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『10.4南北首脳宣言』から7年を迎えて

2014年10月04日 | 三千里コラム

表彰式後、一緒に記念写真を撮る南北の女子サッカー選手たち (10.1,仁川アジア大会)



熱戦が続いたアジア大会も今日で終了します。注目されたサッカー競技は、女子が北、男子は南が優勝を分けあいました。南北両チームによる男子の決勝戦は白熱し、民族よりも国家が強調される分断状況を反映したものとなりました。一方、日朝の決勝戦となった女子は、民族の一体感に満ちた応援の姿を見せています。

大会の期間中、「和解」と「不信」の両側面が混在する分断の現状を、一度ならず目にすることになりました。たとえば、10月2日の女子マラソンでは、“泣きたくなるような笑い話”を耳にしました。仁川市内のある小学校で、担任教師が「応援したい国の旗を持ってコースに行こう」と提案したそうです。生徒のうち8名は北の国旗を描いて、40㎞付近でその小旗を振って北の2選手を応援しました。

他の国なら何の問題もない微笑ましい光景ですが、ここは国家保安法の国、大韓民国です。生徒たちと教員は警察に摘発され、8本の「共和国旗」は現場で没収されました。事前に最高検察庁が「アジア大会の期間中、国民が北の国旗を所持・使用することを禁止する」と発表していたからです。幸い、いや当然ながら、“利敵性がない”と判断され教員と生徒たちは放免されました。

もう一つ、これも国家保安法に関した話です。昨年6月、韓国の極右団体が「三星(サムソン)ブルーウィンズ」に所属する在日同胞の鄭大世(チョン・デセ)選手を、国家保安法違反の容疑で検察に告発しました。朝鮮学校出身の彼がその間、“北の最高指導者に敬意を表するなど、利敵行為をくり返した”というのです。

これに対して水原(スウォン)地検公安部は9月30日、「嫌疑なし」との決定を下しました。検察は「鄭選手の言動が大韓民国の存立・安全と体制を威嚇したり、威嚇しようとしたと見る証拠は不十分だ。鄭選手の立場と特殊な成長背景も考慮した」と説明しています。

国家保安法はこのように、民族統一の未来にはそぐわない「時代錯誤の代物」です。盧武鉉・元大統領は「博物館に納めるべき」とも言いました。南が“民主主義と人権”を語るうえで、この悪法の存在は説得力を著しく損なっています。

今朝、アジア大会の閉幕式に、北から党と軍の高官3名が参加するとの報道がありました。南の政府高官たちと昼食を共にしながら歓談するそうです。南北関係の改善に向けた、貴重な契機になってほしいものです。思えば7年前のこの日、二回目の南北首脳会談が開かれ『10.4南北首脳宣言』が採択されています。

以下に、10月2日付『統一ニュース』の観戦記を紹介します。ユーチューブの映像も参考にしてください。(JHK)


やはり、血は水よりも濃かった

1日、仁川アジア大会の女サッカー決勝戦は文鶴(ムナック)競技場で行われた。北朝鮮が3-1で日本を破り優勝した。素晴らしい競技だったが、ゲーム内容に劣らず、応援の真髄を見せた競技でもあった。日本チームには申しわけない気もするが、南の観衆が北の選手を一方的に応援したことで、“血は水よりも濃い”という言葉を実感するゲームとなった。

単純に、最近の刺々しい韓日関係を反映して南の観衆が一方的に北を応援したのではなかった。北の選手が競技場に現れると、南の観衆はいっせいに歓声をあげ拍手を送った。南北関係の悪化から思うように表出できなかった“一つの民族”としてのDNAが、ごく自然に発散されたかのようだった。

ゲームを寸評するなら、「北の体力とスピードが日本の技術と組織力を圧倒した」と言えるだろう。しかし、この結果には観衆の応援も無視できない要因だった。スタジアム本部席の向い側(バック・ストレッチ側)に、小人数の日本チーム応援席が陣取っていた。それ以外のスタンドはすべて、北を応援する南の応援団と観客だった。日本チームの応援団は孤立無援の“島”のようだった。

