落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(18)

2013-07-04 10:26:04 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(18)
「乙女の前髪にひそむんでいた恋心と、貞園のいまの本音」




 (それにしても・・・)と、さらに貞園が口の中でつぶやいています。


(純情なはずの乙女が、大学を卒業するのと同時に愛人生活へ入ってしまったということを
康平は十二分に知っていたはずなのに、一言もそのことにはあえて触れてこない。
面と向かって『すっかり生き方を変えてしまい、俺の知っているあの頃の貞園では、
なくなってしまった』なんて正面から言われた日には、やっぱりショックだもの・・・・)



 「でもさ。いつ頃からの事なんだろう。
 日本の女性が、それこそ競い合って猫も杓子もこぞって髪を染め始めたのは」


 貞園がパラりと下がってきた自分の前髪を、そっと指で上空へ弾いています。
そういえば白い額を覆い隠すように、いつも垂らされていたかつての貞園の長い前髪は、
いつのまにか、前髪編み込みというスタイルに変わってしまいました。
三つ編みにされた緩い編み込みが額に沿って流れたあと、左サイドの耳の上でくるんと
ひとつにまとめられています。
ふんわりとした形のヘアコサージュを作ってから、お気に入りの花模様のヘアピンで
柔らかく上から抑えるのが、いつもの貞園のお気に入りです。


 「今日は髪の話題で、なにかと盛り上がる一日だ。
 日本女性が、自慢の黒髪を何時ごろから染めるようになったかについては、
 日本社会の急激な経済発展と、実は、密接な関係があるようだ。
 その昔、島崎藤村の、まだ上げ初めし前髪のという『初恋」』という詩に関心を持って、
 日本女性の黒髪について、少しばかり調べたみたことがあるんだが、
 ちょいとばかり、興味深い雑学などをついでに発見をした。
 長い話になるが、どうだい、少しばかりそいつに付き合うかい?」


 「付き合います、喜んで。どうせ今夜は独り身だし、暇なら十分に持て余していますから」



 「いつの時代においても女性の髪は、女性の命そのものだった。
 女性のヘアスタイルは、常にその時代を象徴するものだったしと言われているし、
 変遷ぶりにも、きわめて長い歴史が秘められている。
 『髪を結う」というおしゃれが、一般的になってきたのは江戸時代になってからの事だ。
 それまでは、大垂髪(おおすべらかし)と呼んで、髪を長くたらした形が女性の髪の主流だった。
 百人一首に描かれている女性たちのように、髪の長い女性が「美人」として
 日本では長いあいだにわたって、もてはやされてきたようだ。
 江戸時代のはじめ頃までは、おしゃれといってもせいぜい、
 びんの前方を切りそろえたり、ひとつに束ねたり、というくらいのものだったらしい。
 長い髪をそのまま垂らすというアスタイル自体に、変化というものは、
 まだ、生まれてなかったようだ」



 「長い髪が美人の象徴だなんて、きわめて日本的なお話ですねぇ・・・・。
 中国でも、多くの女性たちが髪を長く伸ばしていたけど、
 大抵はシニヨン(元はフランス語: シニョンとも言う)と呼ばれる形にして、束ねた髪を
 サイドや後頭部でまとめるというヘアスタイルにしていたわ。
 今でいうポニーテールのことで、編んだ髪をお饅頭のようにして、ひとつにまとめるの」


 「女性のヘアスタイルを大きく変えるきっかけを作ったのは、
 江戸時代初期に活躍した、出雲の阿国(いずものおくに)だといわれている。
 出雲の阿国は、歌舞伎の前身と言われる「お国歌舞伎」を舞った女性で、
 男性の役づくりをするために、髷(まげ)を結った。
 その阿国が結った若衆髷(わかしゅまげ)が「かっこいい」と江戸の巷で評判となり、
 いち早く遊女たちの間で、髪を結うのが流行りはじめた。
 この若衆髷を起点に、後になって日本髪を代表する島田髷(しまだまげ)が生まれる。
 日本髪の種類は全部で100以上あるといわれているが、
 江戸の中期ごろからは、時々の世相を反映する結い方が流行りはじめるようになる。
 そうした流行は常に遊女から始まって、やがて市井の、一般の女性たちの間にも
 徐々に広まっていったようだ」


 「ふぅ~ん、遊女たちが日本髪というヘアスタイルの先駆者たちなのか。
 なるほどねぇ・・・・遊女と言えば、競って殿方の目を引くのが職業だもの。
 当然すぎる話だわねぇ。派手で目立たなければお仕事にならないもの・・・・
 へぇぇ、日本髪の原点には、『女を演出するプロの』遊女たちが居たのか。
 道理で日本髪が女の私の目から見ても、とても艶っぽく見えるはずだ」


