goo

まあ、あんまり関心はないでしょうが、こんなことをやってるんすよ(笑。


ランボーを読んでいるのは、
卒論のときに自分で訳せずに

他のひとの訳をつなぎ合わせて
だいたいこんなことを言ってるらしいという

手抜きの訳で済ませたからw
せっかく、時間だけは豊富にあるし

iPadに入ってるプチロワが字がでかくて読みやすいので
単語を調べるのが苦にならないからできること。

で、『地獄の一季節』を自分の言葉でリライトするとこうなるっていうのを
ちびちび進めているんすよ。

このペースでいくと、完成は
来年の年末あたりっすねw

で、先月の分をコピペするとこうなるっす。
こーゆーことをして生きているのが楽しいという

自分の無邪気さに驚くっす。
ああ、オレって

論理を考えることもできるが
無邪気なやつだったんだなーと感嘆しております(笑。




「錯乱2 -言葉の錬金術5、西荻Nishi-oguiの砂蹉ー鉄跌少年 」

A.R.<ひとつの他者Je est un autre>にもしきみが会いたいのなら
ヨーロッパの東北、フランスの遠野まで語りを求めて行く必要はない。
飛び立つはずの成田から踵を返して、シャトルバスで東京駅まで戻り
1,2番線の赤い電車に乗り、混んでいてもすぐ別のが出るから焦る必要もないのだが、
きみが急を要するのならば先発の電車に乗ればいい。
新宿、中野と過ぎてきて、きみは荻窪という駅の次が西荻窪という
方角によって分別されているあまり洗練されていない駅であることに気づくだろう。
その駅を降りたら、出口はどうせ一つしかないのだから右に行くのだ、右、右だ。
そうすると駅から0分で東京だと思っていたところが、
ただの焼き鳥横丁だったということに驚くだろう。
驚いていいんだ、そこは我慢するところじゃない。
きみが感染した高熱の患者のように唱えることも可能となった
A.R.<ひとつの他者Je est un autre>の書いたそのままが、
そこに再現前していることの文学の奇跡の遍在にもまた感電するだろう。

・・・悪臭漂う路地から路地へうろつき、そして、目を閉じて、
   火の神太陽に身を差し出すのであった・・・

・・・あーあ、旅館の小便所で酔っぱらった羽虫だ、小便草が大好きで、
   月の光にあたるといっぺんで溶けてしまうのだ!(篠沢秀夫訳)・・・

まだあどけなさが抜けた直後の、明らかに年齢詐称して西荻Nishi-oguiで飲んだくれた挙句に、
自力歩行もかなわないのでもはや寝そべるより他に
飲み続ける方途がない少年を発見できるだろう。
この少年、これがA.R.<ひとつの他者Je est un autre>なんだ。
ちょっと待って、こいつ、なにか地面に向かって何か言ってる。

「霞を食べて生きる砂蹉ー鉄跌少年」

空腹を催す生理的身体なんて、オレにはいらない。
霞を食って生きてみせる、
石とか岩とかな、
石炭とかも貪り食っちゃう、
そもそもオレは、あれよ、
砂蹉ー鉄跌少年だからな、にしても

霞を食いすぎて目が眩む。
霞を食いすぎて目が痩ける。
ほら、きみにもやろう、食ってみな霞。

うまいだろう、
空腹時にはとくにオススメな一品だ。
舌にのせた途端にとろけてしまう淡雪をトッピング。
なりたければ

きみもオレみたいになれるぜ
カラダがスカスカの半透明化人間に

オレを透かして青空が見えるだろう、人間隠元豆だ。
教会を透かして煉獄が見えるだろう、屈折率の高い謹厳だ。
洪水を透かしてサラダ菜が見える、繋いでくれ天然電源だ。
電気を出して、元気を出して、それが詩の淵源だ、

さあ、一緒に融けよう、
一番高い塔の歌の穂先で。












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ふふふ、書き終えたぜ、今日は詩人ちゃん活動しちまったな。タイトルも決めたしな(笑。


さっきの続きを書いて
いちおー、終わらせとくか。

いつも途中で終わっちゃうからな。
ということで、書き終わりました。

やっぱ、楽だった。
で、タイトルも決めました。

「眩しがり屋の恋人ちゃん」っていうんだよね。
いや、

「眩しがりやちゃん、ぼくら恋人ちゃん」の
方がいいかな。

そうだな、
そうしよう、そうしょう、双子葉類。

では、次のようになりましたっっっっ。
こんなんでいいんかい(笑。







「眩しがりやちゃん、ぼくら恋人ちゃん」

愛し合おうよ、恋人ちゃん。
地球は早くも黄昏の優しい抱擁中。
気象なんかに負けてはいられない。
愛は幽玄なんだよ、仄かで微かで優美なんだよ、恋人ちゃん。
2つの魂が2本同時に口に入れたポッキーみたいに絡み合い、
溶け始めたチョコと過去とを括弧で囲んだ交響曲のように奏でるこの夕べ
ささやかな約束の路地裏でぼくらはぼくらの道を見つける。

