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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ②

2019-08-05 17:00:00 | 読書案内

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ②
  集中内省」と「人生の棚卸」

  
    金で昔が買えるなら
   堅気になります 稼ぎます
   殴って夢が覚めるなら
   なんで喧嘩をするものか                         
           「ネリカンブルース」 歌・藤圭子

    「ネリカンブルース」の歌で表現される非行少年像は、デフォルメされてしまう。
   美化され、偶像化されてしまい現実の非行少年像とかけ離れてしまう。
   現実の非行少年の実態は歌で表現できるような単純なものではない。
   窃盗、強姦、脅迫等生々しい現実の中で少年たちは喘いでいる。
       
 格好つけていました    
 そして 恥ずかしかったのです
 でも 今なら言えます  
 心の底で 素直に言えます 
 お母さんごめんなさい

 少年院は集中内省といって、
今まで自分がしてきたことを考えてみる場所だと著者は言います。
 「詩」の一部を紹介しましたが、この詩はおそらく集中内省を繰り返し繰り返しおこなった後に書いたものではないかと思います。
過去の自分を振りかえって「格好つけていた」と書いていますが、
非行の実際は目をそむけるものがあります。

 親に刃物を突き付けて暴れまわる。
 薬物中毒になりラリって自分を見失い、
 仲間から孤立しどうしようもない自分に嫌気がさす。
 「援助交際」と称するウリ(売春)をしたり、
 「流産パンチ」といって、妊娠した少女の腹にパンチを浴びせ流産させる。

 「非行」と一口に言っても、その実態は千差万別である。
 薬物依存症の対処療法に「人生の棚卸」といわれるカリキュラムがある。
 過去と言う棚に収まっている自分の人生の一つ一つを掘り起し、自己と向き合う作業です。
 
 「人生の棚卸」も「集中内省」も、自分というものを冷静に見つめ、
 狂った歯車を正常の状態に戻す根気のいる作業であり、時間が必要な取り戻しの作業なのです。

    
   
    「クズはクズだ」

    「一生懸命やっていたのに……。」
                    (18歳の少年)

   「お前がどうなろうと関係ない。
   ほかの奴をみちづれれにするな」
   教室で騒いでいた僕に向かっての一言。
   でもあんまりです。 

        (17歳の少年)

   先生たちの言葉とは思えないような叱責です。
  実はこういう言葉が少年たちを一層傷つけてしまうのです。
  時に、先生という職業は辛く、忍耐を要する職業です。
  2人の少年と先生の間にどんな確執があったのか、具体的には分かりませんが
  決して言ってはならない棘の含まれたことばです。
                               (つづく)

   (読書案内№141)    (2019.8.5記)

 

  

 

 

 

 

 

 

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読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ①

2019-07-27 06:00:00 | 読書案内

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 
              
 少年院からの手紙 ①
 
 練鑑ブルースと言う歌が流行った。練鑑とは東京少年鑑別所のことであり、
その所在地が東京の練馬にあったことから、通称「練鑑」といわれるようになった。

1959年頃これを題材にした歌が流行った。
多くの歌手がカバーしたが、
中でも藤圭子が唄う「ネリカンブルース」が人気を集めた。
しかし、非行少年を扱った内容ゆえか、替え歌の中には露骨な表現もあり
法務省は制作中止の要請を出し、発禁となった。

 作者不詳の楽曲で、もと歌は昭和12年頃の「可愛いス―ちゃん」という第二次大戦中の反戦歌
に「詞」が付けられ歌だつた。
ここでは藤圭子の「ネリカンブルース」の詞を紹介しながら、著者に寄せられた
少年院からの
手紙を紹介します。
 歌われている鑑別所と少年院は少し違いますので、関連図を示したので参考にしてください。


 

   
     曲がりくねった道だから
    ひねくれ根性で歩いてた
    俺も人の子人並みに
    過去もあります傷もある
            「ネリカンブルース」歌藤圭子 
    

扶桑社 2001年11月刊 第二刷  

   不幸にして道を踏み外し、非行少年というレッテルを貼られてしまう。
 支援の手が差し伸べられない孤独で、やりきれない。
 胸の中にわき上がってくる怒りを抑えるすべも知らない少年。
 背中を丸めて、思いきり拗(す)ねて見せるのも行き場のない彼らの生き方なのかもしれない。
    
    「生まなきゃよかった」
    親に、はむかった時に言われた一言。
    今でも心にひっかかっています。
                   (19歳)

 言ってはいけない一言が、どんなに少年を傷つけたか。
 小さい時にご主人と離婚し兄弟は中学の頃から非行に走った。
 兄はヤクザになった。
 弟の彼は中学卒業後、非行の限りを尽くす。
 シンナーに溺れ、一緒につるんだ仲間たちも去り、孤独地獄に堕ちていく。
 薬物にも手を付けた。
 そんなある日、
 「お前なんか生まなきゃよかった」
 言ってはいけない一言、
 聞いてはいけない一言が悲しい。

