NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

文益煥牧師逝去20周忌 4.2南北共同声明25周年 平和と統一のための늦봄文益煥牧師追慕の集い

2014年11月04日 | NPO三千里鐵道ニュース
開催まで2週間を切りましたので、もう一度掲載いたします。(※内容に一部変更があります。)


11月16日は、名古屋へぜひお越しください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文益煥牧師逝去20周忌 4.2南北共同声明25周年
平和と統一のための늦봄文益煥牧師追慕の集い


우리 다시... 통일을 외치자! ( 私たちは、もう一度… 統一を叫ぼう!)

日時 : 11月16日(日)午後1時半開場 午後2時開始
場所 : 名古屋YWCAビッグスペース
主催 : 늦봄文益煥牧師20周忌追慕の集い日本地域実行委員会
後援 : (社)統一マジ
連絡先: NPO法人 三千里鐵道 (お問合せ 0532-53-6999)

늦봄文益煥牧師は、
この地の光でした。この民族の希望でした。
今年2014年は늦봄文益煥牧師逝去20周忌を迎える年です。
私たちは今、先生をもう一度生き返らせ、歴史の前に立たせようとしています。
あまりにも状況が切実なためです。歴史がその暗闇の過去に戻ろうとしているためです。民族の分断と対決が耐えがたい痛みとなっているからです。
それで私たちは、彼の夢と叫びと決意を、もう一度私たちの体で確認して行動しようと思うのです。
皆さんが共にしてくださることで、平和の歴史、統一の歴史、正義の歴史が、再びよみがえることと思います。

늦봄文益煥牧師20周忌記念事業委員長
張永達

プログラム
第1部 追悼式
開会辞 李昌馥 (社)統一マジ 理事長
    都相太 NPO法人 三千里鐵道 理事長
記念辞 張永達 늦봄文益煥牧師逝去20周忌記念事業委員長
追悼辞 李承煥 (社)統一マジ 運営委員長 『늦
記念辞 張永達 늦봄文益煥牧師逝去20周忌記念事業委員長봄統一思想の現在的意味』
    姜春根 在日韓国民主統一連合 副議長 『文益煥牧師訪朝が在日同胞に与えた衝撃』

第2部 特別招請講演  
  文盛瑾 國民の命令 常任委員  『私たちは늦봄統一思想を継承する』
  康宗憲 韓国問題研究所所長   『4.2共同声明の継承と6.15共同宣言の実践』

第3部 遺家族挨拶と韓国側参加者紹介
     文영금 文益煥牧師 長女 타

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6.15共同宣言の背景となった4.2共同声明と“늦봄(晩春)”文益煥牧師

72年 7.4南北共同声明、89年 4.2共同声明、91年 南北基本合意書、2000年 6.15共同宣言、2007年 10.4宣言…

すべての南北間の合意は一歩一歩発展してきた。それは常に、先にあった南北間の合意をベースにより具体的で、より根本的な合意につながっていった。 7.4南北共同声明がなかったら4.2共同声明もなかったのであり、4.2共同声明があったからこそ南北基本合意書が可能となった。 そして、『統一の道しるべ』と呼ぶべき歴史的な6.15共同宣言が生れることにつながった。

統一の先駆者となった늦봄文益煥牧師は1976年3月1日、明洞聖堂で金大中氏らと『3.1救国宣言』を発表した時から民主化運動に飛び込みました。 『3.1救国宣言』は、「朴正煕の維新クーデターにより韓国の民主主義は窒息し三権分立は抹殺された」と、維新憲法によって永久執権、独裁体制を固めた朴正煕大統領に大きな打撃を与えた事件です。 この時、懲役7年の刑を宣告されて初めての監獄生活をし、それ以来、朴正煕政権の下で2回、全斗煥政権下で2回、廬泰愚政権下で2回、合計6回の獄中生活をするほどに、民主化運動の象徴であり求心点になった方です。
1987年6月民主抗争の直後、늦봄文益煥牧師はいつもこのように主張しました。
「もう民主化はある程度なったし、これ以上元に戻ることができないまでになりました。 それなら私たちはこれから統一を迎える準備をしなければなりません。」

1989年北の金日成主席が、「韓国政府当局と政党そして文益煥牧師、金寿煥枢機卿など、誰とでも会って統一問題を協議する用意がある」と明らかにしたことを契機に、当時では南の誰もが生きては行くことができなかった北に行って金日成主席に会います。 その時金日成主席と交渉して作られたのが、4.2共同声明です。 最初、金日成主席に会うまで、늦봄文益煥牧師は果たして北が統一をする意志があるのかどうか確信がなかったといいます。自分を呼んでおいて利用だけしようとするのではないだろうかと心配したともいいます。
しかし、金日成主席は当時としては受け入れるのが難しい問題まで喜んで受け入れ、統一問題を真剣に解いていこうという意志を見せ、その成果は4.2共同宣言にそっくり入っているのです。
4.2共同声明は統一方案に対する南北間の初めての合意という歴史的意味が非常に大きいです。 4.2共同声明は、第一項7.4共同声明に立って自主的に統一問題解決、第三項 多方面的な交流と協力強化、第四項 統一は吸収統一でない連邦制方式を指向などの内容を含んでいます。 そして文益換、金日成二人の合意が現実化されるために、第八項 各政党、政府にこれを積極的に建議するようにしました。

一方、金大中大統領はかねてから『太陽政策』と名をつけた統一戦略を持っていました。 あたかも太陽が太陽の光で旅人の服を脱がせたように北朝鮮に対して強硬策でない同じ民族で包容する暖かい政策を通じて北を変化させることができると考えたのです。 このような考えは、李承晩大統領以後力で北を屈服させなければならないと信じた歴代大統領とは全く違うことでした。 そして、このような自身の政策が成功するには何より北の最高指導者と会って信頼を積まなければならないと信じていました。
4.2共同声明が合意発表されてから11年目となる2000年6月13日、金大中大統領はついに分断後初めて平壌を訪問する韓国大統領となって歴史的な南北首脳会談に成功し、北の金正日国防委員長と会って『統一の道しるべ』と呼ぶべき6.15共同宣言を採択するにいたりました。これは、それまでの冷戦の遺物である分断時代を断ち切って、南北和解の時代、平和統一の時代が開かれたことを意味していました。
4.2共同声明と6.15共同宣言は11年という時差と会談当事者の差はありますが、核心的内容と志向するところにおいては一致しており、6.15共同宣言は4.2共同声明を土台として一段と発展させたものだったのです。

南北関係は白紙状態では始まりません。再開されるたびに常に過去よりも深化し拡大する方向で合意を見てきた歴史があります。再び南北関係が回復して発展すれば、7.4→4.2→6.15→10.4と発展してきた統一の道のりが、一段と高い水準となることでしょう。

私たちは、文益煥牧師逝去20周忌追慕の集いにおいて、늦봄文益煥牧師の統一思想を学び、6.15共同宣言が切り開いた地平を思い起こし、海外同胞の立場から統一運動へいかに参与しうるのか、すべきなのかを探りたいと思います。