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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

栄光と屈辱の箱根駅伝 ① 快挙の創価大 転落の青学大

2021-01-06 06:30:00 | 昨日の風 今日の風

 栄光と屈辱の箱根駅伝 ①快挙の創価大、転落の青学大
 復路、大きな逆転劇の末に2021年の箱根駅伝が終わった。
 昨年、苦労の末にシード権を勝ち取った
創価大学が、
 往路優勝を遂げ、明日の復路も往路の勢いを以て総合優勝の夢を抱いたに違いない。
  (写真・日刊スポーツ 創価大三上が往路のテープを切る)

 「箱根駅伝4回目の出場」で初めて手にする栄光の芦ノ湖フィニッシュである。
 高揚した気持ちとわずかの不安をかかえて2021年1月2日、
 箱根駅伝初日往路の夜が帳を降ろす。
 目標は総合優勝だ! 
   出場4回目にして初めて追われる立場に立った新進チーム創価大に熱い夜が訪れた。

 東京大手町から神奈川芦ノ湖まで5区間107.5㌔、往路の戦績は
  ① 創価大ー5時間28分  8秒 出場4回目で初優勝の快挙だ。
  ② 東洋大ー 〃  30分22秒    一位との差2分14秒 過去5回の優勝の実績を賭けての優勝を狙う
  ③ 駒 大― 〃  30分29秒 二位との差は7秒 2位奪還は可能な目標だ。6回優勝の強豪校だ。
  
  ⑫ 青学大ー 〃  35分43秒 人気の青学まさかの優勝候補からの転落 一位との差7分35秒
                誤算は3区予定だった主将・神林が昨年末にお尻あたりの仙骨
                に疲労骨折がみつかり、メンバーから外さざるを得なかったこ
                とだ。原監督は次のように発言する。
                「一年間、神林がチームを引っ張った。その精神的、能力的な支えが 
                なくなったときに挽回するだけの精神力がなかった」 
                更にまさかのアクシデントが青学を襲う。
                                             4区でタスキをつないだときは10位になり、挽回のチャンスが訪れるの
                か。タスキ受けた竹石は山登りのスペシャリストだ。期待が膨らむ。
                だが勝利の神は微笑まなかった。レース後半に右ふくらはぎが何度も
                痙攣し、区間17位まで堕ちてしまった。その後順位を12位まで上げて
                往路終了。シード圏内にあと二つ早大と拓大を抜かなければならな
                い。トップとの差7分35秒。シード権を獲得するには拓大との差42秒
                を克服しなければならない。
                
「確実にシード権を取りにいきたい。でも、プライドを忘れずに攻め
                のレースを……」
                青学・原監督の復路に向けてのメッセージである。

                
明けて3日、復路スタートの旗が選手たちの緊張を掃(はら)うように振ら
                れた。
                                       (つづく) 

        (2021.1.5記)      (昨日の風 今日の風№114)

 

 

 

 

 

 

 

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さよなら としまえん 燃えつきたあしたのジョー

2020-09-03 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

さよなら としまえん 燃えつきたあしたのジョー


  (画像は「広告朝日」編集部公式Twitterより)


  としまえん閉園の新聞広告(朝日新聞朝刊8/30)は、
 当時一世を風靡した『あしたのジョー』のラストシーンです

 主人公の矢吹丈が世界チャンピオンのホセ・メンドーサと戦い終ったあと、
 真っ白に燃えつきた場面です。

  これが、としまえん閉園の新聞広告です。
 「黙して語らず」という言葉がありますが、
 なんとシンプルで大胆な閉園広告なのでしょう。
 新聞の見開き前面を使用し、なにも語らないが、
 矢吹丈のまっしぐらな生き方が懐かしい思い出のようによみがえってきます。
 戦い終えて、全てを出し切った矢吹丈。
 バンデージ  をしたままの両手を両ひざの間にだらりと下げ、うなだれる矢吹丈
    
 過酷な試合で、満身創痍。
 だがうなだれた「あしたのジョー」の表情は、わずかに笑っている。
 どこかで、「あしたのジョー」と「としまえん」の姿が
 オーバーラップしてきます。

 画面左上には、『Thanks.』。
 画面右下には、『としまえん』。
 さらに、
 画面右上には、薄墨のインクで『Seibu Group でかける人を、ほほえむ人へ』という会社の
 ロゴマークがあるだけ。

 何も語らず、ただ一言。
 『ありがとう』
 ほぼ一世紀に渡り、子どもにも大人にも親しまれて、
 常に時代の先端を走って来た「としまえん」。
 今、その役割を終えて、
 感謝の気持ちが十分に伝わる『Thanks.』です。
 
 跡地は
 新しく防災機能を持った公園と、
 映画「ハリー・ポッター」のテーマパークとして生まれ変わります。
 


(昨日の風 今日の風№113)      (2020.9.2記)

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児童虐待 №⑫ 小さな命がまた消えた 虐待の連鎖 

2020-08-28 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 小さな命がまた消えた 児童虐待№ 12
        虐待の連鎖 母もまた虐待の被害者だった

    「のんたん」は泣いて疲れて眠って衰弱した… 
                       母親も育児放棄を経験、蒲田3歳女児死亡 
                                                                                                              (2020.7.11東京新聞Web版) 
   全国版で一斉に報道された児童虐待死の事件は、
   私には「またしても……」という思いが強かった。
   だが、事件の詳細を調べるうち、
   事件の裏側にひそむ容疑者の愛情薄く育った環境を思うにつれ、
   彼女の哀れさが浮き上がってきて、なんともやりきれない気持ちになった。

     事件の概要(7月9日 朝日新聞・要約
)
     三歳の女児が飢餓と脱水で死亡した事件で、
   保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された母親(24)が調べに対し、「当時、居間のドアを
   ソファで塞ぎ開けられないようにして外出した」と供述していることが捜査関係者への取
   材でわかった。女児が居間から出た形跡は確認されておらず、母親の8日間の外出の間ずっ
   と居間に閉じ込められていたとみられる。
          
