goo blog サービス終了のお知らせ 

雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「虐待」報道に思うこと

2019-11-28 11:54:46 | 昨日の風 今日の風

  「虐待」報道に思うこと
 痛ましい児童虐待の死が報じられる度に、虐待の加害者(多くは親)は、
 「虐待ではなく躾(しつけ)」だったと弁明する。この場合二つのことが考えられる。

 ① 本当に「躾」と思っている。(躾と虐待の相違を理解してない場合が多い)
 ② 「躾」は自己弁護で実際は「いじめ」がエスカレートして「虐待」に発展してしまうケースです。

 多くの場合は②に相当する場合が多い。
 逮捕され最初の尋問で、「私は虐待をしました」と、ストレートに自白する加害者は少ない。
 この傾向は、殺人事件で逮捕された被害者が、
 「身に覚えがない」→「死体遺棄」を認める→「殺人を認める」という経路をとる場合が多いのと同じ傾向です。
 全ては自己防衛という自衛本能が根底にあるからです。
 
 さて、本題に戻ろう。
 「躾」という行為に、攻撃という刃が加われば、
 この逸脱行為は間もなく「虐待」という行為に変容していきます。
 「いじめ」や「虐待」は初期の段階で解決しないと、
 暴力行為を伴いどんどんエスカレートしていきます。
 例えば、一度叱って効果がなければ、次は声を荒げさらに暴力行為に進んでいく。
 暴力行為も回を重ねるごとに過激になっていきます。
 往々にして、虐待は密室で行われる場合が多く、悲劇を敵な結末を迎える場合もあります。

 加害者にとっては、虐待を躾と思い込み、
 時には、虐待の隠れ蓑として利用する場合もあります。
 ここに、虐待やいじめがなかなか表面化せずに、根絶できない難しさがあります。
 児童相談所だけを責めるのではなく、
 児童相談所、医師、警察等の機関が協力して事に当たらなければ解決は難しいケースが増えています。
 
 虐待は弱者の心に傷をつけるような楔(くさび)を打ち込んでしまい、
 取り返しのつかないことになってしまう事例がたくさんあります。

 小さな命が奪われたとき、
 メディアは虐待に至る過程を競って報道します。
 「小さな命が理不尽に奪われた」のですから、
 「虐待死に至る過程をできるだけ詳しく知りたい」というのは、多くの人が望むところです。
 当然のことながら、メディアの論調もこのことに集中する傾向にあります。
 このこと自体が悪いことではないと思いますが、記事を追う姿勢にもう一つ工夫が必要かと思います。

 小さな命が奪われたことに、多くの人の関心が集まります。
 なぜ小さな命が奪われてしまったのかを追求するメディアは、ごく少数に限られる現実があります。 
 つまり報道は被害者の側面を洗い出すことに集中し、
 加害者の心の内を解明するような取り組みをするメディアが非常少ないと感じられます。

 法整備、児相等の公共機関の見直しなど虐待防止のための改革は、必要なことです。
 だが、このような事件が起きてしまった裏に潜む、
 加害者の心の闇、加害者を生んでしまった社会の在り方についての報道が少なく感じます。
 このことに目をつぶってしまっては、
 私たちの社会が安心して暮らせる社会にはならないと思う。

 人間のこころの闇をみつめようとする姿勢。
 さらに、社会の底にひそんでいる「闇」に光を当てる姿勢が必要と思われます。

 一連の虐待報道を見て、感じたことを私流にまとめてみました。

(2019.11.30記)        (昨日の風 今日の風№104)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かに追いかけられて…

2019-11-02 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

何かに追いかけられて…
 

   
    私たちは物心ついた時分から、
   「戦争だ」
   「非常時だ」
   「一億火の玉だ」
   「復興だ」
   「経済成長だ」
   「国際化だ」と、
   いつも、追いつけ追い越せと何かに駆り立てられ、
   時の流れに遅れまい、
   落伍するまいと急き立てられる想いで生きてきた。

