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すっきり

日曜だーっ。

よくねた。
8時間寝ると、こんなにもすっきりするものなのか。

夢はすごかった。
「死ぬ」と墨でかかれた手紙。
「きみの病を得て、わたしは死ぬ」と
書かれている。

ぼくの病気を引き受けて
なくなってくれた夢の人に黙祷。

サウンドハウスからきていたメールが
NAMMの特集だったので、熱中してしまった。
インディアナ州って、落ち着いた雰囲気なんだね。
古いアメリカは、敬虔な感じがして好きだな。

ぼくは
淡々と明るく受難に耐えているようなものが
好きなのかもしれない。
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宿題

夏期講習で疲れてきたので、
「動詞の活用形を見分けるときの、下につく言葉を
どうやって覚えるか、覚え方を考えてきなさーい」と
いつもと違う宿題を中2生にだしてみた。

ちなみにそれは
未然形・・・ない、う・よう
連用形・・・ます、た、て
終止形・・・。と
連体形・・・とき、こと、名詞
仮定形・・・ば
命令形・・・!
というもの。

そしたら、彼女ら、こんなストーリーを考えてきた。

未然形・・・「うさぎがいないよう」
そして、飼育係のみんなはうさぎをさがしに行く。
ある家で、でてきた人は。
連体形・・・「ますだです」
ここにも、うさぎはいなかった。
もう夜もふけたというのに。
そしたら、ますださん、
終止形・・・「とまる?」
親切にも聞いてくれた。
翌朝、ひょんなところからうさぎがみつかったが、
一日のうちにうさぎは年老いていて、
仮定形・・・「ばばあ」
命令形・・・「びっくり」

藍より青しの生徒たちに、
完敗でした。
時よ、
おれにもこんな無垢な情熱をくれーーーっ!
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寝るまえに少しのジャズを

寝るまえに少しのジャズを
耳にちびちびと飲む
忙しさゆえにかきけされようとした一日が
出会いの場所に変わる
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日差し

夏休みに入ったので、
朝型人間の仲間入りをさせられている。
時差ぼけのように、眠いし、
冴えている時間帯が少ない。
もっぱら屋内で過ごしているし。

ところが今日の昼、
台風一過の快晴の空の下を歩いたら
おれのなかのDNAが目覚めた。
「起きろーっ」と青空がいう。
「起きたよーっ」と細胞たちがこだまを返す。

肌を焼かれる感覚と
爽快さとが結びつくのだな、おれのなかでは。
よし、暑い夏よ、来い。


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グラント・グリーン

グラント・グリーンを一曲聞いてみた。
あれっ、新鮮。
小難しくないじゃないか、このジャズ。
いいかも、いいかも。
ギターがフレーズじゃなくて人の声に聞こえるよ。



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愛する人に愛されて

歌詞の一部が浮かんだ。

「愛する人に愛されて」というもの。
で、どうなるの。
さあ、どうなるかは
言葉に聞いておくれ。
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頭髪はなぜ少なくなるかについての推論

うちの息子も、
「頭髪がおやぢに似ないように」とけなげにも祈っているので
遺伝と個人環境の関係について
じゃっかん考えてみたい。

そもそも、おれだって
昔からうすかったわけではない。

大学卒業までは、
当時の流行にのっとってきちんと長髪にしていたんだから。
スティーブン・タイラーの写真をもって美容院にいったり、
ブラックにあこがれてアフロっぽくしてもらおうとしたら
ちびくろサンボみたいになったりなんかしながらも、
髪は健在だった。(きっぱり)

大学4年のときには
ツルンツルンに剃り上げてもらったこともあるが、
これはべつに薄毛にあこがれていたのではなく、
ランボーを読んで、自らを省みた結果、
ぬるい生き方を改めようと決心したからにすぎない。