愛の優しい触り心地の恋人ちゃん、
君は繊細な炎、大胆な地平線、それがぼくの導線に火をつける、
憧れを踊ろうよ、永遠の芸術ちゃん、
結びつけたり、解きほぐしたりしながら
極めて臨機応変に絡み合ったり適切な距離をとったりしようよ。
愛の本質を綴るには、青空のボトルをそよ風でかき混ぜた、音韻の墨汁が必要なのさ。
言葉にならないなんてただの怠慢な原稿書きさんが準備しているテンプレートさ、
言葉以外のものは世界にはないんだから。

だからぼくは全部言葉で語るよ、恋人ちゃん、
深く心に響く言葉、そんな幻想を振り払いながらきみへと繋ぐ心の包装紙。
情熱が流れる岸辺を歩き、月明かりの空を竹箒で撫でて闇夜を匍匐前進するんだ、きみへと。
綴れ織りの星空、鮮やかで広大なひとつきりの永遠の、きみへと。
ああ、恋人ちゃん。きみが所持していてときどきしか閲覧できない優しい愛撫手帳、
優しい子守唄ソングブック、優しいまなざしの中に大文字で書かれていて
暴露されたままの公共の秘密、きみへと。
ビゼからベーゼへと、甘い降伏、同期する炎の情報、隠れ家から隠れ家への聖地巡礼、きみの掌へと。
柔らかい雨の滴のように、ぼくらの逡巡を癒しながら
祝福しよう、おたがいがおたがいの光と鏡であることを、
恋人ちゃんと恋人ちゃんの恋人ちゃんであるぼくら恋人たちちゃんの眩しさの中で。





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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして9(笑。


「エスペラント」が一番好きなアルバムなので、
これに詩を寄せてみたけど、

散文で書こうとしていた坂本論を諦めたのは
行替えしたら

自由に書けたということが大きいね。
わざわざ散文に押し込めなくてもいいじゃないか、

愚かなまま、愚かな道を行けばいいじゃないか
誰を説得する必要もなく

自分が正しいと主張する必要もなく
ただ文字となることの舞踏を楽しめばいいということですね。

なにしろ、
昔は晩年が感覚だったけど、

もはやリアル晩年が迫ってきてるからね、
完璧を目指している余裕はないw

朔太郎を借りてきてでも
仕上げてみるっっっっ(汗。

ということで、
詩人としての一面をお見せしてみました。

じゃあ、またね、
しばらくないよ(笑。





音の胎児(指、指、指、坂本の耳に指が生え)

器官はその受容する対象との官能の中で生まれ、そして育つ。
音の胎児、坂本龍一は、まず耳から生まれた。
その耳へと注ぎこまれる音階を持つ音の連なり、
あるいはまた事態は反転されて、
耳の吸引によってその磁場へと引き寄せられていく
音の連なりになっているのかもしれない。
音から音へ、
そしてまた音から音へ。
音から音へと、たとえそこに休符があろうと
それによって中断されることはなく、
なぜなら休符もまた音の豊かな一部であるのだから、
音から音へと連続することで編まれた羊水の中で
彼はこの世界を
音で成立しているものとして認識する。
わたしたちの器官もまた、
人工孵化によって
ガチョウを親として慕うハイイロガンの雛のように、
ローレンツの目前で腑化したために
彼を追うようになった雛のように、
自らを導いてくれる働きを限定と感じることなく、
ただひとつの世界との関係を明示する光として感じ取る。
坂本龍一には、世界は音でできているのだ。
もちろん、世界だけではない、
人間も物質も、雲も太陽も、
海も、それはすべて音でできている。
それは、彼にとっては語る必要もないほど
自明なことであるのだから、
もちろん語られることもない。
高村光太郎ならこう語るところだ。
「僕は生まれてから彫刻で育った。
僕の官能はすべて物を彫刻的に感じて来る」
すべては音でできているのだから、
もちろん自分も音で出来ている。
坂本は音でできており、
龍一も音でできている。

彼が自分の文法で並べかえた音の連なりや重なりも、
すべて音でできている。
耳でさえあればよかったものを、
彼は不幸にも伝達のためにと指を必要とした。
坂本龍一という耳に指が生える。
耳から伸びた指。
指、指、指。
光る両耳に指が生え、
鍵指が生え、
指には顔が生え、
顔がしだいにほそらみ、
顔の先より華奢な腰が生え、
テンポを数える腰が生え、
かすかにゆれて。
かたき両耳に指が生え、
掌にまっすぐ指が生え、
まっしぐらに指が生え、
鍵盤を探してりんりんと、
五線譜のもとに指が生え、
指、指、指が生え。



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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして8(笑。


最後の曲は「ULU WATU」だね。
ググると、バリ島にある地名だった。

タイトルが「エスペラント」だから
地球を1周してきて

バリ島にたどりついたというイメージじゃないかな。
ここで荷物を下ろして

長かった旅をふりかえる、みたいな。
「ULU WATU」から

「麗しい津、ULU WATU」という1行は浮かんだけど
あとはどーしたもんかねーと

放心していたら
買い物途中で浮かんだ「詩ぬ」という言葉が浮上してきたw

オレは
「青空/揮発」という言葉で

自分なりの「死」を定義したのだが
どうしても「死」という漢字が重くて嫌だなあと思っていた。

「死体」はあるけど、
「死」はないんだよ。

だって、肉体を置いて意識へと還元されて
ニルヴァーナへと遷移するだけなんだからという気持ちを

込められる言葉を探していたのだが、
坂道を下っているときに

「詩ぬ」ってよくない?と閃いたのだったw
いいね!