     母親は事件以前にも、女児を1人自宅に残し、パチンコや飲み会などで出かけていたといい、
    放置が常態化していた可能性も考えられる。

    「死ぬとは思わなかった」。
    3歳児の娘を一週間放置し、衰弱死を招いた若いシングルマザーの供述だ。
    重大な過ちを犯したという罪の意識など微塵も感じられない。
    
    なぜ8日も家を空けてしまったのか。
    母親の容疑者は勤務先(東京)の居酒屋
で知り合った男性に会うため、
    長女の稀華(のあ)ちゃんを自宅に残して6月5日から鹿児島県を訪問。
    13日に帰宅し、119番通報した。

   『うそ』の供述
          もっと早く帰るつもりだったが、帰りの便のが取れなかった。
     しかし、6月上旬は飛行機にも空席があったことが確認された。
      交際相手の男性と泊まったホテルは、自分から宿泊延長手続きをしている。
      など、嘘も多い。この手の事件の当事者には、最初は嘘の供述が多いのも特徴である。
      警察の取り調べに堪えられなくなり、
      真相を語り、反省と後悔は最後にというパターンが多い。
           犯した罪の重大さを認識せず、自己保身をする傾向が強い。
     
       
ひもじさと母恋しさに八日耐えわずか三歳(みとせ)の生涯閉じる 
                            …… (東京都)  三神玲子 朝日歌壇 2020-8-16

       何日も子を置き去りに巣を空ける生き物ありや人間以外に
                
            …… (横浜市)  毛涯明子 朝日歌壇 2020-8-23
     朝日歌壇から、二題引用したが、これが一般的な感情だろう。
     
     逮捕された彼女の手首にはリストカットの痕があった。傷は深くなかったものの、
    ヤケを起こさないように警視庁は母親を入院させた。
    結局、退院と同日の今月7日に彼女は逮捕された。

    手首のリストカットの傷跡が、彼女の心の葛藤を物語っている。

      一部の週刊誌では「男狂いのあげく……」などと言う興味本位の見出しをつけて、
    センセーショナルな記事に仕立て上げた報道もみられるが、この放置死事件を
    このような形で処理してしまうと、事件の本質を見失ってしまう。
    
  容疑者・母親も虐待被害者
    彼女の少女時代も、哀しく悲惨なものだった。小学校の途中で児童養護施設に預けられ、
   高校を卒業するまで彼女はここで暮らす。
   彼女の人生に哀しい陰が多い始めたのは、小学2年生のころだったと言われている。
   彼女の母は17歳で結婚したが、我が子への傷害容疑で逮捕(25歳の時だった)。
   父親(25歳)もまた保護責任者遺棄容疑で逮捕されている。
   保護され児童養護施設に措置された彼女は、痩せてあばら骨や腰骨がくっきりと浮き出ており、
   殴られた後だろうか体に多数のあざもみられた。
   衝撃的なことは、彼女の体に刻まれた多くの切り傷だった。逮捕された母親が躾と称し、娘の体を
   包丁で傷つけていたと、当時を知る児相職員は回想している。
 
 児童養護施設で小学校低学年から高校卒業するまで生活
   高校卒業すると養護施設を出て就職するが、1年ほどでやめてしまう。

   同じ頃に結婚し、2016年11月に長女の稀華ちゃんを出産するのだが、
   夫のDVが原因ですぐに離婚。
   シングルマザーとなった彼女は、17年7月から蒲田のアパートでふたり暮らしを始め、
   そこが悲惨な事件の現場となった。
   虐待する両親に育てられ、児童養護施設で生活し、就職、離職、結婚、夫のDVで離婚。
   シングルマザーの彼女は娘を溺愛する場面もあったが、パチンコや飲み会など家を空ける時も多
   かったようだ。
   一番大切なものがなんであるか忘れてしまうように、こころの隙間を埋めるものは、
   愛娘への愛情ではなく、楽しく遊び騒げる友だちだった。
   頼れるものがほしい。
   淋しさを埋めてくれるものがほしい。
   ここに、愛娘への愛情乖離が起きる。

   侵した罪の重さは、糾弾されてしかるべきものだが、虐待や暴力に喘ぎながら、
   こころの隙間を吹いて過ぎる風に、虐待ゃ暴力という悲しみの連鎖を断ち切れなかった
   彼女の哀れさを感じる。
  
   (昨日の風 今日の風№112)               (2020.8.27記)
   

   


 

            

 

 

 

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 新型コロナウイルス ⑦スペイン風邪と丹後大仏

2020-07-06 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 新型コロナウイルス ⑦ スペイン風邪と丹後大仏
   スペイン風邪の教訓を今に伝える。
                 過去の出来事が教訓となる。
  

 京都府の丹後半島北東部、船の収納庫の上に住居がある舟屋の建物群で有名な伊根町。
(伊根の舟屋群)
 天橋立から車で30分。
 風光明媚で波穏やかな海にせり出しすように、漁を業とする舟屋が二百数十軒並んでいる。
 山を背負うように立ち並ぶ地形に漁船を係留する漁港を作る土地の余裕はなく、
 漁で使用する舟は一階部分の収納庫に入れ、2階部分を住まいとして利用している。
   近年は舟が大型化し、舟屋に入らないと言います。
 当然のことながら、時の流れは人々の生活を変えていってしまう。
 『行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、
 かつ消えかつ結
びて、久しくとどまりたるためしなし。』
 あまりにも有名な方丈記の冒頭である。
 無常の風にさらされながら、私たちは遠く過ぎ去ったものを「過去」という時代に置き忘れ、
 新しい世界感を作っていく。

 だが、大きな災害や哀しみ、歴史の転換期になるような出来事は忘れてはいけない。
 私たちが、戦争や大きな災害を乗り越えて来た事実は、
 教訓として語り伝えなければならない。
 口伝は変化し、語り部がいなくれば、忘れ去られてしまう。
 石に刻み、書物に記録して後世の人々に伝える義務が私たちにはある。

