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曲解説リプライズ(うしっ!)

■人生はいつから、「デカくてなげー」ものになったんですか。

人生ってさ、
耐えるものだと思ってたんだよね、ずっと。

打ち込まれても替えるピッチャーのいない
少年野球のチームみたいに、

だだひたすら、なすすべなく
ながーい守備の時間を過ごすしかないと思ってたんだよ、

なんでかって、
オレ、自分のこと善人だと思ってたからさあ(笑)。

人生が楽しいはずがないと思ってたんだよ。
でもよく考えてみたら、

死んでも死んでも
この世に生き返ってこざるをえないいのちなんでしょ。

沈めても沈めても
ぷっかぷっかしょうこりもなく浮かんでくる瓢箪みたいないのちなんでしょ。

だったらさ、一回ごとの人生をこそこそ正しく生きたって
しょーがねーんじゃねーの、って気になってきたんだよね。

なんで、善人が早死にするかっていうと、
それは無理してるからなんだよ(笑)。

無理して善人やると、
きっと反動がくるでしょ、リバウンドがね。

そしたら、また次の世では
こらえ切れず好色がにじみでてしまうかもしれないじゃん。

だから、
おれは分かったの、

人のいのちというものは、
10年単位で考えてはいかん、

100年を10回やったぐらいで
もう1000年経っちゃうんだから、さ。

で、たぶん、
そのはじめと終わりは赤ん坊とじじいで

はいつくばってるから
つかいものになんねーだろー。

で、真ん中当たりは、
女と金にはいつくばってるから使い物になんねーだろー。

いったいいつ人間は正気になってのよ、って考えると

正味のところ、一生のなかで進歩できる時間なんて
10年ぐらいかな、5年くらいかな。

100対5だから、
消費税ぶんくらいは前に進むってことかもね。

だから、
1000年単位くらいで考えるとちょうどいいね。

逃げも隠れもする気がしなくなる。
自分に正面から立ち向かいましょ、って気になる。

だから、
振り逃げや外野フライの犠打で打席を終わらず、

ぜったいオレはヒットを打って、
次の打者に回すって決めたときから人生がデカくて長くなったんだよ。

ま、次のバッターも
オレなんだけどね(爆)。

時間って、伸びたり縮んだりするよね。
楽しいときには短いし、退屈なときには短いし。

■温泉が好きなんですか。

入浴というものが好きになったのは、
ここ10年くらい。

それまでは、風呂に入るのが好きじゃなかった。
だってさ、風呂に入ったら一日が終わっちゃうじゃん。

風呂はいってさ、ああ、いいお湯だったねえなんて
くつろいだらさ、もう、一日を諦めてるみたいじゃん。

だから、ねばって、ねばって、
フトンに入っても、まだ

未練たらしく本読んでて。
電気つけたまま寝てたりさ。

でもいまは毎日はいるよ。
必ず。

温泉いくほど優雅な生活じゃないから、
息子とスーパー銭湯に行くのがオレのなかでは温泉気分。

歌の中の「郷土料理、今日も大盛り」っていうのは、
温泉宿では、きっとそうなんじゃないかなという妄想。

先輩でペンション経営なさっている方がいらして、
いつかそこに泊まりにいくかーとも思ってるけどさ、

オレ、きっと宿にいっても
リラックスできないよ、宿に気ぃつかっちゃうから(笑)。

それで、あー、疲れたから風呂はいるかって、
温泉に入るの(爆)。

■希望の街はどこにあるんでしょうか。

そういえば、この歌の歌詞は
プロデューサーから手直しがはいって、

ヒンズーっぽいところは全部
置き換えてあるんだよね。

1 プロトタイプでは、
「希望の街はあっちどっち、ガンジスの彼岸此岸で」

これがCDでは、
「希望の街はあっちどっち、少年よ迷ったら跳べ」

2 プロトタイプでは
「死にたくなったら牛丼でもどうよ」

これがCDでは
「ミラーボールで牛丼でもどうよ」

と、書き直したよ。
こうやってみてみると、

直した方がやっぱりよくなってるね(笑)。
ひとの意見もきいとくもんだね。