                       色川大吉 「ある昭和史」より


   激動の昭和は、
  焦土と化した国土の復興から立ち上がるための
  なりふり構わぬ経済活動に皆が邁進した時代だつた。

  「企業戦士」などという言葉が、
  誇らしげに語られた時代でもあった。

  同じような言葉に、「モーレツ社員」などと言って、
  会社のためになりふり構わず、
  家庭や個人を犠牲にして働く男たちがもてはやされた時代だった。

  

  さて、平成時代はどうであったか。

  平成元年(1989) ………… ベルリンの壁崩壊
      3年(1991) ………… 湾岸戦争勃発
     7年(1995) ………… 阪神・淡路大震災
     12年(2000) ………… 三宅島噴火
     13年(2001) ………… アメリカめ同時多発テロ
     26年(2014) ………… 御嶽山噴火

     平成の時代と重なって忘れられない悪夢のような事件が発生。
     オーム真理教の一連の事件だ。
     事件を起こした者たちは大まじめで自分たちの社会を作るために
     殺人も厭(いと)わず正当化したところに救いがたい社会の亀裂を感じます。
     そして、平成に起こった忌まわしい事件は、
     平成のうちに決まりをつけ早く忘れたいとでもいうように
   平成30年(2018) ………… 松本元死刑囚をはじめ13人の死刑が執行された。

  平成の時代は、低成長が長く続き社会の中で経済のかじ取りを担うような大きな会社が
  企業倫理に反するような不祥事を起こし、不祥事の隠ぺいなど社会問題にもなった。
  ブラック企業などという不名誉な看板を担がされた企業もたくさんあった。
  労働力不足も一向に改善されない。
  価格競争のはてに、労働者にとって職場環境は過酷になっていく。
  販売価格を低く抑えれば抑えるほど、労働者の賃金が抑制されてしまう。
  低価格設定の裏で泣くのはいつも労働者だ。
  「労働力不足と低賃金」という問題を解決できなければ、
  経済の回復は望めない。
   

     
  経済活動を基盤とする社会システムは、
  頂点目指して這い登る自由競争という階段を、
  高み目指して昇りつづけなければならない。
  
  
  競争の階段には上限がない。
  
  ピラミッドの頂点にたどり着いたら、
  繁栄と安心が迎えてくれるわけではない。
  更なる競争相手が現れ、
  この凌ぎを削る競争社会を、
  弱肉強食の社会ととらえることには抵抗がある。
  世界の平和や社会の安定が、
  経済社会の目指す方向ならば、
 
  せめて共存共栄ととらえたい。

  
      花が最も美しい時を迎えたときから、
  すでに美しさは滅びの予感を漂わせ
  凋落の坂道を下り始める。

  果てのない競争社会の中で私たちは
  
  時にストレスを抱え、
  時にひと時の幸せに生きる喜びを感じながら
  生きている。

  いつも何かに追われているような焦燥感がある。
  それは、
  
  社会そのものが時間の中を漂流する小舟のように揺られ
  流動しているからなのだろう。

  平家物語や方丈記に謳われた無常観を私たちは心の底に抱えている。
  
  だが、パスカルが瞑想録の中で述べているように
  人間は「風に揺らぐ一本の葦」であるけれど、「考える葦」だという。
  
  歴史を見れば、時々間違った方向に進むこともあるが、
  人間の英知は努力し、軌道修正をする力を持っている。

  NHK世論調査によれば平成の時代は
      「
戦争がなくて平和な時代」だと79パーセントの人が回答している。
  世界全体を眺めれば、いつもどこかで戦争の火種がくすぶっているのだが
  とりあえず「日本では」という条件付きの解答なのだろう。
  しかし、一方では
  「社会的弱者にやさしい社会」と回答した人は3パーセントだった。

  平和であるけれども、
  余裕のない、生きずらい社会の存在があることを私たちは忘れてはならない。
  「幸せ」感も、私的で「囲い込み」の幸せが蔓延し、
  多くの人が享受できる幸せではないと考えなければ健全な社会とは言えない。

  災害国日本では災害が起こるたびに、「復旧」「復興」が合言葉のように言われるが、
  「心の復興」こそが必要な時代なのではないか。

  何かに追いかけられるような焦燥間の漂う社会は生きずらい社会です。
  
  
  令和の時代が穏やかで、やさしい社会であることを願いたいですね。

  

