雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

オバマ大統領広島演説(3) 番外編

2016-06-25 17:00:00 | 風の行方・原発

オバマ大統領広島演説(3)   番外編
                
 (風の行方№41)

 翻訳文の難しさについては、前回のオバマ大統領広島演説(2)で少し触れました。
同じような内容のコラム記事が朝日新聞(6/24)に乗っていましたの一部紹介します。
広島演説の翻訳が各新聞社によって微妙に違うことを、池上彰氏は『新聞ななめ読み』で取り上げています。

 「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました」(朝日)
 「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて、世界が変わりました」(毎日)
 「71年前の快晴の朝、空から死が降ってきて、世界は変わってしまった」(読売)
 「71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて、世界は変わった」(日経)
 「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」(共同通信)

 冒頭の一行、各社翻訳の違いです。元の原文は同じなのに、
翻訳する人によって、表現の仕方は様々です。その日の天気の表現が各社全く違います。
私のブログ、「オバマ大統領広島演説(1)」でも述べましたが、
冒頭の演説はまるで神話の世界を述べているような違和感を感じます。
「空から死が降ってきて、…」という表現には主語があえて省略されています。
「原爆投下」の責任は何処の国にあるのか。
池上彰氏は、「原爆投下の責任を回避する絶妙な表現です。まるで運命や宿命のようではありませんか」
述べています。

 演説 全文を読んで、見落としていたことがあり、今回池上彰氏のコラムを読みそのことに気付いたことがあります。それは、オバマ氏の広島訪問の目的です。
 冒頭一節は「71年前…」で始まり、二節目に広島訪問の目的が述べられていたのです。このことをうっかり見逃したためにこの演説に、大きな期待を持ちその期待が裏切られたために、演説に違和感を持ったのです。二節目は次のように述べられています。

 「なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。
私たちはそう遠くない過去に解き放たれた怖ろしい力に思いをはせるために訪れたのです」


 謝罪訪問でも、責任を明らかにする訪問でもなかったのです。しかし、謝罪しろとは言わないが
「原爆投下」の事実ぐらいは表現してもよかったのではないか。
 
 翻訳の難しさについては、「オバマ大統領広島演説(2)」でも述べましたが、
演説の最後に「核戦争の夜明け」の部分について述べた箇所が、
各社翻訳の比較として掲載されています。
興味のある方は、朝日6/24付、
「池上彰の新聞ななめ読み・オバマ大統領の広島演説 難しい翻訳 各紙に違い」を読んでください。

 核保有国世界第一で、
原爆投下を実行したアメリカ大統領が「世界平和」と「核廃絶」を詠ったという点では、
プラハ演説に続いての大きな進歩だと理解します。
                                    
(2016.6.25記)

                                       

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