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人間は、よりよき生を生きるべき? いやいや、おっさん、余計なお世話やろ(笑。


ソクラテスについて考えるのは、
人生で二度目だが

前回は
二択による問い詰めがいけないのではないかと思っていた。

しかし、今となっては
若者にむかって

「よりよい生を生きるのが
 ほんとうの生である」という

右肩上がりの思考をおしつけることが
そもそもいかんと思えてきた。

人はな、それぞれのペースがあって
それぞれ学んでいるのよ。

同じ間違いをしているように見えたり
ダメになってるように見えたりするのよ。

ソクラテス、
あなたも次の人生では

そこいらへんもわかったほうが
いいかもね(笑。



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そうそうそう、オレも常々ね、日本人に対して違和感を感じていたわけよ(笑。


日本語を話して、日本人の顔をしてますが
オレは

日本人に対してずっと違和感あったわけよ。
だから、自分で

オセアニア人だと定義して
日本語系オセアニア人だと思ってたわけね。

で、この動画を見たら与論島のひとを
「フィジーの人でしょ」と言うわけよ。

だよね!
オレもそう思ってた。

いやあ、嬉しいわ。
オレの持っているいろいろな観念と性格は

オレという個人を超えて
ここいらへんに集まっているものなのよ。

オレはその、ごく一部なのよ。
だからそもそ構造主義なのよw

オレは
心が純粋すぎて、従順すぎるので

生きるのが大変でした。
でも、ま、しょうがない、

東京に出たフィジー人だから(笑。







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勉強のモチベは、たどりつけるという確信だったのか!(笑。


最近は、起きたらすぐ
フランス語を勉強するようにしてるんだけど

今朝は、
「そう言えば、複合時制と英語の現在完了は

似てるという話だったな」というのを思い出し、
「複合過去 現在完了」で検索してみた。

そしたら、
「8時制は単純と複合を左右に分ければ

複合でつかうのは、単純のエートルとアボワールの活用ですよね」
と書いてあるブログを発見!!

おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
そーゆーことかいっっ!!

じゃあ、
なにをさておいても

エートルとアボワールを
おぼえりゃあいいっちゅうこっちゃな、

はやくいってよ(笑。





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オヤジ、深呼吸よ、そうよ、そうそう(笑。


もう90才を超えてるウチのオヤジが
先日、血中酸素濃度が低いとかなんとかで

救急車にきてもらって入院したのよ。
昨日、無事、退院できたけど。

で、救急車を呼んでもらってるときに
九州とちょっと距離はあるけど

オヤジの意識体に話しかけたのよw
オヤジ、あんた、からだが熱いんで

呼吸が短くなってるんじゃないの。
もっと腹から、ゆっくり息、吸って。

オレにあわせて、はい、
すっっっっっっっ、

はぁぁぁぁぁぁぁ、
すっっっっっっっ、

はぁぁぁぁぁぁぁ、
そうそう、そうよ、ゆっくりよ。

すっっっっっっっ、とかなんとかすること
十数分、

あ、そうだ、天使さまたちに応援たのもう、っとw
ウチのオヤジ、たのんますっっっっっっ。

はい、これでベストは尽くした。
あとはオヤジの底力にまかせた、

頼むぞ、オヤジ!
ということで

今回は乗り切れたらしい。
各方面の守護者のみなさん、

ありがとうございました。
自分のことでは感謝しないけど

素直に言えました、よしよし(笑。


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健康本は、約款のすきまをさぐるように、疑いながら読むよ、もちろん(笑。


これは「リンパ至上主義」の本だな。
どれどれ、、、、

ホントかよwと言いながら
試したりはしない。

そんなにお人好しじゃないもん(笑。


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いや、そもそもなんで神さまがそんな小屋みたいに狭いところにいなくちゃいけないのよ(笑。


