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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

ニュースの声(5)  いつも犠牲になるのは女や子供たちだ

2022-03-22 06:30:00 | ニュースの声

ニュースの声(5)   いつも犠牲になるのは女や子供たちだ
      3月8日は日本ではなじみがないが『国際女性デ―』だ。
    国連安全保障理事会はむ「女性・平和・安全保障」をテーマに公開討論を開いた。
    各国代表から、ロシアの侵略を受けたウクライナの女性の状況に懸念を示す声が多く聞かれた。
                『国際女性デー』:「毎年3月8日、女性の社会参加と地位向上を訴える日」のこと
                        です。その起源は諸説ありますが、1904年3月8日にアメリカの女
                        性労働者が婦人参政権を求めて起こしたデモがきっかけだと言わ
                        れています。こうした動きはヨーロッパやロシアなど世界中に広
                        がり、1975年に国連は「女性の社会参加と地位向上を訴える日」
                        とともに「女性の素晴らしい活躍と、勇気ある行動を称える日」
                        として毎年3月8日を国際デーに定めました。

      避難所に逃れた女性はこの日こんなポスターを描いた。
  子供を抱き締めた女性の脇に砲弾が描かれ、メッセージが描かれていた。
  (1) 「私は戦争の標的ではない」  (朝日新聞朝刊3/10)
     (遠藤啓生氏撮影)
     (2)「住み慣れた土地を離れたくない」(朝日新聞朝刊3/10)
    2歳と9歳の子どもを連れて逃げてきた。電車で20時間かけて。
    ロシア軍の攻撃はやまず、残って戦うという夫(34)と別れて、故郷を離れ、
    避難所にたどり着いた。女や子供、老人たちが故郷を離れるのは、
    総動員令のため18~60歳の男は招集の可能性があり、
    基本的に国を離れることはできないから、
    子どもを抱かえ老いた父母たちを連れての逃避行が展開されるのだ。

  (3)「戦争」という言葉を禁じ、戦争ではなく『特別軍事作戦』だと
    ロシアのプーチン大統領は言うが、
    「住宅を壊し、インフラを壊し、弱い立場の女性を傷つける『軍事作戦』に
    どんな正当性があるのか」「世界はそのことを知るべきだ」(朝日新聞朝刊3/10)()()
     避難所を運営するマクシモビッチさんは怒りを爆発させる。
     その避難所に多くの市民が布団や食料を寄付してくれる。
  (4) 3月8日国際女性デーの日国連安全保障理事会の終盤で、ウクライナの女性外交官は、
    声を震わせ感謝と決意を述べた。(朝日新聞朝刊3/10)
    「ロシアの侵攻が私たちの生活を劇的に変えてしまった、そのほとんどが女性と子どもだ」
    「ロシア軍に占拠、包囲された町や村では、苦しみが頂点に達している」
         「女性たち、子どもたちは事実上、人質に取られている。去ることは許されず、
     人道支援もいれてもらえていない」
    「きのう、6歳の少女が脱水により亡くなりました。母親がロシアの砲撃を受けて亡くなってお
     り、少女は人生最後の瞬間を一人で過ごしていました」
    国際女性デーにちなんで、朝日新聞は、
    ロシア侵攻で犠牲になっていくたくさんの女性やこどもたちの現状を伝えています。
    抗(あらが)いようのない理不尽で、残酷な歴史の波に流されていくウクライナの人々の
    嘆きと苦悩が漂う新聞紙面です。

    女性外交官の最期の言葉は悲痛な叫びとなって私たちの胸をえぐります。
    「(ロシアが侵攻を続けるなら)ウクライナの女性は、子どもたち、国を守るために
    武器をとることを怖れていない」

      (ニュースの声№5)      (2022.03.18記)

 

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ニュースの声(4) プーチンの声 ゼレンスキー大統領の声