 彼はシンナー中毒で若い命を閉じた。
 19歳だった。

 行ってはいけない一言に著者の伊藤幸弘は言う。

 「どんなことがあっても、あなたは私の大切な子だ」……
 この言葉を子どもは待っているのです、と。
 

           閑話休題: 多くの歌手が「ネリカンブルース」をカバーした。
                その中の一人に平尾昌晃等と歌手活動をしていた
                山下敬二郎が唄うことになった。しかし、このレコードは
                発売禁止のお蔵入りになりました。
                B面は新人・水原弘の「黒い花びら」でした。
                会社は急遽この歌をA面にして
                水原弘のデビュー曲として発売しました。
                歌は大ヒットし、第一回レコード大賞を受賞し、
                水原は瞬く間にスターダムにのし上がりました。
                偶然が招いた運命ということでしょうか。
                                        (つづく)

         (読書案内№140)

 

        

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 読書案内「下山の思想」 五木寛之著 社会が病んでいく

2019-04-20 08:30:00 | 読書案内

 
読書案内「下山の思想」五木寛之著
           幻冬舎新書 2012年1月 第五刷
     
   


社会が病んでいく

 

   すでにこの国が、そして世界が病んでおり、

   急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている……。

   知っている。感じている。

   それでいて、それを知らないふりをして日々を送っている。
              五木寛之著 下山の思想

  「世界はひとつ」、といいたいところだが現実は紛争の火種は消えないし、
 経済世界も一国主義がはびこり、貿易摩擦も一向に解決しない。
 相手国が関税を引き上げれば、これに対抗して関税が引き上げられる。
 結局、このような繰り返しは何の解決にもならず、
 互いの首を絞めあい、双方の不利益しか生み出さない。

 豊かな時代を求め、均整の取れた調和を保つために世界が努力してきたにもかかわらず、
 結果は混迷漂う生きづらい社会の出現です。

 調和の歯車がきしみを立てて歪んでいる。
 力のバランスが崩れれば、その被害に遭うのはいつも弱者です。
 持てる者(強者)はいつも恩恵を享受し、持たざる者はいつも不安を抱えることになります。
 
 不都合なことは、『知らないふりをして日々を送っている』と五木寛之は言う。
 そうした傾向の裏には、ある種の諦観が発生する。
 「…どうせ」とか、
 「そんなことを言っても…」等々である。

  だから、著者は次のように述べる。

 

   明日のことは考えない。

   考えるのが耐えられないからだ。

   いま現に進行しつつある事態を、直視するのが不快だからである。

   明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。

   しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。

   事実は事実として受け止めるしかない
                  
                       五木寛之著 下山の思想   

「夢よ再び」。
 繁栄と成熟をもう一度、昔日の夢を追いかけるか。

 再びの経済大国を目指すことはできない。
 ヨーロッパ社会は100年以上もかけて高齢社会を迎えたが、
 我が国はたかだか20年足らずで高齢社会に突入してしまった。
 この歪みが私たちの社会を先の見えない不透明な社会にしている。
 介護費は年々増大し、国民皆保険制度の根幹を危うくしているし、
 追い打ちをかけるように、人口は年々減少し、
 少子高齢社会はこの国を、過去にないほどの窮地に追いやろうとしている。

 成長神話はとうの昔に崩壊してしまった。
 先が見えないから、身の回りの小さな幸せを維持するのに汲々してしまう。
 みんなの幸せではなく、私が幸せであればそれでいいという、利己主義が
 蔓延しているのかもしれない。

 頂上を極めた者はやがて、下山しなければならない。
 下山とは、敗者の思想ではなく、
 次の高みを極めるためのステップなのだと著者は言う。

 新書版のこ本は、誰にも理解できるエッセイ風の軽い内容で構成されている。
 時代の流れを把握し、私たちは今、何を考え行動しなければならないか。
 そのヒント、或いは道しるべとなれば幸いである。
 また、若い人にとっては、「人生論」として読むこともできる。

    (2019.4.19記)      (読書案内№139)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「あの日、そしてこれから」 東日本大震災2011.3.11

2019-03-30 17:30:00 | 読書案内

読書案内「あの日、そしてこれから」
         東日本大震災2001.3.11
                     高橋邦典 ポフラ社 2013.11 第2刷
     
    

   
  「来年またお会いさせてください」
  2011年、こう言って震災の取材を切りあげ日本を発ったぼくは、
  2012年2月、ふたたび自身の故郷でもある宮城県にもどりました。
  残した言葉どおり、
  震災直後に取材・撮影した被災者の方がたに再開するためでした。
  女川、石巻、気仙沼、そして仙台。
  時には窓の外にちらつく雪を横目に、こたつに足をいれ、
  注がれたお茶を何ばいも飲みながら、彼らの話に耳をかたむけました。
  ……
                   高橋邦典 表紙カバー折り返しの言葉より                