 
 この伊奈町の山麗に、冒頭に示した石の大仏がある。
 2メートル近くの石の台座に2メートルの大仏様が鎮座している。
 「丹後大仏」として土地の人々に親しまれている。
 秋は紅葉に映える里山を背景に、
 春は桜の花陰で美しい季節の流れを見つめて鎮座している。

 1919(大正8)年1月ごろに、スペイン風邪で亡くなった地元の人たちを供養するために建立されたと、
 伊奈町史は記録している。
  スペイン風邪は100年前の1918(大正7)~1921(大正10)年に世界的なパンデミックを引き起こした。
  日本の罹患者数 2380万4643人 
     死亡者数   38万8727人 (内務省衛生局編「流行性感冒」から)
              (規模的には、新型コロナウイルスをはるかに上回る感染者と死亡人数です)
 
  丹後半島の伊根町になぜ大仏が建立されたのか。
  通称「丹後大仏」の建立の歴史とスペイン風邪の関係を探ってみたい。
        1900(明治33)年、伊根町本庄・筒川地区に筒川製糸工場が建設され、
      此の辺境の地に最盛期には従業員160名超をかかえ、地域の発展に寄与した工場だった。
   1909(明治42)年、伊根町史によると、筒川製糸工場は火災に遭い全焼し、
      甚大な被害を被る。
 だが、役員以下社員一丸となり復興に勤めた結果、
   1918(大正7)年、再建を果たした。再建までに9年を要したわけだが、この間の役員や社員の
      努力についての詳細は不明でした。
      同年10月、工場長・品川萬右衛門は工場再建に奮起した従業員を労うため従業員116名を率
      いて東京見物の慰安旅行を実行。京都から名古屋、横浜、東京などを10日間かけて巡った。
      大正7年に10日間にわたる研修慰安旅行はおそらく、
      当時としては革新的な時代を先取りした企画だったと思います。

      火災で全焼し、9年を費やして再建された製糸工場に、
      2度目の不幸が襲いかかります。
      研修慰安旅行で訪れた当時、スペイン風邪が世界的な規模て感染拡大していました。
      東京も例外ではありませんでした。

      帰路。
      伊根に近い宮津で、参加者が次々に発症した。
      当時の記録が残っている。
         「宮津町ニ帰着シタル一月二十二日ノ夜
      (中略)悪性感冒ハ可憐(かれん)ノ女工ニマデ襲ヒ寄リ……」
      当時としては、画期的だった東京慰安旅行のお土産が悪性感冒(スペイン風邪)。 
      なんという不運なのでしょう。

      帰郷した従業員のうち42人が死亡。
      村内にも広まる被害を出してしまいました。
      工場長の品川萬右衛門は亡くなった従業員の慰霊のため、
      1918(大正7)年工場内に青銅製の阿弥陀如来像を建立。
      これが丹後大仏です。
      初代の丹後大仏は昭和19年に金属回収令により徴収され、
      悲願の大仏(阿弥陀如来像)も、
      戦艦の一部や鉄砲の玉などにするため無くなってしまいました。
   1945(昭和20)年4月(終戦の4カ月前)、初代青銅製大仏の立っていた筒川工場の跡地の同じ場所に
      再建されました。
     
(新綾部製糸株式会社筒川工場は昭和9年ごろまで存在したそうですが
      現在、往時を偲ぶものは、石の丹後大仏だけになってしまいました。)
  
 悲劇語り継ぐ 「大仏」で記憶継承
  当時を直接知る人はいなくなったが、「町民は誰もがスペイン風邪の悲劇を知っている」と
  近所の人は言う。毎年4月の慰霊祭では、有志で雑草を狩り、甘茶を飲んで往時を偲んできた。
  だが高齢化が進み、2年前にを最後に途絶えかけた。
  今年5月、観光協会が呼びかけ、住民による草刈が復活。
  新コロナ終息を祈った。(朝日新聞)

  記憶は時の流れとともに薄れ、消えて行ってしまう。
  だから、記念碑、顕彰碑等は過去を振り返えり、
  忘れないために大切に保存することが必要なのでしょう。
 
  およそ100年前、世界で感染拡大したスペイン風邪は
  日本でも多くの感染者と死者を出した(前述)。
  日本国内で大小三度の流行を繰り返した。
    第一波 1918年8月~19年7月  患者数2116万8398人 死者数25万7363人
    第二波   19年9月~20年7月  患者数  241万2097人 死者数12万7666人
         第三波    20年8月~21年7月   
患者数 22万4178人 死者数  3698人
     合 計               患者数 2380万4673人 死者数38万8727人
                           (内務省衛生局編 「流行性感冒」より)

      歌人の与謝野晶子は、第一波の際に子どもの一人が学校で感染した後、
      「家内全体が順々に伝染した」と書き残し、第2波に際した新聞への寄稿
      では「死が私たちを包囲して居ます」と社会を襲う恐怖を代弁ししている。
                            (朝日新聞2020.6.11)

   4日午後9時現在、全国で262人の感染者を出した。
   とりわけ東京都では3日連続100人を超える感染者を出し、
   隣接する県でも感染者が出始めている。
   第2波が来るのかというような漠然とした予測ではなく、
   緊急事態宣言を解除し、経済活動が活発化し、人が動き出せば
   感染は必ず繰り返されるという自覚が必要です。
   世界の感染状況や100年前のスペイン風邪がそのことを如実に物語っています。

   誤解しないで欲しい。
   緊急事態宣言の解除は安全宣言ではない。
   低迷し混乱する社会と私たちの日常の生活を取り戻すための苦渋の選択だったのだ。
   寄せては返す波のように再び私たちは感染との戦いを強いられる。

   新型コロナウイルスへの「自衛の戦い」という意識がなけれは、
   この戦いとの勝ち目はないことを自覚しながら、今日も生きよう。

   午後8時。
   早くも現職都知事が当確を決めたようです。
   きめ細かなコロナ対策の継承を期待したい。
           参考資料 朝日新聞 日本経済新聞ウエブ版 内務省衛生局編「流行性感冒」等

