落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(17)

2013-07-03 10:48:17 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(17)
「みどりの黒髪と、髪はカラスの濡れ羽色」



 
 覚悟を決めた康平が、もう一度だけ、鍋の火加減を注意深く確認をしました。
頬をふくらませカウンターへ片肘をつき、不満そうな目線のまま鋭く康平を見つめている
貞園の前へ、ようやくの想いで戻ってきます。


 「変わってしまったというのは、その、髪の色のことさ。
 日本には、女性の美しい黒髪のことをたたえる素敵な表現がたくさんある。
 ”髪はカラスの濡れ羽色”とか、”みどりの黒髪”などという例え方がある。
 いずれも日本女性の黒髪を褒めたたえる素敵な言葉だ。
 だが残念なことに、すでに現代日本からはそんな素敵な輝きを持った黒髪の日本女性は
 ほぼ完全に、消滅をしてしまったようだ。
 君と初めて出会ったときの、あの長く美しかったあの黒髪は、実に衝撃そのものだった。
 若い女の子達ばかりではなく、今ではご年配の女性たちもおしゃれ染めなどと称して、
 自慢の黒髪を茶髪や赤色系統などに染め始めて、ずいぶん久しくなる。
 君がやってきた10年前にはもう、黒髪の日本女性なんかひとりもいなかった。
 台湾から来た18歳の黒髪の留学生は、実に新鮮だった・・・・
 日本女性が忘れてしまった黒髪の守り手のようにさえ、見えたものだ。
 その君の黒髪が、いつのまにか気がついたら流行りの茶色に変わっちまった。
 君もいつのまにか、しっかりと日本の文化に順応をしたようだ。」


 「え?、なんだぁ。私の髪の色がかわったことか・・・・
 まったくの想定外で、実はホッとしたわ。
 いつのまにか、自分の生き方や信念まで変えてしまったねぇ、なんて言われたら
 どうしょうかとドキドキしていたのに、肩に力を入れすぎて損をしちゃいました。うふっ。
 そういえば、いつごろからのことだろう、私が、髪を染め始めたのは・・・・」


 
 「群馬大学の教養学部に編入をした頃は黒髪だった。
 河川敷にあるゴルフ場で、キャディのアルバイトを始めた頃のことだから、
 たぶん、20歳か21歳の時だろう。
 そこで、運命の出会いというやつが、君にはあったんだろう。
 例のほら、”君の名は”という、有名なエピソードというやつが」


 「嫌みな奴だ、康平は。
 なんでそんな昔の出会いのことを、いまだにしっかりと覚えているの。
 『君の名は』というのは、大昔の真っ昼間に流行った日本の有名なメロドラマでしょう。
 私が言われたのは『見たところあなたは日本人ではないようですが、お名前は』と
 やんわりと、ある男性から尋ねられただけの話です。
 『名前は、貞園です』と答えたら、『日本庭園の、ていえんか』と聞きなおすから
 いいえ、『貞淑を重んじる方の「ていえん」です』と答えました。
 そしたらその男性が、
 『君はハキハキしていて面白いから、今度から専属でキャディの指名をしょう』
 と言ってくれたのよ。その例の男性が」


 「そうか。それが君の、その後の19番ホールの始まりだった訳だな?」


 「康平くん。
 事実関係に、誤解と悪意による歪曲などが含まれています。
 確かに専属のキャディに指名をされるようにはなりましたが、当の男性とは、
 一線を守った上での交際が始まりました。
 大学の在学中は、私の「足長おじさん」として物質的に支援などをしてもらいました。
 でもね、康平くん。
 パパも、学業の方が大切だからといって、なにかにつけて支援をしてくれたけど、
 在学中はただの一度だって肉体関係などはありません。すこぶる清い関係だけが続きました。
 念の為に、その一言を申し添えたいと思います」


 「まぁ、そうだろうね。
 市内でも有名人で、家電産業直属という屈指の設備メーカーの社長さんのやることだ。
 事実は小説よりも奇なりと言うが、魅力的な君の身体を前にして、
 卒業まで純潔を守ったというのは凄い。さすがに一流人のやることには違いがある。なるほど・・・・」


 「そうよ。だから私たちには、その後にもたくさんチャンスはあったのよ。
 あなたがもう一度、私が在学中にまたあのスクーターを飛ばして、
 どこでもいいから赤城山にはたくさんあるはずの、ヤドリギの下でキスさえしてくれれば、
 私たちの人生の展開も、きっとどこかで必ず変わっていたはずなのよ・・・・
 でも、それももう、はるかに昔の話です。今となっては遅すぎるもの」



