「のっとる」について(中立とは何か、その2)
自民党憲法改正草案を読む/番外297(情報の読み方)
新天皇が、「即位礼正殿の儀」で
と言った。平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったが、新天皇は違うことばで語っている。もちろんどう語るかは、天皇の自由だが、なぜ変えたのか、そのことを考えないといけない。
きのう、そのことを書いた。
読売新聞2019年10月23日朝刊(西部版・14版)には掲載されていなかったので、気づかなかったのだが、安倍は、このとき、こう言っている。
ここに、天皇がつかった「のっとり」ということばが出てくる。「時系列」としてみれば、天皇が「のっとり」と言ったのだから、それを繰り返している、ということになるが、天皇も安倍も「そら」でことばを発しているわけではない。その場で「即興」でことばを発しているわけではない。
つまり、天皇が「のっとり」と言ったから、安倍がそのことばを尊重して「のっとり」と言ったわけではない。
事前に調整があったから、「のっとり」ということばが繰り返されているのである。
これは、とても大事なことなのである。
話は少し脱線するが「新約聖書」がある。キリストの目撃証言集である。その証言は「大筋」において共通しているが、表現は、そっくりそのままではない。使徒というのか、目撃者の書き残していることばは少しずつ違う。この違いはキリストが実在したということを証明している。キリストが「神の子」であったか、どうかはわからないが、キリストに会った人が、そのときのことを自分のことばで書いたから、どうしても「体験」のずれのようなものがことばに出てきてしまう。「テキスト」をコピーしているわけではないから、違いが出てくるのだ。もちろんテキストをコピーしても書き写しの間違いがあるかもしれないが、「新約聖書」の「ずれ」はコピーとはかけ離れている。
同じことを語っても、自分のことばで語れば、そこに違いがある。これが「現実」というものである。
ところが、「象徴の定義(日本国及び日本国民統合の象徴)」という表現と「(日本国)憲法にのっとり」という表現は、天皇と安倍とでぴったり一致している。これは、事前に「ことば」を調整したということである。
天皇が先にことばを書き、それを安倍が踏襲したのか。
私は、そうは考えない。
天皇のことばは、かならず内閣で事前に点検している。つまり、「注文」がついている。言いたいことがあっても、そしてその機会があっても発言を封じられることがある。その例は『天皇の悲鳴』ですでに書いてきたので繰り返さないが、天皇が「自由」に発言しているわけではない。
平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったのに、新天皇は「のっとる」と言った。それは古川隆久が言うように「中立性」の表現ではなく、「遵守する」という厳格な意味を「あいまい」にするということである。
「中立」とは「公平」「公正」を意味するだけではない。複数の意見があるとき、どれに賛成するかきめない、つまり「判断停止」にしておくという状態も「中立」と呼ばれることがある。どちらに加担するというわけではないので、「中立」と言い逃れることができる。
平成の天皇は「護憲派」と見られていた。その根拠が、即位のときの、憲法を「順守する」ということばにあった。新天皇は、その「遵守する」を回避した。かわりに「のっとる」という動詞をつかった。
これは、安倍が「遵守ではなく、もっとわかりやすいことばで」とか何とか言って、天皇の「遵守」発言を封じたということだろう。目的は、もちろん新天皇の憲法に対する態度を「あいまい」にするためである。「中立」ではなく、「あいまい」に、である。
「あいまい」だから、もちろん「のっとる」は「遵守する」と同義であるということはできる。しかし、同義ではあっても「遵守する」と明言しているわけではないから、「遵守すると言ったじゃないか」とはだれも批判できない。
読売新聞は、そういう「批判」を見越して、わざわざ古川に「のっとる」の「定義」を「中立性」と語らせている。この古川の「解釈」は、これから起きることの「露払い」の役割を果たしていることになる。
憲法改正の動きは加速する。平成の天皇を強制的に沈黙させたあと、安倍の行動はどんどん横暴になっている。次々に嘘をついている。たとえば消費税増税にあたって「キャッシュレス(デジタルマネー)化」を推進するのは、消費者対策(減税対策)のためであると言っておき、キャッシュレス化が進んでいないと指摘されると「キャッシュレス化はインバインド対策(外国人観光客を増やすための対策)だった」と平気で言いなおす。たしかに外国人観光客対策にはなるだろうが、日本人消費者はどうなるのだ。
キャッシュレス化は、キャッシュレス産業(小売店と消費者の間に入って金の管理するシステムを管理する企業)を儲けさせるためのものだとわかる。消費者に消費税の一部を還元するというのは、たしかに「嘘」ではないが、ほんとうの目的ではない。こういう「嘘」を少しずつ積み重ねて、社会を変えてしまう。
この手口を警戒しないといけない。2012年の自民党改憲草案を現行憲法と比較してみればわかる。どうして書き換えないといけないのか、わかりにくい部分が非常に多い。「遵守する」を「のっとる」と言い換えたような、一見「わかりやすい」表現が多い。そういう「わかりやすい」を装った部分にこそ、「罠」がある。
なぜ新天皇は「遵守する」ではなく「のっとる」ということばを強制的に言わせられたのか。そこにどんな「罠」があるか。古川が「解説してしまった」中立ということばを、私たちは「暮らし」のなかでどんなふうにつかっているか、というところから点検していかないといけない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外297(情報の読み方)
新天皇が、「即位礼正殿の儀」で
憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
