葬儀屋日記 byノブアキ

つれづれなる葬儀屋さんの日記です

阪神淡路大震災から十五年

2010年01月17日 | 日記
15年

阪神淡路から十五年経ちました
ブログやHPをやっていても、この話題に触れることは
無かったと思います


あまりに沢山の犠牲者がでて、当時現地に駆けつけた人からも
現実の状況を聞いてこの話しに触れる資格が無いような気がしたからです

葬儀屋さんっていう、比較的この世の中で「人の死」という
ものに近いところで仕事をしていると、他の人よりも冷静に
「死」って言うものが理解できていて、そしてその分だけ
軽んじてはいけないという「重み」があるということだけは
肌で感じることができるからだろう。

沢山の団体が、この災害があったことに意味をつけたがる
沢山の知識人と言う人たちが、この災害から学べという話をする。

確かにそうなのだろう
そのことは、別に間違っちゃ居ないと思う

21歳の時に、一緒に飲んでいた女の子が友達が沢山この地震で
死んでしまったと言っていた、そっかと言ったまま

とりあえず、自分のグラスの中身を胃袋に放り込んだ

同業の人に、棺に納めても納めても棺が無くなるまで
納め続けた話を聞いた、言葉が見つからなかったので
「そうだったんですね」と言って黙ってみた

何の前触れもなく、何の物語もなく

唐突にその命は失われました

沢山のこれから紡がれる思い出も失われました

弔う仕事のかたわらに居て、いつも思うことがあります

「弔うことしか出来なくてごめんなさい」
「生きてる内に、なにかしてあげられなくてごめんなさい」

この仕事を本格的にはじめた時から、思っている事で
僕らのこの仕事、葬儀屋さんっていう仕事は
弔う人の為のお手伝いで、そんなに大した事をするわけでは
ありません

只、皆さんが一生に一度あるかないかということで
不慣れなことをしますから、その段取りを心配にならないように
お手伝いしましょうっていう仕事です。

だからこそ、何かの支えになれたらいいなぁと思うのですが
1995.1.17のこの日に僕はテレビを見るだけでした

15年前の18だか19歳の僕は、その後本格的に弔う仕事をするように
なりました

弔うこと、供養することがその人を心の中に生かしていく
方法なんだと思えば、竹筒の炎も、皇太子様夫妻の気持ちも
亡くなった方にとっては、そういった弔いが最上級のご馳走なんじゃ
ないかと思います


ある、お坊さんの言葉です・・

亡くなった方は、味わう口も、匂いを嗅ぐ鼻も、声を聞く耳も
触れる肌も、見るための目もありません

ただ、すべてが亡くなった訳ではありません

皆さん一人一人の中に、心として生きていらっしゃる

そのままではありませんが、心で感じるならば
その方の存在は、失われているわけではありません

皆さんと共に生きていらっしゃる
だからこそ、食べて、感じて、見て、聞いて、匂いを感じ
そうして皆さんが良く生きることが、何よりも良い供養なのです

手を合わせることも、お焼香することも、思うことも
すべてご供養になるわけです

共に生きるのならば、亡くなった方が悲しむような生き方はしないでください
共に生きるのならば、亡くなった方が誇らしく思うようなそんな人生を生きてください

それが、本当のご供養だと

そのお坊さんは言っていました。


さららさ未熟な限りでございますので、この言葉をお借りして
今日の日記とさせていただきます

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