 「えっ、・・・・ということは、君が髪を茶色に染はじめたのは、
 早く気がついてくれという俺へのメッセージだったのか・・・・もしかしたら?」


 「それ以外に、何か他に思い当たることでもあるのですか、あなたに。
 ・・・・うふふ、もうこの辺でやめようね、康平。
 あまり本当のことばかり喋べりすぎてしまうと、いまさらながらに自分が惨めになります。
 それよりもさぁ、なんで日本語では女性の美しい髪のことを、
 みどりの黒髪とか、カラスの濡れ羽色などという、わかりにくい表現をつかうのさ?
 黒とみどりでは、色もまったく異なると思うけど・・・・」


 「カラスの濡れ羽は、別名を濡烏(ぬれがらす)とも言う。
 色彩というものは、物体から跳ね返ってくる光の波長によって成り立っている。
 対象が光を全て透過してしまう場合は、透明色になる。
 全て吸収する場合には黒く見え、全て反射してしまう場合は逆に白に見える。
 同じ色の塗料を塗っても、表面の部分に細かい凹凸などが多くなると光が乱反射して、
 対象は、白っぽい感じに見えてくるそうだ。
 布などが水を含むと、表面の毛羽が水を含んで寝てしまい、
 一時的に表面が滑らかになることで、色合いが濃く見えることがある。
 それを、濡れ色効果と言うそうだ」


 「濡烏」とは、この「濡れ色効果」によって本来は黒一色のはずの烏の羽が
黒味を増して輝きをみせ、水分の効果によってさらに艶が増した色合いのことを指しています。
このときに光による干渉が起こり、黒い羽毛の上に青や緑、紫などの干渉色が浮かびあがります。
シャボン玉や油膜などに色が付いているように見えるのは、この光の干渉によるもので、
光の波長の変化によって、さまざまな発色の現象を引き起こします。



 わかりやすい干渉色として、コンパクトディスクの輝きやシャボン玉の反射が有名です。
コンパクトディスクやシャボンには、それ自身にはまったく色彩はついていません。
微細な凹凸の構造によって光がさまざまに干渉をするために、複雑極まる色の変化などが見られます。
見る角度により、様々な色彩に変化することもこの干渉色の特徴です。



 「モンゴロイド(黄色人種)に属する女性の髪は、
 一般的に黒っぽい色をしていて、まっすぐな髪質を持っているのが特徴だという。
 その黒髪が、水や髪油などを含むと烏の羽を髣髴とさせるような
 美しい干渉色を浮かべることがある。
 ただしこの場合、干渉色が浮かぶのは常に健康な黒髪に限られているそうだ。
 ただの黒色ではなく、健康な髪の証ともいえる美しい干渉色が浮かんだ状態のことを、
 昔から日本では「濡烏」と言い、賞賛の言葉としてきたようだ。
 健康な髪に現れるという”天使のリング”も、似たような構造を持っている。
 いずれにしても日本女性の黒髪というものには、長いあいだにわたって受け継がれてきた
 健康美への賛美とその概念があった。
 ”ミドリの黒髪”で言うところのみどりも、色彩を意味している言葉ではなく
 新芽や若い枝そのものという意味を指している。
 ミドリには、新しく生まれた、みずみずしいものたちという意味がある。
 だから、新生児のことを『みどりご』と呼んだり、
 美しくて艶やかな黒髪のことを『みどりの黒髪』と呼ぶそうだ」


 「あらら・・・赤い髪や茶髪ばかりが目立つ今のご時勢では、
 女性本来の美しさを大切にするはずの大和撫子たちは、
 すでに、この日本には、まったく生存をしていないということになってしまうのかぁ。
 そうか・・・私が、髪を染め始めてしまったことが、
 結果的には、康平と溝を深める事態を呼んでしまったことになるのか。
 うう~ん、そこまでは私も気がつかなかったなぁ。
 黒なら今でもOKでも、赤は信号と同じでアウトなんだ。知らなかったなぁ~残念」


 (そうだよねぇ。康平が今でも心をときめかせそうな長い黒髪の女性に、
 たったひとりですが、私には、ちゃんと心当たりがあるもの・・・・)


 なるほどねぇ、とほほ杖を突きながら、いまさらながらの様にカウンターで
納得をしている貞園です。
 




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