      (昨日の風 今日の風№111)      (2020.7.5記)

 

 

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内部告発 ② その後の展開と問題点

2020-06-26 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

「内部告発」その後の展開と問題点

 山口県田布施町が固定資産税の課税ミスを内部告発した職員を、
 町役場とは別棟の公民館の畳の部屋に移動させた。
 課税ミスは、何の改善もされずそのまま放置され、2年が過ぎる。
 この職員は、2年間にまったく関連性のない部署へ3度の異動の辞令が降りた。
「正しいことをした人間にこういう仕打ちをすれば、他の職員は何も言えなくなる」
痛恨の思いである。
 「隠蔽」「パワハラ」の疑い明らかな事象に町は、町はまったく誠意を示さず
 9日の町議会で、東町長は「隔離をするとか、人間関係を切り離すというつもりはない」
 と正当性を主張していた。
 10日、全国区の新聞やメディアに一斉に報道される。

 町民の反応は素早かった。
 報道以後、町には抗議の電話やメールが600件以上も寄せられ、爆破予告の電話まであり、
 町長たちの思わぬ方向に拡大していった。

 町の対応は早かった。
 6月18日、朝日新聞の記事。
「町長謝罪、職場変更へ」
 移動が報道された9日以降、職員と数回面談し、直接謝罪。
 人事評価も内部調査の結果、適正な評価ではないと撤回、訂正。
 (こんな、不適切な人事評価をした人物は何らかの咎めがあってしかるべきではないか。
 だが、この評価が町長がらみで行われた場合、どう決着をつけるのか)

 町は今後、職場での問題を外部の弁護士に直接相談できる体制を整えることも検討している。
 職場環境の健全化と労働環境の透明化等については、期待するところ大である。
 しかし、問題もある。
 町が選任する弁護士等はどのように選任するのか。
 小さな町で特定の弁護士を選任しても、町や町長と同じ穴のムジナになってしまっては
 なんのための是正策かわからなくなってしまう。
 かって、第三者委員会の設置が義務付けられたとき、
 そのメンバーをトップの知り合いや、利害関係で繋がる人を選任し(設置要綱にはこうしたことがないよ
うに人選の注意事項も示されているのだが)、
第三者委員会の信用性を失墜させてしまった例はいくつもある。

 6月1日から、パワハラ防止対策を義務付けた「女性活躍・ハラスメント規制法」が施行された。
 法によるパワハラ規制は初めてで、成果が期待される。
 各地の労働局に寄せられた相談で、パワハラを含むいじめや嫌がらせは、約2万2千件にのぼっている
 (2018年度)。7年続けてのトップである。

 経営者や上司等の意識改革をしなければ、
 この規制法は絵に描いた餅になってしまう。

 内容にも問題がある。
 労働者側が強く求めていた罰則規定が盛り込まれていないことである。
 業務上必要な指導とパワハラとの線引きが、曖昧であるというのが、
 経営者側の反対した理由である。

 しかし、往々にしてパワハラ問題が表面化するのは、
 「業務上必要」だとして行った「指導」の行き過ぎで、問題になり、
 表面化する労働問題はたくさんある。
 指導する側とこれを受ける労働者側の解釈の違いで、
 発生し人権問題にまで発展するケースは多々見られる。
 罰則規定がないから、「注意勧告」で終わってしまうのか。

 国際労働機関(ILO)は、2019年ハラスメントを禁じる条約を採択した。
 罰則規定や被害者救済措置も明記されていることから、単なるハラスメント禁止条項ではなく、
 労働者の人権を守ろうとする意図が感じられる。
 田布施の問題が示すように、パワハラは人権問題だという意識を喚起するような
 指針が必要なのではないか。

 今回の事例が示すように、
 定見のない指導者や上司がいる職場は
 不幸である。
 町長をはじめとして、職員が一丸となってより良い職場づくりを心掛けることが必要と思う。
 ぜひ、今回のことがそのための試金石になれば幸いである。
    ※ 参考資料 朝日新聞 中国新聞デジタル

 (昨日の風 今日の風№110)       (2020.6.25記)

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内部告発 ① これはパワハラではないのか

2020-06-20 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

内部告発  ① これはパワハラではないのか
        こんな理不尽なことが許されていいわけがない

  固定資産税の課税ミスを内部告発した40代職員を、
 1人だけの部署に異動させた。(朝日新聞6/10)
 移動させられた職場は、町役場とは別棟の公民館の和室の畳を取り除いて机が置かれている部
 屋で、普段は公民館活動として住民に貸し出されていた一室です。
 畳が数枚取り外され、机が一つ置かれている。
 他に職員はおらず、公民館の和室の畳を取り除いて机が置かれている(朝日新聞6/10、
11)。
 (画像・NHKウェブニュースより)
   部屋の両側には畳が引いたままになっており、パソコン画面の前面の椅子が置いてある側
  には畳が立てかけてある。上げた畳が塞いでいるのは出入り口のように見えるのだが、
  だとすれば、なぜドアが塞がれているのか不可解だ。
  画面右側には、プリンターが、和式の長テーブルの上に置かれている。
  左側には事務用品(?)が雑然と置いてある。
  仕事部屋には程遠い部屋です。

  約30年ぶりに設けられた「町史編纂室」というのが、町の説明です。
  「約30年ぶり」ということは、30年前には「町史編纂」業務が存在し、
  その復活ということなのか。あるいは、増補版か改訂版を作成するということなのか。
  町史編纂というのは通常、学識有識者等をメンバーを加え「実行委員会」を立ち上げ、
  予算を獲得し、年単位で取り組む事業で、とても一人でできるような安易なものではない。

事件の概要。
  ことの始まりは、中国新聞5/14付報道は記者・堀晋也の署名記事で
 「30年以上 税徴収ミス(山口県)田布施町、2万件調査へ 職員が指摘しても放置」を報じた。

