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「犀の角」14_05_31

書き足していけばいいのだから、楽だ、
これが雑炊詩法というやつか(笑。



犀の角の如く、ただひとり歩め。

犀の最たるものは猛進の果てに揮発し、
犀の最たらぬものは怯懦ゆえに揮発するのである。
揮発こそが、
粗雑な物質を越えようとするわれわれにふさわしい儀式ではないだろうか。

われわれのわれとして、
わたしはわたしを渡し終える。
もうわたしはいない。
われわれのなかにあるひとつまみのわれ。

ひとつかみのあれ。
一つ神の在れ。

我の割れ。
我の割れからの浸水、やがて洪水。
我の埋没、我の沈降。
我の山に残るアララット舟。
それもまた我に座礁し、難波し、やがての沈没船として水中を漕ぐ。


割れた我の破片が照らし返す、a ware の陽炎。

太陽系の質量のほとんど全部は太陽である。
では、そこで、地球とはなに。

月から見てさえ見えるものは、ただ地球の自然と呼ばれる
海の指紋と、山嶺と、風の指紋。

雲、
漂いの果てに揮発していく典雅な振る舞いの序章よ。

めくる。
めくる。
序の次に進もうとして、
めくる。


しかし、
またしても序。
序のつぎなる序。
序につづく序。
徐徐に、序序に、ただ緩やかなるままに、
序をめくりつづける書物。

地球の史書。
青文字の青の滲むまま、地層を濡れて降りる。

滲む青、滲む境界線。
人為的な国境線だけが、明確な不寛容を示す。

おお、われわれよ、
猛進そして盲信。
信じるというならば、なにを。
信じるということは、信じていないということだ。

われわれは机を信じる、
われわれは林檎を信じる、
われわれは街灯を信じる、
われわれは道路を信じる、

信じる必要のないものを信じるとわれわれは言わない。

われわれは人間を信じる、
われわれは神を信じる、
われわれは愛を信じる、
われわれは摂理を信じる、

信じるというときには信じないがまだまじっている。

われわれは人間を感じる、
われわれは神を感じる、
われわれは愛を感じる、
われわれは摂理を感じる、

信じるよりは感じるが誠実だ。

信じなくていい、
感じていればいい。


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やべー、初めて楽天冴えてると思った(笑。

だいだい楽天って、
なんかイメージが嘘くさいよね(笑。

なんでだろ。
koboの冊数水増しがいけなかったのかな。

田尾監督をやめさせたからかな。
星野監督がきてやっと、

補強に金だしたからかな。
やることなすことのひとつひとつに

なじめなかったオレだが、
今回は来たっっっっっっっっ。

渋谷に楽天カフェ誕生だ。
やべー、行ってみたいっっっっ。

充電し放題っっっっっ(笑。
しかも楽天カードでコーヒー半額だ、

カードもちろん持ってないけど。
わざわざ渋谷まで行かないけど。

けど。
けど。

こころ揺れたっっっっっ(笑。
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また、少し書き加えてみた(笑。

犀の角の如く、ただひとり歩め。

犀の最たるものは猛進の果てに揮発し、
犀の最たらぬものは怯懦ゆえに揮発するのである。
揮発こそが、
粗雑な物質を越えようとするわれわれにふさわしい儀式ではないだろうか。

われわれのわれとして、
わたしはわたしを渡し終える。
もうわたしはいない。
われわれのなかにあるひとつまみのわれ。

我の割れ。
割れた我の破片が照らし返す、a ware の陽炎。

太陽系の質量のほとんど全部は太陽である。
では、そこで、地球とはなに。

月から見てさえ見えるものは、ただ地球の自然と呼ばれる
海の指紋と、山嶺と、風の指紋。

雲、
漂いの果てに揮発していく典雅な振る舞いの序章よ。

めくる。
めくる。
序の次に進もうとして、
めくる。


しかし、
またしても序。
序のつぎなる序。
序につづく序。
徐徐に、序序に、ただ緩やかなるままに、
序をめくりつづける書物。

地球の史書。
青文字の青の滲むまま、地層を濡れて降りる。

海。
流れ出した文字。







おお、われわれよ、

猛進そして盲信。
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うん、今度は詩を書けそうな気がしてきた(笑。

