「東大寺さんに、お帰りになられました」。いったい、何の時の会話と思われるでしょうね。実は、数カ月前ですかね。ちょっと調べ物をしていて。それは、奈良のことなんですが。気になることがあって、奈良国立博物館に問い合わせをしたのです。東大寺の数々の文化財が、今も奈良国立博物館に保管展示されているかどうか、ということだったんです。奈良国立博物館には、数々の文化財、仏像やらが保存というか、保管されています。それらは、本来は、仏像たちがあるべき寺に安置されているのですが、お寺が荒れ果てたり、お寺での保存状態が良くないので、奈良博(奈良国立博物館の略称)に移して保存しているのです。で、東大寺の宝物もそうだったんですが、去年の2011年10月に東大寺ミュージアムというのがオープンしました。だから、それとの兼ね合いで、本来、東大寺の所有であった文化財が、今も奈良博にあるのかどうかが気になって、電話したのです。だって、せっかく奈良博に行ったのに、見たいと思っていた文化財がなかったらショックでしょ。だから、です。
で、電話で私は、「かつて、展示されていたはずの、東大寺の仏像とかは、今も保管展示されているのでしょうか」と聞きました。すると、奈良博の学芸員の方は、「東大寺さんに、お帰りになられました」と答えた。一瞬、私の頭の中には、奈良国立博物館の出入り口から、仏像たちがぞろぞろと公園の敷地から前の車道に出て軽い上り坂を東に歩き、信号のある四つ角交差点を左に曲がり、列をなして歩いていく姿を想像したのだった。だって、お帰りになられました、と言うんだもの。当然、歩いて帰ると思うじゃない。それと、普通は預かったものを返したのなら、返却しました、とか、返しました、と言うはずなんですが。それを、お帰りになられました、と言った。文化財や仏像には魂があるのですね。人や生き物より、もっと尊いものかもしれません。なんせ、中には千年を越えるものもあるでしょうから。え~と、東大寺は、大仏の造立とともに、伽藍が作られはじめていますから、やっぱり大雑把に千年以上のものもあるでしょう。大仏、盧舎那仏の開眼供養は752年ですから。おっと、横道に逸れてしまいました。だから、奈良博にとって、東大寺さんからお預かりしていた、ものではなく、心の、魂の宿った尊きものに、しばらくの間、お越しいただいた、でもなく、お休みいただいていた、いや、おくつろぎいただいていた、ということなんでしょね。で、晴れて、自分たちの帰るべき場所、東大寺ミュージアムができたので、そこへ奈良博から、何年ぶりかで帰っていった、ということなんですね。おかえりになられました。なんだか、ほっこりする言葉です。
私には、どんな風に帰って行ったのかが、気になるところではありますが。やっぱり、おん祭のように行列で、馬に乗ったり、牛車で運ばれたりしたのかなあ。いやいや、違う。奈良だから、鹿に乗って帰られたのですよ。その昔々、春日大社ができる前のことです。平城京を護るために、鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)さんが、白鹿に乗って御蓋山に降りられたということだから、奈良での尊きものの乗り物は、やっぱり鹿ということですね。そんなわけで、東大寺さんに、鹿に乗ってお帰りになられたのでしょう。おっと、御蓋山というのは、三笠山ではありません。若草山でもありません。春日山の中のひとつの山ら。阿倍仲麻呂が中国で詠んだ、「あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも」の御蓋山です。百人一首にもありますね。阿倍仲麻呂は、遣唐使として中国に行った人です。日本に帰ろうとして、乗った船が暴風雨でベトナムまで流されて、結局、中国の唐で亡くなりました。この暴風雨の時、流されなくって、無事に日本に着いた船があります。その船に乗っていたのが、のちに唐招提寺を開いた唐僧だった鑑真さんですね。などと、また横道に逸れてしまいました。だって、奈良はいろいろな歴史があって、物語があるのですから。さてさて、私の頭の中では、ゆっくりゆっくり歩く鹿。ときおり草などを啄みながら、仏像さんたちを乗せて、ほぼ列をなして奈良博から東大寺に向かう。早朝なのか深夜なのか、私たちの目には見えません。もし奈良公園で、目的地を目指してしっかり歩いている鹿を見れば、その鹿はなにか尊きものをお運びしているのかもしれませんよ。決して邪魔をしないように。東大寺のお水取りも終わりました。なかなか、春になりませんね。今日も、鬱陶しい天気です。あっ、そうそう。東大寺の文化財を見に行くのであれば、東大寺ミュージアムに行ってくださいね。もう奈良国立博物館には、東大寺のものはありませんので。みんな、「東大寺さんに、お帰りになられました」から。