NPO法人 三千里鐵道 

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6.15に想う。

2012年06月16日 | 管理人のつぶやき
??? - ??? ?? (when that day comes)




6.15共同宣言のあの日、
私たちは、その歓喜の中にあった。
分断された南北祖国に住む同胞だけが歓喜したのではない。
海外にいてなお、
在日の我々も、同じ歓喜の中にあった。
私たちはその時、全体民俗の一員として、同胞として喜び合った。

あれから12年の歳月が流れ、
統一の二文字は、迷い道の中にいる。
南北祖国の対立の消耗戦を見るごとに既視感ゆえのめまいを感じることもしばしば。
在日とて然り。

在日同胞が、分断された片割れをのみ唯一の祖国と認めそれに追従する他に能のない分断組織に支配されているからだ。

在日同胞は、分断の痛みを共にしてきた海外同胞だ。
だから、私たちには統一の歩みをともにする資格も権利もある。
私たちは、海外に住む者だ。
海外に住む立場を最大限に生かした統一運動というものがあるはずだ。
同じ国、同じ地域に住みながら、分断され破片化された在日同胞。

6.15は祖国統一のための南北両政府による共同宣言であるが、在日は、在日の6.15を実現しなければならない。

分断され破片化された在日同胞が、出会い、交流を深め、相互認識を深めて行く、そして始めは緩やかであれ失われたネットワークを再構築する…
そんな仕事を私たちみんなで汗を流したい。
12年目の6.15を迎えて、切に思う。

by maneappa

もう一度、確かに、記憶するために。

2012年06月15日 | 南北関係関連消息
1st South-North Korea Summit 2000


私たちは、確かに歓喜した。
分断55年のこの年に、私たちは、夢は実現するものと確信した。

しかし、この夢が実現するための道は、想像以上に険しいことをこの12年間に私たちは実感した。

しかし、放棄してはならない。
放棄できるはずがない。

あの時の歓喜をもう一度、思い起こしたい。

by maneappa


6.15共同宣言をもう一度読む。

2012年06月15日 | 南北鐵道関連消息


 6.15南北共同宣言

 祖国の平和的統一を念願する全同胞の崇高な意思により、大韓民国の金大中大統領と
朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長は、2000年6月13日から15日まで
ピョンヤンで歴史的に対面し、首脳会談を行った。
 南北首脳は分断の歴史上初めて開かれた今回の対面と会談が、互いの理解を増進
させて南北間関係を発展させ、平和統一を実現するのに重大な意義を持つと評価し、
次のように宣言する。

 1.南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士で互いに力を合わせ、
   自主的に解決していくことにした。
 2.南と北は国の統一のため、南側の連合制案と北側のゆるやかな段階での連邦制案が、
   互いに共通性があると認め、今後、この方向で統一を志向していくことにした。
 3.南と北は今年の8・15に際して、離散家族、親せきの訪問団を交換し、
   非転向長期囚問題を解決するなど、人道的問題を早急に解決していくことにした。
 4.南と北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、
   保健、環境など諸般の分野での協力と交流を活性化させ、互いの信頼を固めて
   いくことにした。
 5.南と北は、以上のような合意事項を早急に実践に移すため、早い時期に当局間
   の対話を開催することにした。

 金大中大統領は金正日国防委員長がソウルを訪問するよう丁重に招請し、
 金正日国防委員長は今後、適切な時期にソウルを訪問することにした。

 2000年6月15日
 
     大韓民国大統領 金大中    朝鮮民主主義人民共和国国防委員長 金正日

【訃報】 南相三副理事長が、永眠されました。

2012年06月10日 | 南北鐵道関連消息
本会の副理事長で、このブログの主要な書き手として、多くの貴重な情報を提供して来られた南相三氏が、6月9日午前11時27分、永眠されました。

享年69歳でした。


葬儀のご案内


通夜  6月10日 午後6時半
告別式 6月11日 午後1時
場所  豊隆殿三ノ輪ホール
    愛知県豊橋市三ノ輪町本興寺3-27
    電話 0532-64-4004
    FAX  0532-64-4774 



たった今、通夜の席から戻りました。

故人の突然の訃報に、私たち皆が驚き、悲しみ、そして早すぎる死を悼みました。

韓国からも、連名で弔意メッセージが寄せられました。紹介します。



謹んで弔意を表します。

今日、南相三三千里鐵道副理事長が永眠なされたという悲報に接し、驚くとともに哀しみの心のやり場がありません。

南副理事長は、生涯にわたって分断の痛みを全身で受け止め熾烈に生きてこられました。
そして誰よりも祖国の統一を願い、少しでも役に立とうと、苦労されてこられました。
もう再び会うことができなくなって、日頃の故人の情が深く、多感だった姿が懐かしく思い出されます。

私たちすべてが、故人の遺志を受け止め、南北関係の改善と統一の日が一日でも早く実現されるよう、もっと力を合わせていかなければなりません。

直接、弔問に訪れることができないことを申し訳なく思いますが、南副理事長の遺家族と都相太理事長をはじめとする三千里鐵道の会員の皆様に深く哀悼の意を表します。

2012年6月10日 ソウルにて
    林東源 丁世鉉 李鳳朝



認定NPO法人に向け、新会員100名を突破!