「詩になりぬ」的なイメージでいいんじゃない!!
で、

楽観的で、陽気で、どんまいなオレの
愚か者としての立場を

それもあり、な!的な
祝福の洗礼を

そうとは思わない人たちと
水をかけあう無邪気な児童たちのように

行うのもいいでしょうという詩ができあがったのだった。
文末の「ねばならない」は「ねばならなくない」的な立場も尊重するために

括弧にいれたところで
非常に、満足した詩となりました。

まさか、これを
最初はビール飲みながら書いたとは思わないよね。

オレも思えない(笑。






「鹹水」<<<「エスペラント/ “ULU WATU”」

われわれは砕かれ(-なければならず)、
漂流し、困窮し、拾いあげられ(-なければならない)
われわれという砂金があることを
この地上の友人たちに知らせ(-なければならない)からだ

われわれにあたかも死があるかのように語る地上の友人たちに
われわれは死なないということを伝え(-なければならない)
死体を青空の骸布で抱きとめて
赤子のように揺すって歌ってやら(-なくてはいけない)
よしよし、
泣かなくていい、
眠れ、眠れ、われわれのうちのひとつのわれよ

われわれは
語った言葉、行った行為の全集と化したそのものを
<死ぬ>と呼んで破砕-断裁するのではなく、
それを来たるべき海の余白の中に置いて
波とともに音読し(-なけれならないのだ)
われわれは死なない、
骸布を留める句読点をひとつ、ふたつ、多めにおいて
詩となるのだ、
<詩ぬ>のだ
われわれは死なない、
われわれは臓器の不調がもたらす
死によって阻まれたり、漂白されたりするような
簡素な組成物ではないのだ
われわれは幾重にも幾重にも重ねられた繭の
またその繭を重ねて重層化された
<痕跡>ではないか。
なぜ痕跡が死ぬことができようか
痕跡にできることは
ただそこへと、場所へと、記憶の音へと遺留品化すること以外にありえようか

われわれにあたかも神がないかのように語る地上の友人たちに
宗祖ではなく、神そのものを崇めるべきであることを教え(-なければならない)
仏陀を崇めるものにも、
イエスを崇めるものにも、
末法の到来への恐怖、終末とそのあとに続く裁判への恐怖ゆえに
教えがその瞳のなかで歪められていることを
われわれが死なないように
人の種もまた絶えることなく連続することを

われわれは
罰せられることを怖れるがゆえに罰するものの殺害を急ぐ
われわれは
すべてを見抜かれていることを恥じるがゆえに見抜くものの眼を抉ろうとする
神を打診し、神を畏怖し、神と調停しようとする
しかし、われわれが神の子でないとしたら誰の子なのか
われわれ人の子でさえ、
大いに我が子を慈しみ、心配し、幸いあれと願うではないか。
われわれ人の子でさえ、
行く末の分からぬ我が子の歩く先に、友愛ある隣人の出現を願うではないか
神というものが誰であれ
われわれより遥かに大いなるものであるならば
その思いもまた遥かに深く、
その配慮もまた遥かに深く、
であるがゆえに
すぐにはそうと気づかれぬほどの微かなものに希釈されているのではないか
すぐにそうとは気づかれぬように自らの眩しさのなかに隠匿されているのではないか
われわれは誰の子なのか
ただ遺伝子の子なのか

われわれはそのような考えを幼稚だと感じるが
友人たちはわれわれを根拠なく楽天的で信心深い愚か者だと感じるだろう
かくして
幼子と愚か者とは会わなければならない、

ここ、ウルワツで

麗しい津、ULU-WATU
岬の先での互恵的な鹹水のバプテスマ






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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして7(笑。


7曲目は「A Carved Stone」だね。
これは、「彫られた石」だと思って

てっきり、打製石器のことだと思ってたわけよ。
ところが、ググると(ググるの大事w)

