落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(19)

2013-07-05 11:05:47 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(19)
「まだあげ初めし黒髪と、ひたいへのキス」





 「あっ、」と、貞園が突然に小さな声をあげ、目を丸くしています。
古い記憶の中から、康平とのキスの場面を思い出し思わず赤くなり始めます。
(うっかりしていた・・・・そうだ。たった一度だけど、私たちにもキスシーンは有ったんだ)


 「なんだよ、藪から棒に。
 なにを赤くなってんだ、お前。もう呑み過ぎたのか、もしかして?」


 「いいえ。酔ってなんかいません、私はまだ。
 ・・・・突然だけどさぁ、たったいま、あなたとのキスシーンを思い出したの。
 あれは、真冬の赤城の山頂だったと思うけど。
 雪景色を見たことがないという私のために、あなたの運転する車で山頂へ向かい、
 凍てついた大沼の湖畔で、例の常緑のヤドリギをいくつも見つけて大騒ぎをしたわよねぇ。
 きっといい事が沢山あるって有頂天になって喜んでいる私へ、
 康平がそっと、額へキスをしてくれた。
 でもさぁ。なんで額で、唇は避けたのよ・・・・」



 「有ったなぁ、確かにそんなことが。
 寒い日だったもの。お互いにポケットへ手を突っ込みながら、
 ミズナラの林を、夢中になっていくつもヤドリギを発見しながら駆け回ったね。
 あの頃の君は、まだ額へ可愛い前髪を垂らしていた。
 それをかきあげながら、額にチュッとキスをした覚えなら確かにあるよ。
 うん、今でもそれは鮮明に覚えている」


 「あの時に、あなたが口にしてくれた詩は、とても素敵だった。
 覚えているのあの時の詩は。今でも?」


 「島崎藤村だろう。
 彼の処女出版にあたる『若菜集』に収録をされている作品のひとつで、初恋という詩だ。
 まだあげ初めし前髪の、林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の、花ある君と思ひけり。
 やさしく白き手をのべて、林檎をわれにあたへしは
 薄紅うすくれなゐの秋の実みに、人こひ初めしはじめなり。

 『まだあげそめし前髪』は、現代風に訳せば
 『髪をあげてまだ日がたたない少女の前髪』という意味になるだろう。
 髪をあげるとは、現代のようにヘアースタイルをアップに結うという意味ではないようだ。
 「初恋」が書かれた明治時代は、少女が12、3歳になると、
 肉体的な成熟を迎えたとして、大人になった印にそれまでの振り分け髪(今で言うオカッパ)
 から、前髪を上げて額を見せる髪型に変化するということを示唆している。
 もう肉体的にも子供ではない、成人の女性であるという世間へのアピールだ。
 『前にさしたる花櫛』の「花櫛」とは、文字通り、花のデザインをほどこした髪飾りのことだ。
 結い上げた、匂うばかりの前髪にさした花飾りの櫛が、少年の目にはまるで
 花が咲いたように輝いて見えたことだろう。
 ついでに補足をすれば、『やさしく白き手をのべて』という部分が実に色っぽい。、
 着物の袖からすべり出た、少女の白い腕にある新鮮な輝きが見事に表現をされている一節だ。
 ただし、この『白い手』には、単に女性の肌の白さを見せているだけではなく、
 思春期を迎えた娘の、明治時代の淡いエロチシズムが存分に薫っている・・・・
 良い詩だと思う。たしかにあの頃の貞園のイメージに、ぴったりの詩だった」


 「あなたの目から見ても、当時の私はチャーミングに見えていたワケでしょう・・・・
 それならばなおのこと、なぜ唇ではなく最初で最後のキスが、額だったのさ」


 「君がとても崇高で純粋そうに見えすぎたせいかな・・・・
 触れたら壊れそうな気配もあったし、第一、俺たちは知り合ってからまだ日も浅かった。
 日本の男性はけっこう繊細で深淵なんだ。こと女性に関するかぎり」



 「無理やりに、それを壊してでも手に入れる訳にもいかず、
 そうかといって放っておくのも忍びなくて、欲情をギリギリに抑えての選択肢が、
 結局、無難な額へのキスというわけか・・・・
 18歳の私が子供すぎたのかしら。それとも康平が格好というものをつけすぎたのかしら・・・・
 う~ん。でも、結局のところ、あの日のキスにはいまだに何故か消化不良が残っているわ。
 こんなことならあの時に、私の方から康平の唇へキスしておけば良かったと思うけど、
 今となっては、あとの祭りだわねぇ・・・・」