  震災一年後に被災地を訪れ、一年前のあの日あの時、出会った人たちとの再会の記録
 を写真と文で構成した貴重な記録です。

  
  2019.3.11東日本大震災から8年目を迎えたこの日、
 新聞各社は忘れていたことを思い出したように、
 8年目の被災地の様子を取り上げていました。

  多くのメディアが取り上げていたのは、物理的な復興の現況報告ではなく、
 8年目を迎えても、未だに癒されることのない心の傷を取り上げたものが目立ちました。
 仮設住宅が閉鎖され、復興集合住宅で生活できるようになりましたが、
 地域の仲間たちと離れ離れになり、
 孤立していく高齢者の報道がなんとも切なく心を痛めました。

  かけがいのない人を喪い、自分だけが生き残ってしまった自責の念から
 いまだに解放されない人。
 家を失い、築きあげてきた生きてきた証を一瞬にして奪われてしまった喪失感を
 今も抱き続け、くじけそうになる自分を鼓舞している人。
 高台移転を余儀なくされ、元の場所があきらめきれない人。
 
  たくさんの哀しみと切なさを抱きながら、
 生活の再出発に向かって歩み始めている人の姿も印象的でした。

 「あの日」、そしてこれから
 この本で取り上げられた記事は、
 震災後1年を迎えた被災者の生々しい声を、ありのままに捉え
 痛んだ心を包み込むような優しさがあるように思います。
 そのいくつかを紹介します。 

 がれきの丘に雪がつもる。

 「がれきはぼくら人間の生活の『かけら』でもあった。
  それが片づけられてしまったいま、
  ぼくらがそこに住んでいた、
  という跡さえなくなってしまったようで、
  なんかさびしいですね」
    被災した一人の若者がぽつりと語った言葉を思いだした。


 「あの日」、津波警報を聞いた姉の寿恵さんと妹の雪枝さんは、高台にあるふみゑさんの家に避難してきた。しかし、姑のようすを見るために丘下にある家に戻った雪枝さんは、帰らぬ人となってしまった。それから何週間もふみゑさんは、ひょっとしたらでてくれるかも、と雪枝さんの携帯に電話をかけ続けていたという。
  「ごめんね、という気持ち。なんで引きとめなかったのかな、
  という思い、後悔は消えません」
  「もし、あの時いっしょに行ってればって、
   いつになっても後悔の堂々めぐりですよね。
   これは一生消えないと思う。
   あの世に行った時にも妹に
   『ごめんね、あの時一人で行かせてね』って言いたい気持ちだよね。
   大きな大きな穴ができたような気がするよね。
   これはうめられないよね。うまるものでもないしね」



   (名取市閖上(ゆりあげ)2012.3.11)

    丘の上から見える「元」住宅密集地はきれいさっぱり片付けられ、
      ただの平地になっていた。
    その丘の上につくられた供養塔に花をそなえ、
    祈りをささげる人たちの姿にレンズを向けながら、二時間ほど立っていた。

    三月とはいえ、
    ふきすさぶ風はまだまだ冬のものだ。
    露出したほおや耳たぶが、
    冷たさでじんじんと痛みだしてくる。


    (石巻門脇町2012.3.10)
    がれきの散乱していた土地が空地となり、避難所にあふれていた人びとの多くが仮設住宅におさまっ
   たことで、被災地は、表向き落ちついた様子を取りもどしつつあるように見えます。しかしその陰に
   は、まだまだいろいろな問題がひそんでいたのです。それは被災者のみなさんと話したことで初めてわ
   かったことでした。世間の記憶がうすれはじめているいまこそ、写真だけでは記録できない、彼らの
   (言葉)を伝えることの大切さをあらためて実感したのです。
                    
                                  「あとがき」からの抜粋        
   
       
   そして、あとがきの最後に高橋邦典氏は次のような言葉を記しています。

   この本に掲載させていただいた被災者の方がたの声は、地震の多いこの国の住人として、将来
 あなた自身の声になるかもしれません。他人事ではなく、明日はわが身に降りかかるかもしれない
 という思いをもって、その声に耳をかたむけていただければと思います。

 災害は決して他山の石や対岸の火事ではなく、この災難をしっかり受け止め、被災者の痛みを分かち合う共感の姿勢が問われているのではないかと思います。

  小学生でも難なく読めるよう、平易な文章と必要最小限度の漢字のみを使用した本書を
  ぜひ手に取って読んでいただければ幸いに思います。
   

    (2019.3.30記)      (読書案内№139)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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読書案内「鯖 SABA」  赤松利市著

2019-03-23 21:49:39 | 読書案内

   読書案内「鯖 SABA」赤松利市著
             徳間書房2018.7初版
 
       

社会のあぶれ者が住む孤島で何が起こるのか
    貧困と暴力の果てに……

   
  
