シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

Universal Soldier

2011年11月30日 | 日本90's~
先日、山口2デイズを終えたクリテツさんが帰京された直後のボーッとしてた自分のもとに、とんでもない訃報が入ってきた。
TRASH-UP!! Vol9でのシノワの長編インタビューのインタビュアーで、シノワのトラッシュアップ掲載に尽力してくれた、ユニソル山本君が11月27日に急逝されたとのことだった。
そして、昨日お通夜の席に参列してきた。そして本日11月30日にご葬儀が営まれた。残念ながら自分はご葬儀に参列することはできなかった。

彼は自分と同じ大学のサークルの後輩に当たるのだけど、自分自身後輩とか先輩とかいう関係は苦手なので、フラットな立場での音楽仲間という感じだった。
彼と出会ったのは1995年のことで、シノワも結成していないときだ。
自分が所属していた大学の音楽サークル「黄トマ」は、かなり硬派なロックバンドサークルだったが、彼の存在は入部時から非常にセンセーショナルなものだった。
ヒッピーにパンクにモッズ・メタルなんかの古典派ファッションで占められたサークル員の中、かれはサンバイザーにポロシャツみたいないでたち。
ほとんど当時のサークル員からはニュータイプな目でみられており、さらには猛烈な枚数のCDを所有していて、そしてMTRを使ってライブをするというのだ。
MTRでどうやってライブすんねん?みたいなオールドロッカーの集まりのなか、彼はMTRを駆使しエレクトロなアナーキーインザUKを演奏した。
正直だれもがついていけてなかった。


自分にとっても彼の存在は非常に衝撃的だった。
特に思い出すのは、彼と「あらかじめ決められた恋人たちへ」の池永君と一緒に95年の大阪モッズメーデーに行ったことだ。
トラッシュアップ最新号にてユニソル山本君と池永君の対談が載ってて、その中でも触れられているが、二人は予備校時代に知り合った友人である。

さて、自分は今まではモッズの格好をして行ってたそのモッズイベントに、初めてネルシャツで行った。つまりモッズとの訣別をしに行ったターニングポイントだった。それ以降、自分自身の音楽的方向性はオールドスタイルを踏まえた現在進行形を追求することに。そしてシノワに行き着くことになった。

ユニソル山本君もポール・ウェラーが好きだったが、彼は以前の自分みたいにモッズ的なカテゴリーにそれを捉えるのではなく、広くイギリス音楽カルチャーのなかの一つみたいな捉え方をしていて、元々の自分にはそういう発想は全く無かったから、だいぶ彼の影響を受けたものだった。
ポール好きならモッズであれ、ではなく、サンバイザーに短パンでポールを聴くのもありなんやと。
だからこそ、ユニソル山本君とモッズのイベントに新しい自分として参加したものだった。


さて、昨夜の通夜後、会食があって、現在では各方面で活躍している旧友・知人が一同に会した形となった。やはり主はサークル員である。
名前は出さないが、それぞれにすでにそれなりのステイタスを持って音楽活動をしている人を多く輩出してきたことも、このサークルの特徴だ。

会食はほとんどユニソル山本君を主役としたパーティーのようでもあったが(スケート君談)、折々につらい気持ちに見舞われるタイミングも多くあり、哀楽入り交じる、今までに体験したことのない時間を過ごした。

その夜、彼に対するいくつかのツイートを見てやはり胸が熱くなった。
「@yunisoru 今日は、いろんな懐かしい人に会わせてくれて、ありがとう! また会おうな。会いたい人とは、やっぱり会っておいた方がいいね。」
「彼はtwitterが好きだから、ここでつぶやきます。君がおれに渡そうとしたバトンはもぎ取ってきたから、安心してくれ。そして、ありがとう。ユニソル、さよならだ」

実は、シノワも、シノワがトラッシュアップに掲載されたことがきっかけで、活動の潮目が変わる事態が起こった。
もちろんこれからのがんばり次第でどうにでもなることではあるのだが、それはまさにこのきっかけを作ってくれたユニソル山本君の賜りものにほかならない。

「今日ご参列のみなさま、それぞれの中に彼が残したものがある」とは、会食後のユニソル山本くんの奥さんの言葉のうちの断片だ。
自分にとってもそれだけ偉大な彼である。みんなもそれぞれにきっとそうだろうと思う。

「ありがとう!」
自分を含め、誰しもが彼に対しこの言葉しか見つからないということは、この言葉が極限で究極な人間の本質やということをも教えてくれてる、ということなんだろうな。


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