2022-03-18 06:30:00 | ニュースの声

ニュースの声(4)  プーチンへの声 ゼレンスキー大統領の声
     (1) プーチンはウクライナばかりではなく、ロシアをも殺したのです。
       ロシア反体制派知識人が手記を書いた。(朝日新聞朝刊2022.03.15)
       手記はロシア国内で書かれ、命の危険を顧みず日本人の友人に託された
       ロシア人女性です。
                                プーチン氏が始めた戦争について
「私たちは衝撃を受けています」
         「今に一番恐ろしいことがおこると、誰もが知っていのにもかかわらず、
          それが本当に起こると信じることができなかったのです」
          あの忌まわしいヒトラーの話に思いを馳せます。
「ヒトラーがキエフを爆撃したことを私の父は覚えています。ところが、
          こんどはプーチンです」
          「私たちは今、解放者の側ではなく、占領者の側にいる」
          ヒトラーがキエフを爆撃したとき、私たちは被害者だったが、
          今度は加害者になってしまった。戦争の予感を誰もが感じていたのに、それ
          を止めることをできなかった悔恨が手記の中ににじんでいます。
          危険を顧みず、ウクライナを支援するロシアの仲間もたくさんいる一方で、
「大変多くの人たちが戦争を支持し、プーチンを支持しています。むろん彼
          らも怪物じみたプロパガンダの犠牲者なのです」
          欧米企業が次々にロシアから撤退していきます。諸国の経済的制裁がロシア
          を苦しめ、プーチン派の市民と反体制派の市民の分断が深い溝をつくってい
          くでしょう。
                プロパガンダ:  特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図                                                                                                           した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称です。情報による
                             大衆操作・世論喚起と考えてよく、国際情報化社会においては
                             必然的にあらわれるものです。
                             ロシアのプーチン政権が、他の国々の情報を遮断し、政権の
                             都合のいい情報や嘘の情報を流して、国民を政権の都合のいい
                             方向へ誘導する宣伝活動など。
            
それでも狂気を以て対抗するプーチン。
          手記者の言葉は、ロシアの行く末を暗示して終わります。
           「マクドナルドの撤退は象徴的な出来事です。これはかつての民主的なロシア、
          ゴルバチョフとエリツィンの築いたロシアの終わりを意味するのです」



     (2)ゼレンスキー大統領は言った。(朝日新聞朝刊2022.03.08)
         「私はここにいる。武器を下ろすつもりはない。領土を、国を、子どもたちを守る」
                              (2/26キエフ攻防があった夜明けに)
       命の危険を案じて国外脱出を進める声もあるなか、
       首都キエフにとどまるゼレンスキー大統領。
       米政府からキエフ脱出を促されて断ったゼレンスキー大統領は言った
       とAP通信は伝える。

       「戦いはここにある。必要なのは兵器であって、(脱出のための)乗り物ではない」
       「国家指導者が首都をすぐに離脱すれば、政権も軍も崩壊してしまう」
       だから、私はここにとどまるのだと、
       「敵にとって私は第一の標的で、私の家族が第2の標的だ」
       大統領の悲痛な叫びと決意が聞こえてくる。

       (首都キエフの近郊 女性を背負って非難する 朝日新聞3/8)
                 (1868(慶応4)年、京都洛南鳥羽・伏見で旧幕府軍と
                   薩摩・長州を中心とする軍が激突。最後の将軍、第
                   15代将軍は東軍(幕府軍)をみすて、大阪城を脱出し
                   江戸へ逃げた。結果的に、この敵前逃亡が徳川家復
                   権の望みを断ち切る決定打となった。

    「聞こえてくるのはミサイルの爆発音だけではない。鉄のカーテンが下がり、ロシ
     アを文明世界から遠ざける音だ」        (2/24本格的な侵攻を受けて) 
    「今夜は厳しい夜になる。非常に厳しい。しかし朝は必ずやって来る」
                       (2/26ロシア軍が首都キエフに迫る未明に)
    「ウクライナは欧州を選ぶ。欧州がウクライナを選ぶと聞きたい」
                                            (3/1欧州会議にて)
              「彼らは、私たちの歴史や、私たちの国、私たちのすべてを消し去る命令を受けている」
                                                                                    (3/2侵攻が激しくなった7日目)

      一人の独裁者が、世界を動かす時代は過ぎ去り国連憲章に添った
    解決が望まれる。
    国際世論に敗ければ、戦争犯罪者。引くに引けない独裁者の姿が目に浮かんでくる。
    第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て多くの問題を抱えてはいるが、
    私たちは平和への道を築き上げてきた。
    『力の論理』で勝利の道を得ようとする暴挙は許されない。

     (ニュースの声№4)     (2022.03.17記) 

  