そのときにみた自分の頭の格好は、
ユル・ブリンナーみたいで
なかなかいいかたちをしていた。

そしてさらに
大学卒業後にもう一度剃ったときにも、あたまの形は
変わっていなかった。

しかーし。

いま、自分の頭を触ってみると、
頭頂部が平たくなっていて両端がふくらんでいる気がする。
つまり、
頭頂部が横に広がっているのである。

それだけではない。
頭が、物理的に固くなっているのである。
そんなことがあるのだろうか。
鳥の卵ではあるまいし、
頭が経年変化を遂げて硬化するということが。

ある。

悲しいことだが、そのような現実があるのだよ。
きみの哲学では計りしれないできごとが。

固くなるということは、骨の硬度があがったというよりは、
かつてあった緩衝材がなくなってきたからではないかと思うのだ。

あ、もう日曜出勤の時間だから
でかけなくっちゃ。
じゃ、続きは帰宅してからまた。


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わたしの曲作りその2

探してみたら、ありました。
「ぼーぼーぼー」の歌詞。

たしかに一度書いた気はしていたんだよな。

「ぼーぼーぼー」

恋はおおきな磁石
きみがぼくのどまんなかに眠って
世界地図がムンクみたいにゆがむ縮尺

ぼくは微力な孔雀
いいたいこともいえないままで悶々すること多い
どちらかといえば体質虚弱

失恋を乗り越えて
片思いを越えて
たどりついた君はさだめのひと

君とならじんせーぼーにふってもいい
君となら大根さげて歩いていい
君となら許せる 君とならくらせる
じんせーぼーにふりながら
ぼーぼーぼーぼー

ま、サビのところはいいとして、
そこまでのところが
いかにもとってつけたようでイマイチだね。
イマイチな歌詞はメロディを呼んでくれないんだよ。

書き直す必要がある。
こういう時には、どうやって
書き直すかといえば、
サビを頭において、
その続きを足すみたいに書くとうまくいくことが多い。

たとえば、
こうなる。
「ぼーぼーぼー 2.0」

君とならじんせーぼーにふってもいい
君となら大根さげて歩いていい
君となら許せる 君とならくらせる
じんせーぼーにふりながら
ぼーぼーぼーぼー

おれ、いーよ。
きみが、いーよ。
妥協いっさいなしでそう思う。
きみが光ってみえる。
オーラのナイアガラみたいだ
どうしよう、おれ。
なにしよう、おれ。
なぜとはしらずきみにつきまといたくなる。

で、ここにすこしなにかはさんで、またサビってところかな。
ではまた続きは明日。

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新曲創作過程1

そうだ、連載ものをひとつやってみよう。
ナイス。

作業日誌の名前が最近形骸化してしまったので、
原点にもどって、
「わたしはこのようにして曲をつくっているんです」という
現場中継をおおくりいたしましょう。

7月の創作目標の2曲は
「Grand Funk Kiss」
「ぼーぼーぼー」の2曲。
前者はいちおう形ができているので、
後者に着手してみましょう。

「ぼーぼーぼー」は
イメージ、ラテン。
サンバかな、リズムは。
サザンみたいなしあがりの予定。

で、まずは歌詞を作って、全体像を考えることから。

いまある部品を集めてみると
「きみとなら人生、いっしょに棒に降ってもいいー」
「たどりついたきみはMy運命の女」
これだけではさみしいので、
いままで書いた部品の中から
似たようなシチュエーションのものを選んでくる。

どれどれ。ちょっと探してみるか、
というあたりでまた明日。

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道は開ける

きのうはアップしたと思った記事が見当たらなかったので
にたような内容で書き直してしまった。

すみません。

最近の就寝前の読書には「道は開ける」を
読んでおります。

これ、原題は全然違うじゃないですか。
「How to Stop Worrying and Start Living」
(直訳:悩むのをやめ、生活を始める方法)

「道は開ける」っていうと、
なんか自動ドアみたいにおもえますよね。

つるつるつるっと、レッドカーペットみたいなのが
のびていくイメージ。

たとえばこれを「道を開く」としたらどうだろう。
だめですね、日本語では道は開くものではありませんからね。

「道が開けてきた」というのは、苦境を脱する方法が
おぼろげながら分かってきた、という意味で使いますね。
しかも、だれのものともはっきりしないひとのおかげで
それが可能になってきたというニュアンスですね。

修行系ではなく、念仏系。
成功哲学と念仏とが合流する場所なのか、
「道は開ける」。
ま、もうしばらく読み進むとしよう。




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