こまんたれぶ~下福田小学校

当時の同級生との交流場所
(ここ数年は模型三昧)

ぶらじる丸 7

2010-11-11 22:38:52 | Weblog
デリックポストとキセル型の吸気管を取り付けました。
このタイプの吸気筒は内部を赤く塗った作例を多く見かけます。
本当に戦時も赤いままだったのかは知りませんが、良いアクセントになるので赤塗装する予定。

そろそろ、本キットの難所と思われるボートダビットを取り付けないといけません。

前にも書きましたが、ダビットは同梱のエッチングのみで選択肢が有りません。

かなり肉薄なので実感に乏しいのが気になっています。
(ぶらじる丸のダビットは軍艦とは形状が異なっているで流用部品がないのです)

週明けには完成させたいです。

ぶらじる丸 6

2010-11-10 23:31:00 | Weblog
船橋、前後デリックポスト基部など全ての木甲板部品の取り付けが終了しました。
あ、徴用時に追加された前後主砲の架台には木を張ってあるかも知れませんね・・・

煙突も排煙部分を付けて黒塗装を終えましたので、以降は艤装にかかります。

ぶらじる丸は軍艦ではないので、甲板上にデリックポストやキセル型の通風口が多数あります。
また、カッター類も非常に多く搭載しているので軍艦とは違った仕上がりになる筈です。

完成したら姉妹船で航空母艦に改造された、あるぜんちな丸(後に空母 海鷹に改名)と
並べてみる予定ですが、あまりの変貌ぶりに驚くのではないでしょうか。

アメリカでも商船を改造した小型空母は多数建造されましたが、
日本のそれは本格的な改造を行った為、工事に要した期間が長いのも特徴です。

また、カタパルトの装備有無が小型空母としての命運に大きく影響しており
日本海軍の商船改造型小型空母は労力をかけた割に活動が限定されてしまいました。

因みに海鷹以外の商船改造の護衛空母は、大鷹・沖鷹・雲鷹・神鷹の5隻と
一回り以上も大きな船体を改造した中型空母の隼鷹・飛鷹を含めた7隻になります。
(中型の隼鷹・飛鷹は通常の航空母艦と同様の能力を発揮しました)

一方、アメリカ海軍はボーグ級11隻(イギリスに貸与された物が別に34隻あるので合計45隻)
続いてタンカーを改造したサンガモン級が4隻、カサブランカ級に至っては50隻も作られ、
このクラスは1週間に1隻のペースで竣工しています。
更にコンスメント・ベイ級が35隻作られる予定でしたが終戦により19隻で打ち切りになってます。

以上の護衛空母を合計すると、
日本の5隻に対して、イギリス貸与分を除いてもアメリカの保有数は84隻になります。

これらの平均的な搭載機数は日米共に約30機ですから、搭載した航空戦力(機数)で比較すると
150対2520と言う絶望的な差である事が判ります。





ぶらじる丸 5

2010-11-09 23:29:35 | Weblog
更に木甲板部分を2層程積み上げました。
残るは船橋の天井部品のみですから、キットの木甲板部品は全部で6層になります。

船体中央部は煙突も取り付けたので、かなり出来上がって来ました。
当時の日本商船には所属する企業のマークが煙突に描かれており、
遠くから見ても「お!××商船の船だ」と判るようになっていたようです。

このマークは煙突に描かれてる事からファンネルマークと呼ぶそうですが、
キットのファンネルマークは明らかに凸モールドで再現されています。

これが正しいとすると、ファンネルマークは描かれた物ではなく、
その形状の金属板の様な物体が貼り付けられている事になるのですが
どちらが正しいのか正確に覚えていません。(宿題として調べておきます)


ぶらじる丸 4

2010-11-08 22:54:01 | Weblog
3層目の甲板を取り付けました。

一緒に艦首部の甲板も取り付け、ようやく船らしくなってきました。

軍艦も実際には何層もの構造になっているのですが、
木甲板が幾層にも積層されているのは客船の特徴だと思います。

大型の連絡船等に乗った事が有る方は知ってると思うのですが、
客船の船室には一等・二等等の区分が存在します。
ぶらじる丸は客船として建造されたので、船体内部の多くが居住区ですから
自然と木甲板部分が多くなったのでしょう。

因みに、客船時代のぶらじる丸ですが
1等客室が101室、特3等103室、3等662室で構成されていたそうです。
船体の大きさと客室数がマッチしているのかは判りませんが、

ぶらじる丸は正確には客船ではなく貨客船になります。
従って、貨物用スペースも非常に多かったと推測出来るのですが、
軍艦以外の船に関しては全く知識が無いので何とも言えません。

