妙護寺さんのお会式がおわり、すぐに被災地へ向かいました。
ご回向の場所は、仙台市若林区荒浜。県道・塩釜亘理線が南北に走っています。
荒浜地区の殉難者は180名ほどとありました。
また、荒浜にあがったご遺体は200~300にものぼったとのことです。
写真は、県道そばの荒浜小学校の建物です。
【以下、新聞の記事より】
荒浜小学校の屋上に避難した住民ら300人以上が助かったことから、市は「震災の被害を体感するうえで貴重な場となる」として保存を検討。
市は住民の意見を聞くため、2月からアンケートを実施。626世帯を対象に行い、239世帯から回答を得た。
「賛成」が71・5%と最多で、「意見なし」が21・3%、「反対」が7・1%だった結果を受け、保存することを正式に決めた。
荒浜でのご回向。妙護寺さんで全部ご用意下さいました。
準備が大変だったと思います。おかげさまで、こういうご奉公をさせていただけました。
ありがとうございました。
(近藤お導師をおかこみ申し上げ集合写真)
ご回向の風景。お焼香がわりに、お線香をお供えさせていただきました。
常住寺の団参者。
近藤お導師から、当時の様子をお聞きしています。
近藤お導師は、震災以降は毎月11日(震災は3月11日)に、各地をまわってご回向されていらっしゃるそうです。
閖上大橋から太平洋をのぞむ。こんなに穏やかなのに、当時はこちらから、津波が押し寄せたんですね。
妙護寺のみんさまと別れて、帰路につきました。名取インターに入るまえに閖上地区へ。
閖上中学校。
閖上中学校の校門を入ってすぐの、校歌が刻まれた石碑。今回は、右側の石碑うしろに、お塔婆を建立しました。
石碑と石碑の間にある小さなお塔婆は、平成23年にボクが建立したお塔婆です。
文字が消えてましたが、しっかり地面に刺さって残っていましたので、筆ペンで上書きしてきました。
校舎は震災直後のまま時が止まっています。
来る度に、散乱したガラス破片が片付けられていたりと、整理されてるのが分かりますが、
やはり、震災直後と様子は同じです。備品は一ヶ所にまとめられて積み上げられている。そんな様子です。
校舎内は現在、立ち入り禁止になっています。
中学生14名の犠牲者。そして、公民館から中学まで移動中に津波にさらわれた数百名の近隣住民。
日和山・ひよりやま。
公民館があったあたり。すっかり更地になってます。
帰りはゆっくり帰りました。阿武隈。那須高原。佐野。各サービスエリアで休憩しました。
南部道路から東北道へ。
次回はいつ行けるかなぁ。郷愁にかられる旅でした。