   

   (2019.11.01記)    (昨日の風 今日の風№103)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019参院選 ④ 棄権という権利

2019-07-25 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 ④ 棄権という権利

  参院選が終わった。危惧した通り48.8%で、
 過去最低だった1995年の参院選・44.52%以来24年ぶりに50%を割ってしまった。
 特に18歳、19歳の投票率は31.33%で最低だった。
 19歳は最悪で、28.05%だった。
 若い人の投票率が低い。
 若い世代が高齢に達した時どんな社会が実現するのか、考えてみると恐ろしい。

 未来のために 選挙へ行こう

 棄権するということは、未来の希望を捨ててしまうということだ。

(朝日新聞7/21)
 美大出身者たちが三年前の参院選から始めた「Shall we 選挙?」のポスターの一つ。
著名人たちもSNS上で投票を呼び掛ける。
投票率の低さに危機感を持つ人たちが、運動を展開し始めている。

 「自分の一票じゃ何も変わらない」
 「誰がやっても同じ」
 という諦観が投票率を低くしている。
しかし、棄権をするということは、権利を捨てることだ。
我々の先達たちが、自由民権運動を経て勝ち取った血と汗の滲んだ選挙権なのだ。
投票権(選挙権)はあっても、「棄権」と言う権利はないのだ。

棄権をしてもおとがめはないが、ベルギーや豪州では罰金が科せられるそうです。
棄権を防ぐための究極の制度なのでしょうが、
権利を履行しないと罰金というのも何だか、強制されているようで嫌な感じがします。

棄権が増えれば(投票率が低ければ)どんなことが起きるのか。

強固な組織票を持つ政党や候補者が有利になり、
組織票を持つ組織の意向が政治に反映されやすくなってしまいます。
ということは、組織に属さない人々の意向が反映されにくくなってしまいます。

今の生活のことを考えてみれば、
種々の問題が浮かんできます。

「エネルギー問題」。危険な原発は暴れ出したら人間の知識や技術ではどうにもならないモンスターだ。
          黙っているわけにはいかないと思う。
「年金問題」「医療費」「介護保険」「消費増税」「教育」「子育て」等々、不安材料は沢山あります。
沈黙は無に等しい。
今の生活を少しでも良くしたい。将来の子どもたちに誇れるような社会を築いていきたい。

この思いを、投票という参政権に変えて履行することが
私たちの責務ではないか。 

 「憲法前文」を見てみよう。

  日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し

  (略)主権が国民に存することを宣言する。

  国政は国民の厳粛な信託によるものであって、
  その権力は国民の代表者がこれを行使し、国民がこれを享受する。

  50%を割る選挙で選ばれた国会が「正当に選挙された国会」といえるのか。
  50%を割る選挙で選ばれた代表者が「厳粛な信託」によって選ばれた人なのかどうか
  私たちは真剣に考えなければならない。
  
  「棄権」は単なる怠惰であり、
  「棄権」という権利はないのだから。

  (昨日の風 今日の風№102)       (2019.7.24記)





  



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019参院選 ③ 投票に行こう

2019-07-21 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 2019参院選 ③ 投票に行こう
       
    前回参院選の投票率は54.7%です。

   2人に一人が投票せず、20代では3人に2人が棄権しました。
   国民の代表と呼ばれる議会制民所主義が成立しなくなります。

   政治的無関心はやがてわが身に不利益をもたらします。
   自分が一票を投じて社会がどう変わるんだという「諦観」が、
   投票率を低くしているのでしょう。

    昔は地元から国会議員を出すことによって、道路が開通したり橋ができたり、
   トンネルができ新幹線の駅ができわかりやすい見返りがあった。
   だから皆真剣になって応援した。
   投票率も上がった。
   前近代的村社会の政治形態の出来事でした。


