落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第116話 四万街道

2015-02-18 12:38:35 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第116話 四万街道



 中之条から山道を走りはじめて、20分余り。
四万温泉まであと半分という地点で、鉛色の空からパラパラと水滴が落ちてきた。
進むにつれて、雪の結晶を含んだ白っぽい雨に変化してきた。
県の天然記念物に指定されている四万の甌穴(おうけつ)群を過ぎたあたりから
ついに、本格的な細かい雪に変って来た。


 「京都駅のあたりで、ハラハラと風花(かざはな)などが舞うときは、
 洛北あたりで雪が舞い積もります。
 今出川通りを境に、急に景色が変わりますなぁ。
 北大路通りを境に、雪景色になることもたびたびあります。
 けど。ここは、雨から雪に変っていくのが実に早いどすなぁ。
 あっという間に道が白くなってきました。
 大作はん、大丈夫どすか。雪道で車が、滑ったりしまへんか・・・」



 後部座席から佳つ乃(かつの)が身体を乗り出す。
不安そうな目が、前方の雪道を見つめる。
白い路面以上に周囲の畑が、早くも厚みのある白一色の雪景色に変ってきた。
『ようこそ四万温泉へ』の看板が見えてきた頃には、雪はさらに激しさを増してきた。
はっきりと分かる、大粒の雪に変ってきている。


 「冬タイヤに履き替えているから、滑る心配はありません。
 今年の2月に想定外の大雪が降り、おおくの農家でハウスが潰れるという被害が出ました。
 そんなこともあり、今年の冬は、どこの家庭でも早くから雪の準備をしています」


 「ありましたなぁ。大きな被害を生んだという、そないな出来事が。
 雪は見ていて綺麗なものどすが、白さの奥に凶暴な本性を隠しているんどすなぁ。
 30を過ぎた女も、秘密が多いことで一緒どす。
 綺麗で美しいなどと、のんびり雪景色などに見とれている場合では、
 ありまへんなぁ・・・うふふ」


 四万温泉の案内標識の先で、道路がY字路になる。
国道を右に外れて、温泉街のある四万街道へ車が入っていく。
温泉街は手前から温泉口、山口、桐の木平、新湯(あらゆ)、ゆずりは、
日向見(ひなたみ)地区と集落が続いていく。
最奥にある日向見地区は、四万温泉発祥の地として知られている。
かつては日向見温泉と、呼ばれたこともあるくらいだ。
四万温泉の硫酸塩泉が四万の病に効くという効能から、今日の四万の名前が付いた。


 月見橋を渡り、ひなびた雰囲気が漂う桐の木平の商店街を抜ける。
さらに川に沿って進んでいくと、旅館の姿がポツポツと見える新湯地区へ突入する。
四万ダムから流れ出して来る清流の四万川と、新湯川が合流するあたりが、
四万温泉の中心部にあたる。
「たしか、このこあたりに」と、似顔絵師が町営の駐車場を探す。
駐車場は見当たらないが前方の土産物屋の脇に、車を停めるスペースが見える。



 「積善館はもう、目と鼻の先です。
 お腹が空いたでしょう。群馬名物のお昼ご飯を御馳走します」


 車を停めた似顔絵師が民家を改造したような風体の、古びた食堂を指さす。
暖簾は揺れているが、営業しているのかと思えるほど静かすぎるたたずまいだ。
昼時が近いというのに、温泉街を歩く人の姿もほとんど見当たらない。


 「人っ子ひとり歩いていないなんて、随分と静かな温泉街どすなぁ。
 屈指の名湯のひとつだと聞いてはるばる京都からやって来たのに、
 こんなもんどすかぁ、群馬の温泉地というもんは・・・」



 ピョンと助手席から飛び降りたサラが、開口一番、いきなりの不満を口にする。
「ここは観光客目当ての温泉ではおへん。長逗留の湯治が中心の温泉どす。
ふらふらと昼間から温泉街を散策するのは、あんたのようなミーハーだけどす」
あまり羽目をはずさないでねと、後部座席から降りてきた佳つ乃(かつの)が、
サラに向かってクギを刺す。


 暖簾をくぐりガラス戸を開けると、内部はうっそうとした湯気に満ちている。
「おっきりこみを3つ」と似顔絵師が、湯気の向こうへ声をかける。
「へい」と立ち上る湯気の向こうから、緊張感のない呑気な返事が返って来る。
「おっきりこみ?。なんどすか、それっ」
初めて聞くメニューの名前にサラが目を真ん丸にして、喰いついてくる。


 「群馬のうどん屋さんで、寒くなると注文が増えるのが、おっきりこみだ。
 山梨の「ほうとう」に似た煮込みうどんのことで、群馬の郷土料理のひとつだよ。
 大根、にんじん、里芋、ごぼうなどを煮た鍋に、今が旬のネギと
 油揚げを加え、太い麺を入れる。
 みそ味と醤油味が有るけど、あとは、食べてみてからのお楽しみだ。
 満腹になったらお待ちかねの積善館へ行こう。
 歩いてもここからなら、たぶん、5分くらいで行けるからね」



第117話につづく

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