      ……ぼくたち5人は、
  一間しかない小屋の、六畳足らずの、垢と汗の臭いが淀む
  部屋で枕を並べ、
  なすすべもなく湿った蒲団を被っている。
  窓のない小屋だった。
  石油ストーブの青い焔(ほのお)が揺れていた。
  ……小屋の外は猛烈な雪吹だった。
           
                    (冒頭の抜粋)

 

    第1回大藪春彦新人賞受賞者、捨身の初長編
    62歳、住所不定、無職。
       平成最後の大型新人。鮮烈なるデビュー! 
   圧倒的なリアリティー。新人にしてすでに熟練の味わいだ。たちまち物語にのめり込んだ。
                                        (今野敏氏)
  人の愚かさをじっくりとあぶりだす手腕に脱帽だ。遅咲きの新人、おそるべし。(馳星周氏)
   
 以上のような新聞広告のキャッチコピーと、作家の言葉に魅かれて読んでみた。
  キャッチコピーや本の装丁、タイトル等に魅かれて購入する場合も珍しくない。
  悪い癖だ。今回もこの癖が出てしまった。
    今回は、第一回大藪春彦賞受賞者 住所不定、無職という作者・赤松利市氏の経歴に魅かれた。

  大藪春彦氏は、早稲田大学在学中に「野獣死すべし」で鮮烈なデビューを飾った。
  今まで誰も書かなかったような、ハードボイルドタッチの小説はやがて主人公・伊達邦彦シリーズ
  として定着していくのだが、シリーズが進むにつれて荒唐無稽で、血と暴力の世界を描くように
  なり、鮮烈なデビュー作もマンネリズムにおちいった。

  「野獣死すべし」を中学生の時に読み、目的のためには手段も選ばず、
  殺人も平然とやってのけるヒーロー伊達邦彦の生き方に、
  共感を持って読んだことを60年も前のことなのに、
  今でも懐かしく読み返す小説の一つになっている。
  ダーティヒーロー伊達邦彦はカッコいい。
  世間知らずの少年には、このカッコ良さに憧れるところがあったのだろう。
  
  小説「鯖 SABA」は、その時のワクワクした期待感をまた再現してくれるのではないかと
  期待を持ってページを開いた。
  
   時代に取り残された漁師の一団。
  陸(おか)では生きられない彼らは、日本海に浮かぶ孤島に住み着く。
  冒頭の描写が彼らの小屋での非衛生極まりない生活の場だ。
  彼ら5人は天候が良ければ一本釣りの漁に出かけ、料亭「割烹恵」に魚を売って日銭を稼ぐ。
  六十半ばを過ぎた漁師二人は、船頭と年長者の小便臭い男。
  五十代の猟師二人は、鬱(うつ)で破滅願望のある男と怪力の持ち主で、無類の乱暴者。
  最後に残った一人は一番若く、35歳の貧相でそれ故に劣等感を持っている男・シンイチ。


  特定のヒーローもいない。
  ある種の群像劇だ。

  視野も狭く、閉鎖的な男たちの生活に女が絡んでくると話はややこしくなる。
  料亭「割烹恵」の女将。
  姐御肌だが、得体が知れない。男の影が散在する。
  時々姿を見せる元やくざの男。店の料理人・中貝がそれだ。
  この女将に色目を使っているのが船頭の大鋸権座(おおのこごんざ)だ。

  もう一人妖艶で頭の切れる実業家、中国人の女・アンジがいる。
  シンイチが密かに憧れを抱いている実業家の女だ。
  
  日銭を稼ぐ男たちに、明日につながる夢はない。
  陸に上がれば、場末の居酒屋で管をまき、憂さを晴らす日常だ。

  荒くれ者の生活にも彼らが培ってきた暗黙のルールがあり、
  辛うじて均衡を保っていたのだが、アンジが持ち込んだ漁業の事業化という企画に
  彼らの生活も大きく変わっていこうとしている。
  だがこれは彼らグループの崩壊を意味していた……

  殺人 邪魔な奴は排除 冷酷無比な殺人方法 人間の愚かさ 疑心暗鬼。
  ハードノワール(コテコテの暗黒小説)。  

  
「能力のないものは、淘汰される」
 お前も恵子も淘汰される。
 私は、自制の利かない人間と組む気はない」
 

  誰の台詞か、ネタバレになるので明かすことはできないが、
  貧困と暴力の果てに浮かび上がってくる淘汰=排除という背景が浮かび上がり
  物語は最終章を迎えるのだが、後味はよくない。
  歯切れの悪い終幕である。

  大藪春彦が描く「伊達邦彦シリーズ」は荒唐無稽だ。
  「鯖SABA」にもスカッと胸のすくハードノワールを期待したのだが残念。

    (2019.3.22)         (読書案内№138)

 
 
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読書案内「曽根埼心中」 ストーリーで楽しむ文楽・歌舞伎物語4 令丈ヒロ子著

