落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(88)

2013-09-16 11:08:32 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(88)
「農業というものはまず土つくりから始まり、ふたたび土へと還る」



 「早速、やってきおったか、ふたりして。
 行動が早いのは、何事につけても良いことじゃ。
 若いものは失敗を恐れずに何事にでも挑戦をして、失敗を繰り返してこそやがて賢くなる。
 最初は誰でも素人だ。どれ、それでは現地調査へと赴くか。ついてこい、二人とも」


 その翌朝。康平と英太郎のふたりが揃って徳次郎老人を訪ねます。
老人は目を細め、まるでそれを予期していたかのようにふたりを出迎えます。
縁側でお茶を一杯飲んだあと、どっこらしょと掛け声をかけてから立ち上がります。
そのまま桑の大木へ向かうかと思いきや、山を目指して細い道を歩き始めました。



 「千佳はどうした。
 藪から棒に、裏の畑を桑畑にすると宣言をされては、朝から目を白黒させていたであろう。
 そうでもないか。あれでもその昔は、赤城の糸を紡いでいた後継者の一人だ。
 久しぶりの桑の話に、かえって喜んでいるかもしれんのう。内心は」


 「え。母は糸を紡げるのですか。初めて聞きました」



 「お前が生まれる前の話じゃ。
 千佳はとなり村の生まれだが、そこにも同じように糸を紡ぐ風習があった。
 いやいや。大昔のように本格的に座ぐり糸を専業で引いていたわけではない。
 伝統文化を残そうということで、当時女学生だった千佳たちに、わしらが指導をした。
 お前の母が一番器用で、上手であった。
 世が世なら立派な後継者になったであろうが、いかんせんこの不景気な世の中だ。
 おっとっと。これ以上年寄りが、お前さんたちの情熱に水を差すようではいかんのう。
 着いたぞ。ここが昔の取水口の跡じゃ」



 老人が指差したのは、山麓を下っていく細い沢の流れです。
赤城山の中腹から自然に湧き出た地下水が、ひとつの流れとなり沢を作り始めます。
南東に向かって山肌をくだり、やがて下流にある唯一の一級河川、桂川へと流れこみます。


 「ここが水の取り入れ口で、あの一ノ瀬の大木のすぐそばを流れ、
 500mほど下にある枯れ沼まで至る、かつては一年中流れていた水路があった。
 まずはこの水路の復旧が一番で、その次は畑に肥料を入れて栄養豊かな土地に変える。
 桑の苗を用意するのは、最後でよかろう。
 本格的に葉が茂り、蚕に提供できるようになるまでは、早くても3年はかかる。
 水の準備と、土作りから始めるのは農業のいつもの基本じゃ」


 「しかし徳爺。今流れている水面はだいぶ下のほうの位置にあります。
 これでは昔の取水口は、まったく役には立ちません。
 なにかうまい解決策などが、ありますか」



 「簡単なことだ。ここでだめならもっと上流から取ればいいだけのことじゃ。
 上流へ50~60mも登ったところへ、新しい取水口を作れば、すべてが解決するであろう。
 なんだ康平。そんなことも思い当たらないとは、お前も頭が固すぎるのう」


 「ここから上流へ50m。下流へは500mにもおよぶ水路の掘り起こしか・・・・
 いきなりの土方仕事の始まりだ。農業というのはやっぱり1に体力、2に体力の世界ですねぇ。
 俺は田舎で育ったからまぁいいとしても、問題は英太郎さんのほうだ。
 いきなりの体力勝負では、これからの先が思いやられる」


 「覚悟は承知の上です。が、この現実には、やはり凄いものがあります。
 二人きりの、スコップとツルハシではたして勝負になるのでしょうか・・・・
 たしかに不安を感じます。ある程度の想定はしていましたが、やはり
 自然には、予測をはるかにこえる雄大さがあります」



 草だらけの岸辺に立ったふたりが、絶望的な眼差しを足元の流れに落としています。
振り返って下方を見ても、500mばかり下の位置にあるはずの枯れ沼は、その気配すら見えません。
かすかに中継点としてそびえている一ノ瀬の大木が見えるだけで、その先にあるはずの
枯れた水路の終点は、視界の中にまったく確認することなどできません。


 「まったく。お前さんたちときたら、
 猿並みの、浅はかな知識しか持ち合わせていないとみえる。
 開拓の時代ではあるまいし、今時にスコップとツルハシで水路の復活なんぞできるもんか。
 もう少ししたら、消防のタンク車を持ってここへ五六が登ってくるだろう」


 「消防のタンク車・・・・それを使って、一気に水路へ水を流そうという作戦ですか。
 乱暴ですね。まさかの作戦ですが、近所の畑に支障などはないのですか。
 大丈夫ですか、そんな荒業を使っても」



 「枯れたとはいえ、もともとここは水路だ。
 多少の水が流れたとしても、近所迷惑にはならないであろう。
 第一、途中にある畑といえば、おおかたがお前さんところの畑と、
 わしと五六の土地だけじゃ。残った土地といえば、ほとんどが耕作放棄地という有様だ。
 誰も文句などは、言いに来ないであろう」


 「だがな」と、老人は言葉を続けます。



 「いちどだけ水を流せば、積もった邪魔な土はあらかた流されるであろう。
 だが、問題はその後だ。
 長いあいだに崩れた石積みや、土手を丹念に修復をしていく必要がある。
 水を流すのは、原型を復活させるための意味合いだけだ。
 お前さんたちが言うように、やはりスコップとツルハシはどこまでいっても必須の道具だ。
 体力を鍛えるのには、こいつが格好の仕事になる。
 小手調べと思って、ふたりともせいぜい汗を流すが良い。
 男というものはおしなべて、おなごに惚れると、何故か弱い部分が出来る」


 と、徳次郎老人に指摘をされた瞬間に、思わず、
康平と英太郎が予期せずに、顔などを見合わせてしまいます。
『ほほう・・・当たらずとも遠からずか。
なるほど、二人とも少なからざる心当たりが何処かにあるものと見える。
さてさて、オナゴの髪は象をも繋ぐというが、大の男を二人も遠隔から操れるとは、
まことにオナゴの色香には、凄まじい説得力が潜んでいるものよのう。いっひっひ』
などと徳次郎老人が、一人で悦に入っています。
(まいったなぁ・・・)康平が、コホンとひとつ咳払いをします。




 「水はけの良い土地のほうが、桑の栽培には適していると聞きました。
 ゆえに、山間地でも有利な作物として育てられ、蚕が盛んになったという歴史もあります。
 そう考えると、水路は無くても大丈夫のような気もしますが」


 「うむ。康平の言い分にも一理ある。
 だが日照りばかりで雨が降らない時には、水に困るであろう。
 水はけが良いのは大切なことだが、水が無くなればもっと困ることになる。
 植物が欲しがるときに水を与えることが、水路の持っている役目だ。
 農業においては、日々のお天気にだけには逆らえないが、水と大地は自由に操ることができる。
 ゆえに農民は、水路を作り、畑に肥料を入れ、大地を豊かなものに変える。
 この努力があってこそ、豊かな実りが生まれ、人の暮らしが成り立つことにもなる。
 他に何か質問があるかな。農業一年生の、そこのお二人さん」



 
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