 「おっ。経験を積み重ねると人は成長をすると言うが、君もなかなかに分かってきたようだ。
 うん。10年にわたる愛人暮らしはというやつは、やはり君を物分りの良い
 女性に成長させたようだね」


 「康平。、ひっぱたくわよ、本気で。
 10年は私たちが知り合ってからの年数で、愛人暮らしはまだ、5年目と半年です。
 あなたと知り合い赤城山へタンデムした日から、数えはじめてちょうど今年で10年目になるの。
 額へキスをしてくれた、雪の赤城山頂のあの日から数えても、9年半。
 私は大学一年生に編入したばかりだもの、あれからの4年間は、生粋に純情無垢なままの
 女の子のままでいたのよ、私は。
 パパだって大学へ通っていた4年間は、私に指一本触れませんでした」



 「ということは、君が大学へ通っていた4年のあいだには、
 いつでも恋人同士になれるチャンスが十二分にあったというわけか。俺たちには」


 「その通り。
 やは肌のあつき血潮にふれも見で、さびしからずや道を説く君。
 わかるなぁ、晶子さんの、あの気持ちが存分に・・・・」



 「博識だね、貞園は。
 それも、与謝野晶子の代表作ひとつだ。
 その作品を収録したみだれ髪には、ほかにも
 その子二十(はたち)櫛(くし)に流るる黒髪の、おごりの春の美しきかな
 なんていう、秀麗な短歌がある。
 与謝野晶子という人は、乱れ髪(明治34年刊行)以降、5万首をこえる作品を残しているが、
 情熱の歌人と呼ばれ、旅順口包囲軍の中に在る弟のことを詠んだ、
 君死にたもうことなかれや、『源氏物語』の現代語訳などで良く知られている。
 1900年(明治33年)に、浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で歌人の与謝野鉄幹と
 不倫の関係に落ち、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』へ短歌を発表するようになった。
 その翌年には家を出て東京へ移り、女性の官能をおおらかに謳いあげた
 処女歌集『みだれ髪』を刊行して浪漫派の歌人としてのスタイルを見事に確立をした。
 のちに鉄幹と正式に結婚をし、子供を12人出産している。
 「歌はまことの心を歌うもの」という主義主張は、当時の多くの人々を魅了した。
 だが、気のせいじゃない。俺は君に、道を説いた覚えは一度も無い。
 額にキスをしたおぼえは、あるけれど」



「キスにだって、種類がいろいろとあります。
 キスをする場所によっても、それぞれにまた別の意味が存在をするそうです。
 手の上なら尊敬を意味して、額の上なら友情のキス。
 頬の上なら厚意のキスだし、唇の上なら恋人同士の愛情のキスだわ。
 瞼の上なら憧憬のキスを意味しているし、掌の上なら懇願のキスで、
 欲望のキスなら、腕の付け根あたりにするという定説があるわ。
 結婚式での「キス」は、「誓いの言葉を封印する」という意味があるために、
 お互いの唇と唇で、近いの言葉を「封印」するんですって。
 間違っても舌なんか入れちゃいけないんだよ、康平くん。うふっ」



 「な・・・・何の話だよ。突然に!」


 煮物の前でうろたえている康平を尻目に、貞園がクスリと小鼻を鳴らしています。


(いいのよ、どうせもう・・・・どうせあれはただの私の勘違いだもの。
あの日あなたが、私の額へキスなんかするものだから、あの日から私の大きな勘違いが始まったのよ。
あなたはろくに覚えていないでしょうが、18歳の私には、きわめて鮮烈な出来事のひとつなの。
それがいまだこの歳になっても、消えることなく、私の心の中でくすぶり続けているなんて、
口が裂けても、あなたには今さら言えるわけがないでしょう・・・・)



 「うん?。何か言ったか」と、顔を上げる康平の姿を目の隅で見つめながら、
何事もなかったかのように、「ううん、別に」と貞園が、カウンターでグラスの氷を
指で突き、カラリと小さく鳴らしています。






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