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ニュースの声(3) 国連 ロシア ウクライナ関連

2022-03-15 09:27:54 | ニュースの声

ニュースの声(3) 国連 ロシア ウクライナ関連    

  メディアを通じて気になったnewsをアトランダムに載せます。
     読者の方々が何かを感じていただければ幸いです。

 (1) 人道回廊(脱出ルート)。(朝日新聞朝刊2022.03.08他)
      3月3日、ロシアトムウクライナは、2回目の停戦交渉のための協議を行った。
    その結果 ①即時停戦 ⇒⇒⇒⇒ 交渉ならず ロシアは軍事作戦は続行する。
         ②ロシア軍の撤退 ⇒⇒⇒⇒ 進捗ならず
         ③人道回廊の設置 ⇒⇒⇒⇒ 確保することで合意
                 唯一、競技で進展したのが人道回廊を設置することの合意だった。
          
人道回廊とは、一時的な非武装地帯を設置し、民間人が安全に避難したり、
           食料や医薬品を安全に輸送したりできるようにするために、紛争の当事者同
           士で協議して決める。
         
ロシア国営タス通信によれば、ウクライナを含む4都市で一時停戦し、人
        道回廊を開くと報じた。だが、ロシア側は今回、住民の脱出先を、ロシア
        かベラルーシと指定。ウクライナ側は同日、これを拒否する姿勢を示した。
 (2) 人道回廊はロシアの偽善的猿芝居だ。(朝日新聞WEB LONZA2022.03.13)
        人道回廊の設置は事実上失敗する。
        ロシア側が砲撃を止めなかったからだと、ウクライナ側は非難する。
        ロシア側は砲撃を止めなかったのはウクライナだと応戦するる。
        戦時下における情報戦も作戦の一つなのだ。
             避難する先にあるものはベラルーシであり、ロシアの国土だ。
        ロシアがウクライナ国民を実質的に人質にとるということである。
        「片方の手で人質の女性や子どもを抱き、もう片方の手で残った男た
        ちに銃を向ける。そういう光景が脳裏に浮かぶ。
        これが“人道”であるはずがない」(田中秀征 福山大学客員教授)
 (3) (イ)国連総会はロシアを包囲した。 国連総会 賛成7割で非難決議。(赤旗日曜版2022.03.13号 )   
    (ロ) 国連総会のロシア非難決議、反対は5カ国のみ。賛成141カ国で採決 議場から拍手。
                                          (WEB ビジネスインサイダーJAPAN)
           (イ)(ロ)とも3月2日に国連総会での『ロシア非難決議』報道の見出しである。
      (イ)は一部の大国が「力の論理」で世界を動かす時代は過ぎ去り国連憲章に添った行動
     こそが国際社会の主流になったことを示すものである。
           として、国連総会の概要を簡単に賛成141カ国、反対15カ国と伝えた。内容的には少し
      ものたりない。
      全容が見えてこないのだ。

        

      (ロ)が示した国連総会投票結果のモニターである。
      賛成141カ国 反対5カ国と示している。反対5カ国はロシア、シリア、ベラルーシ、北朝鮮、
      エリトリアである。
      問題はその下の35という数字だ。これは投票を棄権した国の数だ。代表的な国を挙げると
      中国、コンゴ、アルジェリア、中央アフリカなどの35カ国だ。
      賛成でもなければ、反対でもない、棄権という最も消極的な方法であり、態度表明を
      避けた国々だ。
      さらに、まっく意思表示をしない12の国がある。エチオピア、ギニア、モロッコ、
      ウズベキスタンなどの12カ国だ。
      これで、加盟国193カ国になる。

      141/193という数字は全体の70%を越える数字だから、
      喜ばしい決議事項なのだろう。
       だが一方で、常任理事国の中国が反対の意思表示をし、
      30%強、52カ国の棄権、及び意思表示なしの国が存在する、
      ということの方が私は脅威だと思う。
      戦争 侵攻 核をちらつかせる脅し、など力でねじ伏せる姿勢に対し、
      危険や不安を感じない国が30%も存在することの驚き。
      
      世界は安定に向かって進んでいるのではなく、『力の論理』で安定を阻害する方向に
      進もうとする危険に満ちている。
      ピンと張った綱の上をバランスを保ちながら進んでいるのかもしれない。
      危うく、危険な安定感だ。