北の競技にはもう常連となった南の応援団-「南北共同応援団」と「アリラン応援団」-が、本部席向い側に日本チーム応援席を挟んで陣取った。「南北共同応援団」は白地に“私たちは一つだ”と書かれたT-シャツを着て、青の風船と統一旗を振りながら応援した。赤いT-シャツを着た「アリラン応援団」は、バチを鳴らしながら色んな歌とダンズを披露してくれた。応援団はそれぞれ「私たちの願いは統一」、「私たちは一つだ」と書いた大きな垂れ幕を掲げていた。

この日は、新しい応援部隊も加勢した。本部席のスタンドに、年配の宗教団体の方々がオレンジ色のチョッキを着て、赤い風船棒を手に応援していたのだ。また、50人余りの役員と選手団で構成された北の応援団は、いつものように終始立ったまま応援したが、普段のような緊張感よりは余裕があるように見えた。南の観客の応援に力をもらったようだ。これといった小道具がない一般の観衆は、最も原初的な手段である拍手と歓声で応援した。

場内は“チャルハンダ(いいぞ!)”、“ヒムネラ(頑張れ!)”、“イギョラ(勝て!)”などの短い掛け声から、“コリア勝て!”、“ウリヌンハナダ(私たちは一つ!)”、“チョグックトンイル(祖国統一!)”といった統一スローガンまで、多様な声援で満ちていた。

北がピンチをしのぐと歓声が、ゴール・チャンスを逃せば嘆声があがった。ゴールの瞬間には文鶴(ムナック)競技場がさらに熱くなった。競技の終盤、北のホ・ウンビョル選手が三点目を入れて3-1での勝算が固まると、観衆はいっせいに“イギョラ(勝て!)”から“イギョッタ(勝った!)”にスローガンを変えて連呼した。

みんなが一体になっていた。観衆と応援団はいうまでもなく、競技場のボランティアや係員も、そして監視に動員された機関員たちまで、北がゴールを入れると自分たちの任務(?)を忘れて熱い拍手と歓声を送った。

歓呼は続いた。競技終了とともに北の選手たちが、涙まみれで“共和国旗”を手に応援席へとやってきた。彼女たちの答礼を受け、観衆はいっせいに“祖国統一”を連呼するのだった。北のキム・グァンミン監督は記者会見で“南の観客の応援を聞きながら、北と南は一つの民族だとあらためて実感した。祖国統一を望む南の人民の心を見た思いだ。”と感激していた。北の応援団は来れなかったが、南の観客が代わりに北の応援団になったのだ。

応援の絶頂は過ぎ去ったかと思われたが、授賞式で再び歓呼は頂点に達することになった。 観客の多くは、競技が終わって30分後に始まる授賞式を見るために、帰ろうとしなかった。 授賞式では金メダルが北の選手たちに、銀メダルは日本の選手たちに、そして銅メダルが南の選手たちに授与された。

南の選手に銅メダルが授与されるや、北の選手たちが激励の拍手を送った。北の選手に金メダルが授与されると、南の選手たちも拍手で祝ってくれた。国旗掲揚台の真ん中に北の「共和国旗」が、その両側には日章旗と太極旗が掲揚された。優勝国の国歌である「愛国歌(朝は輝くこの山河に)」が鳴り響いた。

授賞式も終わった。日本の選手たちは力なくスタジアムを後にした。南北の選手たちはそれぞれ、グランドで記念写真を撮りながら余韻に浸っていた。その時、観客席から南北の選手たちに向かって“一緒に撮って。一緒に撮ってよ!”と連呼の声があがった。一緒に写真を撮れ!という切実な声だった。

すると、驚くことが起きた。記念写真を撮っていた南の選手たちが、隣で写真を撮っていた北の選手たちの合間に入ってきて、「一緒に写真を撮ろうよ」と促すのだった。瞬間、文鶴スタジアムはこの日最大の拍手と歓呼に覆われた。初秋の夜、文鶴(ムナック)競技場はこうして皆が一つになった。文鶴という競技場の名前もすばらしいが、この日だけは、一片の詩や金言に思いを馳せる文学(ムナック)競技場でもあった。

やはり、“血は水よりも濃かった。”


ウリヌンハナダ(私たちは一つ!)