詩法なしに詩を書いていて、
はたしてそれで詩たりうるのかと、

余計な詮索に時間をかけていたのだが、
ええい、もう書き始めてしまえと思えてきたので、

少し、昨日、書いた。

Webで、リンクをおすと別のページに飛ぶみたいな感じで、
ある言葉のところにいくと、もう次の連にいくイメージ。

タイトルは、「犀の角のごとく」(仮)あたりで、はじめてみた。


こんな感じ。



犀の角の如く、ただひとり歩め。

犀の最たるものは猛進の果てに揮発し、
犀の最たらぬものは怯懦ゆえに揮発するのである。
揮発こそが、
粗雑な物質を越えようとするわれわれにふさわしい儀式ではないだろうか。

われわれのわれとして、
わたしはわたしを渡し終える。
もうわたしはいない。
われわれのなかにあるひとつまみのわれ。

我の割れ。
猛進そして盲信。



ふむふむ、オレにとっての詩はこのようなものでよかろう(笑。
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松坂、先発で勝ってよかったね(笑。

今季、抑えで起用されていて、
どーしてこんなにコントロールが悪いのだろうと

やきもきさせてくれている松坂だが、
先発で勝利投手となることができた。

ひとまず、
よかったよかった(笑。

ぶつけなきゃ安心してみれるんだけどなあ。
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そして、オレの赤札騒動は終わった(笑。

10年に一度、5月だけに配られる川崎大師の赤札。
昨日、休みだったので、また行ってきた。

これで合計3枚。
1枚は進呈したので、2枚ある。

まあ、しばらく眠っていただき、
なにかことあったときに、働いていただくこととしよう。

ここのところ、
ガジェットと宇宙人とで浮かれていたが、

川崎大師のお寺の中を読経を聞きながら
合掌して歩いていると、気持ちいい。

やはり基本のインド哲学に戻ろうという気になった(笑。
オレには、汎神論がよく似合う。
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BBエキサイトからシムが3枚届きましたっっっ(笑。

現在使っているシムは3枚。
ガラケーにソフトバンク。

LGの L-01DにLTE対応のOCNシム(945円+税)
iPhone4のgeveysimをはかせたものにIIJmio(980円+税)