      今度のロシア非難決議は、
      安全保障理事会(安保理)の決議とは異なり、
      総会決議に法的拘束力は無い。
      ただ、国連総会がロシアの一方的な侵略を許さず、
      ウクライナを支持するという「世界の意思」を非難決議への圧倒的な賛成で示したことは、
      国際社会でのロシアの孤立を浮き彫りにした。
                                                    ((WEB ビジネスインサイダーJAPAN))

           (ニュースの声№3)        (2022.03.14記)

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ニュースの声(2) ロシア ウクライナ関連

2022-03-13 09:11:05 | ニュースの声

ニュースの声(2) ロシア ウクライナ関連

 メディアを通じて気になったnewsをアトランダムに載せます。
    読者の方々が何かを感じていただければ幸いです。

(1) ゼレンスキー大統領は演説で言った
       ロシア語で「帰れ」と。      (朝日新聞 朝刊2022.3.5)
   「我々が降参すると思っている人は、ウクライナを全く理解していない」
   徹底抗戦の意思をあらためて強調。
       「戦争の初めの数日間は本当に複雑だった。私たち団結し、強かった。つまり耐え抜いた。
        今後も頑張りぬくだろう」
   大統領としての決意表明であり、最後にロシア語で「家に帰れ」と云った。
                                   (大統領のビデオメッセージ) 

(2) 未明の爆撃音「戦争が始まった」(朝日新聞朝刊2022.03.07)
       2月24日 午前5時。キエフにいた記者の携帯が鳴った。
      「プーチン大統領、特別軍事作戦を命令」
       突然の攻撃に、通信社の記者たちはベッドから跳ね起きた。
       ホテルの部屋にも「ズーン」「ズーン」という爆撃音が届き始めた。
       記者はメールで状況報告をする。
        まだ、日常もあった。
        コーヒーや軽食を売る売店が開き、朝食を注文する市
        民がいた。
        「外に出ないように」出勤した女性はすぐに家に帰され、そう言われた。
        「希望があれば生きられるし、生きれば希望があるのよ」
       ロシア軍のキエフ侵攻は予測されたことなのだろう。女性の言葉には「不安や怖れ」
       よりも、来るべき時が来たのだ、という覚悟の言葉のように聞こえた。
        記者は記事の最後をこう伝える。
       「私は侵攻3日目、ウクライナ西部に退避した」

 (3)  その後のキエフ侵攻(朝日新聞朝刊 2022.03.12)
     キエフの中心部まで15㌔に迫るロシア軍。
              1週間ほどキエフ周辺で停滞していたロシア軍は、再び(キエフの)首都の包囲に動き出
     した模様。ウクライナ側も強く抵抗、膠着状態に陥る可能性が高まっている。
                                                                  (米戦争研究所 10日発表
)
 (4) 兵力投入する構えのロシア軍(朝日新聞朝刊 2022.03.12)
     「志願兵」を希望する外国人1万6千人が待機していると。

 (5) 報道の自由に網をかけた独裁者(朝日新聞朝刊 2022.03.07 天声人語)
     ロシア政府が決めた。
     「軍の活動について偽情報を報じた記者らに対して最大15年の禁固刑を科すと決めた」
     『偽情報』かどうかはロシア当局が判断すると。独裁者の驕(おご)りの自作自演ではないか。
      多くの報道陣がロシアから撤退せざるを得なくなった。

      「我々はなすすべなく自由な報道が殺されるのを目撃しようとしている」
      国際NGO「国境なき記者団」の悲痛な叫びである。
           天声人語氏もまたペンの力でこの暴挙を訴える。
      『単一国国策メディア』のみが報道を担う異様な社会。
     まさに独裁者にとって理想の中の理想であり、
                  市民にとっては暗黒の中の暗黒であろう。


     かっての日本が演じたように、『報道管制』による『大本営発表』が、
     不都合な部分を隠すための、つまり、自分の失策を隠すための、
     国民をだますための浅はかな施策であったことを私たちは知っている。
      自分の地位や名誉を守るために、欺瞞に満ちたご都合主義の施策を展開していく。
      独裁者の先は見えている。

      今、私たちが怖れているのは、
      思慮分別のないものに刃物を持たせた時の不安である。

      (ニュースの声№2)             (2022.03.13)

