12月9日(土) 17/1℃
昨日は、歴史グループの「お知らせ」を配布しました
写真が多いので、奮発してラクスルのカラー刷りです
やっぱりカラー
今年はイマイチなS寺のモミジも、門前のそれは映えて見えます
わが家は30日に揃いそうです
3F.が「実家」にやってきます
jiiji baaba を含めると、総勢13人・・・
指折り数えます
まぁ
そんなこんなも子どもが小さいうち
《実家に帰りたくない理由、2位「家族とそりが合わない」、1位は?》 (12月8日mediaビジネスonLine)
「・・・実家に帰りたくない理由の1位は「実家が遠い」(36人)で、「『親兄弟や親戚に会いたい』とは思うが、遠くて交通の便も悪いので、時間とお金がかなり必要で面倒」(40代女性)、「車で帰省するのは疲れるし、新幹線利用だと費用がかかるから」(60代以上男性)などの理由が寄せられた」
ここから東京は、それほど遠くはありませんね
ドアtoドアの車で3時間ちょっとー
新幹線なら駅間で1時間半ちょっとー
お金はかかりますが、時間的には “近く” なりました
そう “遠く” ないうちに、《週休三日》時代はやってきます
jiiji が為政者なら、高速交通網の料金を半分に!!
「親子」の絆が深まるはずです
盆、暮れが無理なら前後で・・・
会えれば時はいつでも歓迎です
待つ気持ち
その歳にならなければわからないでしょうね
旧い「1枚」の写真・・・
60年ほど前のわが家です
先祖代々が、「一所懸命」に暮らしてきた前住の地
(わが家の「一所懸命」の地・・・)
が
群発地震があって、高校を終えたこの年に今の地に移転しています
☟ ピーク時はこの鉄骨ハウスで寝ました
父の機転です
ところで、代々のわが家・・・
木造・平屋・切妻トタン葺き・ “田の字“ の間取り
周りが藁葺きの中で、切妻でした
なぜ?
明治19年(1886)の「火災見舞帳」、明治27年(1894)の「普請附込帳」が残っています
火事で燃えて、8年後に建て直した・・・と推測はできます
まぁ
そこはそれとして、多い時には8人もが暮らしていた思い出の家
板の間の雑巾がけ、土間の箒掃きは姉とjiiji の日課でした
そして
曾祖父、祖父の旅立ちに立ち会ったのもこの家です
「本家」から分家に出てjiiji で9代
ささやかなルーツではありますが、子にも、孫にも知っておいてほしいわが家の歴史です