シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

Nov4

2009年11月04日 | 日本90's~
本年はいろいろと苦難続きの日々。
今年になってからは、自律神経がストレスにめっぽう弱くなってきてる。めまいや頭がフーッッとなることがしばしば。焦点が定まらなくなったり。
一応この症状をここに記録しておくとして、何かの時にこれが「ああ前兆だったのですね」とかにならないようにはしないといけません。。。

さて、毎月読む音楽雑誌は4誌。
そのうちレコードコレクターズはまあ楽しく読めるのだが、ミュージックマガジンは読むと大体しんどい思いになる(じゃあ読まなければ?なんて揚げ足とりは控えていただくとして)。
ミュージックマガジンはややアカデミック革新ベースの最新のポピュラー音楽の紹介と批評誌。
その評論や方法などにはいろいろと賛否もあるかもしれないけど、総じておおまかな音楽世論的なものは一覧できるように思う。

今年は2009年なのでいわゆる00年代が終わる。
この10年の音楽の流れのなかで、まあ散発的にいろいろなことはあったと思うが、過去のように劇的に10年ごとに括りができるような風にはならなかった。みんなそう思ってる。そもそも10年ごとに区切りを入れてきた経緯自体もそろそろ検証されないといけないのかも。

ただし気がついたら大変なことになってたことは少なからずあった。
まず日本でも歌謡曲へのブラックのエッセンスが定着したことだ。
自分の経験上では宇多田ヒカル以降のことだと思うが、ここまでになるとは思わなかった。

そして、コンピュータベースの制作に関して、PC自体のハード、それにともなうソフトについては驚異的な進化を遂げた。
10年前、MOディスクがこんなに早く追いやられるとは誰も思わなかっただろう的なスピード感だ。
で、ネットのブロードバンド化は音楽のデータ観と相まってリスナーの根本的な部分までを揺るがす現状になってしまった。10年前はこんなことになるとは夢にも思わなかった。
今や自宅でマスタリングまでできるし、そうやって作られたものが Perfume みたくに武道館にさえ流れることもある。

さて、ミュージックマガジンをみて不安な気持ちになるミュージシャンは自分に限らず多いことと思う。
他人にとらわれず自分のしたいことをやればいいと、そう言ってしまえば話はそれまでだけど、しかしそう思いこみながらもどこかで誰もがやや不安な気持ちと同居しながら音楽をしているものだろう。
そもそも音楽は進化するものという戦後ミュージシャンの発想と感覚、この枠組みから脱却することはなかなか難しい。

たぶん古代文明が滅びたように文明・文化は進化もし、後退もする。
そもそもなにを持って進化・後退というのかさえよくわからないし、文化に進化・後退という概念を持ち出すことがおかしいのかもしれない。つまり音楽は進化するという発想そのものがインチキだったことになるし、そもそも「進化」することが「良い」というわけでもない。特に「進化」というのはまさに近代資本主義下の思考であることはすでに周知の事実である。

2000年ころにポストロックの時代が来たと言われたことがあったし、そういう音楽をみんな好んで受け入れた。
しかし、それから十年たってようやく本来の意味での「ポストロック」の時代がやって来た。
ポストロックとは狙い・志向・ジャンルだったでのではなく、あくまでも現在のようなテクノロジーと音楽、いわば身と心のバランスが、その急激な変化についていけない、そんな「状況」を指すことばだったのだと、誰もが気付いてきた。

今まで音楽自体の感覚は進化していたのではない。進化していたのは音楽を取り巻く機材だけだったのだとあえてそう吐いてみる。
60年代の音楽が総じて一般的に好意的に感じられるのは、人間と機材のバランスがちょうど良かっただけなのかもしれない。
現在をスタートととして、なんとかこのポスト状況から逃げない。
せめてこれくらいはミュージシャンとしてはもっていたい感覚だろうと思う。

この十年はまったく音楽が世代交代したという感覚はなく、それぞれがマイペースに活動を続けているという安定した状況だったと思う。だからこそ逃げられないと思う。



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