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ニュースの声 (1) ロシア ウクライナ侵攻関連

2022-03-11 06:30:00 | ニュースの声

ニュースの声 (1)
    ロシア ウクライナ侵攻関連
            メディアを通じて気になったnewsをアトランダムに載せます。
                読者の方々が何かを感じていただければ幸いです。
(1)
 
“チェルノブイリ原子力 発電所 ロシアウクライナが占拠”(NHK NEMS WEB 2022.02.26)

   (NHK NEWS MEBより)

   

 


         

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戦場カメラマンの苦悩と孤独 ⑤ 戦場へ駆り立てるものは

2022-03-02 06:30:00 | つれづれに……

‎ ‎‎内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。 ‎
‎その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、‎
‎この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。 ‎
‎ カーターが訪れた国連施設のある村では、‎
‎毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。 ‎
‎カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、‎
‎うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。 ‎
‎ 写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。 ‎
‎『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、‎
‎飢餓により衰弱して‎‎うずく‎‎まった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』‎

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ⑤ 戦場へ駆り立てるものは
       戦場カメラマン渡部陽一の場合


  
  (写真1)          (写真2)  (どちらも渡部陽一オフィシャルサイトから引用)
 (写真1)
  少年の鋭い目が、レンズの向こう側でシャッターを切るカメラマンを見つめる。
 右の眉にそって大きな傷跡が残る。建物に立てかけられた自動小銃が、少年が生きている環境が
 容易ならざる危険にさらされていることを訴えている。AK-47と思われる能力に優れた銃だ。
 頑丈でパーツ数が少なく故障の少ない銃として人気が高い自動小銃だ。
 1分間に600発(発射速度)をはじき出す。
             余談になるが戦場で使われ、比較対象される銃にM-16がある。
            価格や耐久性に於いてはAK-47に劣るが発射速度や重量ではM-16が
                                            勝っているようです。何よりも集弾率(命中率)がよいということです。
            架空の話で申し訳ないがゴルゴ13はこのM-16をスナイパー用に改良し
            てさらに命中率を高い銃に改造して使用している。

(M-16を使用する米軍兵士)

   
  
この少年を被写体に選んだとき(図1写真)、
 渡部は大学1年のエピソードを思い出していたのかもしれない。
   アフリカ中央部で生活するピグミー族に会って話をしたい。
 好奇心旺盛で  思い立つとすぐ実行に移す渡部は単身アフリカに渡る。
 1993年、渡部陽一、21歳。
 当時のアフリカはツチ族とフン族の衝突が激しく多くの民間人が虐殺されるような紛争地帯。
 ジャングルの中で少年ゲリラに襲われ、暴力と略奪に会い命の危機にさらされる。
 日常の中にひそむ非日常の「殺し合い」が、行われ、殺戮、虐待へとエスカレートし、
 泥沼化していく戦闘に加わる少年ゲリラの存在。
 暴力を振るわれ、略奪をされ命の危険にさらされた。
 運命的な出会いのこの状況を何とかみんなに伝えたい。
 だが渡部は言葉で伝えることの難しさを知った。
 ジャングルの中で少年ゲリラに遭遇した体験が、
 やがて渡部を「戦場カメラマン」という危険な仕事に就かせたのでしょう。
 
 「言葉で伝わらないのであれば、好きな写真を使って伝えることはできないか。
  ………一枚の写真の力で何が起こっているのかを伝えることができるのではないか」
                        (「ぼくは戦場カメラマン」より引用)
 かって冒険家の植村直己は、「冒険とは生きて帰ること」という言葉を残したが、
 渡部はこの言葉を引用し次のように述べている。
                    植村直己について:1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。
                    五大陸最高峰登頂者(世界初)。犬ぞり単独行で北極点到達(世界初)。1984年冬期のマッ
                            キンリーに単独登頂するも、下山途中消息を絶ち現在に至る。
 
 「そう、戦場カメラマンも同じです。『戦場取材は生きて帰ること』が大事なのだと考えています」
                         
(「ぼくは戦場カメラマン」より引用) 
            
 戦場で生きる子どもたちを被写体に選ぶ渡部陽一の目は優しい。
 同じように戦場の兵士を被写体にするときも、
 戦場の緊迫した空気の中で時々訪れる「静かな時間」をとらえ、
 言葉で表現できないような安息の一瞬を切り取る写真が多い(写真2)。
 その渡部がケビン・カーターと同じような、
 「報道写真と命」の二者択一の状況に出逢ったときどうするのだろう。  