  
 
 「明治時代に入ると、男性たち髷を落とす断髪が強制的に行われ急速に西洋化が進んだが、
 女性のあいだでは、まだまだ日本髪のほうが主流だったようだ。
 働く女性たちの髪型として、銀杏返しなどを結う人が多かったと記録には残っている。
 ダンスとドレス姿が脚光を浴びるようになった鹿鳴館の時代に入ると、
 洋装に合う髪型なども考えられるようになったようだが、いずれも
 日本髪を、単に洋風にアレンジしたものに過ぎなかった」


 「ということは、明治時代はまだ、女性の髪は長いままだったわけですね。
 なるほど、道理で日本の男児が、女性の長い髪にことさらのように執着をするわけだ。
 でも最近は短い髪の女性もたくさんいます。
 長い髪にも当然のように、歴史の転換点がやってくるわけかしら」


 
 「日本女性の髪の歴史が、急激な変化を見せるのは大正時代だ。
 このあたりで、日本女性の定番だった長いストレートの髪と、それを結い上げる
 日本髪の歴史が一度、終止符をうつことになる。
 すっぱりと断髪をしてショートボブを取り入れた、モダンガールの登場がそれにあたる。
 この頃になると、日本にもパーマネントの技術などが入ってきて、
 髪を切り、パーマをかけるという女性たちが急増した。
 『アメリカ人の真似をしている』と非難されることもあったようだが、
 実はこのころから、日本髪から開放された女性たちによって、
 社会的地位を向上させていくという動きや、運動なども始まってくる」



 「日本髪は見た目は優雅でも、日常生活的には、すこぶる不便だと思うもの。
 箱枕というのかしら、あの変な形をした枕で髪を守って寝るなんて私には考えられません。
 あんな不便なもので、夜の夫婦生活が営なめるなんて、実に日本女性は我慢強いというか、
 おしとやかというか、ほんとうに辛抱が良いのねぇ、まったく・・・・
 あら、ごめんなさい。ついつい、はしたない妄想などを挟んでしまいました。
 で、いつ頃からになるのよ、ほんとうの意味で、日本女性が長い髪から開放をされるのは」



 「ヘアスタイルが多様化したのは、終戦後になってからのことだ。
 アメリカの文化に近づこうとして、茶髪にしたりパーマ・ヘアーにする女性が増えてきた。
 1960年代に入ると、ロンドンでヴィダルサスーンが登場をした。
 ハサミで髪をカットするという新しい技術を広め、
「ヴィダルサスーンカット」と呼ばれるボブスタイルが、全世界的に大流行をした。
 髪の毛を、人差し指と中指の間に1cm程の厚みで引き出しながら切る『サスーンカット』は、
 現在における理容師や美容師たちの基本技術になっている。
 そのサスーンの技術は日本にも入ってきて、髪をカットする道具が、
 カミソリからハサミへ移行をはじめた」



 「あらまぁ、
 たった半世紀前のことか・・・・日本女性が、本格的に変わり始めたのは」
 


 「いや、最終的な劇的変化を遂げたのは、つい最近のことだ。
 1990年代へ入るとバブル経済がやってきて、街中をダンスブームが席捲をした。
 クラブやディスコなどが林立をして、華やかに踊る女性たちがマスコミを大いに煽った。
 ソバージュや、ワンレングスの女性たちがあふれるようになった。
 (※ワンレングスは女性のヘアスタイルのことで、正式にはワンレングス・ボブと呼ぶ。
 ストレートの髪でフロントから後ろまでを、同じ長さに真直ぐに切り揃えたもの。)

 1993年ごろになると茶髪ブームがはじまり、1996年には
 安室奈美恵のファッションを真似た「アムラー」が増殖をして、茶髪の一般化がはじまる。
 「茶髪なんて……」と、当時はまゆをひそめられていたカラーリングだが、
 今や、ファッションのひとつとして、すっかりと確立して定着をしてしまった感がある。
 あれから20年近くが経つ。
 茶髪は今や、日本女性の定番として、すっかりと定着をしている。
 この国では、生まれついての黒髪が色気や異性に目覚めはじめると、それと同時に、
 茶髪や金髪に生まれ変わってしまう・・・・
 カラーリングは、日本女性が子供から大人へと脱皮をしていく
 日本独特の儀式のように見えてならない。
 すこしばかり嘆かわしい現実だと思っているけどね、俺にしてみれば」



 (だから康平は、あの子の長いストレートな黒髪に、未だにこだっているんだな・・・
  日本の男って本当は、単純にただただ、黒くて長い髪が好きってことなのかしら?)


 ふう~ん・・・・そんなものかしらねぇ、と貞園が、
カウンター越しに、熱弁中の康平を盗み見ながら小鼻を鳴らしています。





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