沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

6月23日

2010年06月24日 | 日々のこと
 6月23日 沖縄は慰霊の日で公休日。
 まぶにの丘では慰霊祭が行われた。正午の時報とともに手を合わせて県民は祈る。亡くなった多くの御霊が安らかにな眠りにつきますように。

 TV[に映し出された慰霊祭の様子。知事の次に挨拶された管総理。沖縄の負担を軽減したいといいながら、新しい基地を作ろうとしている。
 私は総理がここ(慰霊祭)に来るべきではなかったと思った。違和感を感じた。
 
 親族を亡くされた方は、ただ静かに過ごしたかっただろう。平和の礎に名前が刻まれたということの意味は、彼が生きていたという唯一の証なのだ。

 いつも ろくがつにじゅうさんにちになると、思い出す。
 今から15年前、まだ礎ができたばかりの頃。私は誘われて入った婦人会の大先輩達と一緒に「平和の礎」を訪れた。Sさんが「一緒に、Rという弟の名前探してね」というので、
刻された氏名を追っていった。「あった!」という声とともに、突然「うわーっ」という嗚咽が。泣きながら、彼女は指で名前をさすっていた、そして泣いた。
 「弟は、まだ、こんなに小さかったのに、行ってくる」と、そう言って出て行ったきり二度と帰って来なかったんだよ、まだこどもだのに~~~~。私も泣いた。  

 この光景を。いつも ろくがつにじゅうさんにち になると思い出す。
  しかし、このような光景は今も毎年見られる。写真さえ、焼かれて生きた証は何もない。家族はそれが辛い。この礎だけがそれを証明してくれる。だから切なくとも、ここでしばし共に過ごしたいのだ。その時間を大切にしたいのだ。

 県民にとって6月23日の意味するものは大きい。

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