こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

占守型海防艦 3

2012-11-08 22:48:43 | Weblog
順調に進んでいます。

本日は甲板の細かい部分の塗り分けを行いました。
海防艦は小さいので作業も短時間で終わります。

続いて艦底を塗装して貼り付けましたが、殆ど見えませんね~。

船体の工作は完了したので次回からは構造物の組み立てに入ります。

占守型は合計4隻が建造されていますが、終戦時に3隻が健在でした。
生存率=75%

これは日本海軍の艦艇の中でも驚異的な生存率だと思います。
(唯一、撃沈された3番艦の国後でさえ1944年5月まで健在でした)

占守型は1940年~1941年(全て太平洋戦争が始まる前)に竣工しているので、
太平洋戦争の全期間を通じた行動で1隻しか喪失していないことになります。

続いて建造された択捉型は全14隻中、8隻を喪失。(擱座した1隻も含む)生存率=43%
その次の御蔵型は全8隻中、5隻が沈没。生存率=38%
日振型は7隻中、5隻沈没。(実際には9隻建造されたが、2隻は未完成なので除外)
なんと生存率は29%

更に、次の鵜来型は全20隻中、沈没は4隻のみと生存率が高いのですが、
多くは終戦の年(1945年)に竣工しているので活動期間が短いのも原因でしょう。
(生存率=80%)

海軍の海防艦は更に建造されます。

続いて建造されたのが丙型と呼ばれるタイプで全56隻が竣工、26隻が沈没。生存率=54%
最期の丁型は67隻が竣工し25隻が沈没しています。生存率=63%
丙・丁も戦争末期に登場していますが、両タイプは半数近くが沈没しています。

これら海防艦を合計すると、全176隻のうち74隻が失われた事になります。
生存率は58%ですから、海防艦だけを見ても日本海軍は壊滅したことが判りますね。


占守型海防艦 2

2012-11-07 23:02:27 | Weblog
船体の基本工作が終了したので早速、船体を塗装します。

甲板は船体色の鉄部分とリノリウムが敷かれた部分が有りますので、
最初にリノリウムを塗り、次に軽くマスキングをして船体色を吹き付けました。

両者の境界線や細かい部分は筆でタッチアップしていく予定です。

占守型は排水量860t、これは艦隊型駆逐艦の代表である陽炎型に比べると半分以下です。
にも関わらず、占守型海防艦は軍艦として登録されたので艦首には菊の御紋は付いてます。
(因みに駆逐艦は軍艦ではないので紋章は付いていません)

もっとも大戦中に軍艦籍から外され、軍艦ではなくなりしたが。。。

北方海域の警備用として建造された占守型は、対空火器も対潜戦闘用の装備も貧弱でしたが、
以後大量に建造される海防艦の原型となりました。

占守型海防艦 1

2012-11-06 22:47:24 | Weblog
2隻続けて航空母艦を製作したので小型艦を作ろうと思います。

今回からピットロードから発売されている占守型海防艦を製作します。

ピットロードは以前に海防艦を多数発売し、艦船模型マニアを狂喜させました。
(もう、あれから20年位が経過しているのですね・・・)

この頃に発売されたのは、甲型、丙型、丁型、択捉型の4種。
厳密には甲型は前後期の2種が発売されたので合計5種ですが、
残る占守型と御蔵型は長い間、放置プレイでした。

今年に入り突如として占守型と御蔵型を開発、めでたく全種のキットが揃いました。

さて・・・占守型は日本海軍が量産した初の海防艦になります。
(最初から海防艦として建造された最初の型です)
同型艦は4隻が建造され、一番艦から占守、国後、石垣、八丈と命名されています。

本来の目的は北方海域でのソ連との漁業権を巡る争いに端を発していることから
占守型は防寒設備が非常に充実していたそうです。

キットはピットロードの他海防艦と同じく2隻入り。
舷側の窓は全くモールドがありません。

また、通例となっている(?)艦首の錨下の豪快なヒケも健在ですので、
組み立てる前の作業としてヒケのパテ埋めと舷窓の穴開けが最初の作業になります。

幸いキットは2隻入りなので、年代別に作り分けようと思います。
写真上の舷側が写っているほうを大戦前半(舷窓が大量に開いている)
甲板を撮影しているほうを大戦末期(舷窓の多くは塞がれ、対空火器を増設)
こんな感じで製作を進めて行く予定です。

日本海軍航空母艦 龍鳳 11

2012-11-02 23:03:40 | Weblog
突貫作業で土曜日を待たず完成へ漕ぎ着けました。

龍鳳は昭和19年に飛行甲板の延長工事を行っているので、
最終時は艦首の錨鎖甲板は上空からは見えなくなっています。(艦首側の飛行甲板を15m延長)

この際に対空火器も大幅に増設されており、噴進砲座は戦後の写真からも確認出来ます。

飛行甲板の延長はマリアナ沖海戦前に行われたと思っていたのですが、
改装は海戦後で、延長した甲板から敵艦隊へ向けて航空機を発艦させる事は有りませんでした。

この海戦に龍鳳は新型艦上攻撃機「天山」を搭載しているので、それに備えての改装だと
勝手に思い込んでいました。

と言う事は、昭和17年当時を再現した龍鳳は空母として最初で最期の晴れ舞台である
マリアナ沖海戦時に非常に近似した状態ってことですね。
(甲板上の探照灯をレーダーに換える等の小改造でマリアナ沖当時になると思います)


日本海軍航空母艦 龍鳳 10

2012-11-01 19:34:25 | Weblog
前回と変わりないように見えてしまいますが、
完成へ向けて細かい部品の取り付けを行っています。
(なんだかんだで20~30のパーツを付けました)

残りは対空火器とマスト、煙突排気口にクレーン位でしょうか。
あ、係船桁を付け忘れていますね。

空母を作ると力尽きてしまい、手付かずの艦載機がどんどん増えています。
どこかで艦載機を作って載せないと・・・