という陣容。
ぜんぜん、高くないんだけど、

iPhone4をほとんど持ち出さないので、
もうIIJは解約してもいいんだけど、どうしよう。

でもさ、もともと、いらないっていえば、いらないんだよな、スマホって。
この情報があっても、

神にもたどりつかないし、
自分にもたどりつかないし、

ほんと、消費するだけで終了なんだから。
でもさー(笑。

つながっているという心地よさっていうものがあるんだよね。
いまのままだと、

Xperia mini proが、家で寝転がってるまま、
こいつを起こすか、シム3枚にして(笑。

おお、いつもの合理的な思考から導かれる不合理な結論(笑。
じゃあ、ついでにぼっちLINEできるように、メインにはSMSもつけちゃえ(笑(笑。

というわけで、
今後は、

ガラケーにソフトバンク、
Xperiaminiproに標準シム(SMSあり)、

iPhone4に nanoシム、
LGはアダプタつけて、マイクロシムを適用して、

息子から、Galaxy Noteが流れ込んできてもオッケーな体制をととのえておく、と。
こなかったら、ヤフオクでNote2か(笑。

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ヘイヘイ、会ってきたぜ、幼なじみと(笑。

幼なじみは、変わってなかったぜ、
いや、変わっていたけど、

予想通りの変わり方だったので
変わっていないと思ったのかもしれないな。

もちろん、スマホはもってない、
駅員に聞きながら銀の鈴に到着する奴さ。

いいさ、
それでこそ我ら、九州の民よ(笑。

エキナカのこじゃれた店で
コーヒーでも飲むかと予定していたが、

みつからず、
結局、外にでて、マックでMサイズのコーヒーをブラックで飲んで、

大の大人が何年ぶりかに会って、
かかる費用が308円(笑。

あれっっっっっっ、
前回は銀座のライオンあたりで飲んでたのになあっっっっ。

それで、先祖の墓を結局どうするとか、
カラダの具合がどうしたとかっていう話題を話して、

じゃあ、また元気でなっっっっ、と別れた。
で、オレは猛烈にこいつのための歌を作りたい心境(笑。

「吉田信二の歌」っていうタイトルなんだけどな。
オレ、作るぜ、信二。

「0H 吉田信二 OH 幼なじみ
 OH 吉田信二 あだ名はブースカ」

もうここまでサビができてる。
サビができてる歌はできあがるんだよ(笑。

聞いて、
「どうもおまえの最近の歌は、メッセージ性が薄れとる。

悟りをひらかんでいいのか」とか
言ってくれていいぞ(笑。

ポップを目指したオレの「JK」に、
ダメだしするやつっっっっっっっっ(笑。



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明日は、幼なじみと銀の鈴で会うのだ(笑。

なにしろ、
幼稚園・小学校・中学校・高校と一緒だったのだから、

おたがいに、相手の人生行路の
だいたいの動きは察知できる。

人間というものは、
よいときがあったらあったなりに、

なかったらなかったなりに、
やはりそいつらしい過ごし方をするものなのだ。

で、出張して一泊して名古屋に帰るから
ちょっと会うかという話になった。

おう、いいねえ。
どこで。

泊まるのは、木場だけど。
じゃあ、東京駅にするか。

前にも一度そこで待ち合わせしたし。
前回は三十年ぶりぐらいだったが、

おたがいにすぐ分かった(笑。
そーゆーものだ。

人生というのは、そーゆーもんだという気にさせてくれるのが
幼なじみの唯一の効用なのかもな(笑。
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自分の欠点に気付くことの欠点(笑。

最近、ね、
どうも自分は後悔することが好きだったのではないかと思えてきた(笑。

無理なスケジュールをたてて、
できなかったことを残念がったり、

そのできない最中にいろいろと自分を責めたりなんかしたりする、
その全部のできごとが好きだったのではないだろうかと思えてきた。

これは、なんとなく気付いていたので、
思い出したり、忘れたりしていることだが、

そのほかにもまだあるらしいことにも気付いてきた。
それは、どうも自分は、

スケジュールが好きだという欠点だ。
どういうことかというと、

オレはしじゅう、
物事をベストのタイミングで行うための

スケジュールを組み立てているんだよな。
それは、休日の過ごし方であったり、

人生の過ごし方であったりと、
スケールの大小が異なるだけで、

基本的なスタンスはあまり変わらない。
だが、この

スケジューリングを好む自分とはまたべつの自分がいて、
そいつは、組み立てられたスケジューリング通りに行動することを嫌っている。

どうも、自分にとって、
いったん組み立てられたスケジュールというものは、

すでにもう成就されたものであるから、
さらにまたなぞる必要のないものとなっているらしい。

このようにしていつも自分は、
こうあるべきであったことと、

こうあるべきであったことはすでにすんだことにして別なことをすることの
間で生きていくのが好きらしい。

だからきっと、
いまは仕事をしながら、いろいろと文芸に手を染めて、

そのうちもっと修行的なことをしていくだろうという
スケジュールも、もはや成就されたこととして、魅惑をなくし、

自分の予想できなかったことを嬉々として迎えていくのではないかという気もする。
それも、まあ、いいね。
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