彫刻がほどこされた遺跡の柱みたいな画像がでてくるから
なにか遺跡系の曲らしい、ということはわかった。

が、
オレの中では

遺跡じゃ高度すぎて燃えんわけよw
それ、もう文明じゃん、オレはもっと

個人的、部族的情熱がいいんじゃあぁぁぁぁぁぁということで
ラスコーの洞窟に絵を描く人とのインタビュー形式で書いてみましたw

対話形式、楽でいいね。
で、ラスコーの壁画をみてたら

鹿が描かれているんだけど、
一頭の鹿の目尻が下がっていて

これ、明らかに感情描写でしょと思えるわけよ。
そこまで、

鹿が好きなら
仏陀の説法を聞く鹿と連結させようかとも思ったが

いやいや、
ラスコー人に説法を聞く耳はまだないけど

それも、宇宙的にはあっちゅうまということで
フェードアウトしていきました(笑。



「ラスコーインタビュー、鹿」<<<「エスペラント/ “A Carved Stone”」

-いいよ、話をしながらでも描けるから
なんでも聞いてくれていいよ。

(今日はここ、ラスコーの洞窟で岩絵に熱中なさっている
(サークルの方にお話をうかがっております。って

-ここでなにをしているんですか、か。
そいつは愚問だな。
見てわからんかな、
岩に刻んでるんだけどな。

(愚問? 愚問かよ! やっぱクロマニョン人は
(社交辞令というものを知らんよなあ、って

-なんのために刻んでいるんですか、か。
そいつも愚問だな。
心のたかぶりがおさまらんから
岩に伝えて鎮めるだけよ。

(岩に伝える? 岩にもまた
(それを受け取る心がある、とか思っているのか、って

-発表予定か、
そいつはかなりかかるらしい。
飼っている犬がこの穴に落ちて
さがしにきた村の少年たちが、
偶然発見するという手はずになっているから
2万年くらいかかるかな。
まあ、あっちゅうまだけどね、あっちゅうま。

(そうだよ、その村の少年マルセルが後のオレなんだよ。
(そのとき、また改めて驚かせていただくけどな、って

-グループで手分けしているか、か。
手分けというのはとは少し違うな。
愚問ではないけれども意図がはっきりしない質問だな。
オレの周波数は、鹿に合いやすいんだな。
鹿は好きかい、あんた。
好きでも嫌いでもない、って!
あんたが噂に聞く宇宙人かい、、、、
心を亡くすと宇宙人になれるらしいが、
そうか、あんたみたいになるのか、、、、

(オレは地球的存在だよ! ただ鹿は好きでも嫌いでもないだけだよ、
(だけどオレを気味悪がっているな、って

-いや、逃げてない、逃げてない!
感染しないように距離を増やしただけ。

(それを逃げてるっていうんだよ!
(それにしてもなぜ鹿なんだろう?、って

-この四頭の鹿は、泳いでるんだな。
ほら、この右から二番目の、こいつの目尻を見てくれ。
下がっているだろ。
こいつら、泳ぐのが好きなんだよ。
泳ぐのは好きかい、、、、いや、よそう、
どっちでもなさそうだからな。

(泳ぐのは、好きじゃない。
(わざわざ海水で消毒する必要は感じないからな、って

-そうだ、あんたのこともここに彫りつけてあげるよ。
せっかくだから。
これで分かるかい、あんただって。
ただの三本線じゃないかって
あんた、ただの線で十分だよ。
まだ山羊にさえなってないよ。
草だな、草。

(そうなんだよ、よく見破ったなあ。
(なにしろオレはラスコーの草叢の精霊だからな、って

-ああ、なにか好きなものを見つけて
心ができたらまたきなよ。

(心の重さに耐えられるようになるのに、
(2万年か、、、、、あっちゅうまだな、、、、






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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして5(笑。


5曲目っすか。
これは「A Human Tube」ですね。

日本語で言うと、「人間の管」じゃないすか、
ということで

1つめの詩のタイトルは「管」ですね、
まんまやんけー、ってやつですw

これはね、
最初に思いついたのは

赤瀬川原平さんの「宇宙の罐詰」ですね。
反転させれば、

宇宙を梱包することも可能であるというあの発想ですね。
で、人間を管から反転させれば

同様に宇宙を梱包できるはずなんですが、
そんなのあんまり「まるパクリ」すぎて恥ずかしいじゃないすか!

で、中原中也さんにお越しいただきましたw
で、2作目は

久々の「だっこーる」シリーズを書いてみました。
創造主さまにお越しいただいてます。

なかなかゲストが派手だね。
でも、タダだからね、タダ!

創造主って、
なんか遠くにいる立派な方というイメージかもしれないけど

オレにとっては
世間では有名らしい親戚のおっちゃん的な存在かな。

この宇宙を造ったり
修理したりして、

いろいろと忙しい面倒見のいい大家さんみたいな感じともいえる。
だから、

正確には
宇宙神なんだけど、

ま、詩のなかでは創造主として登場していただいてます。
え!? まさか「神」とか信じてるの、と思うでしょ?