                           (つづく)
 
(つれづれに……心もよう№128)        (2020.03.1記)

 

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戦場カメラマンの苦悩と孤独 ④ プロカメラマンとしての使命

2022-02-20 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ④ プロカメラマンとしての使命

     内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。
その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、
この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。
 カーターが訪れた国連施設のある村では、
毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。
カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、
うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。
 写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。
『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、
飢餓により衰弱してうずくまった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』

  前回は、『ハゲワシと少女』(カーターはこの写真でピュリッツァー賞を受賞)の写真を見た人々の反応を中心に考えてみました。
 更に、一歩進めて「あなたが戦場カメラマンだったらどのような行動を取るでしょう」と「職業倫理と命」ということについて考えてみました。
 さて、今回は実際に戦場カメラマンとして活躍しているプロの戦場カメラマンに焦点を当ててみました。

戦場カメラマン渡部陽一の場合
   (渡部陽一オフィシャルブログより)
 これまでの主な取材地は、イラク戦争米軍従軍記者、ルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、スーダン、パレスチナ紛争など、学生時代から世界の紛争地を専門に取材を続けている。
 戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、
極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。

 戦場カメラマン渡部陽一が取材に入る紛争地で、
命の危険にさらされながら切り取った被写体は、
まぎれもなく渡部陽一が見て、感じた写真である。
私たちが見ているのは、
被写体に焼き付けられた彼の個性を見ていることになる。
 彼の目を通して切り取った、「渡部陽一の戦場」なのだ。
 被写体に向けて切るシャッターは、
 誰が撮っても同じような写真しか撮れなければ、血の通った写真は撮れなくなってしまう。
 写真は無機質で感動のない写真になってしまう。
 被写体を見つめるカメラマン一人一人の個性が、被写体をとらえなければならない処に
 戦場カメラマンとしての個性があるように思う。

 流された血に、
 破壊された建物に、
 泣き叫ぶ子どもたちに、
 重銃機関銃で藪にひそんで対岸を見つめる兵士に、
 どのような物語があるのか、
 写真のなかに表現できなければ
 写真家の資格はない。

 だから彼は、自身のプロフィールの最後に
 「戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、
  極限の状況に立たされる家族の絆を見据える」
 と書いて、自分の立ち位置を表明したのでしょう。
      悲劇の物語を、
      そこで暮らす人々の生きた声を
      家族の絆を
      被写体の中に表現しようとする。


 これが戦場カメラマン・渡部陽一が見た戦場である。(写真・オフィシャルブログから引用)。
 硝煙の匂いも、血の匂いもしない、命の危険も感じられない。
 あるのは、横たわる子どもを覆っている戦場に漂う、倦怠感だ。
 だが、寝ている子供の脇には機関銃がなにげなく置かれている。
 「これが子どもたちを被う日常なのだ」機関銃を画面に入れることによって、
 命の危険が子どもたちを覆い、シャッターを切ったその後に敵方の銃撃が
 子どもたちの命を奪う危険が潜んでいることを渡部陽一はレンズを通して切り取っている。
 地面に投げ出された薄いシートは貧困の象徴であり、
 画面右端に少しだけ見えるアルマイトのような容器は、
 食事用のナベか、洗濯のタライなのか。
 戦場と日常が同居している危険地帯であることを写真は表現している。

   渡部陽一の 戦場カメラマンとしての立ち位置が、ぼんやりと理解できたので、
次は「命の危険にさらされる戦場に駆り立てるものは何か」という問題を見てみたい。
                               (つづく)

(つれづれに……心もよう№127)  (2020.02.19記)

 

 

 

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戦場カメラマンの苦悩と孤独 ③ 『ハゲワシと少女』人々はどう反応したか

2022-02-14 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独 
     ③ 『ハゲワシと少女』人々はどう反応したか


 (『ハゲワシと少女』)

 1993年 撮影場所は 内戦の続くスーダン。
 1994年撮影者のケビン・カーターはピュリッツァー賞を受賞
       受賞の1カ月後、カーター氏は故郷ヨハネスブルグ郊外の自宅近くの公園で自殺。

内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。
その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、
この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。
 カーターが訪れた国連施設のある村では、
毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。
カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、
うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。
 写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。
『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、
飢餓により衰弱してうずくまった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』

