酒好き文化風俗研究者

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地獄に堕ちる方法は、聖戦による母殺しが一番の良策であり、社会のレベルもここにある。

2015-09-16 | 社会問題
死の恐怖を煽るテロに端を発して自然は死を優遇しようとする総体として、怠け者の心理が隠されている。あの世は神と無限性を間違いなく指し示すというそれである。

テロに参加する理由は様々だが、その理由の一つに厳しい現実社会から弾かれた怠け者が生きる為の行為にテロ活動で充足感を得るやり方である。

問題なのはその資金源である。金持ちの玩具にされる宗教闘争には自らが巻き込まれない為の作為が込められる。

世界は広大な戦争ロマンについての驚きから抜け出せず、ほんのわずかな結論だけで満足して、生死を生み出した創設者の為に全てをそれで片づけてしまうような、思想の停止した慣習の世界情勢に誰もが不快感を持っている。

人間の知識や自己主張や道徳的ですらないものは、現実で満ち溢れた死の恐怖という回り道がなければ、例えばほとんど同じ時代、一か八かの博打のような、希薄な動機にすぎない衝動にしかなれないだろう。

世界を動かしている最大のパワーは死の恐怖以外、なにものでもない。このなにものでもないものに打ち勝つことこそが現代人の使命だ。

神学の隠れた神の時代に人類学の隠された人間の時代が続くことについては別の兆しがある。

生命に与えられている死の掟には、死は自らの為の死であるという真理である。私達はいずれどこかで死に挑む訳だが、その死は決して神からの嫌がらせではなくして、神からの贈り物なのであるという真理である。

真意の申し子である死の恐怖を避けるという単に生活を可能にする為の現在の表現は、私利私欲の滑稽さに転じてのた打ち回る、人為的な独特の規制という権限を必要とすると同時に、絶対思想による恐怖からの解放が必要となる。

対象を曖昧に表示して、人間をその他大勢と呼び、衝動を群集心理と呼ぶやり方に慣れ親しんでいるのが現状だ。

重要なのは、常に自分をはっきりと表現しないままに解ってもらって、羽切の悪い内容の判断は後世に委ね、その曖昧さを歴史のせいにすることで感情を納得させ、不確定なものに導かれて曖昧さの集団の中に引き込まれていてはならない。

頭脳社会は自然原理をほとんど覆い隠すかのように立ち塞がっているが、こうした不信感はそれゆえにこそ無限の為に有限を諦めるのを阻止する力にはならず、潜在的にはいつもこの有限の諦めを推し進める方に働くからである。

処世術には全ての物事の漸次的な折り合いとつけることに手を貸すという意味で別の認識が出来る。

正直であればあるほど欺瞞的であったり、優しくすればするほど裏切りに合うこうした現状をも結局は、偽りに変えてしまう絶対思想の前に立てば、結局は自然理知に間違いはないことになる。

生きる情熱は死に対抗するエネルギーでもあり、それゆえに最も多く与えられた恐怖は偽装のパワーであり、それどころか実際は死の恐怖を利用す者こそが現代社会の真の支配者とされている。

命の誠実さだけでは世界の欺瞞に対する処世術とはなされない。真理とつきあうには極度の用心深さを要求される。

たしかに自分の命は信じて良いものだが、それと同時に死を持たない生命は封印された手紙であり、真理の意図は死の純潔である。

人生論は基本的に神の模擬、人間社会は神の悪用にある。それゆえ人々に死の恐怖を推測させて不安な状態にする地獄のシステムを模範せよと言われても驚くに値しない。

あたかも死的な処刑など存在しない、あるのは見せしめでしかないように死的な感情は人間的な手段を用い、また人間的な手段など存在しない死的な手段を理解することが重要である。

偉大な最高規則は一見すると、はじまりつつある近代がほとんど神がいなくても自らの妥当性を保証しようとする自然法の定式に見られるような、一つであるように感じ見られる。