それがさー、信じてるのよw
オレの神さまはカジュアルでフレンドリーな神さま。

なにしろオレの前世も天使さまなのでw
わりとツーカーで話があう。

こいつ、バカじゃねーのと思ったでしょ、
そーなんだよ、

愚か者なんだよ、
オレ(笑。


「管」<<<「エスペラント/ “Human Tube”」
ホラホラ、これが僕の管だ、
骨と肉から外してみると、ああ、残念だ、
融けてしまった雪が水となり
蒸発してしまったように
かつてはあれほどあったのにもうないよ。

それは体温を放ち終わり、
あるともないとも言えない、ただの
内臓たちの輪郭の点線、
口唇の流入、肛門の流出、
幾分大気を換気する。

このなにもないところから、
声が生まれてきて、
愛を語ったり、神を流布したり
歌になったりしていくなんて
おかしいを超えてなんとも不可思議だね。

ホラホラ、これが僕の管ーー
もちろん、説明しているのも僕さ、
限界集落に持っていた不動産を手放した
かつての持ち主が
ツアーガイドで観光案内しているみたいなものさ。

生きているって、面倒だとも思わず
この管が黙って餌を運んでくれたんだね、
耳をすますと、
僕の名前の小さな残響が
管ともいえない虚空あたりに漂っている。



「タイ焼き肋骨、だっこーる、大いなる開秘歌仙」<<<「エスペラント/ “Human Tube”」

すまん、すまんと
創造主は今日はやたらと低姿勢だ
女性を男性の肋骨から作り上げたという話が
まさかこんなに残ってしまうとは予想外だった
あれは、ワシの人間製作期の序章であって
いまはあんなことはしない、
土をこねて肉を作る方法は原始的極まる
パージョンアップにアップデートを重ねて
もはや身体の一部を無断借用するということはせずに作れるようになった
それがこれじゃ、と創造主は
手のひらのうえに
胡椒をふりかけた小さなタイ焼き型の風船のようなものを取り出した

それはなんですか、と尋ねる隙もあたえず
創造主はそのタイ焼き風船に”tu”と語りかけるようにして
息を軽く送り込んだ
風船は創造主の掌上で、最初、くるくると回転しながら
その周りに星雲を呼び寄せ、と同時に
タイ焼きはあんこの乏しい尻尾の部分からまるまり始めた
甘さを緩和させるために自らを食らうウロボロスなのか、
いや、食らうのではなくもっと内側に湾曲している、
ということは、
おお、胎児の出現ではないか、だっこーる
星雲を子宮として育とうとする胎児ではないか、だっこーる
では、胡椒は、あのふりかけ胡椒は
性格と運命への香辛料ではなかったのか
ではなかったのだ、ではすまないくらいのではなかったのだったのだ
胎児を守護する小さな刺繡つきの天蓋布となり
眠る胎児は星雲の履歴を反芻してむくむくと成長していくではないか
どうかね、これが今の人間製作の現状だ
風船と息さえあれば
いつ、どこで、なにをしながらでもできる
簡便かつ安心なことこの上ない
しかし、ではいったいその風船というものはどうやってできているのだろうか
そこは企業秘密じゃよ
どうしても知りたいなら
詳しくはウェブでと語って
創造主はQRコードを胎児の周りの星雲に隈なく貼り込んだあとで
秘密は公開しておくのが一番安全じゃからのお、とウインクをして
創造主は微塵に散りながらQRコードへとジニーエフェクトで融け込んだ

あなたはいつだって、そうだ、創造主
赤裸々があなたのポリシーだから
人よ、きみが触れるもの、嗅ぐもの、いや
食べるものも、それを噛み砕いて擂り潰すものも
わたしでないものなどない、と言いたげだがあなたは
言ひおほせて何かあると謙遜して
読み解かれるのを待っている大いなる秘儀、歌仙




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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして6(笑。