   国民が見返りという即効性を求める過ぎ、
   政治がポピュリズムに陥ってしまえば国の将来を見通すことはできなくなります。
   
   政治に関わる、投票するということは、
   一票を投じた一人一人が力を合わせて自分たちを取り巻く状況を変えていくということです。

   私たちは投票に行こうと、
   棄権しようとこの国の政治環境から抜け出すことはできません。

   だから、極論ですが、棄権するということは、
   自分の将来に、子供たちの未来に責任を持たないということになってしまいます。
   
   「自分はこんな人生を歩みたい」「こんな社会で生きたい」という希望は誰でも持っています。
   だからその希望の実現の一歩として、政治家や政党に一票を投じて欲しいのです。

   政治参加をせず、異議申し立てもしなければ、民主主義は成立しません。
   「政治家に将来を託す」という代表制民主主義では、
   政治家に自分の希望を丸投げするのではなく、
   試行錯誤をしながらこの社会を作っていく姿勢が必要だと私は思います。

   自分の投じた一票が当落を決定することはほとんどないでしょう。
   それでも私は一票を投じ、
   ささやかな、そして大切な一票を投じたい。

    (昨日の風 今日の風№101)  (2019.7.20記)

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019参院選 ② 誰がどんなことを言ってるのか

2019-07-20 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 ② 誰がどんなことを言っているのか
   茨城選挙区(改選数2)候補者5人の13日から14日にかけての演説を選び、
       各候補の演説内容を調べ、主な訴えを参考に、
   だれに投票するのか考えてみた。(演説内容の記事は朝日新聞による)

   
    「 諸派」( NHKから国民を守る党)・〇中〇氏(新) 53歳
     党の名が示す通り主訴のほとんどがNHK批判に終わっている。
     NHK受信料批判 ………… 31%
     NHK集金人批判 ………… 30%
     NHK職員「高給」批判 … 16%
      なんと演説時間の77%をNHK批判で構成し、
      残り23%を党の紹介、放送法の改正、その他としている。
      あまりの政見の偏りにうんざりです。
      党として、国会議員候補として投票者に訴えるべきことはもっとあるはずと思います。

  「維新の会」・〇野〇氏(新) 70歳
     「三つのことを約束したい」。主訴となるべきことを公約として最初に打ち出している。
             東海大に再稼働反対   ………… 34%
      行財政改革の実績  ………… 27%
      消費税反対              …………   18% 
      行財政改革の中には、教育無償化を訴えています。これは、維新の会の公約でもあるが、
      大阪では私立高校の無償化を実現したとはいえ、全国規模で実施するための財政的裏付
      については触れていないので、いささか不安が残る。
      茨城県には、東海第二原発があり、再稼働について賛成派と反対派が議論を戦わせている。
      多くの候補者が原発問題を避けている現状では貴重な存在です。

  「立憲民主党」・〇沼〇(新) 33歳
      消費税反対  ………… 34%
      原発ゼロ施策 ………… 20% 
      安全保障   ………… 12%
       与党以外消費税反対を掲げている。だが本当に消費税を上げないでこの国の経済が
       成り立つのだろうか。上げないための財政的裏付ははどこにあるのだろう。
       基本的には原発ゼロに賛成ですが、「今すぐに」ということにいささか不安を感じます。
       エネルギー政策は、地球温暖化を抜きにして語ることはできない。
       他に「農業問題…9%」「年金問題…7%」など公約は盛りだくさんです。

 「共産党」・〇内〇久〇子氏(新) 69歳
       公約の3本柱は、東海第二原発の再稼働反対、消費増税反対、憲法改正反対反対です。
       共産党の公約を踏襲しています。
      消費税反対 ………… 29%
      年金問題  ………… 25%
      憲法改正反対………… 13%
       共産党の公約のベースにあるものは、「大企業への法人税の増税」
       「高額所得者への増税」などを挙げ、「財源確保はできる。大企業中心の政治から暮らし
       優先の政治に切り替えていく」を公約に挙げるが、説得力欠けるようである。

  「自民党」・〇月〇祐氏(現) 56歳
      唯一の現職候補です。
      演説内容についてはがっかりです。
      「働かないんだったら僕がいる意味なんてない」と大見えを切った割には内容は空っぽ。