と言った。平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったが、新天皇は違うことばで語っている。もちろんどう語るかは、天皇の自由だが、なぜ変えたのか、そのことを考えないといけない。
きのう、そのことを書いた。
読売新聞2019年10月23日朝刊(西部版・14版)には掲載されていなかったので、気づかなかったのだが、安倍は、このとき、こう言っている。
ただいま、天皇陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、日本国憲法にのっとり、象徴としての責務を果たされるとのお考えと、我が国が一層発展し、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを願われるお気持ちを伺い、深く感銘を受けるとともに、敬愛の念を今一度新たにいたしました。
ここに、天皇がつかった「のっとり」ということばが出てくる。「時系列」としてみれば、天皇が「のっとり」と言ったのだから、それを繰り返している、ということになるが、天皇も安倍も「そら」でことばを発しているわけではない。その場で「即興」でことばを発しているわけではない。
つまり、天皇が「のっとり」と言ったから、安倍がそのことばを尊重して「のっとり」と言ったわけではない。
事前に調整があったから、「のっとり」ということばが繰り返されているのである。
これは、とても大事なことなのである。
話は少し脱線するが「新約聖書」がある。キリストの目撃証言集である。その証言は「大筋」において共通しているが、表現は、そっくりそのままではない。使徒というのか、目撃者の書き残していることばは少しずつ違う。この違いはキリストが実在したということを証明している。キリストが「神の子」であったか、どうかはわからないが、キリストに会った人が、そのときのことを自分のことばで書いたから、どうしても「体験」のずれのようなものがことばに出てきてしまう。「テキスト」をコピーしているわけではないから、違いが出てくるのだ。もちろんテキストをコピーしても書き写しの間違いがあるかもしれないが、「新約聖書」の「ずれ」はコピーとはかけ離れている。
同じことを語っても、自分のことばで語れば、そこに違いがある。これが「現実」というものである。
ところが、「象徴の定義(日本国及び日本国民統合の象徴)」という表現と「(日本国)憲法にのっとり」という表現は、天皇と安倍とでぴったり一致している。これは、事前に「ことば」を調整したということである。
天皇が先にことばを書き、それを安倍が踏襲したのか。
私は、そうは考えない。
天皇のことばは、かならず内閣で事前に点検している。つまり、「注文」がついている。言いたいことがあっても、そしてその機会があっても発言を封じられることがある。その例は『天皇の悲鳴』ですでに書いてきたので繰り返さないが、天皇が「自由」に発言しているわけではない。
平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったのに、新天皇は「のっとる」と言った。それは古川隆久が言うように「中立性」の表現ではなく、「遵守する」という厳格な意味を「あいまい」にするということである。
「中立」とは「公平」「公正」を意味するだけではない。複数の意見があるとき、どれに賛成するかきめない、つまり「判断停止」にしておくという状態も「中立」と呼ばれることがある。どちらに加担するというわけではないので、「中立」と言い逃れることができる。
平成の天皇は「護憲派」と見られていた。その根拠が、即位のときの、憲法を「順守する」ということばにあった。新天皇は、その「遵守する」を回避した。かわりに「のっとる」という動詞をつかった。
これは、安倍が「遵守ではなく、もっとわかりやすいことばで」とか何とか言って、天皇の「遵守」発言を封じたということだろう。目的は、もちろん新天皇の憲法に対する態度を「あいまい」にするためである。「中立」ではなく、「あいまい」に、である。
「あいまい」だから、もちろん「のっとる」は「遵守する」と同義であるということはできる。しかし、同義ではあっても「遵守する」と明言しているわけではないから、「遵守すると言ったじゃないか」とはだれも批判できない。
読売新聞は、そういう「批判」を見越して、わざわざ古川に「のっとる」の「定義」を「中立性」と語らせている。この古川の「解釈」は、これから起きることの「露払い」の役割を果たしていることになる。
憲法改正の動きは加速する。平成の天皇を強制的に沈黙させたあと、安倍の行動はどんどん横暴になっている。次々に嘘をついている。たとえば消費税増税にあたって「キャッシュレス(デジタルマネー)化」を推進するのは、消費者対策(減税対策)のためであると言っておき、キャッシュレス化が進んでいないと指摘されると「キャッシュレス化はインバインド対策(外国人観光客を増やすための対策)だった」と平気で言いなおす。たしかに外国人観光客対策にはなるだろうが、日本人消費者はどうなるのだ。
キャッシュレス化は、キャッシュレス産業(小売店と消費者の間に入って金の管理するシステムを管理する企業)を儲けさせるためのものだとわかる。消費者に消費税の一部を還元するというのは、たしかに「嘘」ではないが、ほんとうの目的ではない。こういう「嘘」を少しずつ積み重ねて、社会を変えてしまう。
この手口を警戒しないといけない。2012年の自民党改憲草案を現行憲法と比較してみればわかる。どうして書き換えないといけないのか、わかりにくい部分が非常に多い。「遵守する」を「のっとる」と言い換えたような、一見「わかりやすい」表現が多い。そういう「わかりやすい」を装った部分にこそ、「罠」がある。
なぜ新天皇は「遵守する」ではなく「のっとる」ということばを強制的に言わせられたのか。そこにどんな「罠」があるか。古川が「解説してしまった」中立ということばを、私たちは「暮らし」のなかでどんなふうにつかっているか、というところから点検していかないといけない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
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