落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(51)渡したいもの 

2021-01-26 17:28:06 | 現代小説
上州の「寅」(51) 


 「あんたのせいでまた、ホームセンターへ行く羽目になったじゃないか」


 次の日の昼休み。背後からあらわれたチャコが唇を尖らせた。


 「おれはなにもしてないぜ。
 君がぜんぶ話をしたくせに、なんでいまさら俺のせいなんだ」
  
 「寅ちゃんが運転してね。あたし、疲れた」


 「それはかまわないが、怖いぞおれの運転は」


 「だいじょうぶ。寝ているから」


 「いいのか。なんどもホームセンターへ行くとユキが疑うぜ」


 「ユキには買い忘れが有ると言っておいた。
 それよりなんだろう。
 渡したいものがあるからもう一度来てくれというのは」
 
 別れ際、準備していたものがあるの、と恵子さんが言い出した。
ユキに渡してほしいという意味か。
明日用意するから午後3時過ぎにまた来てほしいという。


 断る理由はない。
わかりましたと2人で答え、ホームセンターから帰って来た。


 4月。瀬戸内の海が明るくなってきた。
「サクラのせいさ」と徳次郎老人が笑う。
「知らんのか。桜の花びらをたっぷり吸い込こむと海の色がピンクになる」
えっ、ホントかよ・・・寅があわてて海を振りかえる。


 小島の向こうへ夕陽が落ちていく。
オレンジの雲と海の境目に、ほんのりさくら色が混じっている。
ホントゥだ・・・
 
 午後2時。ホームセンターへ行くため、仕事をきりあげた。
徳次郎老人がユキを誘いにやってきた。


 「ユキ。はつみつを採るのを手伝ってくれ」


 「いいよ。そのかわり後ですこし舐めさせて!」


 子猫のようにユキが尻尾をふってついて行く。
老人に事情を説明していない。
しかしチャコと寅の気配から、なにかを察知したようだ。
「気ぃつけて行っておいで」老人が高台から手をふってくれた。


 「おれの運転で不安か」


 いつまでたっても眠らないチャコへ声をかけた。


 「心配で寝れない」


 「悪かったな。いつまでたっても下手くそで」


 「別れ際、わたしてほしいものがあるって言ってたね。
 なんだろう?。
 ユキのために前から用意していたものって。
 うらやましいな。やっぱり親子だ。母は母だ・・・」


 「何の話だ。いきなり」


 「何でもない。ただのひとりごと。気にしないで」


 思いだした。
チャコに母はいない。父も亡くなっている。
東北の大震災、3月11日の大津波でチャコは両親を失っている。
(大丈夫か?)口にしかけたとき、チャコが顔をそむけた。
(きれいな海)ちいさくつぶやく独り言が、寅の耳にむなしく聞こえる。


 午後3時。春の太陽が西へかたむきかけている。


 ななめになった陽ざしが、海の色をやわらかくする。
宮城道雄が作曲した「春の海」はこの瀬戸内の海をイメージしているという。
8歳で失明したが神戸に生まれ、幼少の頃、瞼に焼きついた瀬戸内の海を
イメージしたのだろう。
彼の見た海も、こんな風にうららかな陽ざしの下の海だろうか・・・


 午後3時。予定通りホームセンターへ着いた。
駐車場へすすんでいるとき、チャコが窓越しに恵子さんの姿を見つけた。
昨日二人がすわった窓辺のテーブルでお茶を飲んでいる。


 (52)へつづく


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