 これが事件の発端です。
 これより2年前、税務課職員が相続時の手続きミスによる固定資産税の誤徴収を発見。
 職員は上司に報告したが対応しなかったため町議たちに告発した。
 その結果かどうかわからないが、その年の業務評価は最低の0点。(報復評価?)
 職員はこの2年間で3回移動させられている。
 税務課から→(おととし・2018年8月)には
→建設課へ
     →(去年・2019年4月)には→田布施・平生水道企業団へ→(今年・2020年4月)には→財政企画課町史編纂室

  この町史編纂室が問題の、今にも朽ち果てて崩壊しそうな公民館の一室である。
  告発した職員は
  「急ごしらえでつくったような部屋に異動になり、孤立させられているような意図を感じる。
    このような町の対応を見たほかの職員が間違いを正そうという気持ちをなくして、
  組織として悪い方向に進んでしまうのではないか」と町の対応を危惧している。


 町は8日夜、「想定問答集」まで作成していた。
 異動の理由は職員が原因で「周りがノイローゼ気味になっており、(他の職員を)守る必要がある」
 などと記し、パワハラや「隔離」でないことを説明する一方的な内容だ。
 一般市民からの町の対応に対する不満が原因で、批判の電話が殺到していることが
 大きな原因なのにそのことを棚に上げて、「守る必要がある」という感覚は、
 本末転倒で、組織のリーダー失格。
 こんな町長や上司のもとで働かざるを得ない職員こそ不幸であり、
 町長を選んだ町民こそ最大の犠牲者だ。

人事についての報道で住民らから問い合わせが殺到し、主に対応する総務課員向けに作ったという。
亀田課長は「報復人事との指摘を否定するため」と理由を話した。
自分たちの 正当性を主張するためには、告発した職員のプライバシーを暴いてもいいのか。
 
40代職員は2018年4月に税務課に着任以降、3回異動して今年4月に町史編纂(へんさん)室に移った。問答集には、これらの異動歴のほか、人事について「隔離ではありません」と説明するよう書かれていた。(デジタル版朝日6/11)
 
 なんともお粗末な市の対応だ。
 誰が見ても、これらの処遇は、内部告発への報復人事といわれても仕方がない。
 東浩二町長は、パワハラや隔離を否定しています。
 2年間に3度の異動は、人事部の責任であり、町長の監督責任です。
 たらい回し人事は、職員の見極めを怠り、
 おそらくは異動についての説明もきちんと行われたのかどうか、
 町長は当該人事についての説明責任をきちんと果たすべきだ。
 人件費の無駄遣いと糾弾されても仕方のないことです。

 姑息な「想定問答集」など作り、自分の正当性ばかり主張せずに
 どんなことがあったのかを説明する義務があります。

 もう一度事件の内容を振り返って、具体的に見てみましょう。
  2018年5月 固定資産税を過大に徴収していることを発見。
        気づいた職員は当時の課長に報告。
        しかし、何の調査もされなかったため
        町議らに内部告発。
     同年8月 建設課へ異動
        告発した職員はこの年の人事評価が0点
  2019年4月 田布施・平生水道事業団へ異動
    同年9月 税務課長  懲戒処分(減給) 
        東浩二町長 給与減額
       2020年4月 財政企画課町史編纂室へ異動
      6月 9日町議会で、(一連の異動は)「人事権の乱用ではないか」と指摘され、
        町は「問題とはとらえていない」との認識を示した。

  時系列に書き出してみると、町の対応の杜撰なことが明確になる。
  人事権の乱用であり、報復人事であることは明白だ。
       この問題に対し町長は「悪気があっての人事ではない」と答弁したようですが
  答えになっていない答弁で、自己弁護の一言に尽きる。

 中国新聞デジタル版 2020.5.14配信
  2018年5月に固定資産税を過大に徴収していたことを、税務課の職員に指摘されたが
  改善の措置がなされず、放置されたことに対し、堀川課長は、
  
「職員の減員などでほかの仕事が忙しく、対応できなかった」と釈明した。
  課税ミスは直ちに原因を明確にし、再発防止の策をとり、謝罪と是正をしなけりばならない。
  これは、町政を預かる組織としては、最優先事項であるはず。
  これに勝る優先事項はないはずなのに、「他の仕事が忙しくて」と釈明。

  町長を始め、自己保身に基づいた発言が目に付く。
  「隠蔽」の匂いさえ立ちのぼってくる。

  「正しいことをした人間に、こういう仕打ちをすれば、他の職員は何も言えなくなる」
  告発した職員の痛哭の思いである。
      
      この記事は NHKニュース 朝日新聞 中国新聞 山口新聞を参考にしました。 
        

          次回は「内部告発」その後の展開と問題点について記事にします。

      (昨日の風 今日の風№109)         (2020.6.19記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 




 

 

 

 

 

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新型コロナウイルス  ① 世界の感染状況

2020-04-26 08:50:51 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス ① 世界の感染状況

 世界の死者数が20万人にせまる(米ジョンズ・ポプキンス大 集計)。
  4/25午後5時の時点で前日より6,000人以上増えて19万7162人
       感染者は前日より10万人以上増えて281万1891人

 終息の兆しが見えて来た国(中国、韓国)もあるが、
 世界的には感染の拡大はもっと増えるのではないか。
 アフリカ大陸諸国の医療体制は、ご承知のように充実しているとはいいがたい。
 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、
 当初は世界の豊かな国を襲ったが、
 拡大するに従ってアフリカでの感染者も急増している。
 人口12億のアフリカ大陸で初の感染者が出たのは2020年2月14日、場所はエジプトだった。
 しかし、わずか2カ月足らずで、新型コロナウイルスはアフリカ大陸全域に広がった。 
   【 夜が明けたばかりですでににぎわい始めているキベラの路地 。写真右側の壁画は 「一緒にコロナと闘おう」と訴える。キベラのように人が密集したスラム街では、その戦いに勝利することはむずかしい。文・写真=NICHOLE SOBECKI】