6曲目は「Adelic Penguins」だね。
ペンギンもさ、いろいろ繁茂してるよね。

一番目につくのはJRで働いているペンギンかなw
まずね、アデリックペンギンをググってみたね。

するとさ、アデリーペンギンはあるけど
アデリックペンギンって

でてこないんだよね。
で、アデリーペンギンでググると

命名したのは探検家で
奥さんの名前をとったと書かれている。

じゃあ、
たぶん、坂本も

「この曲、きみに捧げて書いたんだよ。
唯一の固有名詞を作って、Adelicというペンギンにしておいたから(はあと)」

みたいな気持ちでタイトルをつけたんじゃないかなあw
で、

その探検家は「デュモン・デュルヴィル」が苗字で
名前は「ジュール」らしいから

ジュールからの手紙という体裁で書いてみたので2作目の
「この海岸のペングウィーゴ」ですね。

で、この人、
「ミロのヴィーナス」も買い入れたとあるから

1作目の「アフロディーテ、今日の円盤は遠くまで飛びそうかい」に続きます。
高校の教科書に清岡卓行さんの「手の変幻」という文が載っていて

そこに写真も載っているんだけど
それさ、

とても美の女神とかっていうふうに見えないんだよねw
もろ肌脱いだ女性アスリートにしか見えないんだよね。

で、なにしてる、って
室伏みたいになんか投げてるのよ、

じゃあ、円盤投げたってことにしておくかということで
腕もろとも円盤を投げたミロのヴィーナスについての

1つ目の詩ができたわけw
3つ目は、

ペンギンの親子だね。
卵を温めて待つ父と魚をとりにでかけた母と

生き延びて寒さを耐えるために寄り添う群れたちとを
俯瞰で書いてみました。

ほとんどの人間は、
盲導犬やペンギンにみたないと思うよ、

彼らの健気さ、一途さをみていると(笑。



「アフロディーテ、今日の円盤は遠くまで飛びそうかい」<<<「エスペラント/ “Adelic Penguins”」

いよいよ、競技会だね、アフロディーテ
調子はどうだい
お父さま、もちろん、すこぶるつきの絶好調でございます
このわたくしよりも遠くまで円盤を投げられる者は
この地中海の島々を探してもいらっしゃいますまい
キュプロス島の手前までは飛ばす気でいます
頼もしいねえ、さすがの姉御肌だ
ゼウスはわが養女を称えてそう言い放つと
すぐさま、
では島の手前に船を浮かべて距離を測れるようにしておこうと
約束して姿を消した
アフロディーテは
邪魔だといわんばかりに上半身の服を脱ぎ下ろし
踏切台の手前で屈伸をくり返したかと思うと
遥か彼方を望んだ
利き腕もろとも投げる気でいるアフロディーテ

円盤の放擲とそれに続く腕の掩護、
地中海の紺碧の鏡面帯を推移するひとつの赤血球のような高速運動。
ゼウスは皿と腕とを掬いあげて
わが娘へと戻そうとしてやんわりと拒絶にあう
お父さま、
むしろより頑健な右腕をわたしに据え付けていただきとうございます
審判員は腕章を外して競技場をでるとすぐに
その姿を刻み込むべく大理石の調達にむかった


「この海岸のペングウィーゴ」<<<「エスペラント/ “Adelic Penguins”」

愛するアデリーへ

今日やっと海岸を見つけたよ
どうやら南極にたどりついたらしい
妙な生き物たちもいた
目の周りだけが白くなっているペングウィーゴたちだ
よちよち歩いているが
案外、怪力かもしれない
うかつに近寄るのはよしておこう
そうそう、海岸の名前には
きみの名前をつけることにしたよ

地中海よりも深い私からの愛をこめて
ジュールより


「まだ卵のなかにいるわが子よ、ともに待とうではないか」<<<「エスペラント/ “Adelic Penguins”」


まだ卵のなかにいるわが子よ、
ともに待とうではないか
われらの母の帰りを
母はでかけた、海へと
われわれを養うものを捕らえて持ち帰るために
わたしの体の重みが半分ほどになるころには
彼女は戻ってきてくれるだろう
われわれは揚々とそれを待とう
わたしはこの吹雪のなかで
そしてきみはその卵のなかで
わたしはきみを保持する
きみが適切な時期にこの世にでてこられるように
わたしはきみを包含する
きみが十全な姿形でこの世を享受できるように
われわれが
凍えまいとして輪になってお互いをあたためるハドルをさえも
蠕動する太極の陰陽とみるこの南極の
吹雪によって隔てられた
青空のもとで












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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして4(笑。


さて、じゃあ昨日の続きを書くかなw
4曲目は「Dolphins」だね、イルカ だね。

イルカといえば、
いろいろとイルカがでてくる有名な詩があるよね。

西脇順三郎でしょ、
谷川俊太郎でしょ、

で、フランス文学史を読んでいたときにみつけた
モーリス・ド・ゲランという

全く知らん人w
なぜこんなにイルカは

あちこちに出没するのかということを考えてみると、
イルカとは

極めて符号的なデジタルな存在なのではないかという気がした。
それは

動物の形態をとってはいるが
本質は、物質と符号との波間を泳ぐ量子的なものではなかろうか。

このような発想に、
西脇順三郎の

「少年は小川でドルフィンを捉へて笑った」に登場するイルカを、
高橋留美子なら

このあと、どう描くかを考えてみた。
「そそくさ」とか擬態語をはさんで少年とイルカが急に他人行儀になり

「では、役目が終わりましたので
僕はこれで失礼します」と丁寧な挨拶をして

イルカは
窮屈な小川に無理やり自分をおしこんで

「よいしょ、よいしょ」とイルカ。
「押そうか」と少年。

「いや、大丈夫です、なんとかできるので」と
イルカは

本性である矢印に戻って消えていく、というのを
詩で書こうとしたけど

それは技術的に無理っっっっwとなり、
インタビュー形式に切り換えました。

タイトルは、
コピペのショートカット操作で、

コマンドC、
コマンドVですね。

これでどこにでも
ぺたぺた貼りつけてますw

ディギトゥスはデジタルのもとであるディジットのラテン語ですね。
西脇先生に敬意を表して

突然のラテン語化を行ってみました(笑。




「⌘+Cからの⌘+V、海のディギトゥス」<<<「エスペラント/Dolphins」

(私は生まれたばかりで、深い水がそのただ中に私を抱いていたが、山の頂上に私を置き去りにしたばかりのようだ。まるで海の女神アンフィトリテの波によって流砂の上に忘れられた一匹のイルカのように。『ケンタウロス』モーリス・ド・ゲラン)

