落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (41)

2014-01-03 10:17:04 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (41)第4章 ひいらぎの宿、最初のお客様 
事故の瞬間、青年の頭をよぎったのは・・・




 「蛇(じゃ)の道は蛇といって、同類のすることはその方面の者にはすぐわかるという例えがある。
 いや。君の事じゃないよ。3人乗りをしていた悪ガキたちの正体のことだ。
 昼間一緒に釣りをしていたのは実は、極道家業をしている岡本という俺の古い友人だ。
 まぁ、俺が言うのも変だが。比較的まっ当な稼業をしている極道だ。
 こいつは、独自の情報網というやつを持っている。
 極道の組織というものは、その最頂点に『組』という組織がある。
 組には、構成員という正規のやくざ屋さんが籍を置いているが、この下に
 準構成員や、下働きのチンピラ、年少のチーマーといった下部の構成員たちが居る。
 これらが全体としてのピラミッドとなり、裏社会の組織を支えている。
 その下部からの裏情報で、このバイクに同乗をしていたのは、
 いずれも少年院帰りの札付きの少年たちだったそうだ。
 50ccのバイクに3人乗りをするとは、無茶をするにも限度がある。
 だが道路に落ちた3人目の少年を、後続車の君が避けようもなく、轢いてしまったのも、
 残念ながら、また、まぎれもない事実の出来事だ。
 不可抗力の出来事とはいえ、結果的に君は、重大な人身事故を起こしたことになる」


 「はい。おっしゃるとおりです。
 あっと思った瞬間、助手席側に鈍い衝撃が有り、なにかに乗り上げたようなショックが来ました。
 『轢いた!』と思った瞬間、理性は、ブレーキを踏んで、急停止をしろと命じました。
 その命令の声を、僕自身も、頭の中でしっかりと聞いていたはずでした」


 清子があらためて追加をした薪に、炎が燃え移ろうとしています。
青白い煙が立ち上ったあと、乾いた表皮に赤い火が一面に走り、新しい炎が舞い上がります。
パチンと爆ぜた表皮が小さな火の粉となり、囲炉裏の中で踊りはじめます。


 
 「かすかに、ブレーキを踏んだような覚えはありますが、
 一瞬のあいだに、車は落ちてきた人間に、体当たりをしてしまいました。
 ようやく止まった車から、こわごわと後ろを振り返ってみました。
 畑道の真ん中を走っている道路ですので、周囲に人影はありません。
 目の前に居たはずのバイクも、いつの間にか進路を変えて、
 道路上からは消えていました。
 『とんでもないことをしてしまった。やっと就職をしたのに、間違いなく仕事はクビになる。』
 その時、咄嗟に頭に浮かんできたのは、そんな自分勝手な都合ばかりです。
 僕が傷つけてしまった人のことを考える余裕などは、まったくありませんでした。
 やがて、後続の車がやってきました。
 1台、2台と私を追い越していきましたが、誰も事故に気がついた様子はありません。
 停止している僕の車を不審に思うでもなく、普通に追い越して行きながら
 しばらく先に走った地点で、ごく当たり前に信号待ちなどをしています。
 『誰も見ていない。このまま逃げてしまおう。』
 突然訪れてきた、抱えきれない責任の重圧に、僕の頭の中はパニック状態になり
 怪我人を放置したまま、そのままそこから、アクセルを踏んで、
 一目散に逃げ出してしまいました」


 両膝の上で、固く握り締められている日本酒の茶碗を受け取った清子が、
湯気の上がっている入れたてのお茶を、入れ替わりとして、青年へ手渡します。
暖かそうな湯気に誘われた青年が、清子に目線をあげてから茶碗へ顔を寄せます。
一口だけ、ほっとしたようにお茶をすすります。


 「自分の仕出かしたことを振り返ると、背筋が寒くなります。
 怪我人の救助もせずに、現場から一目散に逃げ出してしまったことを考えると、
 自分はなんと愚かで、醜い心の持ち主なのだろうと、恥ずかしくて悔しくてたまりません。
 僕が仕出かしたことは、単なる「交通事故」では済まされません。
 自動車という凶器で、人の生命を奪った上に、逃げ出してしまった卑怯な犯罪者です。
 まさか自分が、現実に、こんな局面で簡単に、犯罪者になろうとは
 いままで、想像すらしていませんでした・・・」


 「ご家族や、ご両親たちは、このことをご存知なの?」


 清子の問いかけに、青年が力なく首を左右に振ります。
『降って湧いたような不幸との遭遇です。ですが、罪は罪として潔く償わなければなりません』
静かにつぶやく清子の声に、青年はうなだれたまま首をしっかりと縦に振ります。



 「もしやの可能性なども考えてあなたの親御さんは、いまは、死ぬほどの心配をしていると思います。
 この場合の意味は、あなた自身が未だに無事でいるかどうかを気遣う、親としての心配です。
 分かりますょね、聡明なあなたなら。わたしの言っている、その意味が」


 『はい』と答えた青年が、胸のポケットから綺麗に折りたたんだメモ用紙を取り出します。
『両親の電話番号です』震え続ける指先が、辛うじて清子へそのメモ用紙を手渡します。



 「心配をしなくも大丈夫ですと、わたくしからご両親へ連絡を入れておきましょう。
 あなた。あとのことはお願いします。
 ご両親には、私どもが責任をもって息子さんをお預かりをいたしますから、
 明朝になってからこちらへおいでくださいと、お願いをしましょう。
 そういうことでいいですか?。20歳を過ぎて、もう責任が取れる大人のはずの小林さん」


 携帯をメモを手にした清子が、そのまま奥の座敷へ姿を消していきます。
『ポケットに連絡先を入れておいたということは、自殺を考えていた可能性もあるということか・・・』
清子が消えていった廊下の暗がりを見つめながら、俊彦がつぶやいています。
『だが、君は罪を償えば、またやり直すことは出来る』生きていれば、色々なことが起きる。
ここで出会ったのも何かの縁だろうと、顔を上げた俊彦が青年へ、微笑みを見せます。


 「いまはまだ、俺たちの旅籠は、準備がはじまったというばかりの段階だ。
 完成するまではまだ少々の時間がかかる。
 そのうちに、ほっとできて居心地のよい、人情の宿として開業をする予定でいる。
 完成したら、是非、もう一度、ここへ遊びに来てくれないか。
 完成前の記念すべき第一号の客人の再来として、君のことを最大限に歓迎するよ。
 忘れずに、必ずまたやってきてくれ。旅籠の名前は、『ひいらぎの宿』だ」
 

 「必ず来ます。忘れずに・・・・必ず此処へまた来ます」

 青年が、両方のこぶしで目頭をぬぐっています。




 
 第4章 ひいらぎの宿、最初のお客様  (完)

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