でも、ねっこの牛はそのままなのにっっっっっ(笑)。
「希望の街」という言葉は

そのまま、綿内克幸サンの
歌のタイトルでもあるよ。

  ここね
   ↓

http://blog.goo.ne.jp/fsp2005/


■なぜ、牛なんですか。

よく聞いてくれた、
そこなんだよ。

なんで、牛なのか、
というか、なんでオレ、こんな曲つくっちまったのよ(笑)。

たしかに以前にもね、
動物の歌を作りましたよ。

いぬ派なのに、なぜかねこうた。
ねこちゃんのお歌をねえ、作りましたよ。

ええ、ええ、猫の輪廻を
短くして、「ねこりん」というタイトルで。

しかも、正式タイトルにはこれに、
絵文字まで入っているからねえ。

ねこうたシリーズは実はひそかに続いていて、
その後も「猫背女」という歌も作ったし。

でも、人前では一回も歌ったことがない。
たぶん聞いたことがある人も

この地球上で100人もいないと思う(笑)。
不憫な歌だなあぁぁぁぁ。

あ、そうか、
牛の話だったなあ。

じゃ、また
明日この話題を反芻してみようよ(爆)。

■もぐもぐ、なぜ牛でしたっけ。

もぐもぐ、そこだよ、
そもそも作りだしたときには、

これは「うしっ!」というタイトルではなかった。
むしろ、うしのかけらもなかった。

ただ温泉はいってのんびりして、
リラックスしようぜーみたいな歌だったんだよ。

その名残がサビの後半で
「気合いいれていこ、入れ過ぎたらひっこめ、

 よくかんで味わおう」という歌詞に残ってるよね。
ここだけ読むと、ふつーだよね。

そのふつーが、オレの癇にさわったらしいね。
なんだ、この微温な歌は、って感じで。

おいおい、もっとなんとかしろよってことで、
かけ声をいれるようにしたんだ。

それは、気合いってところから連想して
「押忍っ!」っていう極真っぽい表現だったんだけど、

なじめなかったんだなあ(笑)。
オレはやっぱ、文弱の徒だからさ(爆)。

そこだっ、そこでね、
ゆるいけれど気合いっていう中和点を探していたら、

それはあった。
どこに。

自分の口癖に(爆)。
オレね、「よしっ」っていわずに、

「うしっ」っていってるのね、
無意識のうちに。

で、もう、この際だから
ひとのいろんな口癖で歌を書いてきたけど

自分の口癖でも書いちゃえ、って思って
うしっ(よしっ、っていう意味ね)、これも牛の歌にしちゃえ、ってことになったのよ。

そしたらあとは早かったね。
「偉大なるもの牛、野良犬、野良猫、野良牛」なんていうフレーズもでて、

聖なるものにして俗なる牛、
それそれ、まさにオレが望んでいるものは、それっっっっっっっっっっ、

っていう感動とともに
「乳出していこ、智慧出していこ」というニューエイジなフレーズや

「できないことは頼も」っていう他人任せなフレーズが
搾乳のようにあふれてきたんだよ。

楽しいねえ、
アーチストであるということは。

■さらにかみかみですが(笑)。

これね、プロトタイプよりサビの回数が
増えてんのよ、だから、別のサビを作ろうと思ったの。

うーん、何にしようかな、って
悩んだら、とりあえず愛でしょ(笑)。

だから、「愛あげていこ,うしっ!」は、まあ、
すぐできたんだけど、

つぎになにをあげようかな、
愛のつぎにあげるもの・・・・、

勇気なんかあげちゃうか、でもそれじゃ、
ジャンプコミックになっちゃうし、

愛、たくさんあげたいんだよな、
じゃ、「愛あげあげでいこ、うしっ!」

しょーがないなあ、じゃあ、
つぎは「愛あげあげあげ」だよねえ(笑)。

で、いい具合に仕上がったんだけど、
歌いにくいんだなあ(爆)。

いちおー、練習したんだけど、
かみかみが直せなくて、

気になる?
まあ、あんまり気にかけないでさあ、

だって、
そこはみんなで歌うとこだから(笑)、

みんなは、
かまずに歌ってくれよ、って

結局は
ひとだのみかいっ。
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