2012年06月08日 | NPO三千里鐵道ニュース
第一次募集の期限となっていた先月5月31日、会員104名に達した。これで「認定」に向けた申請手続きに弾みがついた。
そして、後1週間あまりで、上記6.15記念行事(「私の体験した韓国国会議員選挙」講師ー康宗憲氏)が、名古屋において開催される。

康宗憲への民団新聞報道に、都相太氏が公開質問状を発した

2012年06月04日 | NPO三千里鐵道ニュース
★先の国会議員選挙に海外同胞として唯一日本から立候補した康宗憲氏に、韓国内の保守と民団が同じ論調のキャンペーンを展開した。
以下、たまりかねた都氏が、公開質問状を発表した。
はじめ接した時、ぼくは熱いものがこみ上げてきて、すぐ電話して感謝した。
後日談
その後都相太氏は光州市の全南大学校に招かれ講演(詳細は後日)、その折韓国の市民の中にこの公開質問状が話題になっていたそうだ。

さて、どの様な回答になるのか…。



公開質問状


在日本大韓民国民団 呉 公太 中央団長貴下


日頃は、在日韓国人の権利擁護と民族性の矜持のために尽力されている貴団に敬意を表します。

私は、在日本大韓民国民団愛知県本部豊川支部の一団員として、在日本大韓民国民団機関紙民団新聞2012年5月23日付けの記事内容のうち、「『金日成主義者』が国会に?!」の記事についての、公開質問状を送付いたしますので、本状到着後二週間以内に、ご回答くださることをお願い申し上げます。

なお私は、NPO法人三千鐵道の理事長、Gテクノ株式会社の代表取締役会長等を兼務していることを申し添えておきます。

今回、康宗憲氏が立候補することになった経緯は以下のようなものです。
在外同胞に対する選挙権の付与は国家の義務であるという憲法裁判所の判決を受けて、昨年私たちは名古屋で「投票2012」という啓蒙組織を立ち上げました。
昨年12月韓国国会に出向き、セヌリ党(ハンナラ党)、民主統合党、統合進歩党などに海外同胞を立候補者として推薦してくれるように要請してきました。このことは「投票2012」のホームページにも公開していますので、事実を確認したください。その結果として、統合進歩党だけが、その枠を確保してくれ、私が康宗憲氏に強力に出馬要請したものであります。

1. 記事の表題に「『許せぬ』怒り広がる」とありますが、康宗憲氏の立候補のことですか、それとも当選する可能性がでてきたので「許せぬ」ということなのでしょうか。
2. 康宗憲氏が、韓国国会議員選挙に立候補する権利もしくは資格が無いということでしょうか。
3. 「金日成主義者」の定義について、分かりやすくご説明ください。
4. 統合進歩党候補者の康宗憲氏が、「金日成主義者」である根拠をお示しください。
5. 私は、「6.15実践日本地域委員会」の副議長をしていますが、会議の席に康宗憲氏の姿を見たことはありません。康宗憲氏が、その「代表委員」であるという記事の根拠をお示しください。
6. 「6.15実践日本地域委員会」が「従北団体」という主張の根拠をお示しください。なお、上記委員会は2000年6月15日に発表された南北共同宣言の内容を実践するために結成されたと理解していますが、私の理解が間違っているのであれば、ご指摘ください。
7. 昨年12月韓国の裁判所で、いわゆる「在日政治犯」の再審を傍聴する機会を得ました。ご存知のように多くの政治犯が「無罪」を勝ち取り、裁判長は、頭をたれて謝罪していました。70年代軍事独裁政権によるこれらの犯罪は捏造されたことは明らかです。民団新聞に書かれている「在日同胞スパイ事件」についてどのようにお考えでしょう。また、民団新聞には触れていませんが、「在日政治犯」に対する数多くの無罪判決をどのように受け止めていますか。
8. 在日同胞の若者が、夢を抱いて母国留学して「政治犯」として貴重な青春を踏みにじられた事実に、彼らよりも先輩である私は、何もしてやれなかったことに謝罪の気持でいっぱいです。私は「和して同ぜず」を座右の銘として生きていますが、在日本大韓民国民団の綱領二項にある「우리는 在日同胞의 人権擁護를 期한다 」はどこに消えましたか。少なくとも「無罪」を勝ち取った在日同胞にたいし、連帯の意思を明確にするのが在日本大韓民国民団の重要な課題の一つと考えますがいかがでしょうか。

                          2012年5月28日

                         愛知県豊川市伊奈町南山新田 166
                               都 相太 拝