⌘+Cからの⌘+Vで、
一頭のイルカはどこにでもぺたぺたと神出鬼没に出現可能である。

海の女神アンフィトリテ、ひと波頂戴!
と瞬く間に、流砂の上にイルカ 登場。
来たのはいいけど、どうやって帰る?
いやいや心配ご無用、さすがに砂の上は勘弁でしょ。
でもそれも求婚をいやがった女性を
男性のもとに運んでしまったことの因果応報にすぎないのかもよ、イルカ さん。
でも、ま、許す、勝手に許す。
⌘+Xで取り外して、
じゃあ、覆された宝石さん家あたりにぺたりっ。

(カルモヂインの田舎は大理石の産地で/其処で私は夏をすごしたことがあった。/
ヒバリもゐないし 蛇も出ない。/ただ青いスモヽの藪から太陽が出て/
またスモヽの藪へ沈む。/少年は小川でドルフィンを捉へて笑つた。『太陽』西脇順三郎)

小川まで入り込んできて、あまりにも無思慮すぎるイルカ さん、
人間より賢いとみなされながら知性を疑われてばかりのイルカ さん、
ひょっとして大理石が柔らかいのは
イルカ さんたちの変化した姿だからですか、
あの肌理の流れは流水力学の余波なのですか、
それにしても、少年の捉えたイルカ さんは
「伊東に行くならハトヤ」のCMのぴちぴちハマチにしか思えないのが困りものです。
で、少年に捕獲されたイルカ はそのあとどうなるのでしょうか、
現場でイルカに凸撃インタビューしてみました。
-で、これからどうします。
どうするも、こうするも、人間の子供というものは
無垢にして残虐な天使の獣、三十六計逃げるにしかず。
-で、どこへ?
存在と非存在の隙間を縫って泳ぐ海のディギトゥスとして
量子の波を測量することに努めてみたい。
-ということは?

(いるかいるか/いないかいるか/いないいないいるか/いつならいるか/よるならいるか/
またきてみるか/『いるか』谷川俊太郎)

隠れたがるものイルカ、
それでいて
迂闊にも捕らえられてしまうものイルカ 、
それでいて
身を翻して消え去るものイルカ、
それでいて
波の揺れだけを残していくイルカ 、
それでいて
そこにいてと願われるものイルカ
それでいて
空に似てと仰がれるものイルカ
それでいて
大理石から切り出されてしまう生イルカ
イルカ 、見つけた!
残念、もうそれは僕じゃないよ、
スモモの種に宿った粒々の太陽さ、
流砂-salut-salut。









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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして3(笑。


3曲目ですね。
「A Rain Song」、「ある雨の歌」ですかw

これは、冒頭から鳴っている音を雨音として聞くという
原始的な手法で発想したので、

「額縁 / 寡雨」というタイトルになってます。
少ない雨となったのは、降り止んだりするからですね。

このころは、日本の古代語に関心を持っていた時期で
日本は、縄文時代、全面的に現代の東北語であり

関西の弥生語で分断されたのである、的な主張を読んで
さもありなんと納得しておるころです。

雨もかつてはamyeと発音されていたのではなかろうか、とか
[a]という音は、

振り仰ぐときの首の動きと連動して
発せられた音ではなかろうかなどと妄想しております。

「氷ボーイズの転落と滑走」では
雨となって雲から降りる水滴となってみました。

雨は雲から離れたときにはまだ氷のままで
途中で雨に変わるということだったので

融けるって、どんな気持ちなのっっっというあたりの
興奮を綴ってますね。

さすが、縄文人、
無邪気やのぉぉぉぉぉぉぉ(笑。



「額縁 / 寡雨」<<<「エスペラント/A Rain Song」


間断なく降り注ぐ驟雨よ、機能にすぎない悲
嘆の解凍よ、感情に額縁を表具しては走り去
る雨滴の群降よ、なぜわれわれはそれをただ
<雨a-me>と呼び、<天涙ama-nami>と呼ば
ないのか、<天目ama-me>と呼ばないのか、
<雲水kumu-nu-miju>と呼ばないのか、豊饒
の予告となるには稲はまだ赤道近くでのみ植
わっており大陸にも到来せず、この地にては
まだ木の実を拾って食する時期から人々を濡
らしてきたものよ、その記憶を蔵しておきな
がらまたその更新へと勤しむものよ、ここで
降り、溜まり、流れていくものよ、それを手
に取り舐めて確かめる、履歴の
√(顆粒)2√(下流)2