 写真でおわかりのように、
 上下水道はままならないから、手洗いなども満足にはできない。。
 トイレは共同で、衛生管理もままならない。

 アフリカ大陸全土における感染者の合計は、4月上旬に1万人を超えた。
 大半の国は医療水準が低く、機材や医療従事者も少ない。
 起爆剤を握っているアフリカ大陸が今後、
 コロナウイルスの感染拡大をどのように押さえ込むのかが大きなカギになるのではないか。

 新型コロナウイルスの世界の死者を見てみよう。
      今月3日…………5万人
        11日…………10万人
        18日…………15万人
             つまり約1週間で5万人づつ増えている。
   なんでも一番のアメリカは感染者90万5333人
                    5万1949人
    
    感染拡大を防ごうと外出規制などが続くアメリカだが、
    一部の州(ジョージア州等)では、美容院などの営業再開を認めた。
    経済活動の再開に向けた動きで、
    疲弊した経済を1日も早く回復させたいということなのだろうが、
    感染がまだ収まっていない時期に、早すぎるのではないかと危惧されている。

    「傘をさしているから雨に濡れていないのに、
   『大丈夫だ』と思い違いして傘を捨てるようなもの」

   とアトランタで働く救急専門医・中嶋優子さんは経済活動の再開に不安を呈する。
   ジョージア州の死者数は減少傾向にあるが、
   それは外出規制という傘をさすことが前提だと考えている。

   中国の動き
    中国 感染第二波を警戒。移動制限復活も。
    新型コロナウイルスの押さえ込みが進んでいるとされる中国だが、
    感染拡大の「第二波」につながりかねない動きに神経をとがらせている。
    帰国者からの感染拡大や、無症状者の発見が続いているためで、
    克服の難しさが浮き彫りになっている。(朝日新聞4/26)

    罰則を設けず、強権力で私権を押さえ込むことなく、
    歯がゆい思いはあるが、
    規律を乱さず、
    個人の良識ある行動でこの災厄を乗り切れることを
    世界に示すことができればよいのだが……

    国内での感染者 ………… 13227人(+366人)
         死者 …………   358人  (+13人)

     東京都感染者 ………… 3836人(+103人)
         幾分感染者が落ち着いてきたようですが、100人を割らないと安心できません。
                                                                           (25日午後9時現在
)
    

    (昨日の風 今日の風№108)       (2020.4.26記)
   
    

    

 

 

 




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新型コロナウイルス(2) 余波

2020-03-30 15:34:10 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス 余波
  三月はほとんどの施設が、新型コロナウイルス感染予防対策で閉鎖に追い込まれてしまった。
  例えば、図書館、公民館、福祉センター、生涯学習センター等々すべてが閉鎖されてしまったので
  週5日程度あった講座がすべて中止か延期になってしまった。
  ボランティアで通っていた保育園も外来者は訪問禁止になってしまった。
  週一回の割りで通っていたが、突然の出入り中止である。
  こんな時であるから、仕方のないことであるが、
  10年以上も続けていた『「いっしょに読もう」の演出が、保護者及び外来者の出入を禁止します』の
  貼り紙一枚で処理されてしまったことに少しの憤りと失望を感じています。
  所詮私の行っていることは、張り紙一枚でかたずけてしまうほど軽いものだったったのかと
  経営者側の配慮の足りない言葉足らずの扱いに、残念な思いもしています。

       二件の電話があった。
  長年続けている歴史勉強会と読書会の責任者からの電話である。
  最初に3月の講座中止のお詫びと、「4月になれば……」と楽しみにしていたのだが、
  コロナウイルスの状況は一向に好転せず、
  一ヵ月閉講していたのだからそれでいいというものでもなく、
  感染と拡大を防ぐためには、
  私たち一人ひとりがそのためにしなければならないことを
  確実に守っていくことが大切ではないかと、
  3月に続いて4月も閉講する旨を丁寧に説明された。
  反対する理由もなく、こころよく承諾。

  ここのところ、体調も良くなく、せっかく余った時間は読書三昧に当てることも
  結構よい機会ではないかと、家の中にこもることにした。

     (昨日の風 今日の風№107)         (2020.3.30記)

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新型コロナウイルス すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

2020-03-08 18:17:08 | 昨日の風 今日の風

新型コロナウイルス
    すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

   急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている……。

   知っている。感じている。

   それでいて、それを知らないふりをして日々を送っている。

         …… …… …… ……  


     明日のことは考えない。

   考えるのが耐えられないからだ。

   いま現に進行しつつある事態を、直視するのが不快だからである。

   明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。

   しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。

   事実は事実として受け止めるしかない
     
                       五木寛之著 下山の思想
                        
                     
ブックデーター
: 幻冬舎 2012.1 第五刷
                     読書案内「下山の思想」過去ブログ2019.04.20で紹介。
                     その時の引用文を再掲しました。

  私たちの社会は隣人同士が互いに気遣いながら、「社会」という共同体を構成している。
 しかし、多種多様の考え方を持った人間が自由競争の歯車を回転させれば、それぞれが持つ
 歯車の大きさや重さや性能によって成果が異なってくるのは必然のことだ。
 生きていく過程で様々な格差が生まれてくるのも仕方のないことなのかもしれない。

  住みよい社会の実現は、誰もが望む普遍的希望なのでしょう。
 経済格差、教育格差、労働格差等々富める者と貧しき者の格差をできるだけなくそうと
 政治は模索し与野党は議論を尽くす。
 だが、ひとたび社会の均衡が崩れてしまうと、私たちの社会は、
 脆く、脆弱な部分をさらけ出してしまう。
 「誰もが望む普遍的希望」が内包する「隣人同士の気遣い」という
 最低限の規範(モラル)
の均衡が崩れ、
 「自分さえ良ければ」というエゴ(我欲)が出て来るからだろう。
 質の悪いエゴは、根底にある「自分さえ良ければ」という
行為に気づかずに、
 平然と行ってしまうことだ。
 
