落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第117話 千と千尋の宿

2015-02-19 11:08:14 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第117話 千と千尋の宿




 積善館は新湯(あらゆ)川の対岸にそびえている、老舗旅館だ。
木造の本館前に、千と千尋の冒頭に登場する朱塗りの橋が架かっている。
積善館の創業は元禄7年。
ここには、趣の異なる3つの建物が有る。
湯治文化を今もそのまま伝えてている、木造の「本館」。
桃山様式のデザインと建築で、国の登録文化財に指定されている「山荘」。
四万温泉の中で最も高いところに建ち、老松の静寂に包まれている
「佳松亭」の3つだ。

 
 サラが赤い慶雲橋の手前で、歓声を上げた。
「うわ~、夢にまで見た千と千尋の、『油屋』、そのものどすなぁ!」
夢やおまへんやろなぁと、橋の手前で、ピョンピョンと無邪気に飛び跳ねる。
「夢やおまへん。現実どす」浮かれすぎていると、置いていきますよと
佳つ乃(かつの)が、赤い橋を渡っていく。


 車で渡るのは野暮すぎますと、2人は、橋の手前でワンボックスから
降りて、わざわざ徒歩で橋を渡り始めた。
雪の中に浮かびあがる積善館の赤い橋は、指先でひとつひとつ感触を確かめながら、
ゆっくり歩いて渡りたいという衝動を、何故かかきたててくる。
似顔絵師も橋の手前で、ワンボックスから降りた。



 橋の中央で、佳つ乃(かつの)が振り返る。
ピョンピョンとウサギのように橋の上で跳ねていたサラが、立ち止まった佳つ乃(かつの)の
背中へ追いつく。
くるりと腕を回したサラが、佳つ乃(かつの)の背中でV字のサインを作る。


 「兄さん。美女2人の、願ってもないシャッターチャンスどす。
 はよ撮ってな。他のカメラマンさんたちがうじゃうじゃと集まってこないうちに!」

 
 積善館に架かる赤い橋は、四万温泉でも屈指の撮影ポイントだ。
滅多に見ることができない雪景色の中という、願ってもないシャッターチャンスだ。
橋の周囲には、それなりに素人のカメラマンたちが集まっている。
あわててスマホを取り出した似顔絵師が、美女2人の笑顔を2枚、3枚と
立て続けにシャッターを押す。


 「ほな、次は兄さんの番どす。
 ウチがシャッターを押しますさかい、せいいっぱい寄り添っておくれやす!」



 雪の冷たさのために、頬を真っ赤にして駆け戻って来たサラが、
似顔絵師の手から乱暴にスマホを奪い取る。
急きたてられた似顔絵師が、少し離れて佳つ乃(かつの)の隣に立つ。
2人で並んで写真を撮るのは、はじめてのことだ。

 「何してんの2人とも。
 いまさら他人同士やあるまいし、よそよそしいのにもほどがあります。
 もっとひっいてんか、べたべたと」


 絵になりませんなぁ2人とも、とぼやくサラの背後で
「まったくもって、その通りだ」と、どこかで聞いた覚えのある男の声が響いてくる。
あわてて振り返るサラの背後に、美人を連れたおおきに財団の理事長が
憮然とした顔で立っている。


 「何をしとんのや、お前たちは。
 来るそうそう橋の上で大騒ぎをするとは、まことにもって情けないやつらじゃのう。
 おっ、紹介しておこう。
 こちらの美人は、水上温泉で芸者修行をしておる駒子ちゃんだ。
 そこでスマホを構えてさっきからはしゃいでおるのは、わしの孫娘でサラ。
 で向こうの美人は、祇園の売れっ子芸妓、佳つ乃(かつの)だ。
 隣にぼうっと立っておる男はどこぞの馬の骨だから、紹介するまでもなかろう。
 あはは。怒るな、冗談に決まっておる。
 路上似顔絵師で、佳つ乃(かつの)のハートを、つい最近射止めたという
 実に幸運な男じゃ。
 なんだ。呼んでもいないのに、なんで此処に居るんじゃ、お前は?」


 「失礼どすなぁ、お祖父ちゃんは。
 ここまで朝早くから車で送ってくれたというのに、文句が先とは心外どす。
 お祖父ちゃんのほうが、よっぽども失礼にあたります」


 「そう言えばお前さんの実家は、上州と言っておったなぁ・・・
 いや、こちらこそ失礼した。
 で、予定は有るのか、お前さんは。
 せっかく来たんだ、佳つ乃(かつの)と一緒に泊まっていけ。
 駒子、お前。フロントへ行って、もうひと部屋が空いているかと、
 たずねてきてくれ」


 ハイと答えた駒子が、トントンと下駄を鳴らして赤い橋を渡っていく。




第118話につづく

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