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事件ではなく

ぼくらは事件とのその結末を求めて
小説を読んでいるわけではないんだよね。

事件というものは、事柄的に起こるのではなく、
青島くん的にいえば現場で、つまり、

文章上で起きているんだよね。
起き続けているんだよね。

だから、読み進むのであって。
では、漱石の文章ではどんな事件が起きつつあるのか。

事件ねえ、
事件と呼ぶのかなあ、それを。

もっと違う呼び名にしてみよう、
劈開か、ちょっとなんか血でそうか(笑)、

開封、それはちょっと贈与物っぽいか、
おお、開錠、これはどうだ。

開錠、あるいはたこ焼きのイメージで
転焼なんて語はどうだ。

ちょっとねー(笑)。
錠だと、なんか、

普通は禁じられている危険物置き場という気がするよね。
そうじゃ、ないんだな、もっと明々白々な放置なんだ、

文章は。
それはなんと呼ぶのかな。
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猫をすこし

夏目漱石全集より、
「猫」を少々読みました。

この猫は「ルドルフといっぱいあってな」の
ルドルフと似てますねえ。

もちろん時代はルドルフがあとだけど。
漱石の小説の中には、

上下関係というものが
登場するんだよね。

見識が肯定される関係としての
上下関係。

それが教師という職業に
象徴されるのではないだろうか。

では、坊ちゃんは
なにかを肯定されたかったのだろうか。

それは、清?


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