変わった所では、
本日取り付けた甲板の最後部にグレーに塗られた四角い箱の様なエリアが有ります。
なんと、ここはプールだったそうです。(写真のほぼ中央に有る仕切られたマス部)

しかし、当時の日本人にプールは馴染みが薄かった為、
この部分は”釣り堀”に改造されたそうです。(ウィキペディア参照)

プールよりも釣り堀・・・いや~実に日本人らしいですな。わはははは

ぶらじる丸 3

2010-11-07 19:13:24 | Weblog
2層目の甲板を取り付けました。
これにより1層目の甲板は殆ど見えなくなってしまいました・・・

この層も更に上に甲板が付くので、露出するのは塗装した面積の後半分位になります。

元は客船なのでカッターを非常に多く搭載しています。
キットはダビットがエッチング部品で用意されているのですが、
かなりペラペラなので実感に乏しく、こういう部品はプラでも良いのでは?と思います。
(そもそも、カッターの出来がダルいのでバランスも悪い気がします)

ぶらじる丸 2

2010-11-06 22:35:14 | Weblog
甲板の組み立てに入ります。
元々は客船だった為、木甲板が何層にも積み重なっています。

舷側のプロムナードデッキ部分には開口部に手すり(?)の様な棒が
等間隔で何本も並んでいるのですが、この部分は今回はオミットする予定(手抜き炸裂)

軍に徴用された後、艦首尾に台座を設け14cm(15cmかな?)砲を搭載しているので、
この台座はジャンクパーツから探さないといけません。

対空機銃に関しては資料を探して設置有無を確認しないといけないですね。
船橋(軍艦じゃないので艦橋とは言いません)の上部周辺に25mm機銃が付いていたのかな?

ぶらじる丸 1

2010-11-04 21:03:11 | Weblog
ぶらじる丸は豪華客船で、同型のあるぜんちな丸と2隻が建造されました。
(総トン数 約1万トン、全長156mで甲板にはプールを備えていました)

就役は昭和14年、処女航海で世界一周しておりますが、
その後は南米航路を3回航行したのみで客船としての生涯を閉じています。

世界情勢の雲行きが怪しくなってきた昭和16年9月(日米開戦の3ケ月前)
海軍により徴用され輸送船になってしまった為でした。

ミッドウェー海戦で一挙に4隻の航空母艦を失った海軍は新規空母の建造計画を立てますが、
就役までに数年を要する為に大型で高速の客船に白羽を立てました。

あるぜんちな丸とぶらじる丸は航空母艦への改装が決まり、
ぶらじる丸は日本へ向けて出航したのですが途中で潜水艦の雷撃により沈没してしまいます。

残された僚艦の、あるぜんちな丸は空母・海鷹として生まれ変わっています。

キットはフジミから発売されたた物です。
先に空母・海鷹が発売され製作しましたが、少し間をおいて客船も発売されました。
あるぜんちな丸・ぶらじる丸の2隻が発売されましたが、
既に海鷹を作製していた為、あるぜんちな丸では無く、ぶらじる丸を買いました。

なお、キットは客船時代になっていますが他の艦船と並べると塗装が全く異なるので
今回は徴用後の輸送船として作ろうと思います。
本当はぶらじる丸が最も輝いていた客船時代が良いとは思うのですが・・・
(もう1隻購入して客船時代を作る日が来るかも知れません)

製作は船体から始めます。
左右貼り合わせ方式の船体と艦底を組み立てました。

7.5cmPaK40/4搭載東部用装軌式牽引車 8

2010-11-03 18:01:53 | Weblog
天気に恵まれたので明るい時間帯に塗装をしました。

最近は全部組み立てた後に塗装する方が多い様ですが、
そんな器用な真似は自分には出来ないので、途中で塗装&筆でタッチアップしています。

転輪は単体で塗装した後にシャシーへ取り付けましたので、
残る部品は10個にも満たない数になりました。

この状態でも塗料が回り込まずに塗り残した部分が散見されています。(涙)
特に対戦車砲は相当時間をかけて塗装したにも関わらず・・・です。

次はキャタピラを塗装して組み立てねばなりません。
少し飽きてきたので(バキ!)途中で艦船を作ろうかと思っています。

7.5cmPaK40/4搭載東部用装軌式牽引車 7

2010-11-01 21:11:47 | Weblog
ようやく対戦車砲が出来上がりました。
(台座の方も完成です)

部品の取り付け位置は何か所か曖昧な箇所があります。

これは書籍等の資料がある人には問題ないのかも知れませんが、
単純に組み立てを愉しむ場合には少々、不親切だと思います。


さて・・・そろそろ塗装を行わないと次へ進めなくなってきました。