 ニューヨーク・タイムズの読者の反応は、「その後、少女はどうなったのか」という、
もっとも素朴な疑問であり、もっともミーハー的な興味だった。
カーター氏が戦場カメラマンとして、世界に伝えようとしたことは、
彼の願いに反して意外な方向に展開していった。。
内戦の続くスーダンで犠牲になっていくおさなごの姿に、
混乱と戦争の非情さを伝えようとしたはずの報道写真だったはずだ。

 「なぜカメラマンは少女を助けなかったのか」
 「少女を見殺しにしたカメラマンこそ本当のハゲワシだ」
 「ピュリッツァー賞は取材の倫理を問わないのか」
 写真そのものの非難ではなく、カーターに対する非難へとエスカレートし、
 倫理問題にまで発展していった。
 カーターの意図とは反対に、世論はまったく別な方向へ拡散したようだ。

 評論家を含む専門家の意見も、大衆のものの見方を踏襲したものが多かった。

 「写真を撮ることが大切なのか、目の前で起きていることが大切なのか、それが問われている写真だ」
                              報道関係者の代表は写真に批判的だ。
 「ジャーナリストは倫理的に考えて取材しようとしている状況を変えることはできない」
                                     コロンビア大学教授。
 白鵬大学教授 的場哲郎は毎年、この写真を提示して講義しているが、
  「あなたなら、このような場合、写真を撮りますか。それとも少女を助けますか」
  という質問に学生は何と答えるのだろう。

  少し時間を置いて、自分だったらどう答えるかと考えてみましょう。
           
           命の極限状態に置かれた場合、
           人命を最優先すべきなのか。
           いや、やっぱりカーターのように
           シャッターを切るべきなのだろうか。

           私は、①で示したように、
           使命感と倫理観が拮抗する状況下で
           二者択一の選択はできない、という
           思いが強く残ります。
           潔い決断ができず、卑怯かもしれないが、
           正直なところ、
           迫りくる被写体の命が危機にさらされている
           場面に臨場しなければ結論は出せないと思っている。

 この問題は、どちらが正しくてどちらが正しくないか、
 ということを念頭に置いて、的場氏の授業に参加した学生の意見を二、三取り上げてみます。
 私にとって意外だったのは、職業使命感に共感する意見が多かったことでした。
   「ジャーナリストは真実を伝える事こそが(ジャーナリストの)倫理であり……」
   「わたしがもしこの写真を撮ったジャーナリストだとしたら、
   ジャーナリストとして外部にスーダンの現状を発信することを優先するだろう」
   「わたしならすぐにハゲワシを追い払っていただろう。
   やはり、カーターさんは賞をもらにふさわしい人だ」と、職業使命感に共感する答えが多かった。

    しかし、次のような考え方もあることを忘れてはならない。
   「倫理的緊張を持つことこそが重要であり、
    ジャーナリストは写真を撮るべきだという考えは理解できた。
    しかし、私はどうしても心に何かもやもやしたものを感じずにはいられない」

  以上のような反応に対して、プロの戦場カメラマンはどう考えているのか。
  次回、的場哲郎教授の講義録を参照に紹介したいと思います。

         (つれづれに……心もよう№126)     (2020.02.13記)

 

 

 

 

 

 

 

 

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戦場カメラマンの苦悩と孤独 ② 『ハゲワシと少女』写真の背景

2022-02-06 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独 ② 『ハゲワシと少女』写真の背景  
 (ハゲワシと少女)
 1993年 撮影場所は 内戦の続くスーダン。
 1994年撮影者のケビン・カーターはピュリッツァー賞を受賞

 内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。
その後ろではハゲワシが子どもの方を向いて映っており、
この子どもが死ぬのを虎視眈々と待っているように見える。
 カーターが訪れた国連施設のある村では、
毎日20人前後の子どもが死んでいたと言われています。
カーターは国連の食糧配給センターの近くを歩いていて、
うずくまる子どもとハゲワシを見つけ、思わず構えてこの写真を撮った。
 写真を掲載したニューヨーク・タイムズは次のようなキャプションをつけていた。
『先日アヨッドの食料配布センターへの道において撮影された、飢餓により衰弱してうずくまった幼い少女。すぐ近くでハゲワシが待ち受けている』