2019-03-04 08:30:00 | 読書案内

読書案内「曽根埼心中」
   ストーリーで楽しむ文楽・歌舞伎物語4 令丈ヒロ子著 鈴木淳子絵
                          2019.1初版 岩崎書店
     
 小学生~中学生向けに書かれた文楽(人形浄瑠璃)、歌舞伎などの江戸時代に風靡した町人文化の中で花開いた娯楽を分かりやすく紹介している。

    この世のなごり、夜もなごり、
   死にに行く身をたとふれば、
   あだしが原の道の霜、一足づゝに消えて行く、
   夢の夢こそあはれなれ、
   あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、
   残る一つが今生の、鐘の響の聞き納め、寂滅為楽と響くなり。
            近松門左衛門 人形浄瑠璃「曾根崎心中」

  制約の多いこの世での二人の「愛」が成就しないなら、死んであの世で一緒になりましょう。
 二人そろっての死出の旅路を「道行」とか、「心中」と言われるようになったようです。
特に、近松門左衛門が元禄16(1703)年、
「曽根埼心中」という人形浄瑠璃が、
大変な人気を得たころから、
「道行」とか「心中」という現象が庶民の間でもてはやされたようです。
 徳川家康が関が原の戦いで勝利して、幕府をひらいて丁度100年、元禄16年は
元禄文化が頂点を極めたそんな時代に花開いた人形浄瑠璃、歌舞伎でした。

 雨あがり流深読み意訳
   この生きづらい世間で生きていけない2人にとっての道行は、この世の名残りであり、
   夜もまた最後の名残りの夜だ。死ににゆく2人は、ものに例えるとあだしが原の火葬場や
   墓地に続く寒い朝の淋しい道に降りた霜のように、一足踏むごとに消えていく儚い命だ。
   儚い夢の中で見る夢のように哀れである。あゝ今、明け方の鐘が、六つ鳴ってもう一つなれば、
   この世で聞く鐘の最後の鐘の音になる。その鐘の音が「寂滅為楽」と、徳兵衛・お初は死後の世界で
   ほんとうの安らぎが得られるのだ、と聞こえてくる。

  徳兵衛二十五歳、お初十九歳の命は、曽根埼天神の森に散っていく。
  徳兵衛はお初の白く細い喉に、「脇差するりとぬきはなし、ただ今ぞ」と、お初の喉をつき
  徳兵衛は剃刀で自分の喉を切る。

  七五調で謳われる義太夫の語りに、江戸庶民は惜しみない拍手を送ったそうです。
  ならぬ恋の成就を、永遠の愛に結晶させた哀れさと純粋さに江戸の庶民たちは
  感動したのでしょう。

    だれが言うともなく、曾根崎の森を吹きぬける風が音をたてるように、
  二人のことは人々に話が伝わった。二人の心中は、身分の上下を問わず、多くの人の心に残った。
  みんながこの二人のあの世での幸せを願ったので、きっと二人の成仏は疑いがないだろう。
  お初と徳兵衛は、恋の手本となったのだ…

  これは、小中学生向けの解説。
  本ブログでは、「曽根埼心中」に視点を置いて紹介しましたが、
  本書は、日本の伝統芸能として成就した人形浄瑠璃を、元禄16年の元禄文化の中で花開いた
  人形浄瑠璃(文楽)を優しく紹介した本で、作者・近松門左衛門の人物紹介なども優しく紹介しています。

  (2019.3.3記)    (読書案内№136)

 

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読書案内「1968」 三億円事件

2019-01-10 07:30:00 | 読書案内

 読書案内「1968 三億円事件」アンソロジー・短編集
         幻冬舎文庫 日本推理作家協会編2018.12.10刊                         
                    ( 事件から丁度50年目に出版されています)
    三億円事件を題材に以上の短編を収録。
    今野 敏以外はマイナーな作家だが、同一テーマで
    編集されると作家の力量が一目瞭然だ。
    本書は「小説幻冬」に掲載された作品を再構成した文庫オリジナル 


  三億円事件とは
 東京府中市で1968(昭和43)年12月10日に発生した窃盗事件である。1975(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった。日本犯罪史において最も有名な犯罪の一つにも数えられ、「劇場型犯罪」でありながら完全犯罪を成し遂げたこともあり、この事件を題材としてフィクション・ノンフィクションを問わず多くの作品が制作されている。 (ウィキペディア)

 (事件当時公開された犯人のモンタージュ写真。1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、問題のモンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかし、その後も本事件を扱った各種書籍などでこのモンタージュ写真が使用され続けており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている)。(ウィキペディア)
 事件当時(昭和43年)の3億円は、現在の20~30億円ぐらいに相当するようです。
 この3億円どこへ消えてしまったのか?
  (犯行現場に残された偽装白バイ)

