煙突周辺の組み立てを行っています。
トラス構造の探照灯台が煙突を囲むように設置されており、
この上に110cmサイズの探照灯が6基搭載されています。
また煙突の脇には高角砲指揮所が設置されています。
長門型のソレは非常に変わった形状で特徴的な部分です。
ここには高射装置・測距儀がセットで置かれています。
長門型に装備された高角砲は片舷2基ですが、戦時中の対空兵装強化後も定数は変わらず
日本戦艦の中では最も少ない装備数でした。
反面、舷側に並んだ副砲は就役時から2門減じた18門を最後まで装備していたようです。
長門は高角砲の増備よりも対艦攻撃力を重視した仕様とも考えられます。
(金剛型は高角砲を2基増加した代償として副砲を半数に減少させています)
終戦時の長門の写真には煙突と後部艦橋の間の舷側に大型のブルワークが見えます。
ここには高角砲が装備されていたと考えるのが妥当なのですが
殆どの対空火器を陸上へ降ろしてしまった後の写真なので
本当に高角砲が装備されていたのかは知りません。
(高角砲が搭載された写真は見た事が有りません)
大戦末期になると燃料の枯渇により、自由を奪われた連合艦隊の艦船の多くは
停泊したまま樹木等でカモフラージュされた防空砲台として使われていたのですが、
対空火器は少しずつ陸上へ移動される等、対空戦闘能力は低下していった様です。
トラス構造の探照灯台が煙突を囲むように設置されており、
この上に110cmサイズの探照灯が6基搭載されています。
また煙突の脇には高角砲指揮所が設置されています。
長門型のソレは非常に変わった形状で特徴的な部分です。
ここには高射装置・測距儀がセットで置かれています。
長門型に装備された高角砲は片舷2基ですが、戦時中の対空兵装強化後も定数は変わらず
日本戦艦の中では最も少ない装備数でした。
反面、舷側に並んだ副砲は就役時から2門減じた18門を最後まで装備していたようです。
長門は高角砲の増備よりも対艦攻撃力を重視した仕様とも考えられます。
(金剛型は高角砲を2基増加した代償として副砲を半数に減少させています)
終戦時の長門の写真には煙突と後部艦橋の間の舷側に大型のブルワークが見えます。
ここには高角砲が装備されていたと考えるのが妥当なのですが
殆どの対空火器を陸上へ降ろしてしまった後の写真なので
本当に高角砲が装備されていたのかは知りません。
(高角砲が搭載された写真は見た事が有りません)
大戦末期になると燃料の枯渇により、自由を奪われた連合艦隊の艦船の多くは
停泊したまま樹木等でカモフラージュされた防空砲台として使われていたのですが、
対空火器は少しずつ陸上へ移動される等、対空戦闘能力は低下していった様です。