまたま重なり合ったとしても、それは重要ではない。
「いま/ここ」とは無関係に、ことばがことばを喚起しながら動きつづけること、「いま/ここ」から自由になって動くことが西脇にとっての詩なのだ。
1行目「野原をさまよう神々のために」と西脇は書くが、その「神々」とは何か、だれか。だれでもない。何でもない。「無意味」である。野原をさまよう「無意味」。
ことばから「意味」を取り去る。そのとき、何が残るか。音が残る。音は、音楽のはじまりである。西脇は、野原をさまよう「無意味」の「音楽」をつくりだしていくのである。「いま/ここ」の「意味」を「音楽」の「無意味」にかえる。「いま/ここ」にはしばられない。「いま/ここ」はことばの目的地ではないのだ。「いま/ここ」から離れた「音楽」が「目的地」なのだ。
まずたのむ右や
左の椎の木立のダンナへ
これは、いわゆる物乞いの「あいさつ」の音楽である。「右や左のだんなさま」。その響きにあわせて、野原をさまよう「音楽」のために、何か音をください、「無意味」をくださいと呼び掛ける。
西脇が書いていることが「無意味/意味」に関係してくることは、次の「脳髄」ということばからも窺い知ることができる。椎の実の「渋さ」、そしてシュユ(ごしゅゆ)の「あまさ」。それを西脇は「のど」や「舌」ではなく、「脳髄」で受け止めている。「意味」を判断する器官で受け止めている。
味は「味覚」を離れる。肉体を離れる。あるいは西脇にとって「肉体」とは「脳髄」だけなのである、と言った方がわかりやすいかもしれない。西脇のことばは「脳髄」(脳)のなかで鳴り響く「音楽」が唯一の現実なのだ。
それは、次の展開をみれば明らかである。
ああサラセンの都に
一夜をねむり
あの驢馬の鈴に
めをさまし市場を
窓からながめる時は
空はコンペキに遠く
光りは宝石を暗黒にする!
1行目の「野原」がどこの「野原」であったのか、わからないが、しゅゆを「あまりにあますぎる!」ということばのなかに封印した後、ことばは「野原」とは遠くに来てしまっている。サラセンの「都」、「市場」をながめる窓。「いま/ここ」は「野原」とは違っている。
さらにいえば「都」や「市場」すらも、すでにそこでは置き去りにされている。「渋さ」「あまさ」に狂った(?)脳髄は、「都」も「市場」も通り越して、空のコンペキの「遠さ」、光によって「暗黒」になった宝石の、その「暗黒」へと、ことばのすべてを「突き通す」(音楽を貫き通す)のである。
私は便宜上、空のコンペキの「遠さ」、光によって「暗黒」になった宝石の、その「暗黒」--というような書き方をしたが、そのとき私の感じているのは、そこに書いた「意味」ではない。「コンペキに遠く」という、その言い方、「光りは宝石を暗黒にする!」という言い方、音の動きである。その音の中で「コンペキ」「遠く」「宝石」「暗黒」という音が、まるで「もの」そのもののように響き「個性」にひかれるのである。「コンペキ」と「暗黒(あんこく)」が響きあい、「とお」く、と「ほお」せきとが響きあうのも感じ、「意味」ではないものが動いていると感じるのである。
この西脇の「音楽」と、和合の詩について一緒に考えることは、私にはむずかしかった。--そのことを、きょう、あらためて気がついた。
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