落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説・舞うが如く 第一章 (1)赤城の天狗

2012-11-09 12:21:26 | 時代小説
連載小説・舞うが如く 第一章
(1)赤城の天狗







 江戸時代末期、赤城の山麓を
軽快に闊歩する、白髪の初老の剣士が居りました。



 名を富樫白星と名乗り、剣術と柔術の両方に精通した達人です
住まいを定めずに、弟子の家々をめぐり歩いては日々を過ごしておりました。
蜂蜜に薬草を入れた手製の呑み薬は滋養に富み、
病後によく効くと、たいそうな評判です



 生まれも育ちも、
寡黙に語らないこの老剣士は、長くひとところにはとどまりません。
赤城の南山麓を中心に西は前橋から、北は峰を越えて
利根や片品方面までを歩きまわります。


 一日に数十里をあるくという、
たいへんな健脚の持ち主です。
まるで仙人のような風貌ですが、あえて本名は名乗りません。
通称を、短く「法神(ほうしん)」とだけ発します。




 「すきあらば、いつでも打ってよろしい」
と、板の間に端坐しました。



 小柄で細身の老剣士は、そう言うと、
好物のどぶろくの盃を静かに口にと運びます
ごくりと喉が鳴り、旨そうに目を細めました。



 弟子の木刀が、空気を鋭く切り裂きます


 徳利と盃を手にしたままの老剣士が、
ふわりと舞い上がり、片足で天井板を蹴りました
そのままクルリと一回転をして
音も立てずに、少し離れた縁側にと舞い降りました。



 「なかなかの打ち込みで有る。
 だがまだ、気持ちが急ぎすぎておるのう・・・
 はやりすぎじゃ。」




 そう静かに言い残すと、縁側にどぶろくの徳利を置きます。
その場でトンと地面を蹴ると、高さ6尺あまりの板塀を
軽々と越えて行ってしまいます。
いつもながらの、天狗のような身のこなしです
その老剣士がヒョイと再び、板塀の上に現れました。



 「これは、わしとしたことが失礼をいたした。
 旨いどぶろくを馳走になった礼に、ひとつ奥義をお見せしょう、
 剣には常に強さは要るが、
 力づくしだけでは、時と場合で切れないものもある。
 断ち切るとは、こういう意味じゃ。」




 そういうと、さきほどまで
口に運んでいた盃を、空中高くに放りあげました。
腰にした太刀に手をかけるやいなや、
気合とともに身を躍らせて
その場の空気を十文字に切り裂きます、
そのままとんと軽やかに、板塀に着地しました。




 「壊れてしまっては、
 もう、使い物にならぬであろう。
 次回よりは、これを使うがよい」




 そう言うと、板塀の上に、
懐から取り出した土器の盃を置きます。
ほどなく先ほどの盃が、静かに地面に落ちてまいりました。
着地した瞬間に、綺麗に縦2つに割れてしまいます・・・
それが転がりかけた矢先に、さらに上下の2段に割れました。



 板塀の上に、
もう老剣士の姿はありません。




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