 アンソロジーの内容
 50年も前に起きた超有名な未解決事件でもあり、多くの作家によって小説に書かれ、
ネタも尽きたようです。
今さらどんな料理方法があるのか?
作家の力量とアイデアがものをいうアンソロジーだ。
この文庫本は、幻冬舎の月刊誌「小説幻冬」に数度に渡って掲載された「三億円事件もの」の短編を
集めて出版されたアンソロジーだ。
こうした形式のアンソロジーはテーマに沿って安易に集めてしまえば、凡打に終わってしまう。
しかも、選択の幅が自社の「月刊誌」という範囲では、優れた作品を集めることが難しい。

  ① 下村敦史 …… 楽しい人生
   事件当日、事件現場にいて、偽装白バイに乗った犯人の顔を見てしまった少年の話。
   不良グループの一員だ。札付きのワルたちの集団の一員である少年も当然、
   容疑者の一人として警察の取り調べを受ける。
   犯人が盗んだ三億円を横取りした少年は、この三億円をある場所に隠してしまう。
   犯罪に途中から加わった不良少年視点を変えて、描いた良作。
   意外な結末がラストに用意されている。三億円は何処へ消えたのか……。

  ② 呉 勝浩 …… ミリオンダラー・レイン
   元学生運動の闘士から誘われる「現金強奪」。爆破予告の脅迫状。現金輸送車を襲う。
   偽装白バイ等綿密な計画。決行日が近づくが……。
   予想もしなかった事件が発生し、彼らが立てた計画は実行されずに終わった。
  
  ③ 池田久輝 …… 欲望の翼
   香港で起きた三億円事件を真似た強奪事件、ということだが、この短編を「三億円事件」の
   アンソロジーに加えるにはいささか強引だ。

  ④ 織守きょうや …… 初恋は実らない
         初めて恋をしたのは、十一歳の冬。雨の日だった。
       昭和四十三年十二月十日、午前九時三十分、府中市栄町三の四、府中刑務所の北。
   学園通りといわれている通りの狭い歩道を、私は一人、学校に向かって歩いていた。
   物語の冒頭の一節である。
   三億円事件が起きた場所、同時刻。遅刻して学校へ向かっていた少女。
   少女は偶然にもこの強奪事件の現場に遭遇し、偽装白バイに乗った犯人の顔を目撃してしまう。
   そして、あろうことかこの男に恋をしてしまう……。
   目撃者の少女の視点で描かれる「三億円事件」。アイデアが面白い。

  ⑤ 今野 敏 …… 特殊詐欺研修
   三億円事件をこんな形で描く意外性が面白い。
   設定された舞台が「特殊詐欺研修」の研修中に発生するという。
   読後の爽快感が何とも言えないが、これ以上の紹介はネタバレになってしまうので、
   興味のある方は読んでみてください。

   参考:私が読んだ三億円事件をテーマにした小説。
    〇 『小説三億円事件「米国保険会社内調査報告書」』
                  松本清張(『水の肌』所収 新潮社 1978年刊
    〇 『時効成立―全完結』  清水一行 角川書店 1979年刊
    〇 『閃光』        永瀬準介 角川書店 2006年刊
             ※ どれも面白く読むことができました。
    (2019.1.9記)          (読書紹介№135)
 

 

 
 
 
 
 

 

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読書案内「珈琲が呼ぶ」 

2018-12-12 08:28:29 | 読書案内

読書案内「珈琲が呼ぶ」片岡義男著
         光文社2018.3刊 第3刷

 珈琲にまつわる書き下ろしエッセイだ。
1月初版発行で3月には第3版が発刊されているのだから、人気があるのだろう。
350ページにぎっしり詰まった書き下ろしエッセイが、45篇。
エッセイは余暇の時間にゆったり読んで、読後に残る清涼感を味わう。
要は気楽に読んで楽しむ肩の凝らない読み物と思っているのだが、
著者のエッセイは珈琲に対する思い込みが並々でなく、
珈琲にまつわる蘊蓄(うんちく)をはじめとして、
思い出や映画や小説や実生活に登場する珈琲の思い入れをたっぷり読ませてくれる。

 
  「なぜヒトは喫茶店で“コーヒーでいいや”と言うのでしょう。
  僕はいつも思うのです。
  “で”というのは何なんだ、本当に飲みたいものを飲めばいいじゃないか、と。
  “コーヒー”を“おまえ”に変えたら気分悪いですよ。
  “おまえでいい”はないでしょう。“おまえがいい”と言ってほしいです」
                            著者と編集者との喫茶店での会話

  この会話は、「コーヒーでいいや」という人がいる というエッセイになって登場する。
喫茶店に入って友人は、つまらなそうな表情の、そして熱意のない口調で
「コーヒーでいいよ」と答える。言葉の裏には気持ちというものが張り付いている。
「コーヒーでいいよ」と言うときに、その人の気持ちは、どのようなものなのか。
ここから著者のこだわりが延々と続く。
つぎの「で」と「が」の違いをお判りでしょう。

