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この間ちょっと考え事をしていた。「野垂れ死とか、孤独死は可哀想と同情する事ではないい」と。どこかで読んだ。
この度、母を介護していて思ったことがあった。コロナ感染者が出たためにデイケアが休みになり横になっているのが多かった母。
2週間休んでいる間に、歩くのもやっとという感じになってしまった。
オムツをしていてもトイレに行くと言って、介助した私だったが、とても重たくて難義をした。
が、母はベッドの上ではしないという気持ちがあるので必死で歩いた。父もそうだった。
子どもたちは転ばないか、冷や冷やして手を貸すが、誰もいなければ壁を伝ってでも這ってでもそうするのだ。
身体の動くうちは、家で一人で暮らすという気概のある人は、誰に見取られずに死んだとしてもその直前まで懸命に生きたと思う方が自然なのだと思った。
佐藤愛子さんが「枯れるように死んでいくのが本望」と言っていたのはまさにそれなのだろうと。
歩いている途中で倒れてそのまま亡くなったとしても、本人は一生懸命生きたのだ、そう思う。
勿論、早く発見されるような関係を築いておくことができればそれに越したことはない。
ある日、愛子さんは、枯れ葉が、はらっと落ちるのを見て思った。
そうだ、人間も枯れるように体を使い切って死んでゆくのだと。
思っていることが伝わったでしょうか。