     政治の在り方    ………… 23%
     政権実績・野党批判 ………… 21%
     意気込み      ………… 18%
      こんなことを聞くために聴衆が来たわけではない。
      自民党が掲げる憲法改正についても触れていない。
      「政治の在り方」や「野党批判」、「意気込み」など候補者だったら
      まして現役の議員経験者だったらもっというべきことがあるはず。
      56歳で現役議員の意気込みなんて聞いても、選ぶ基準にはなりません。
      いい歳して、「僕」という表現にも違和感を覚える。

  こうして各候補の演説内容を検討してみると、益々誰に一票を投じるか迷ってしまう。
  これというインパクトの強い演説内容が響いてこないのだ。
  私は自民党が好きだ。
  だがこの党には一票を投じない。
  この党のために野党に一票を投じたい。
  議席の多数をもって政権を獲得できるのだが、野党がその役割を十分に発揮できる
  議席を獲得しなければ、自民党の独裁的傾向は改められないからだ。

  この社会に生きている人間として、棄権はしない。
  それが社会の中で生きる人間の「政治参加」というささやかな意思表示なのだから。

  (昨日の風 今日の風№100)       ( 2019.7.19記)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019参院選 ① だれに投票したらいいのか

2019-07-19 09:07:35 | 昨日の風 今日の風

2019参院選 だれに投票したらいいのか
  
  
 議会制民主主義は数が問題だ。
   政策に多少の問題があっても、大概の問題は数で押し切ることができる。
   政策が大切なのではない、議席数の多いか少ないかが問題なのだ。
   パスカルはパンセの中で次のように言っている。
   
   「正義は力なり、力なきもの正義にあらず」

   社会すべての成り立ちが、
   パスカルの言う「力の原理」に基づいて動いているわけではないが、
   ある程度の真実を言い当てている。

   与党と野党の議席数は拮抗していたほうが、より多くの議論を尽くし
   政策に反映することができる。

   
   一票の価値は、貴重であると私は思っている。
   投票してもしなくても社会は変わらないというのは、大きな間違いだ。
   選挙権は私たち国民の権利であり、義務でもある。
   権利を放棄し、義務を行使しない人に、
   政府を批判する資格はないと、私は思っている。

   自分の選挙区にどんな人が立候補しているのか、
   その人たちがどんなことを政策に挙げているのかぐらいは
   あふれるほどの情報の中から集めることはできる。

   その上で、自分はどんな社会を望むのか、
   どんな生活をしたいのかという自分の思いに沿った候補者を選べばいい。
   
   一票の重みを軽くあしらうことは、
   自分の生き方をいい加減に考えるに等しいと私は思います。

   私たちはテロリストではない。
   一人の人間が一人の政治家を倒しても何も変わらない。

   国民一人一人の総意が、大きな力となって社会を変えていく可能性を託して、
   棄権をしないで、投票しよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

留学生ビジネス 留学生を食い物にするな! (2)

2019-07-01 08:26:46 | 昨日の風 今日の風

留学生ビジネス
   留学生を食い物にするな! (2)

報道によれば、
東京福祉大学の留学生は5年間で15倍に膨らみ、約5千人におよぶ。
これは、全国で2番目に多い留学生の在籍者数だ。

5千人の在籍留学生の内、
所在不明者1610人の内の約7割が問題となっている「学部研究生」、
つまり、正規課程以外の学生だ。

 
 大学側は「行き場のない留学生を救済した」と釈明しているが、
冗談じゃない。
大学は慈善事業ではない。
人材育成の場であり、
これからの社会を担っていく若者を「教育」という枠組みの中で育てていく機関だ。


 「留学生救済の場」といいながら、人数に見合う事務職員が確保されてない。
教室の設備が整っていない、など教育環境は「救済」とは裏腹である。


なぜこんなことが起きてしまったのか。


 要は、定員のしばりを受けない抜け穴として「学部研究生」の増やし、
「留学生」という海外の若者を利用し、
経営難の穴埋めのための資金稼ぎをしているのだ。
教育ではなく「留学生ビジネス」といわれる所以だ。    

