Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

ラッキョウ漬け

2011-06-25 10:05:50 | 
気持の水位を測るバロメーターが手間暇というものが正直に
反映するラッキョウや梅干し作りに現れるものだ。
去年はやはり、気持が沈んでいたのだろう。長年かけて腕を
磨いた両方を手抜きしてしまった。おかげで去年の秋から、
今年の春までは古いストックの梅干しを除いて食卓に、なに
か雰囲気というものが欠けているという気分がいつもついて
まわった。

運転免許の更新へ出かけた。行きはバス、帰りは丘陵住宅街
の家並みを眺めながら徒歩というのがいつもの儀式だ。
街中にさしかかった辺りにブックオフを縮小したみたいな
古本屋を覗くのもいつもの癖で、帰りの電車用の文庫本を3
冊100円コーナーで物色する。
3冊を3分位で決める。山下洋輔の「ピアノ弾きよじれ旅」
山田詠美の「カンヴァスの柩」ジャック・ケロアック「路上」
「路上」は若年期に河出書房の単行本で読んだことがある。
そのときは登場人物の坩堝みたいな心理や生理にシンパシー
をもったが、いま老いて読むと本筋から外れた伏流するよう
なさりげない風景描写が素晴らしく沁み込んでくる。

「…ロングモントの日はうららかだった。巨大な古木の下が
、ガソリン・スタンドの緑の芝生になっていていた。
そこで眠ってもよいかと従業員にたずねると許してくれたの
で、僕は羊毛のシャツを拡げ、その上にうつぶして肩肘を出し
、ほんの一瞬、暑い陽光を浴びている雪のロッキー山脈をみた
。…」(福田実 訳)

歳月は読む場所を変えると思っていると、いつのまに急行電車
は終点に着いていた。
駅裏の安目な八百屋の店頭を眺めていると、少し時期を逃した
茨城県産の泥ラッキョウがあってこれを3キロ買う。
戻ってからの夕刻はおよそ二時間の格闘というべきか?修行と
いうべきか、泥を落として蔕やしっぽを切る作業にいそしむ。
細かな薄皮などを落として綺麗になったものを4リットルの瓶
に詰め込み塩水をいれて第一ステージは完了した。
一週間くらい塩を馴染ませてから甘酢に漬けたら、雌伏三ヶ月
でいつものラッキョウが食卓の脇役として登場する。