「コーヒーでいい」
「コーヒーがいい」

「が」の方がそれを選んで特定したという意味が強い。
だから、場面によっては「コーヒーでもいい」
「こーひーでも飲もう」では絶対にいけないのだ。
ここでは、「で」は主役にはなれない。
「旨いコーヒーがいい」。コーヒーが飲みたいときは絶対に「が」なのだ。
前者は消極的で、後者は積極的である。 
と言うようなこだわりが続いて、
この【「コーヒーでいいや」という人がいる】のエッセイは、9ページにわたって書かれている。
おおよそ400字 詰め原稿用紙18枚ぐらいになる。

ついでにもう一篇「それからカステラもわすれるな」を紹介します。
10人も入ればいっぱいになってしまうイタリー料理店に4人の気心の知れた仲間たちが集まった。
楽しい夕食が終り、4人がそれぞれに注文したコーヒーは、4人とも同じコーヒーだった。

(ここがポイントだ。4人が4人とも同じコーヒーを頼む。コーヒーが好きで、好みまで同じであることをさりげなく読者に教えてくれる。馴染の店で食後のコーヒーを飲み、これからが本番である。おそらく4人とも映画が好きなのだろう)

話題になった映画のタイトルをあげてみましょう。
「カサブランカ」「オクラホマ・キッド」「シェーン」「ワイルドバンチ」「ゴットファーザー」「スターウォーズ」まだまだありますが、切りがありません。

二杯目のコーヒーが届き、誰もがすぐに手を出し、熱い珈琲に唇を付けた。

話しは延々と続く。内容はいたってシンプル。
例えば……こんな風に……
「『カサブランカ』が、白い町の女、という日本語題名だったら、どうなったことか。『シェーン』が、西部の流れ者、だったなら。『ワイルドバンチ』が野党の群れ。『ゴッドファーザー』は、黒い絆。『スター・ウォーズ』は、大宇宙戦記。こうなるよりは、片仮名書きの方が、はるかにましだよ」等々。

このエッセイのタイトル「それからカステラもわすれるな」ってどんな意味なんだ。
ネットで調べてみた。どうやら映画談義には忘れてはならない映画のタイトルらしい。
文中には取って付けたように『それからカステラも忘れるな』とこれだけしか出てこないが、日本語題は、「ムッシュ・カステラの恋」というフランス映画(1999年制作)のことらしい。
 
 4人の男たちがコーヒーを飲みながら語る映画談義。
13ページにわたるこのエッセイは、400字原稿用紙で約25枚だ。

内容を紹介していったら、切りがない。
炬燵に入ってコーヒーを飲みながら、このエッセイ集を読むのも楽しく、
心のリフレッシュになるかもしれないお勧め品だ。
(2018.12.11記)      (読書案内№134)

 

 

 

 

 
 
 

 

 

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希望の滑走路でありたい

2018-11-26 09:00:06 | 読書案内

読書案内「滑走路」 歌集 萩原慎一郎著
          角川書店 初版2017.12.25 2018.6.15第3版発行

 希望の滑走路でありたい

   
    ぼくが短歌を始めたのは、十七歳の秋のことだった。
    …… それから十五年、気がついたら、十七歳の高校生だったぼくも三十二歳の社会人となった。     
   でも、思い通りの人生を歩んでこれたかというと、そうではない。
   むしろ不本意の十五年間でもあった。

   もちろん、短歌だけについて言えば、
   そんなことはないのだけれど、不本意な十五年間だったことは、
間違いない。
                                        歌集「滑走路」著者あとがき

  32歳の社会人になって、
「不本意な15年間だったことは、間違いない」と断定しなければならない人生とは

 どんな人生なのだろうか。デビュー作でありながら遺作になってしまった歌集「滑走路」の中から
 32歳の人生を辿ってみよう。
 
   非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている
    非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ
      負けるな」と友に向かって、ぼくは叫んでいた。
      そういうぼくだって「書類の整理」ばかりしてる。
      「負けるな」と今度は自分に向かって呟いてみた。

    かならずや通りの多い通りにも渡れるときがやってくるのだ
          自分の人生を交通量の多い道路に見立てて、かならず渡れるときが来るのだと希望を捨てない。
      渡った先にこの若い歌人はどんな未来を見ていたのだろう。

    夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
    今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけていくよ
      仕事から解放され、ひと時の安息の時間に自分を取り戻す。夜明けまでのわずかな時間がきっと
      「孤独」という時間の流れの中で過ぎていくのだろう。満たされない朝を迎えるやりきれなさが
      辛い。さらに孤独な時間は次の歌へと繋がっていく。
 
   東京の群れのなかにて叫びたい 確かにぼくがここにいることを
   夕焼けをおつまみにして飲むビール一篇の詩となれこの孤独
        時として、孤独は癒しの時間でもあるのだが、都会の人の群れの中に居て誰とも交われない
      寂しさは、群衆の中で孤立していく。失意や挫折を伴って希望が消えていく。叫びたいけど
      叫べない心の葛藤がある。
      それでも、若い歌人は希望を抱いて歌を詠う。
   