 文科省によると、同大は28年度以降、
それまで数十人程度だった学部研究生を一気に1千~2千人以上に増やしたが、
入学者選考で求められる日本語能力水準を大幅に下回る研究生が多数在籍していた。  
新学期から欠席し、そのまま所在不明になる研究生も多数いたという。(産経新聞)

 この不祥事は、大学側と留学生相互の利益を共有した点になる。
 大学は運営資金の獲得として、
 留学生は在留資格と労働確保というメリットがある。

 政府は08年に「日本を世界に開かれた国にする」として、
 20年までに国内の外人留学生を30万人に増やす計画を打ち出したが、
 目標の達成を優先するあまり、
 関係機関のチエックが甘くなった(朝日新聞)のではないかと懸念します。

 わが国では30万人の人が留学生の在留資格で働いている。
 その多くが第三次産業のサービス業などに就労しているが、
 若者たちの低賃金労働にも繋がっているという指摘もある。

 この留学生問題は、将来を担って立つ若者の芽を摘み、 
 「留学生ビジネス」の対象としてしか見ない日本社会の歪みでもある。

 若者が希望をもって将来のビジョンを描けない社会は、
 健全な社会とはいえず、
 やがて社会そのものが閉塞感の中で衰退してしまうことを
 私たちは一人ひとりが危機感を持って考えなければならない。

 (昨日の風 今日の風№98)   (2019.6.29記)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

留学生ビジネス 留学生を食い物にするな! (1)

2019-06-29 18:19:29 | 昨日の風 今日の風

留学生ビジネス
  留学生をくいものにするな! (1)
  
 政府は2008年「日本を世界に開かれた国にする」一環として、
来年までに外国人留学生を30万人に増やす計画を打ち出した。
その結果、昨年の時点で留学生の総数は5年前のに比べ約13万人多い29万9千人となり、
ほぼその目標を達成できる見通しになった。

 だがその一方で、
留学生の不法残留者も増加している。
図は日経新聞6月11日からの引用である。

 
 留学生が増えるにつれて、不法残留者も増加していることが分かります。
日経によれば、19年1月の留学生の不法残留者は4708人になるようです。
このような留学生の残留問題で、次のような不祥事が発覚した。

 東京福祉大で過去三年間に1600人の留学生が所在不明

 調査に当たった文科省によると、近年になって留学生の受け入れが急拡大しているという。
2016~2018年度に約1万2千人の留学生を受け入れたがそのうち
          所在不明……1610人(このうち約7割が学部研究生)
          退  学……  700人
          除  籍……  178人

  所在不明者の数を詳しく見ると次のようになる。
    28年度……在籍3000人中305人(10・1%)
    29年度……  3733人中482人(12・9%)
    30年度……  5133人中823人(16・0%)

  所在不明者の数が年々増加している。
  しかも、教育環境も劣悪。
  雑居ビルやマンションの一室を教室として使用。
  室内にトイレがあるため授業中でも別のクラスの留学生が出入りするような教室もあった。

  こうした実態を踏まえて文科省は同大学に対し、
「学部研究生」の受け入れを停止し、
入学・在留を当面認めないことにした。
 当然の処置だ。
                        (つづく)

 (昨日の風 今日の風№97) (2019.6.29記)

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成から令和へ ② お祭り騒ぎもいいのだが……

2019-05-05 07:22:15 | 昨日の風 今日の風

平成から令和へ ②

    お祭り騒ぎもいいのだが……
  
  30日。
  最後の平成。
  明日は令和元年。

  ある民放はテレビの画面で、カウントダウンの数字を流し始めた。
  郡上八幡では徹夜踊りをするらしい。
  スポーツバー並みにみんなで集まり、はしゃぎにはしゃいでビールで乾杯。
  旅行会社は抜け目がない。
  南鳥島へ初フライト。令和元年の初日の出拝むことができたのでしようか。

  2019年5月1日。
  雨模様の中令和元年の朝を迎える。
  昨日も、今日も皇居前に集う人々は引きも切らさない。
  上皇となられた人を偲び、天皇となられた陛下を寿ぐ。

