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統合進歩党への解散請求、憲法裁判所の判決は?

2014年11月07日 | 三千里コラム

「統合進歩党の強制解散に反対し、民主主義を護る円卓会議」(11.6,ソウル)



韓国政府は昨年11月5日、統合進歩党の強制解散を要求し、憲法裁判所に違憲審判を請求した。この1年間に20回を越える公判が開かれ、法務部と統合進歩党の間で熾烈な攻防が展開されている。法務部は同党の“核心メンバーが朝鮮労働党の影響下にあり、綱領と活動内容も北朝鮮の対南戦略に立脚したものだ”と主張している。

しかし、統合進歩党が掲げる△働く人々が主人となる世の中、△進歩的な民主政治、△朝鮮半島の自主的平和統一と東北アジアの非核平和体制などの綱領は、韓国社会の進歩勢力がその間の変革運動を通じて形成したものだ。“北の指令”を持ち出すのは、あまりにも見え透いた冷戦時代の手法と言わざるをえない。

統合進歩党は現在、国会議員5人の少数政党だ。その一人、李石基氏は「内乱煽動」などの一方的な容疑で拘束され、高裁で9年の重刑を受け上告中である。来年の1月か2月には有罪の確定判決が出ると予想されている。朴槿恵大統領の裁可を受け、法務部が押し切ろうとする進歩政党の強制解散...。

言うまでもなく、政党活動の自由は民主主義の核心である。韓国民主化運動の成果を守り発展させるためにも、民主勢力の団結した対処が求められる。裁判は今月25日の最終陳述を残すのみとなった。当日、法務部は長官自ら陳述し、統合進歩党は李正姫・党代表が陳述する予定だ。判決は年内に出るものと予想される。

参考資料として、11月5日付『民衆の声』社説を紹介する(JHK)。


政府が統合進歩党に対して違憲政党の解散審判請求を提出してから、今日で満1年を迎える。憲法裁判所は11月25日に、双方の最終口頭陳述を行い弁論を終結する。憲法裁判所の最終決定だけが残されているわけだ。

憲法裁判所の判事たちにとっては、困惑せざるを得ない所だろう。政府の請求を棄却すれば文明国家の自尊心は守ることができるだろうが、朴槿恵政府と守旧勢力の集中的な攻撃を受ける可能性が高い。チェ・ドンウク検察総長への迫害は、こうした懸念を彼らに抱かせることだろう。恐怖政治は有無を言わせぬ強権統治であり、無分別な手段を活用する。

かと言って、憲法裁判所が法理を無視して強引に解散決定を下すこともできない。17回もの弁論公判で10万ページを越える資料を検討したが、政府は統合進歩党の何が違憲なのか、ただの一度もまともに立証できなかった。

11月4日の弁論公判でキム・イス裁判官は、“隠れた目的をあばくパズル理論で「北朝鮮式の社会主義追求」が明らかになるということか。あるいは、統合進歩党の綱領そのものに「北朝鮮式社会主義」が出てくるということなのか?”と質問した。最終的な争点の確認だった。

これに対して検事は“政党解散が規定されている国家で、政党が自ら違憲的な目的を明示するだろうか。「進歩的民主主義」という用語の背景にある実体を見なければならない”と力説した。隠蔽された‘真の目的’がある、と政府が繰り返し主張することが、何よりも「違憲の証拠はない」ことを逆説的に語っている。

弁論が展開された1年間で、政府の訴える解散請求趣旨は大きく変わった。1年前、閣議を経て朴槿恵大統領が署名した請求書類には、“北朝鮮の指令を受けるRO(革命組織)が進歩党の党権を掌握しているので、解散させなければならない”という趣旨であった。だが、しばらくして政府は“民革党(民族民主革命党)の残存勢力が党権を掌握しており、解散させなければならない”と、いつの間にか言葉を変えている。去る8月の李石基議員の控訴審結果に合わせたのだ(ソウル高裁は内乱陰謀に無罪、ROは実在しないと判決:訳注)。

国家情報院の協力者キム・ヨンファンが証言したのも同じ脈絡からだ。民主労働党(統合進歩党の前身)が創党される前に、国家情報院に自首し同僚を告発して釈放されたキム氏の陳述が、今になって統合進歩党の解散理由にならないことは、あまりにも明白なことだ。

憲法裁判所の苦悩は察して余りあるところだが、その解決は極めて簡単だ。憲法に明示された通り、法と良心に則って独立的に審判すれば良いのだ。現政権のもとで、司法部の決定が政府の統治行為から独立していると信じる人は多くないだろう。だが、憲法裁判所は違う、ということを見せなければならない。

11月6日、市民社会の元老たちと知識人、民衆運動の指導者らが、統合進歩党解散を阻止する円卓会議を招集するという。参加者たちは、「統合進歩党の解散は民主主義の解散」という認識を共にして、“進歩党解散の試みこそ違憲的な認識だ”と主張する。非常識な政権による民主主義の破壊意図が現実のものとなり、司法の独立が危険な状況に陥っている。だが、私たちの社会にはまだ良心と正義が毅然として生きていることを、憲法裁判所の判決を通じて確認したいものだ。