神社の写真見てると、さ
神さまは神社の中ではなくて

外の広々としたところで
のんびりしてらっしゃる気がする。

巨樹をいたわったり、
森を鼓舞したりしながらね。

神社は、
そうだな、門番みたいなものかな(笑。



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恐い、分かりすぎる自分が恐いのパート2(笑。


もうだいたい100年ぐらい、みんなで
ランボーの詩を読んできたと思うんだけど

「永遠」ってやつ、
いまいち、よー分からんよね。

「海にとけた太陽が永遠」ってところが
わからない原因なんだけど、

これ、さ、
ランボーとヴェルレーヌの会話に聞こえるんだよね。

「わかったよ!」(ランボー)
「Quoi? なにがだよ」(ヴェルレーヌ)

「落日とか日没とかぼくらが呼んでる日毎の感傷的な出来事さ、
それを永遠と呼べばいいんだよ。

そしたらもう、惜しまなくてすむよ」(ランボー)
こんな会話。

で、これをどう翻案したらいいものかと悩んでいる。
ひとつ分かれば、ひとつ悩む。

それが人間かのぉぉぉぉ(笑。






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えぇぇぇぇぇぇ、分かってみたら、そのままやんけ、デュシャン(笑。


なんでデュシャンがわからないのかな、って
ずっと考えてて

「網膜的な美」というものを
だからといって捨てることはできないし、

困ったなあ。
1911年にマティス を見てから

路線が変わったっていうけど
マティス もあのあたりだけだからね、

冴えてるのw
そりゃあ、圧倒されたと思うけど

なんであの「大ガラス」というものが
でてきたのかが、謎、、、、、

と思っていたら、
これ、さ、

「階段を降りる裸体」のキュビスム的彫刻化なんじゃないの?
つーか、

そのまんまじゃん。
なにも謎なんかないじゃん。

どこが謎だったのかが、謎w
ひょっとして、「さえも」かもしれないが、

それは「大ガラス」=「大鴉」=nevermoreの
ポー的反響にすぎないんじゃないの。

恐い、
なんでも分かりすぎてしまう自分が恐い(笑。



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高齢化するとは、肉体が加齢するというだけではないんだな、わかった、ありがと(笑。


一人暮らしの老人に
弁当を配達する仕事をしていた写真家の写真集。

これを見ていると、
高齢者になるということは

どういうことかがわかる。
それは、

身体の不自由部分が増殖してくるというだけではなかったのだな。
なぜ、このひとたちが

高齢者に見えるのだろうかと思ったら
それは、

部屋なんだよ。
部屋が高齢者の部屋だと感じさせるわけ。

で、それは部屋のなにかというと
近くに存在してはいけない物質たちの隣接する共存なんだよね。

たとえば、
敷布団と新聞紙と弁当、とか。

本来ならば
重なりあってはいけないものが近接していると

それを
近くにおいておくのが便利だからといって

寄せ集める引力にさからって秩序立てる力の減衰が
高齢者だと感じさせるわけよ。

老いは
人体よりもむしろ住居環境のほうに出現すると

われわれはそれを過酷だと思ってしまうようだな。
そうか、、、、、

ということは、
片づけができるうちはまだ若いということで

いいかな、人生の先輩っっっ(笑。




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自己解放月間が近づいてまいりましたっっっっ、じゃあ、なにやるかな(笑。


そろそろ2月も半ば、
受験の大勢が不可視ながらも

予想ついてくるころじゃないすか。
もうあとは着陸するだけっすよ。

ということで、
新年度の3月からなにするか、したいか

そろそろ方向性を決めておきたいところっす。
去年は、

慶應通信のテキストを買って
ほぼ大学1年生レベルをリハビリしたから

今年はもっと鍛えてもいいかもね、ということで
放送大学のパンフを取り寄せてみましたっっっ。

べつに単位取って卒業しようとかじゃないから
モチベ維持費用という感じかな。

で、先生から
生徒になるっす、

自分の(笑。




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