 
あの東日本災害の被災地においてさえ、無人の家に押し入り、
窃盗を働く輩がいたことを私たちは覚えている。
規律正しく、自制心を失わないと言われている日本人にして、この始末である。
これ幸いと、暴動に発展し、器物破損で混乱に拍車をかけてしまい、
挙句の果ては店内の商品を窃盗するようなことは現代のわが国では発生しない。
 

(ウイルス粒子表面が太陽の光冠(コロナ)に似ているところからこの名が付けられたと言います)
新型コロナウイルス騒動に関するもう少し身近な例を挙げれば、
マスクやトイレットペーパの買い占め、そして転売。
オークションでは、法外な値段で取引が成立している。
ある種の人々にとってこれらの製品は、どうしても手に入れたい必需品なのでしょう。
「おカネさえ出せば、手に入れられる」と単純に考えるから、
「私さえ良ければ…」という考えが根底にあるから、
自分のために、家族のために無理をしても、
或いはスーパーのレジに何度も並んで購入するから、
品不足に拍車がかかる。
こうなると、メイカーや販売店が、
「在庫は有りますから、大丈夫です」と説明しても、
我勝ちに、という群集心理に負けてしまう。
悪循環が始まり、社会不安に拍車がかかり、
最低限の規範の均衡が崩れて行ってしまう。
デマが流れる。
振り回される人々がいる。

私たちは、関東大震災による社会不安の中で起きた、特定の外国人を殺傷してしまった
悲しい事件を忘れてはならない。
 大正12年(1923年)、わずか97年前の出来事である。
関東地方を襲った地震により、壊滅的な打撃を受けた社会は、
人心を不安に陥れ、社会秩序は乱れ、それを煽るようにデマが飛び交った。
厳戒令が布かれ、内務省は各地の警察署に、治安維持に最善を尽くすことを指示した。
内務省下達には次のような一文があったという。
「混乱に乗じた○○人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」。
この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、
特定の外国人殺傷事件へと発展していくのであった。

 「○○人が井戸に毒を入れ、日本人毒殺を計っている」。
 デマに踊らされた民衆は自警団を組織し、○○人と思しき外国人を捉え、
 多くの犠牲者を出した事件である。

 教訓として残る戒めは、情報を鵜呑みにしない。
 デマに踊らされない。

 だが、社会的不安が起こるたびに、デマや買占めなどが起こり、
 或いは、何処に「船から降りた人」がいるから、近寄るななどという
 差別ともとれるような噂が流れている。
 
 平和で秩序の保たれたように見える社会がいかに脆いものかを、
 しかも、社会的変動は往々にして弱者に対して風当たりが強いことを
 私たちは自覚しなければならない。

 昨年12月29日。
 中国・武漢市海鮮卸売場で広がった原因不明の肺炎患者7人が悪夢の始まりだった。
 「最初はそれほど特殊なケースとは思わなかった」(張院長)。
 だが、一般的な肺炎とは異なり患者がたんを伴わない空ぜきが多く見受けられ、
 従来の肺炎では重篤患者にみられる呼吸困難が多く見られたという。

 患者は増え続け、「これはただ事ではない」と「我々は嵐のど真ん中にいる」。
 自覚した時にには、時すでに遅し。
 
医療物資の不足。医師不足。医療機関不足。
1月23日。武漢封鎖外部との交通遮断。
情報隠蔽、改ざんがパンデミックを導き、
いかに脆い社会であるかを露呈した新型コロナウイルスである。

 交通網が発達し、情報が飛び交う社会への警鐘と捉えたい。
 その上で、事実は事実として、一人一人が受け止め、
 世界の危機に対処しなければならないと思う。
           
       (昨日の風 今日の風№106) (2020.3.8記)


 








 




 








 

 

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アフガンの大地に倒れた中村氏を悼む  「悔しい」とただそれだけを思い泣く…

2020-02-13 06:27:34 | 昨日の風 今日の風

アフガンの大地に倒れた中村氏を悼む
            「悔しい」とただそれだけを思い泣く……

 共に撃たれしアフガンびとを悼みたる家族の声のとうとかりけり 
                              
 ……(水戸市)中原千絵子 朝日歌壇2020.01.12
     中村哲氏がテロの銃撃に襲われた時、
    同乗していたアフガニスタン人の運転手、警備の人など五人も犠牲になっていた。
    「父を守るために亡くなったアフガンの運転手や警備の方、残された家族へ申し訳ない気持ちで
      いっぱい」と親族代表としてあいさつした長男健さん(36)はお悔やみの言葉を述べた。
    たくさんの参列者がこの言葉に、
    志半ばで銃弾に倒れた父への哀しみに耐え、
    犠牲になったアフガンの人々の家族への思いやりに涙しました。

 

アフガンの大地に水と人の「道」創りし仕事中村氏逝く 
                        ……(観音寺市)篠原俊則 朝日歌壇2020.12.29
    アフガンの大地は渇いた「沙漠」で、砂の「砂漠」ではない。
    赤茶色に乾燥したした大地は、一切の緑を拒否している。樹も野菜も育たず、牧草も生えないから
    牧畜も成り立たない。水が枯れた大地は、私たちが想像するよりはるかに過酷な大地だ。
    生活に必要な水汲みは女の仕事だ。
    数キロも先の水場から、家族のために命をつなぐ水を頭に乗せて運ぶ。
    汚れた水は命をつなぐ水でもあり、ときによっては命を奪う水にもなりかねない。
    汚れた水は、胃腸炎を起こし、大人だけでなく、幼い命を奪う細菌の混じった汚れた水でもある。
    そうして中村氏は医療から、渇いた大地を潤し、緑の大地の創生にエネルギーを注ぐことになる。
    その間のこころの経緯を、中村医師との対談の中で澤地久枝は次のように述べている。 

 医師として、医業にいかに献身してもむなしい答しかない現実。原因をのぞかねば救えない命の数々。死の跳梁を手をつかねて見ていることができず、ついには、沙漠化するアフガニスタンの大地に水をもたらすべく、水路建設に率先してとりくむことになった医師の奮闘に、多くの日本人が共感し、事業資金を寄せて来た事実を私は知った。
        人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束 
                中村哲・澤地久枝対談集 岩波書店2010年2月刊行