  この衝撃的な写真は世界に向けて発信され、
内戦が続き国家的困難の中で困窮する国民を連想させる。
飢饉が続き飢餓が続く状況で、犠牲になるのはいつも弱者である民衆、
なかでも抵抗力がなく大人の加護なしには生きられない子どもが、
猛禽のハゲワシに命を狙われている写真は人々の感情を煽り、
力尽きたように草原にうずくまる痩せた少女の姿に同情心をかきたてられた。
 例えば、次のような写真では、
衝撃的ではあるけれどカーターの写真ほど話題にはならなかったでしょう。
   

  写真には説明がないので類推するしかないが、目をそむけたい過酷な写真だ。
 一般受けもしないし、報道規定があり一般紙に掲載されることもない。

 カーターの写真は、人々の琴線に触れる部分があったのだろう。
『ハゲワシと少女』は何度見ても衝撃的な写真である。
血の匂いもしないし、暴力的な匂いもしない。
存在するのは無抵抗の少女に集まる同情心と、
少女のその後の安否はどうなったのだろうという物語性だ。

 やがて、この写真は「報道か人道か」という問題を提起するようになる。
 ①のブログで「読者の反応」を予告したが、「写真の背景」に変更した。

       (つれづれに……心もよう№125)     (2020.02.05記)

 

 

 

 

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戦場カメラマンの苦悩と孤独 ① ハゲワシと少女

2022-01-30 06:30:00 | つれづれに……

戦場カメラマンの苦悩と孤独
    ① 『ハゲワシと少女』

戦場や過酷事故の場面では、
 ジャーナリストとしての使命感と、
   今、カメラを捨てて喘いでいる人に手を差しのべれば助けられる状況に遭遇したとき、
   使命感と人間としての倫理観をとるべきか。
 「あなたならどうするか」と問われ、明快な答えを出せる人はいない。
 「使命感」をとれば、ジャーナリストととして生きる以前に人間として生きるべきだ、
 という言考え方があり、
 「倫理観」をとれば、ジャーナリストとしての「使命感」が失わることになる。
 
 つまり、「使命感」と「倫理観」が拮抗したとき、
 二者択一では解決できない人間の生き方の問題が含まれているからでしょう。
 
 『ハゲワシと少女』の写真  撮影:ケビン・カーター
   

   掲載 ニューヨーク・タイムズ(1993年3月26日付け)
    翌1994年度のピュリッツァー賞を獲得し、一躍世界の注目を受ける。
         その一か月後、衝撃的な結末が訪れる。
    カーター氏は故郷ヨハネスブルグ郊外の自宅近くの公園の公園で自殺。
   
    いったいカーター氏に何が起こったのか。
    そして、この写真がどのような反響を世論に投げたのか。
   
    私は、発表時のニューヨーク・タイムズの記事を読んでいないので
    『ハゲワシと少女』の写真にどのような説明があったのかわかりませんが、
    スーダンで撮影された写真は、一般的には、

    「ハゲワシが、飢餓で力が弱り動けなくなっている孤独な少女を食らおうとしている。」
   と解釈されています。
   大地に臥し頭を渇いた大地につけている少女。
   命の灯が消えようとしている瞬間を捉え、
   その後ろにハゲワシが少女の死を待っているように狙っています。
   数分後に訪れるであろう残酷な瞬間を待っているような映像です。
   「生」と「死」がハゲワシと少女に平等に訪れようとしている一瞬を
   ケビン・カーター氏は切り取りました。
   

    多くの人々が飢餓に苦しみ、特に子供たちが命を失われてしまう現実を
   言葉では表現でない一瞬を切り取っています。
   ペンの力は思考力と想像力で対象物を理解しようとします。
   映像の力は視覚に訴え、感覚的に、より刺激的に人間の感情に訴えます。

   写真が撮影された当時のスーダンでは10年以上も内戦が続いて、
  多くの難民を生む原因にもなっていた。日照りのために食料は不足し、
  多くの人が飢えに苦しみ、子どもたちは栄養失調で亡くなる人が多く多くいた。
  しかし、報道は規制され、その状況を世界は知らなかった。
  潜入したカーターは、このような現実を見事にとらえ、世界に発信した。 

       次回、【『ハゲワシと少女』の写真に、読者はどう反応したか】を
           記載します。       

 

(つれづれに……心もよう№124)            (2020.1.29記)

 

 

 

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