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女性に備わる美しさの追及はパーフェクトな自己充足である。

2015-09-07 | 社会問題
男性的な正しさの中には強さが存在し、女性的な正しさの中には美しが存在する。その単純な道理に不感症になっているのが現代だ。

言い方を変えると、正しい喧嘩とは、美しい喧嘩の後に生まれる友情であるように、醜い喧嘩では後で恨み辛みを残すだけで終わる。

正しいディベートは、強さと美しさがその持論の中に備わっているかが弁論の優位性だが、感情論では醜い戯言で終了する。

従って男性の強さは正しいものであり、さらに女性の美しさの追及もパーフェクトな自己充足であり正しさと言える。

なぜなら、美しさは万人の心に触れることができるからである。どれほど堕落した人間であっても、その美しさへのあこがれや敬意は、失いはしないからだ。人間の特権は、一つの美しさにあると断言できる。

つまり、男性的な力強さの中に美意識が備わり、女性的な美しさの中に英知が備われば完全体である。そう考えるとニューハーフに優れている人が多いのもうなずける。

男性が女性を見る目は、その美しさに隠された知性と、仕立ての良いドレスの下に隠されたファンタジーにある。

そして何より重要なのは、現代社会に潜む隠された問題の一つに、正しい性欲とは何かが挙げられる。

実際、男性でも女性でもセックスによって頭が冴える。マスターベーションでは頭が冴えない。

なぜなら、異性との刺激はホルモンへの最大の影響であり、天才脳とは興奮脳だからである。

赤ちゃんは抱きしめられて自己を認識するように、温もりのないマスターベーションでは無常である。

肉体の目覚めは精神の目覚めであるのだから、性欲が自らの肉体と頭に方向性を示して、たった一晩の出来事で大人に変わることだって現にある。

従って、男性的な性欲の正しさには、男性は力強さが正しさなのだから、性欲をまき散らしては腑抜けた弱い男たちであって正しい男とは定義出来ない。

逆に女性的な性欲の正しさには、女性は美しさが正しさなのだから、そこに知性である愛の概念を男性たちに伝授する方法の一つがフリーセックスだ。

生産活動に重要なインスピレーションやイマジネーションはセックスによって掻き立てられるし、マスターベーションがジェネレーションの役に立った試しはなく、レボリューションでは情けない。

マスターベーションでは自己実現には結び付かずに、自己満足で尽き果てる。生殖と愛のない性欲では、快楽とも不快とも言わず、その間にある一瞬の偽快で終わる。

マスターベーションで鍛えたはずが、いざ本番では役に立たずに、溜まった性欲を放出する単純作業の習慣から逃れられなくなり、ただの抜き過ぎでは、欲望志向とも呼べずに、一年中盛りに付いた裸の猿である。

一般的な宗教ではマスターベーションを禁じているが、その性欲を社会や女性に爆発させるのではなく、宗教活動に爆発させるところに宗教の強味が隠されている。

世界はエロスによって動かされているという人もいる。

恋愛や夫婦の問題にも、やはり性欲の課題があげられるが、ここからは避けては通れない現実である。

性的欲求は幼児の活動にも認められるように、私たちには性欲の欲求を満たす必要性がどうしてもある。

この性的性格はあなた自身の本来の姿とは異なり、罪でもなければ情欲でもなく、まして本来の自分自身でもない。

人類は性的生活にちょっとばかり不慣れである。世界中の美しい性的生活が何かを誰も説明していないのが問題だ。

セックスレスや浮気は性的生活に不慣れな人々の、心の叫びでもある。青春時代のツッパリと同じである。

その性的生活における問題の中でも最も困難な行為はセックスの難しさである。私たちはセックスの真実を本当には知らないようです。

無意識で無鉄砲な性欲だけでは情欲となって継続させるのが困難となり、さらに心が通わずに相手を傷つけかねない危険性がある。安心して快楽が得られるためにも、性的生活の研究と工夫が生命線だと考えられる。

人間に備わっている欲求の中で、性欲と食欲は似ているかもしれないが、果実の旨さは旬にあるように、春夏秋冬の情緒に合った、日本人特有の工夫が、私たちの性的生活にも求められているかもしれない。

また反対に、いつも満足していては、性欲の感度は振るわない。そこに快楽と苦痛との落差が伴わなければ二人の関係はフリーズ状態だ。

実際、苦しみや悲しみが人を愛へ向かわせるように、間違いがあるから正しさも生まれる。

離婚の原因にもなるセックスレスには、上手な解決策が見当たらない。不自然に思うかもしれないが、自然な関係に任せていては自然とは残酷な結果しかもたらさないのだから、二人でしか解決できない問題があるのも事実である。お互いの関係が助け合いの中でさえも問題が無くならないのは一体全体なぜだろうか?

いっそのこと、性欲本能だけに従えば浮気はロマンスであり、情欲に従えば嫉妬やヒステリーは自己中心的なわがままになりかねないのだから、脳の快楽の仕組みである愛の概念との交換能力と、性欲との関係のテクニックを考え出すことが円満の秘策になると考える。

食欲の好き嫌いと同じく、毎日の同じ料理は人を不快にさせるように、一年中同じ行為では人をそれから飽きさせるものであるから、普遍性のあるもの、癒しや飽くなき技術的向上、鍼師やマッサージ師のスキルアップなど、何か善いアイデアが必要だ。


企業に理念があるように、家族にも、夫婦にもやはり話し合いの合議知による理念の確立と愛の概念の向上が家族の存続には何よりも重要だ。

その合議知に必要なものは、道徳観念であり、道徳観念とは母なるものだから、女性の考えが優先されるのである。

事実、女性を尊敬できない男性はただの子供である。恋人たちの恋愛は事故だが、結婚は技術であり、友愛は道しるべである。

知らない者同士が運命的にも一緒になり、子を授かり、一生をともに暮らすという、こんな素晴らしい話が世界中いたる所に用意されているとはまさに驚きである。

最後に、ゲーテはこう言っています。「人格を形成するのはロマンである」と。