「氷ボーイズの転落と滑走」<<<「エスペラント/A Rain Song」

もう十分に重くなったので氷ボーイズが雲陸を離れようとしている
準備オッケー?/オッケー、オッケー/こっちはもういつでもいけますよ/
じゃあ、いくか、それ、/ダイブっっっっ/
深いねえ、今日はまたずいぶん流されるねえ/
それがいいんじゃん、楽しみが続くってことよ/どこへ行くかきめてるの?/
行ったところがきまってた場所ということで/それでオッケー?/もちろん、それがオッケー/
おおお、きたよ、融けてきたよ/ほどけてきたよ、この感じ/
やっぱり水はいいよね/速いしね/つるつるすべっていくところが、だよね/
写真、撮るか/はいチーズ/ピース/そのピース、いまどきは口の横じゃなくて
頭の上にするのがいけてるんだってよ/まじか、知らんかったわ/情弱かよw/
それな/ていうか、もうそろそろじゃね/あ、/あ/、、、、

     ぽつん、、、、   、、、、、、  、、、、、、

[a]
[a-me]、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、




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需要なんて気にしていたら詩なんて書けないけど、解説なんかつけてみたりして2(笑。


2曲目は「The "Dreaming"」ですね。
これもオーストラリアで、ドリームタイムとか

夢見の技法のことでしょう。
なんか車座になって

語っている部族の方々というイメージが
浮かんできますよねw

睡眠と夢とは
繊細すぎる境界なので

個人的にはあまり触らないようにしている。
そこ、いじりすぎると

神経の鞘が壊れそうで怖いw
一つ目の「蟋蟀/快眠」は

こおろぎの虫の音から発想した、と思う。
最初の方で、現代人をディスっているのは

現代人がもはや人間に見えないという
縄文人的感覚です。

「これ、人間じゃないやろ、
通貨に手足つけただけやろ、

わっ、話しよるでw」的な驚きを記述してみました。
2作目「アンクルン、竹のトレモロ」では、

睡眠中もずっと覚醒している
大いなる自己への道標として

インドネシアの民族楽器アンクルンが登場しています。
しょーじき、

読み返すまで全く忘れてましたw
意識と無意識とのはざまで書いているからねえ、

自分にとっても未知なる領域なわけですよ、
これらの記述はw

3作目「叡知/間奏」は、
瞑想するアボリジニのイラストに触発されたものですね。

男性のアボリジニは歩行中、
瞑想したくなると

杖によりかかり
片手で片鼻をふさいで呼吸し、

片手でき●たまを隠した姿勢になるそうです。
おおー、

ソクラテスがオーストラリアにいたら
必ずそうしたに違いない!

ということで、
語り手はローブを脱いで

ひげを黒くして
髪がもじゃもじゃの

腰紐だけで歩き回るソクラテスです(笑。



「蟋蟀/快眠」<<<「エスペラント/ The “Dreaming”」

人よ、もう疲れたであろう
疲弊と心労と渇望とでもはや擦り切れた通貨にすぎぬではないか
人よ、霊長類の階段を降りてきて
金属と数字の峡谷で煮炊きする原人よ
かつて人であった者たちよ
秋がきてわれわれは奏でる
永続する争乱の中で斃れてなおもまた蘇り
永続する武者たちの累々からまたも蘇る武者たちの
健やかな揮発/快眠のための手向の清浄
凛、凛
凛、凛

「アンクルン、竹のトレモロ」<<<「エスペラント/ The “Dreaming”」

眠ってはならぬ
われわれはつねに目覚めておかなければならないのだ
眠りのなかでも
目覚めていなければならない
われわれが腕を伸ばせば
そこにいつも座っているわたしのために

だが眠ろうとしては眠れないように
眠ってはならないとすると眠ってしまうことになる
眠ってしまって、そこから起きようとしても起きられない
眠りは階層になっているから
ハンモックから落ちるようにまたその下の眠りに落ちる
私は今日夢をみた、という夢をみた、という夢をみたという夢から覚めるには
ひとつずつ階梯を登っていかなければならない
今日は今日ではない、今日と呼べばすぐに今日は凝固する
今日を今日と呼ばずに綿毛と呼び、ひとつ登る
夢をみたというと夢はすぐに失踪する
夢が語りたいことを聴くために夢を抱卵して、ひとつ登る
私を私と呼ぶと私はただちに安眠する
私と呼ばずに私を呼ぶために私は自分の名前を呼び、ひとつ登る
アンクルン、アンクルン、
竹のトレモロがつくってくれた細道のなかで
この迷い子を見つける、ひとかたまりの蠕動を


「叡知/間奏」<<<「エスペラント/ The “Dreaming”」

空は雲を抱いているときにわれわれに近しくなる
雨がなければわれわれは雲を呼ぶ
苦境にいることを知らせれば雲はくる
われわれが苦しみに値しないことを知っていれば
雲は兄弟だ

あの空のむこうになにがあるのか知りたいのかね
輝く石が姿を隠すとき
あれを焚き火として生きているまたべつのわれわれがいる
われわれとちがうかたちをして
われわれとちがう歌を歌うわれわれだ

ちがうことを恐れなくていい
たちどまり、片鼻をふさいで呼吸するだけで叡知は訪来する
われわれと呼ぶ身体もまた雲であり、雨であり、歌である
叡知の間奏する
雲の腕、雨の脇腹、歌の下肢





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