    ヘッドホンしているだけの人生で終わりたくない  何かを変えたい
    今日願い明日も願いあさっても願い未来は変わってゆくさ
     ぼんやりとかすんで、とらえどころのない未来。今日一日を生きることで、
     今日も明日もあさっても、追いかけられるようにして一日が終わってしまう。
     若さゆえの焦燥感が切ない。

   もう少し待ってみようか曇天が過ぎ去ってゆく時を信じて
       こころのなかにある跳び箱を少年の日のように助走して越えてゆけ

   正直に生きる。真っすぐに生きる。この競争社会においては、とても難しい生き方だ。
   希望を持ち、思いどおりに生きていけない現実に、希望がだんだんやせ衰えてしまう。
     恋心の歌も詠っているが、漂っているのは、やはり彼の不器用な生き方であり、
    どうしようもない混沌とした孤独だ。

   表題「滑走路」は離陸し大空へ飛び出す「希望の滑走路」という意味だったのだろう。
     だが、希望は失墜し、彼は33歳で自ら命を絶った。
   中学、高校時代いじめに遭いその後精神的不調に悩まされ、
     非正規として働かざるを得なかった彼の『遺作』となってしまった。
   
   ご冥福を祈る。
          合掌

                        (2018.11.26記)  (読書案内№133)

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安田純平氏解放 読書紹介「砂漠の影絵」石井光太著 

2018-10-29 08:30:00 | 読書案内

  安田純平氏解放・帰国
 内戦下のシリアで拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが、
  トルコ航空便で25日午後6時半帰国した。

「拘束中虐待続き心身疲弊」、拘束された3年4カ月は「地獄」だったと報道は安田氏の言葉として伝えている。
「自己責任論」がくすぶり続けているが、「無事に帰国出来て良かった」と、胸をなで下ろすのが多くの人の心情だと思う。

 この報道に触れ、数年前に読んだ小説「砂漠の影絵」を思い出した。

  
読書案内「砂漠の影絵」
             石井光太著 光文社刊 2016.12
                 
砂漠の影絵

  
  概略

 2004年、イラク・ファルージャ。
 “首切りアリ”率いるイスラーム武装組織「イラク聖戦旅団」に5人の日本人が拉致された。
 アリたちの要求は、自衛隊のイラクからの即時撤退という国際問題が絡んでいる。
 しかし日本政府はこの要求を突っぱねる。
 日本国内では、人質の「自己責任論」が巻き起こり、
 処刑の期日は刻一刻と迫ってくる。
  実際に起こった拉致・人質事件を徹底的に分析し、ノンフィクションに近い小説。
 ノンフィクション作家としての経歴を発揮した、臨場感あふれた読み応えのある内容だ。

  …テロリスト集団、彼らはいったい何を考え、何を目的にこのような組織となったのか?
 日本人被害者、テロリストの両方の立場から描かれる、
 現実にギリギリまで肉迫したストーリー。
 闇に包まれた身代金交渉の実態や、イスラーム過激派組織の内情、
 テロリスト一人ひとりの実人生、そして戦争から遠く離れた私たち日本人の生き様が、
 鮮明に炙り出される!

  身代金要求を日本政府に拒否されたテロリストたちは、
 要求を拒否するなら人質一人一人を順次処刑することを宣言。
 「全員で励まし合いながら、解放されるまで頑張ろう」と、結束を固めた5人だったが
 処刑宣言の前に、誰が最初に処刑されるのか。
 5人がそれぞれに胸の内を探りながら、自分ではないだろうという希望的観測を抱いていく過程は
   読んでいて辛い。
 いつ命を絶たれるかわからないような最悪な環境に置かれれば、
 人間は弱い存在にもなる。
 自分を律し、毅然とすることなど出来はしない。
 
 人質の命を盾に、無抵抗な人間を恐怖に陥れ、命を代価に高額の身代金を要求するテロリストたちが、
 自分たちの闘いは聖戦だと主張しても、多くの人は納得しないだろう。
 
 テロ行為そのものが、最も卑劣で、人間の良心を逆撫でするような行為だからだ。
 聖戦という大義名分を掲げた殺人行為だからだ。

 絶体絶命の窮地に立たされたとき、人間はどんな考え方や、行動を取ろうとするのだろう。
 
 なぜ彼らはテロリストになったのか。その生い立ちを描き、
 多面的な登場人物のを描くことによって、物語に真実性と深みを与えている。
 二転三転しながら物語はやりきれない結末を迎える。
 
 「砂漠の影絵」というタイトルの意味。 
 イラクの砂漠地帯で起こっている戦争を実体はあるのだけれど、
 影絵のように不確かな存在というイメージ、あるいは実態の見えない影絵のような存在、
 混沌として先行きの見えない戦争を意味しているのか。 

       (2018.10.28記)  (読書案内№132)
 

 

 

 

 

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