落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ、桐生 (52) 千両役者の夜(2)

2012-06-27 10:12:43 | 現代小説
アイラブ、桐生
(52)第4章 千両役者の夜(2)






チャリ舞について・・・

 京舞いの世界は、優雅でなおかつ優美です。
それもそのはずで、京舞は初代・井上八千代が200年前に始めた井上流の「舞」の世界です。
「都をどり」「祇園をどり」「京をどり」など、いずれもが井上流による「京舞」です。


 チャリ舞とは、お座敷で口伝えで伝わっていく余興の舞いのことを指しています。
そのために、お師匠さんもそうしたお稽古も、基本的には存在をしてません。
お座敷での裏芸ですから、ほとんどが「下ネタ」と呼ばれるお座敷芸です。
かつての忠臣蔵の内蔵助が、島原で遊興にふけった際によく登場したのが
これらの、少々お下品さを含んだ座敷遊びです。
大半が、下ネタ中心の替え唄や、都々逸、さのさなどです。



 なかには情緒たっぷりのものもありますが、
大概が上品とはいえない代物で、これに舞をふりつけて、その場で即興で踊ります。
その舞も、実にエロティックで公表をはばかられるものばかりです・・・・
若い芸妓さんや子供みたいな舞妓さんまで、面白がってこんな舞いを舞っているのですから、
見ているほうも、思わず何やらおかしな気分になります。
個人的には、やはり(年配の)お姉さんがたに、風情たっぷりに、かつ妖艶に、
舞ってもらった方が、しっくりときくるようです(笑)。




<実例をひとつ、紹介をします>



 「○×ちゃん、あんた恥ずかしないのん。あんな舞を舞うても?」

 「いや、べつにどうってことないわ。
 それよかええ年したお客さんらがはしゃいでんの見てるほうが、よっぽど面白い」

 「歌詞の意味わかってんのん?」

 「ん~。ようわからんとこもあるけど・・・・大体は分かるえ~」


 おそるべし・・・・17歳の舞妓です!


 例えば、こんな唄がうたわれています。

   ♪~狸寝入りに手探りされて、起きてる倅の間の悪さ~

    ♪~たたむ寝間着の襟元に、一筋からむこぼれ髪、
      帰してやるんじゃネェなかったに
      含む未練の夜の盃~



 本来の舞や芸事とは異なりますが、お茶屋さんの2階では
こんな風に、くだけた裏芸なども披露がされて、宴席に華を添えているようです。
大人の座興といえばそれまでですが、こうした余興もまた、
粋な大人の遊びのひとつとしての祇園では、ひそやかに受け継がれてきました。






 お茶屋の小桃の2階では、春玉の舞いが3つほど披露された後、
ほっとした空気が生まれたものの、ふたたび重い空気が漂よってきました。
会話が始まる気配は、まだまったく見えてきません。


 しびれを切らした小桃の女将が立ちあがりました。


 丁寧に包みこまれた風呂敷をたずさえると、静かに源平さんの前に座ります。
なにも言わずに風呂敷の包みをほどき、中から丁寧にたたまれた反物をとりだします。
盃を置き、つられたように覗きこむ源平さんの目の前に、
艶やかな、白垢地の生地が拡がりました。
大きく広げられた白無垢の生地の数か所からは、見事なまでに
咲き誇るカキツバタの花が現れました。
目を見ひらいた源平さんが、そのままカキツバタの花に引き込まれています。



 「お千代から預かりましたもんどす。
 もしもんときはお願いしますということで、
 わたしが、責任を持ってお預かりしたもんどす。
 本日はお祝いの席ゆえ、これが一番ふさわしいと思い、
 あたしの一存で、勝手ながらご披露におよびました。
 あなた様も見覚えがあるように、お千代が精魂を込めたカキツバタどす。
 いままでに、ぎょうさんのお千代のカキツバタを見てまいりましたが、
 色彩と言い、花の形と言い、その上品びりと言い、
 ここに込めはった、お千代はんのその気持ちと言い、
 どれをとっても、第一級品の仕上がりですと、私は確信します。
 お千代が全てをかけて描きあげた、後世に残る逸品だと、私も信じて疑いません。
 源平さん。どうぞ心いくまで、
 お千代の心意気を、見はってください」