  商戦も時流に乗り、アイデアを生かし、商機到来と勢が出る。
  「令和饅頭」、「令和せんべい」等々、土産物店は大賑わいです。

  インタビューに答える人の多くは、
  「平和」「平穏」「幸せ」等をキーワードとしてあげる。

  「明治」→「大正」→「昭和」→「平成」→「令和」
  元号が変わる時代に遭遇する経験は、人生の中で多くはない。
  お祝いムードにつつまれ、ビールで乾杯も悪いことではない。

  「平和」「平穏」「幸せ」は誰もが望む究極の希望であり、願いである。
  だが、他力本願では、希望も、願いもかなえることはできない。
  行動の伴わない希望や願いは、神仏にささやかなお賽銭をあげて、
  願いごとをするに等しい。
  神仏頼みの気持ちはわからないでもない。

  でも、「幸せ」や「願いごと」は、他力本願では得られない。
  出来ることは積極的に前に進まなければ、状況は変わらない。

 
  統一地方選挙。
  相変わらずの低投票率です。
  例えば、茨城県取手市長選 38.56%
         水戸市長選 45.10%

      茨城県市町村議選 牛久市 42.18%   
               土浦市 43.43%
               古河市 44.47%

               水戸市 45.10%
               日立市 46.74%

      県内でも有権者数の多い「市」に低投票率が顕著である。
      ちなみに県内では一番有権者数の少ない五霞村(7313人)の投票率は
               町長選 町議選ともに 70.08%である。
      今、地方で何が起きているのか。
      コミュニティーの崩壊。
      政治への無関心。
      一票の権利を放棄したものに、
      行政や議会を批判する権利はないと私は思っている。
       
      私たちの代表を選ぶ投票率が50%を割り込む様な代表選出は
      最早民主主義選挙制度の崩壊です。
      民主主義は、「数の原理」で結果が左右されます。
      私たちの一票が、私たちの自治を支える代表を選ぶたった一つの方法なのです。

      令和の御代に、「幸せ」や「安定」を願うのも決して悪いとは言わないが、
      「幸せ」や「安定」を望むなら、
      基本となる一歩を一票に託して踏み出してはいかがでしょう。
      一票の権利を行使することは、議会制民主主義の基本であることを
      私たちは忘れてはならないと思う。

      4日。
      ご即位一般参賀が行われ、なんと14万人の人々が、
      小旗を振って「令和」の御代の天皇を祝福しました。
      日本っていいなぁー
     
      (2019.5.4記)   (今日のニュースから№3)

 

        

 

  

 



  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成から令和へ

2019-05-01 09:22:56 | 昨日の風 今日の風

平成から令和へ
   雨。
   30年前、天皇が崩御され哀しみの中、平成の時代が訪れた。
   その日の朝、街は雨に濡れていた。

   今日。
   陛下が2016年8月に退位の意向を示してから約2年9カ月。
   陛下にとっては、長い2年9カ月だったのでしょう。
   陛下にとっては1万1070日の平成の時代を、
   伝統と格式を守りながら、象徴としての天皇の務めを果たすことに心をくだき、
   妃殿下とともに道を歩まれてきたのでしょう。

   雨。
   新元号・令和が多くの国民に歓迎され、
   新しい時代の幕開けにみんなが敬虔な気持ちになった。
   30年前と同じ雨が夜明けの空に煙るように降っていた。
   我が家の庭の花たちも、霧雨の空にしっとり、つつましやかに咲いていました
 光の奥の暗闇に白が輝きます。
雨に濡れて首を垂れて……

清楚な花姿が木犀の下でつつましく……
冬の寒さに耐えてテッセンも……

   「平成」から「令和」へ
   新しい令和の御代の誕生です。
 令和の時代に、国の発展と国民の幸せを祈願したい。
 
 先ほど、即位後朝見の儀が皇居宮殿・松の間で行われ、
  力強い陛下のお言葉を聞くことができました。
  私は、一連の儀式を通じて雅子妃殿下の素晴らしい笑顔に
  救われ、安堵の胸をなで下ろしました。

  令和の御代に乾杯です。

        (2019.5.1記)      (今日のニュースから)


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする