清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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小松川のお導師さま

2015年10月09日 | ご法門

ご教歌(開導日扇聖人・教え歌)

法華経をいきていますと思えねば そのうやまひ(い)の 先(まず)真似をせよ


平成24年11月3日。常住寺の高祖会。第1座:小松川清秀寺・岡本日苑上人のご唱導。

(第2座は乗泉寺巡教として、乗泉寺のお導師におつとめいただきました。)

第1座のご法門を、このとき発行した記念誌より記載させていただきます。


 「その気、その思い」を本心に持つことができなくてもハタ目から見てそれと判るスガタ・カタチに現してさせていただくのが、末法ただいま私どもの信心修行の基本とお示しのご教歌。

心と行動が一致している事が理想的ですが日常の生活で改めて考えてみますと、そうでない事の方が多いのに気づきます。それほど心遣いしなくても確固とした心を持たなくても行動は取れるもので、大半は何時となく身についた習慣で身体は動く。あるいは心中でイヤでしかたなくても必要との欲にかられれば身体は別方向に動く事になります。「心と行動」の関係はその程度に他愛なくいい加減なものですから心行一致は凡夫にはむしろ至難の業といえましょう。


「みほとけ」の、大慈大悲の「み教え」、真実法華経を生身のほとけと思うことは中々できません。そのところをご教歌は、「まずは真似をせよ」と、つまり本真からそうとは思えなくても、姿・行動で真似をせよと仰せ。逆に、心で「有り難い仏さま」と思っているとしても「菜摘み・水くみ」のお給仕がなければお敬いにはなりません。

(中略)


開導聖人・ご指南

「高祖曰く。たとひ心にをしや(惜しい)と思ふとも、棄捨したるは欲に勝たる也。つらくくるしと思ふとも、勤むれば忠なり。孝なりと。(乃至)故に当世の信者の面々は、がまんにても善き事には我慢も入用と思し召すべし。御法の為にも。」


やってるうちに身につく。やらないと、きっと、なにも見えないんですね。