 これはと、思わず膝を乗り出した源平さんの隣で、お千代さんも立ち上がりました。
若い者たちの背後を通過して、小桃の女将さんの横へすすみでます。
膝を正すと背筋を伸ばし、きっちりと源平さんの前に座ります。
畳に両手を添えました。
目線は源平さんに向けたまま、静かに頭を下げ始めます。
畳に額が着くまでお辞儀をしてから、やや頭を持ち上げました。
伏せられた顔のまま、やがてお千代さんが、静かに口を開きます。




 「可愛い娘のためにとはいえど、今の私にできることといえば、
 これくらいのことしかでけしません。
 嫁ぐ娘の晴れ姿のために、お千代が丹精を込めた、最初で最後のカキツバタどす。
 娘のためにと思い、ただひたすらに書きました。
 しかしあなた様には、心から本当に、申し訳ないと思っています。」





 もう一度、頭を畳に着くまで下げました。



 「あなたの跡取りを産めず、
 たった一人しか産めなかったことは、ひたすら私の落ち度どす。
 娘を産んでしまったということも、これもひたすら私の落ち度どす。
 しかし、女の子として生まれてきたこの子には、
 何の罪も、ありません」



 源平さんが固まってしまいます。
私をはじめ、居並んでいる小春姉さんや春玉も、ただ固唾をのんで
なりゆきを、見守ることしかできません。




 「駄目だと親が言いきって、結婚の反対をしてしまったら、
 お互いの将来を誓い合った若いこの子たちには、もう別の行く道はありません。
 あなたは賛成できないでしょうが、産んだ私が、早もう、あきらめてしまいました。
 どうぞ、何も言わずにお願いします。
 お千代が書きあげたこのカキツバタに、金箔での最後の仕上げをしてください。
 これ以外には、他にはなにひとつ、この子に持たせないつもりでいます。
 あなたに仕上げてもらった、このカキツバタの晴れ着だけを持たせて、
 この娘を、お嫁に出してあげたいと、お千代は心から願っています。
 勝手ばかりを言い、我がまま過ぎるお願いで申し訳ありません。
 一生でただ一度だけ、お千代の本気の、心からのお願いです。
 最初で、最後のお願いといたしますうえ、
 どうぞ、お願いいたします」


「勝手に、最後とされたら、俺が困る・・・」




 どれ、とたちあがった源平さんが生地を手に取り、じっとのぞき込みます。






 「この野郎・・・
 たしかに、お前らしい、いい絵じゃねえか。
 女将の目も確かだ。見る目は確かに節穴じゃないようだ。
 ずいぶんと、丹精が込められている、まことに見事なお千代のカキツバタだ。
 なるほどなぁ。これなら誰が見ても確かにお前の代表作だ。
 晴れの日に、娘に着せるためにというが、
 ご丁寧なことに、ここと、ここの部分に、俺に金箔をいれろと、
 ちゃんと、丁寧に印までしてあるじゃねえか・・・
 なるほどなぁ・・・・
 娘に一番似合うように仕上げるために、もう、ちゃんと計算が出来ている訳だ。
 こんなに丁寧に仕立てられたものに、俺も手を加えるとなると
 生半可では、済まなくなると言うもんだ。
 これでちゃんと、職人としての誇れる仕事をしなかったら、
 俺も、後世まで男としての名がすたる。
 まかせろ、お千代。
 お前に仕事で、負ける訳には、まだいかねえな。
 俺も精いっぱいに、一生一代の仕事をする!
 二人で、力を合わせて良い仕事をしょうじゃねえか・・・・
 可愛い、一人娘のためにも」



 緊張しきっていた室内が、どっと、どよめきました!