生きるため傭兵になる男らを緑の大地に導きし人
                      
……(松阪市)こやまはつみ 朝日歌壇2020.12.29
 この歌もまたアフガンの過酷な現実を見つめている。
 傭兵になって一家の命を支える。
 命を賭けるだけの仕事なのかどうか。部外者でアフガンの現実を知らない私には判断のしようがない。
 ただ一つ言えることは、傭兵にならざるを得ない過酷な現実があり、
 何とも言えない憤りが沸々と湧き上ってくる、ということだ。
 ブルトーザーで水路を開削し、命の水を引く中村医師は、
 命を賭けて過酷な現実に向かって、当たり前に生きられることの素晴しさ実証しよとしたのではないか。

薬では飢えや渇きは治せぬと水路作った中村医師逝く 
                      
           ……(那珂市)小野瀬寿 朝日歌壇2020.12.29
 アフガニスタンは、二つのイスラム勢力が対立する。
 イスラム原理主義・タリバンとスンニ派過激組織「イスラム国」の二つの組織が、
 テロ攻撃の応酬を繰り返し治安は最高に悪い。支援活動を行う団体も標的に合う、と報道は伝える。

 医療行為をする医師も少なく、薬の補給もままならない。
 「医者がいる」という情報は人から人へと辺境の山岳地帯に流れていく。
 食料が乏しく、栄養状態の悪い住民が山を越え、谷を渡って中村医師のところに来るが、
 医薬品を持たない医師の無力さを無念の思いで噛みしめる。
 意気消沈して重い足取りで来た道を戻っていく後姿を中村医師は、
 ただただ黙って見送るほかに手立てがなかった。
 

 今、住民に最も必要なものは、「百の診療所よりも」、清潔な水を供給できる井戸であり、
『大干ばつにより栄養失調に加え、汚い水を飲み、赤痢で亡くなる人々も大勢いました。医療者たちは、幼い子どもたちの命を奪っていく大干ばつに、なす術なく立ちつくすのみでした。きれいな水と食べ物さえあれば、多くの人が死なずに済んだという思いが溢れてきました』と、報道はルポルタージュで伝えます。
 
 ペシャワール会によれば、1991年には、ダラエヌール(アフガニスタンの東部山岳地帯)に最初の診療所を開設し、1998年には恒久的な基地病院としてPMS(ペシャワール会医療サービス)病院をペシャワールに建設します。以来、東部山岳部の3診療所を中心に、山岳無医村での医療活動を行なってきたようです。

 やがて、PMS病院の付近に井戸掘りが開始されます。
 ここでは、医療よりも、清潔な水と食べ物の確保の必要性は、
 PMS病院付近に井戸を堀り、2000年5月に開始されたこの事業を中心に新たな活動を始めます。
 飲料用井戸約1600本と直径約5mの灌漑用井戸13本を掘削。
 2003年には、全長25.5キロの農業用水路の建設にも取り掛かります。
 乾いた大地に緑が復活します。

 

先生を返せお前も井戸を掘れ正しいことなら何故撃って逃げた
                     
……(奈良市)矢尾米一 朝日歌壇2020.12.29
 痛恨の思いを矢尾さんは、「正しいことなら何故撃って逃げた」と歌に怒りをぶつけています。
 「先生を返せ」と悲痛な慟哭の叫びが聞こえてくるようです。

「悔しい」とただそれだけを思い泣く中村医師を識る人はみな 

                               ……(瀬戸市)冬木裕子 朝日歌壇2020.12.29
 崇高な志半ばにテロの銃弾に倒れた中村医師への思いは、
 「悔しい」とひと言。余計な言葉はいらない。

 

十二月夢は砂漠をかけ廻る 

                 ……(久留米市)塚本恭子 朝日俳壇2020.01.12

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉

中村さんが長年かけて築いた用水路に沿って、水が流れ、大地が潤い、人々が戻り、村が再建される・・・完成した用水路の最終地点に新たな村ができる頃には、アフガニスタンは緑の大地で覆われているかもしれません。

誰の言葉だったか、ネットで見つけた言葉。
中村医師の希望の灯りに救われる言葉でした。

芭蕉は「奥の細道」の中に「わび・さび」という日本文化の礎になるような精神性を求めて、
前途三千里の行程を若くはない身体に鞭打って、
千住の河岸を門人や彼を慕う友人たちに見送られて旅立ちました。
芭蕉の夢の追及は、病んで旅に倒れようとも、絶ちがたい思いを夢に託して
臨終の際まで続いていたのでしょう。

内村鑑三が「代表的日本人」の一人として紹介した二宮尊徳もまた、
自分の夢を追いかけ実践論者として、
関東一円の荒廃し、疲弊した村々を命を賭けて復興に導いた偉大な先達者だったように思います。
小田原の生家や田畑を処分した70両を懐に妻子と伴に下野(現栃木県真岡市)の桜町陣屋に赴任しました。
全財産を処分し背水の陣を敷いた尊徳翁の並々ならぬ強い意志が感じられます。
尊徳翁もまた異郷の地でその生涯を閉じますが、
村の復興と農民への愛情は生涯消えることがなかったように思います。

 

最後に、中村医師自身の言葉を紹介してこの稿を閉じます。

 「土壌があってこそ、初めて平和に暮らしていけるのです。家族がお腹いっぱい食べることができる、そして故郷に安心して住むことができることこそが平和なのです」

 自分のことには寡黙だった中村医師の言葉です。
命を賭けた強い意志に裏付けられた、住民への優しさに溢れた言葉と受け止めることができます。
アフガンの危険地帯で夢を追いかけた中村医師の夢は、アフガンの人々の夢でもあったのです。

 ご冥福を祈ります   合掌

      (昨日の風 今日の風№105)         (2020.02.12記)

 

 

 

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