「よおっ、日本いち!!」



 置き屋のおかあさんが、真っ先に源平さんへ声をかけます。


 「源平はんは、やっぱり誰が見ても、祇園の男どす。
 婿はん。見た通りどす。この男はやっぱり、日本一のおとうさんさかい、
 心から感謝せな、あかんえ~」




 「だめだ、だめ。湿っぽいのは・・・・。
 せっかくの内祝いと、春玉の初披露という、とにかくめでたい宴席だ。
 おい小春。芸者ワルツを弾け!踊るぞ今夜は、
 唄え、唄え~。」



 小春姐さんが、涙をぬぐって、軽快に三味線を弾き始めます。
置き屋のおかあさんと小桃の女将さんが、声を揃えて唄いはじめました。
源平さんが立ちあがると、お千代さんの手を取ります。
若い二人も、女将さんにせかされて、座敷の中央へ押し出されてしまいました。
春玉が、赤い顔をして、私の元へ飛んできました。




 「芸者ではおへん。舞妓ですが、それでもええどすか?」



 願ってもないことです・・・
あっというまに出来あがった3組のカップルが、お座敷の中で
三味線の伴奏つきで、なぜかチークダンスなどを踊り始めてしまいました。



 「だめだぁなぁ~・・・・
 芸者ワルツだけじゃ、いまいち、場の盛り上がりに欠ける。
 女将。やっぱり、いつもの18番(おはこ)をやれ!
 ここは一番、やっぱりなんと言っても、いつものあれだろう。
 小春が一番得意としている、とっておきの新撰組をやれ!」




 源平さんが汗をぬぐう間もなく、次の踊りの指名をします。
女将さんもおかあさんも、そして小春姐さんも、ついには春玉まで、
一斉に、凄まじいまでの嬌声をあげます!



 「なに?・・・・新撰組って?」



 応える間もなく、春玉が私のネクタイに手を伸ばしてきました。
手際良くネクタイの結び目を解くと、そのまま頭に持っていき、
キリリと鉢巻にしてしまいます。
ちょっとだけ躊躇するそぶりを見せた春玉が、次の瞬間に、エイヤとばかり
私のズボンのファスナーに向かって、右手を勢いよく伸ばしてきました・・・・
え?、あっという間に、ズボンのファスナーに春玉の手がかかります!
 。おい、おいっ・・・・。


 「心配は、おへん・・・」




 春玉もすっかり上気をしています。
見れば男たちは、すっかり元気になった女たちに揉みくちゃにされながら
よってたかって、衣装替えの真っ最中の様子です。
春玉が「まかせておいて」と笑っています。
見事なまでに手際よく、ズボンのファスナーを一気に引き下ろしてしまうと、
その隙間から、ワイシャツの裾を引き出します。



 「はい、これは手綱です。
 あなたは馬上の武士ですが、私は自由奔放に逃げ回っていく花街の遊女です。
 見事に捕まえてくださいな。遊女の逃げ足は極めて早いんどす。
 ほな、逃げますさかい。
 あんじょう、追いかけてくだないね!」



 そう言うなり黄色い声をあげ、裾をたくし上げた春玉が、
座敷のなかを、右へ左へと悲鳴をあげて、駆け回りはじめました。




  ♪~鴨の河原に千鳥がさわぐ~
    股も血の雨、涙雨
    武士という名に命を賭けて
    新撰組は今日も行く~
    チータカタッタッタ チータカタッタッタ 



 
 お姉さんの色っぽい声。早くつかまえてと、
一斉にはやし立てる女将さんたち。
舞妓のまったく遠慮のない、ひときわよく響く、黄色い悲鳴。
どたばた、どたばた。・・・・さらにまた、どたばた、どたばた。
追い掛ける男たちは馬にまたがった形のまま、逃げる女どもを
とにもかくにも、狭いお座敷の中を、どこまでも必死になって追い回し続けます。




 祇園は、きわめて粋な街です。
粋も甘いもすべて承知の上で、たまには羽目を大いにはずします。
こんな風に、誰にも止めようのない、らんちき騒ぎの夜もあります。




 それにしても、お千代さんの筋書きは見事です。
周到な準備と言い、見事に書きあげたカキツバタと言い、
源平さんへの思いやりと言い、実に欠点のない、完璧な脚本でした。
だが、それ以上に、今夜こんな風に用意をされていた花道で、期待以上に
ものの見事に、男親の役柄を演じ切った源平さんも、
またまた見ていて、見事でした。


 祇園の、老舗お茶屋を舞台にした、夫婦合作の見事な「千両芝居」でした。
じつにお見事な結末に、久し振りに気持ちの良い涙が、
一筋だけ、頬を流れてしまいました。
やはり、祇園は、つくずくと、粋な街だと痛感をしました。








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